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第四話 最善の世界 -Only_Sensitive_Existence- ⑦

 ゆったりと長い休憩を終えたのち、装備の再確認を済ませた二人は件の水上施設に向けて出発した。インナースーツの小型擬似霊晶炉を燈したソラを抱きかかえて、トーテムのリフターを起動したカナタは、水面に突き出た廃墟を飛び移っていった。

 ある程度まで近づくと、今度は激しい水飛沫をあげながら水上を滑っていく。あっというまにガラスドームの前のメガフロートに着地すると、カナタはソラを下ろした。風が強く、ソラの長い髪が暴れる。施設のレシーバーたちは、武器を構えつつも二人を出迎えた。

 代表して施設の中から出てきたのは、爽やかな青い浴衣模様のトーテムだった。

 彼は気さくな少年の声で、ソラに自己紹介をした。

『また会ったね。カナの兄の雲野イヲリだ、よろしく』

「ホモ=ヌーメノンの天海ソラリアです。よろしく、カナタのお兄さん」

 ソラは一瞬息を飲みながらも、自己紹介を済ませた。

 そして恐る恐る、カナタのほうを振り向いた。

 カナタは硬直していた。全く見動きをせず、何を考えているのかもわかりづらい。

 カナタはゆっくりと、語感を舌の上で転がすように、イヲリの名前を呼んだ。

『お兄ちゃん……』

『久しぶりだね、カナ。三十一億年ぶりかな』

 カナタは浮かない声で『久しぶり……』と言った。

『人工単子の覚醒状況とトーテムの稼働状況を示すアリストートルのデーターベースには、お兄ちゃんの名前は無かったのに。どうして教えてくれなかったの?』

『ここの施設関係者たちはアリストートルに守秘義務を敷かれているんだ。その証拠に、他のトーテムたちですらここの存在を知らない。フェノメノン人の群生地を越えて偶然ここまで辿り着いたのは、旧人類と新人類を合わせても、カナとソラさんが初めてなくらいだ』

「その理由を聞かせて貰えるのですか?」

『もちろん、そのためにこうして出迎えたんだ』

 口を挟んだソラに、イヲリは頷いて続けた。

『積もる話も色々とある。中で話そう』

 イヲリは二人を、ドームのなかへと案内した。

 正三角形の分厚い強化アクリルガラスと樹脂コンクリート製のフレームとを組み合わせて出来た巨大な球の内部には、くびれた円柱のタワーが一本、中央を貫いているだけだった。空洞となった内部空間には、トーテムやレシーバーのサイズに合わせた通路や階段が無作為に交差しており、明るく豊かな光と水面の揺らぎで充たされていた。

 ガラスの外の水中も、よく澄んで見えた。

 施設内で働くレシーバーたちの姿を見守りながら、カナタは先を歩くイヲリに問いかけた。

『ねえ、お兄ちゃん』

「なんだい、カナ」

『先に教えて。やっぱりここは、現生人類との戦争における前線施設なの?』

 イヲリは首肯した。カナタは質問を続ける。

『ここにいる幽霊の中には、先日の空戦でわたしたちを助けてくれた人たちもいる?』

 イヲリは首肯した。カナタは質問を続ける。

『そのときの本来の任務は、ここの周辺域に棲み着いたフェノメノン人の掃討だった?』

 イヲリは首肯した。カナタは質問を続ける。

『今は何をしているの?』

 イヲリは頷いた。そして答えた。

『新人類との本格的な開戦に向けて戦力を整えている。今度こそ完全に滅ぼすつもりらしい』

 イヲリは立ち止まると、静かに二人に振り向いた。束の間の沈黙と視線の交錯。揺らがないイヲリの頭部ユニットの視線は、二人の反応と返答を試しているかのようだった。

 ソラは一歩を踏み出すと、イヲリを見上げて話し始めた。

「……私の生まれ育った第八上霊帝国〈苔むしたダヴィデ〉は、もう何千年以上にもわたって旧人類・トーテムたちとの抗争を続けてきました。トーテムたちからすればそれは事業の邪魔者程度の認識だったのかもしれないけれど、度重なる戦争で民の心は摩耗しきっていた。平たく言えば、あなたたちに対する極度な憎悪を募らせていた」

 そこで一旦区切ると、通路の欄干まで歩み寄り、光に溢れるドーム内を見渡しながら、

「戦争を嫌がるのも民なら、戦争を望むのも民ですから、自然な流れではありました」

 そう続けた。

「ここ近世紀に至って、トーテムたちからの攻撃が激しくなっていることにも薄々気づいていました。遠くないうちに、地球再建事業による現生人類の粛清が行われるであろうことも。そこでダヴィデは、ようやく地球外殻への遠征に踏み切った。バルドにおける最大のトーテム工廠である宇宙塔〈情熱のモーガン〉を中心に、あなたたちの兵力削減を図った。遠征には上霊新教の戦巫女たちも数多く動員され、私、天海ソラリアも例外ではなかった……」

