第四話 最善の世界 -Only_Sensitive_Existence- ⑧
霊素によるホログラム障壁を展開することでかろうじて砲撃から身を守った二人だったが、すぐに足場を失い、融解した通路から投げ出されることとなった。カナタは霊晶の弾丸を撃ち出す自動小銃を、ソラはガトリングに切り替えた機械兵装で牽制の弾幕を撃ち鳴らしながら、ガラスの球体の内部を落下していった。
「流石に、アリストートルは待ってくれないみたいだな……!」
「お兄ちゃんはあくまで説得役……交渉決裂ってことですか……!」
施設じゅうのレシーバーたちが着々と集結しはじめている。二人は弾幕を張りながら空中で背中を合わせると、吹き抜けの施設の最底部へと着地した。すでに複数のレシーバーたちがそこでは待ち構えており、二人に霊素侵食式の非爆型のマイクロミサイルを放つ。
二人は身を屈めて初撃を躱すと、機械兵装をジャベリンに戻したソラが地面を蹴った。空気を霊晶化させてつくった無数の足場を踏み砕き、襲いかかる瓦礫とマイクロミサイルたちを切り刻んでいった。さらに一歩を踏み出して敵の一機の懐に潜り込んで一閃を薙いだソラは、格納データからインナースーツのヘルメットを読み出してバイザーを下ろすと、背後のカナタに向けて声を張り上げた。
「カナタ、任せた!」
「パルスグレネード――対電磁・対閃光防御ッ!」
カナタは〈トーテム=ビバスバット〉に積載されていた新型の投擲武器を取り出すと、敵機に向けて放った。次の瞬間、起爆したそれによりバリバリという空気の破れるような音が鼓膜を裂く。パルスグレネードは強電磁波による電子妨害装備だ。周囲のレシーバーたちは一様に動きを止めた。
しかし後続のレシーバーたちには通用しなかったらしい。追撃は止まらない。
「今のうちに!」
二人は駆け出すと、施設の深奥に迫っていくルートを走り出した。そこしか行ける場所がなかったのだ。霊晶の足場を蹴るソラと、脚部に内蔵されたリフターを起動してホバーで疾駆するカナタ。二人はやがて、施設の下底から繋がる海底トンネルへと躍り出た。
上のドームと同様、そのトンネルも完全に透明な強化アクリルによるガラスの筒となっていた。ぐるぐると右廻りに螺旋を描き、深海まで続いていく。螺旋の中芯、つまり球体ドームの下部には、砂を充填された施設を支えるための巨大なバラストボールが連なっていた。
カナタは後方の追撃機を迎撃しながら、テンパるように叫んだ。
「これじゃあ、最後は海底で行き止まりですよ!」
「カナ! ここはどこだ!」
「どこって、トーテムたちの軍事要衝――」
「違う! 何枚目か(丶丶丶丶)って質問だ!」
「第九地上層――そうか! 分かりました!」
「海底を目指すぞ、カナ!」
「多脚を展開します、乗ってください!』
カナタはトーテムへの高次憑依を解くと、下半身を多脚に変形させた。
ソラはトーテムの右後ろ脚に飛び乗ると、後方へ向けた射撃を開始。
直後、加速を始めた二人の前方にも敵機が現れ始める。挟み撃ちだ。
『押し通る! 空間座標機雷、スキャニング開始!』
カナタは叫ぶと、トーテムに搭載された新型の自動防衛機構を起動させた。前触れもなく空間上に飛び出す無数の霊晶の棘が、行く手を阻む機たちを串刺しにしていく。接近してきた敵機はカナタの握りしめた右手の実体剣によって薙ぎ払われ、左手の自動小銃も発砲を続ける。
カナタたちは速度を緩めることなく、まとわりついてくるレシーバーたちを蹴散らして進んだ。太陽光が僅かに届く薄光層を抜け、深度一キロの上部漸深層に至ると、ガラスのトンネル内も真っ暗になった。照明を焚いて進む。
深度二キロ……三キロ……あっという間に四キロまで至ると、ようやくトンネルは終わりを告げた。人型に戻って憑依状態を引き上げたカナタと、機械兵装をジャベリンに切り替え直したソラは、警備のレシーバーたちと応戦しながらも、エスペラント語で〝人工熱水鉱床〟と銘打たれた扉をくぐり抜けた。さらに奥まで進み〝逆浸透膜式海水淡水化施設〟を抜けると、二人は海底部に面した施設の最下層に至ったことを知った。
そこは薄暗い大空洞だった。そして行き止まり。どうやら、ついに敵機たちに追い詰められてしまったようだった。するとカナタは左腕でソラを抱き寄せ、振りかざした右腕に五メートルにも及ぶ荷電粒子砲を呼び出すと、その砲口を地面に突き立てた。
「T2荷電粒子砲、ホロシールド狭域展開! 接射!」
迷うことなく引き金を引きしぼると、地面への長時間照射を開始。薄暗かった大空洞が真っ青な閃光に包まれると、カナタたちの足元が急激に融解を始めた。そして――。
新しい虚空に投げ出された二人は、第九地上層を突破したことを知った。
