第四話 最善の世界 -Only_Sensitive_Existence- ①
ブリューゲルのバベルを出立したカナタたちが下降途中のリフトから見たのは、飛行するトーテムが一瞬で消失するという、信じがたい光景だった。混乱したトーテムによる荷電粒子砲の暴発も重なり、一行を載せた昇降機も急停止した。
「ホモ=フェノメノンか……!」
低い声で呻いたソラは、塔の周辺の空域を見回しながら、姫野サヲリに訊ねた。
「あのトーテム、ブリューゲルに棲んでいる躯体ではありませんね」
『アリストートルから独立した遊撃部隊ですね。現生人類を敵愾視する右翼一派です』
「アリストートルをもってしても統率しきれないトーテムたちがいるなんて……」
『地球再建事業は、あらゆる考えを尊重する寛容の精神を原理に動いています。極度の放任主義と言い換えても良いですが、それは地球上のすべての時間があるからです。要は地球再建事業も決めあぐねているのかもしれません。存在しないはずの現生人類たちとどう向き合うべきなのか。その問いに対して答えを示せるのは、もしかしたらあなたたちかもしれないしね』
『だからって、相手は最も進化した新人類なのに……』
そこまで言ったカナタに、ソラは向き直った。
カナタの瞳をまっすぐ見つめ、真意を問う。
「で、どうする? それでも行くのかい?」
『行きます。これ以上あのしあわせな国にいたら、一生抜け出せなくなる。でも――』
「でも?」
カナタはトーテムのコンバットシステムを起動すると、毅然とした態度で言い放った。
『他人の戦争に巻き込まれて死ぬ道理もありません』
「上等! 押し通ろう!」
ソラは不敵に笑うと、かつてプルトンから譲り受けた機械兵装を呼び出した。身の丈の二倍はある、変形式の長大なガトリングガン。右脇に抱えたそれをケーブルで腰の小型擬似霊晶炉に繋ぐと、インナースーツを起動、各部位に散りばめられた霊媒素子が蒼白い発光を始める。
それとともに周囲に浮かび上がる、ホログラムウインドウや意味不明な文字列たち。
『よもや同胞から狙われることはないでしょう。ですがホモ=フェノメノンたちは、自らの思考領域を侵犯する他のマインドの存在を決して〝赦し〟はしません。まずは彼らから〝消されない〟ことを第一優先事項として念頭に置いておきましょう。そして――』
「分かってる。双方ともブリューゲルのバベルには指一本触れさせはしないよ」
停止したリフトから眼下を見下ろした二人に、姫野が慌てるように声をかけた。
『ちょっと! ソラちゃん、カナタちゃん!』
『織姫さん……』
『今ならまだブリューゲルに引き返せるわ! もう一度出発の日程を練り直すことも――』
慌てる姫野を遮ると、ソラは深々と頭を下げた。
何も言わずに、リフトから一歩を踏み出す。
『な――』
絶句した姫野に、カナタは苦笑して声をかけた。
『お世話になりました。国の皆にもそう伝えてください』
あっという間に空へ落ちていったソラを追いかけるように、リフトの外へと向かう。
『内骨格に人工単子付与。雲野カナタ、トーテム=ビバスバット――行きます!」
そう叫ぶと、カナタはトーテムへの憑依状態を高次に引上げ、全身の感覚をリンクさせた。
トーテムの内骨格に少女の姿が浮かび上がる。
外骨格に包まれた黒髪の少女・カナタは、躊躇いなく空中にその身を投げ出していった。
まもなく、重力の虜となってまっすぐと落ちていく。
彼女たちの、新しい旅の幕開けだった。