 そこまで聞くと、イヲリが後を引き取った。

『そして遠征は共倒れとなりつつも、当初の目的を完遂した、と。情熱のモーガンは現生人類討伐の最大拠点でもあったから、確かにソラさんの言うとおり、幽霊たちは現生人類との戦争を先送りせざるを得なくなった。人工単子は再生の効く電子データだったが、現世に干渉するための憑依媒体〈トーテム〉の数は無限ではない。それにRAIDを組んでいたとはいえ外殻のPHB−NASもそれなりの損害を受けたから、人工単子のパリティ演算やサルベージ作業にも相応の人員リソースが割かれることになった』

 それからソラを一瞥して、続ける。

『カナとソラさんのその後については、僕も聞いているよ。なにせ二人は、今や再建事業じゅうの有名人だからね。モーガンでの戦役時に行方不明となり、二年以上にもわたる孤立無援の旅をくぐり抜けてきた歴戦の二人組。広範に及ぶ圏外領域を踏査し、ムセイオン空中都市廃棄区画におけるホモ=サピエンスの問題も曝露させた。その業績を認められ、カナは新型トーテム〈ビバスバット〉のテストパイロットにも選ばれたとか』

 カナタは一歩を詰め寄ると、イヲリに言った。

 そしてずっと頭のなかで燻ぶらせてきた疑念に、話の核心に踏み入る。

『お兄ちゃん。今、ブリューゲルのバベルや地球外殻のあちこちで、ここで起きている事情を知らないトーテムたちは噂しています。ムセイオンでホモ=サピエンスをつくれたのなら、そのずっと昔にも同じことが出来たはず。何万年とか、何億年とか、例えばホモ=サピエンスが驚くような進化を遂げてしまえるほどの時間を隔てた昔のバルドでも……』

 イヲリは天を仰ぐと、カナタの指摘を認めた。

『そう。そのとおりだ。現生人類の祖となるのは、アリストートルの試験施設によって再生された旧世界の人工単子、その生き残りたち。アリストートルによる処分から免れたサピエンス人たちはバルドでの生活を始めると、やがて宇宙塔や廃棄空中都市を中心に文明をつくり、永遠とも思えるような時間の中でフェノメノン人やヌーメノン人に分化していった』

 あまりにもあっさりと、イヲリは語る。ついに明らかになった現生人類の真実に、カナタは絶句した。予期していたとはいえ、あまりにも残酷な事実だった。わたしたちはずっと、何億年にもわたって、ただの同士討ちを続けていただけってことじゃないか……。

 これまで、地球崩壊以前の人工単子――幽霊たちは、このバルドに発生した新人類を本当に自然発生したものだと考えてきた。ほとんど宇宙人と同等視して、自分たちにとっての〝九十億年を隔てた明日〟こそが人類の本当の明日だと信じて戦ってきたのだ。けれどその新人類たちも、紛れもなく自分たちの同胞だった。そして名実ともに、この世界の住人だったのだ。

 膠着した三人の空気に、「つまり、」とソラが再び声を挟んだ。

「現生人類が生まれたきっかけは、地球再建事業にあったと。あなたたちはそうやって、現生人類たちをバルドに送り出してきたんですね。そして独自に進化を遂げていく彼らを、何度も何度も滅ぼそうとしてきて、そのたびに失敗してきた。殲滅しきれず、生き残った者たちによって再び現生人類が繁栄していくのを目の当たりにしてきた……」

 カナタとイヲリは、ゆっくりとこの現生人類の少女に視線を向けた。

 機械の身体と比べると、あまりにも華奢な少女の肩。

 しかし彼女は、カナタともイヲリとも、そう歳は離れていないのだ――。

「なんですかそれ……けっきょくなにもかも自分で播いた種ってことじゃないか」

『ああ。だからこそ、責任をとらなければならないんだよ。僕は、そのために呼び出された』

 ソラは左脇に、機械兵装であるジャベリンを呼び出した。

 イヲリも同様に、実体剣の格納データを顕現させる。

 じっと睨み合った二人のあいだに、カナタは慌てて割って入った。

『やめなさいソラさん! お兄ちゃんも!』

 イヲリはカナタを一瞥すると言った。

『聞いたろう。僕たちはソラさんたちを生み出した責がある。だからこそここですべて――』

『なら、ソラさんたちもわたしたちもみんな同じニンゲンってことじゃないですか!』

 そう叫んだカナタの声は、ドームじゅうに響きわたった。

 ソラとイヲリは武器を交えながら彼女を見ると、哀しそうな声音で諭そうとした。

「簡単じゃないんだよ、カナ。これは利害とか利益とか、そういう理屈や感情で解決のできるものじゃない」

『この世界は一つしかないんだよ。僕たちも、ソラさんたちも、この地上の上でしかしあわせにはなれないんだ。それはバルドを旅したカナが、一番よく知っているはずだ』

 取り付く島もない二人の言葉に、カナタは食いつくように声を荒げた。

『世界が一つでも、世界が一人だけのものとは限らないでしょう! この世界を生きる一人一人に、しあわせを追求する権利がある! この世界に生まれた意味を知ろうとする権利がある! それを否定してまで手に入れようとする〝明日〟って、お兄ちゃんは本当にそれを〝明日〟って呼べるのっ?』