海底部の地盤は無数の重力鋲によって支えられていたためか、厚さは一キロにも及ばなかった。あっという間に地盤を穿ち抜いた二人は、とうとう地上の裏側へと突き抜けたらしい。カナタの手元に浮かび上がるホロウィンドウの一枚に目を通すと、此処はバルドの海抜マイナス十キロ地点。地球復興時には地中に当たる世界だった。
大量の水や土砂とともに飛び出した二人は、なんとか空中で手を取り合った。インナースーツ姿の少女・カナタは、ボロボロになった外骨格と荷電粒子砲をすべてパージした。同様に上に羽織っていた水兵服を霊素に還元し、ヘルメットも脱ぎ捨てた与圧服姿のソラが、霊素翻訳によって周囲の障害物などを弾き飛ばすと、ようやく二人のいる〝世界〟が明らかになった。
そこは謂わば、地球の裏側。地球の中心に最も近い場所から、二人は再建途上のバルドを見上げることとなった。第九地上層に敷き詰められた広大な地盤ブロックはまだ不揃いで、まだ空が丸見えな場所や、隙間から海水がこぼれおちたりしている場所もある。外殻からずっと続いてきた宇宙エレベーターたちも、ようやくその末端部を目撃することができた。
カナタは黒い瞳にそんな〝世界〟を捉えながら、しばしのあいだ呆然としていた。
それからはっと我に返ると、空中でソラの腕を引き寄せながら声を出した。
「内骨格への人工単子付与良好、雲野カナタ=アダプト.mndの実行存続を確認、予備のタキオン減速炉稼働開始、八キロ圏内に重力保護力場を形成。視界表示を光学アシストからコンピュータグラフィックスに一元化、重力波を着色。――ソラさん、見えていますか?」
「視えているよ。たぶん、カナタの見ているものとは少し違うかもしれないけど」
そう言うと、手を繋いだ二人はゆっくりと振り向いた。緩やかな落下を続けながら、今度は地球の内部を見渡す。幾つか造成された第八から第一プレートの向こう側に、無数の超級重力鋲によって形成された力場の中心にある白い空間を見つめた。
ぽっかりと、孔の空いたような白――。
「あれが、オリジナルの地球……?」
ソラが、目の前の光景を理解するように呟いた。
カナタも視線を動かさずに、けれど「ううん、これは――」と首を横に振った。
「すごい重力波……白色矮星と化した太陽をバルドの核に据えていたんだ……」
「それって、マズイのかい?」
「地球再建事業としては、言うほどの誤算ではないはずです。通常、太陽の八倍以上の恒星は膨張の結果チャンドラセカールの限界質量を超え、自重を支えきれずに重力崩壊する。それ以下の恒星――つまり太陽なら、赤色巨星への膨張後、白色矮星や黒色矮星に収縮する。要は太陽を綺麗に消し去ることが出来なかったんでしょう。だからこうして、バルドの重力源として再利用することを決めた。その程度のことなんだと思います」
「すごいね……君たち旧世界人は、こんなことをしていたのか……」
「重力鋲で引力をつくるんじゃなくて、強すぎる引力を押さえつけているんだ……」
二人はしばらく、そのまま言葉を失っていた。
カナタは、今見ている〝世界〟をどのように表現すればいいのだろうかと思った。これまでわたしは、バルドのいろんな光景を見てきた。西暦時代の自分では決して知り得なかったような美しい景色も、おそろしい景色も、そして壮大な景色も目の当たりにしてきた。だけど、今のわたしの目の前に広がっているものは――。
カナタは、自分の語彙で言い表せないことをもどかしく思った。けれど同時に、言葉なんかで言い表さなくとも、この光景をわたしの魂は決して忘れることがないだろうと思った。たとえ六十億年後にこの記憶が消されても、この世界で見て聞いて感じた感情は、この魂に刻まれて、決して消えることはないだろうと。
地球の外殻から始まったカナタの旅。
彼女はとうとう、この世界のすべてを目の当たりにしたのだった。
そこでようやくカナタは、隣で胸を押さえるソラに気がついた
慌てて「ソラっ!」と呼びかけると、彼女は声も絶え絶えに答えた。
「ここは……マインドが希薄で……くるしい……」
「霊晶炉も燈します。わたしから離れないで――」
二人の周囲を、霊素の素粒子による柔らかい光の膜が包み込む。カナタはソラに寄り添うようにしながら、緩やかな落下を続けた。直径一万二千キロにも及ぶ地球内部の虚空は、それだけで宇宙の中心のようですらあった。
ぜいぜいと呼吸を荒げながら、ソラは今までにないほど弱々しい口調でカナタに訊いた。
「これから、どうするのかい?」
「それは――ソラッ! 離れてッッ!」
口を開きかけたカナタは、そこで頬を強張らせると、右腕でソラを突き放した。
その直後、カナタとソラに重金属粒子砲の熱線が襲いかかる。
間一髪だった。危うくソラは熱線から逃れ、カナタも左腕を吹き飛ばされるだけで済んだ。
弾き飛ばされたカナタは左肩を押さえながら、なんとか体勢を立て直した。
ソラは霊晶の足場をつくって虚空を蹴ると、カナタへと駆け寄っていった。