『ならカナは、すべてを棄てられるのかい? 君が十四年間を生まれ育った三十億年前の地球を、ひいては〝明日〟のために紡がれてきたバルドの歴史を、そしてカナがソラさんたちと過ごした時間のことを。それらのすべてをなかったことにして、再建後の地球で旧人類と新人類が手を取り合って生きていけるとでも?』

『分からないよ! 歴史のことなんて! だけど、そうやって他に道はないんだって、視界を曇らせる足枷に絡め取られて、それでわたしたちは本当にしあわせだって言えるのっ? 前を向いて、この世界に目覚めた意味を知ることができたって、胸を張って言えるのっ?』

 二人は何も答えず、それでも武器を交わしつづけた。

『そう……」

 カナタは魂の抜けたように脱力すると、トーテムのコンバットシステムを起動した。人工単子の憑依状態を最大レベルに引き上げると、内骨格に自らの表象を立体映像として投影。次の瞬間には、巨大な外骨格を着物のように着こなす黒髪童顔の少女の姿が顕現していた。

 周囲には無数のホログラムウィンドウが立ち上がり、外装にも同様の情報表示が浮かぶ。

 少女・カナタはイヲリに向けて片刃の両手剣を呼び出すと、言った。

「わたしは、ソラさんの側につきます。理解してくれるトーテムも大勢いるでしょう」

 するとイヲリも、トーテムへの憑依状態を高次に更新した。

 カナタと同様に、黒髪の優しげな少年の姿が映し上げられる。そして言った。

「もしここでカナたちが逃げ果せたとして、それで最終的な全面戦争を避けられるとでも?」

「――逆に訊くが、そなたたちはトーテムが本当に現生人類を一掃できると思うのか?」

 冷たい声で話に割って入ったソラは、イヲリを睨みつけるようにして問い返した。

 その口調は今までのそれではなく、上霊新教の戦巫女として振る舞うときに用いる口調。

 虚を突かれたように口を噤んだイヲリに代わって、その質問にカナタが答えた。

「いいえ。原始的な科学しか使えないサピエンス人が現生人類たちに太刀打ちできる道理は無い。げんにモーガン戦役では多くのトーテムたちが一方的に嬲り殺しにされました。しかもフェノメノン人やヌーメノン人は未だに進化を続けています。ここで白黒をつけなければ、新人類問題はいずれ地球再建事業すら揺らがしかねません」

「その通り。だからこそ、そなたたちは焦っているのであろう?」

 ソラがトドメを刺すようにして、イヲリに言い放つ。

 イヲリは苦しげに声をしぼりだした。

「僕だって、地球再建事業の進むバルドを見てきた。世界はひとつしかない。僕たちの望む〝明日〟も、一つしかない。僕たちは利己的にならざるを得ない。カナ、彼らは計画のバグなんだよ。蛆や黴に等しい、どこから湧いて出たのかも分からないような存在だ。なのにどうして寄り添おうというんだい? 彼らはいずれ滅びるというのに」

「いずれ滅びるというのは、わたしたちだって同じでしょ……」

「僕たちは決して滅びはしない。その決意こそが地球再建事業なんだ」

「それは思い上がりだよ! どうして自分だけは違うって言えるの!」

「…………」

「お兄ちゃん! その自信の根拠はどこにあったの!」

 哀しそうに目を逸らし続けるイヲリ。何も答えない。

 カナタは一歩二歩と後ずさりながら、泣きそうな声で言った。

「お兄ちゃんなら、分かってくれると思ったのに……」

「もう昔のようにはいかないよ。僕もカナも、多くのことを見過ぎてきてしまった」

 館内では、非常アラームが鳴り響き始めていた。

 イヲリが抜刀したことで、施設の危機管理装置に一報が入ったのだ。

 イヲリは切っ先を下げると、ソラとカナタに言った。

「五分だけ見過ごすよ。その間に、カナとソラさんの好きなように動けばいい」

「ありがとう、お兄ちゃん」

「行こう、カナ」

「そうだね、ソラ」

 瞳で頷き合ったカナタとソラは武器をしまうと、走り出した。

「カナ!」

 カナタは足を止め、イヲリに振り向いた。

 イヲリはカナタの目をまっすぐみつめ、笑顔を見せた。

「彼女とバルドを旅するのは、楽しかったかい?」

「うん、たくさん絵を描けたんだ。話したいことも、いっぱい出来た」

「なら、六十億年後にまた会うことになったら……そのときは僕を殴ってくれていいよ」

「憶えていたらね。またね、お兄ちゃん」

 カナタは、無邪気に舌を出して笑い返し、その場をあとにした。

 走り出した二人に重金属熱線が襲いかかったのは、そんな瞬間のことだった。

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