「カナ!」
「大丈夫! それよりも!」
カナタはソラに叫び返すと、姿勢を上空に向けた。
ソラも機械兵装を立ち上げると、崩落した第九地上層の裏側を仰ぎ見る。
その先には、カナタたちがつくった地盤ブロックの裂け目から飛び出す一機の機影があった。
十八メートル程度の人型ロボット。大型の専用ビームライフルを構えている。
躯体は長距離射撃を終えたあとも、二人に向けて銃を構え続けていた。
「デシーバー……」とソラが苦々しげに言った。
するとデシーバーは、その頭部カメラの双眸を瞬かせ、言葉を発した。
『こんなところまで逃げてきて、それでなんになるっていうんだ、カナタ?』
「お兄ちゃん……」
レーザー通信を通してデシーバーが発した声は、イヲリのものだった。
カナタとソラ、二人の顔色がさっと変わった。
「決まってる。ここでお兄ちゃんたちを止めて、それでソラの故郷に一緒に行くの」
『なあ、カナタ。君はどうしてそこまでして、その女の子の力になろうとするんだい?』
イヲリは、いつだかトンマゼオがカナタに向けて放ったのと同じ質問を投げかけた。
ソラもはっと息を呑むと、傍らで俯いてしまったカナタの姿を注視した。
しっとりとした黒髪に覆い尽くされて、カナタの表情はよく窺い知ることができない。
彼女は黙りこくったまま、しばらく見動きをとらなかった。
やがてその小さな唇を薄く開くと、言葉を一つ一つ選ぶように、答え始めた。
「――それが、この世界で目覚めた意味だって、わたし自身が、そう決めたから」
そう言うとキッと顔を上げ、残った右腕に機械兵装を呼び出した。小柄な少女の体躯の二倍以上はあるであろう長大な電磁加速砲。カナタは内骨格の全身に組み込まれた薄紫色の霊媒素子を起動させると、両脚に白兵戦用の光子スラスターも呼び出した。
それからソラが戦うときと同じようにして、虚空を蹴り出そうとした。
「カナッ! 待ってッ!」
ソラはひどく気弱な表情を浮かべ、慌てて右腕を掴んでカナタを引き止めた。
カナタは一度動きを止めて俯いた。まるで何かと葛藤しているかのように。
彼女は顔を上げると、ソラに困ったような笑顔を浮かべた。
「そこで待ってて。これはわたしがケジメをつけなきゃいけないことだから」
「カ、ナ……?」
カナタはやんわりとソラの手を振りほどくと、結晶片を踏み砕きながら飛び出していった。
ジグザクに高速移動して距離を詰め、デシーバーに向けてレールガンを向ける。
イヲリは小さな目標へと向けてビームライフルを打ち鳴らしながら叫んだ。
『カナタ! 君は地球再建事業を全否定しようとするのか!』
「そんなつもりはないよ。わたしだって、九十億年を隔てた明日が来ないのは困るもん」
『なら――!』
「でも! それはわたしだけの価値観と尺度で決めていいことじゃないんだ!」
避けきれなかったビームをレールガンの銃身に張った偏向フィールドで弾いたカナタは、髪を振り乱しながら虚空を駆け続けた。レールガンを構え直し、数百メートルまで肉薄したデシーバーへと向けて引き金を引く。
思わぬ反撃に対応しきれなかったデシーバーは、一瞬だけバランスを崩した。
「変えられない事実がある! 避け得ない未来がある! 譲れない、望む世界がある! それでもわたしたちは、世界がわたしたちだけのものとは限らないということを自覚しなければいけないんだ! 何が正しいかなんて分からないから、何が正しくあってほしいのかを話し合って決めていかなきゃいけないんだ!」
『なら僕にも、貫き通さなければならない義務がある!』
「わたしはそんなふうに割り切れないよ! だから時間が欲しい! わたしだけじゃない、バルドで生きるすべてのトーテム、現生人類、そして未だPHB−NASに眠る仲間たちが、どんな答えを求めるのか、それを確かめるだけの時間が!」
カナタはレールガンを放ると、今度は機械の両手剣を呼び出した。
デシーバーの懐まで入り込み、一閃を放つ。
イヲリは躯体に急制動をかけることで、それを紙一重で交わした。
「わたしたちが九十億年を隔てた明日を望むのと同様に、ソラさんたちにもこのバルドで生きていくことを望む義務がある! どっちが正しいかはわたしには分からない! どっちも間違っているかもしれない! でも! だからこそ絶対に、ここで結論を出さなきゃいけない理由なんて、無いんだ!」
『そんなの――!』
二人の勝敗は、一瞬でついた。
充分に距離をとったデシーバーがビームライフルを構える。
照準器は、まっすぐカナタを捉えていた。
イヲリは苦しげに声をしぼりだした。
『……すまない。許してくれ』
「やっぱり、あなたは――」
デシーバーがビームライフルの引き金を引き絞る。
カナタは全てを理解したような笑みを浮かべながら、光の奔流の中へと掻き消えていった。




