第三話 現世人類のアタラクシア ⑤
日が暮れると、二人には城塞都市の一角にある小さな小部屋があてられた。
ツインベッド、トイレとシャワーつき。鳩のための止まり木も用意された。
交代でシャワーを浴びたのち、真っ白なシーツのベッドに倒れ込んだ。
「明日のために、カナタ」
「明日のために、ソラさん」
挨拶もそこそこに、二人は部屋の明かりを消す。
まもなく、ソラはすうすうと静かな寝息をたてはじめる。普段とは違い、深い眠りに就く。
ここ長らく緊張が続いていたためか、ソラは疲れ切っている様子だった。
しかしカナタは、なかなか寝付くことができなかった。なにせ、数年ぶりの生身なのだ。ホログラムによる仮染めの身体とはいえ、普通の肉体と変わることなく動くことができる。息が吸え、物に触れられ、肌で感じることができる。バーチャルコクピットでの生活に慣れた身としては、この裸で行動しているような解放感は、むしろ落ち着けない。
自分の五感がこれまでにないほど鋭敏になっているのを実感した。寝る前に浴びたシャワーの飛沫の一つ一つや、喉元を通って五臓六腑に沁む水の感覚、糊の効いたベッドのシーツの繊維の肌触りから、ひんやりとした夜の空気の匂いまで、確かな質感と情報量が身体に残り続けている。カナタは少しだけ透けて見える右腕を眺めながら、本当に幽霊みたいだなぁ、と苦笑した。
ベッドの上で半身を起こしたカナタは、吹きさらしの窓から外を見やった。大理石造りに改装された宇宙塔や、浮遊大陸と見紛うような幾つかののコロニー。まるで絵本か御伽話のような光景だが、夜陰に浮かび上がる重力鋲の蒼白い余剰光は変わらない。建材の一つ一つに刻まれた霊学的な魔術刻印も、やはりタキオン減速炉と同じ重力作用と座標固定効果を生み出すためのものらしい、とさっきソラからも教わった。
こんなに静かな気分になれたのは、いつ以来だろう? もしかしたら、地球再建事業が始まって以来初めてのことかもしれない。人工単子として地球の外殻の内壁で目覚め、再建事業にあたるための訓練教導を受けた日々。トーテムに憑依して実際にバルドへ繰り出したときのこと、現生人類との望まない戦争、そしてソラとの出会い、放浪の旅……。
自分が歩いてきた時間のことを思うと、カナタは不思議でたまらなかった。自分にとってこの世界は、四月八日と九日の間に横たわる、謂わば明晰夢のような時間なのだ。目を覚ませば、変わらない明日がやってくる。けれど、お兄ちゃんと一緒に学校に通ったり、友達と昨日のテレビ番組の話をしたり、そういうカナタにとっての〝日常〟は、遠い。
今となっては、この世界で過ごした時間のほうが長いのだ。
まるで胡蝶の夢だ。どちらが自分にとっての本物なのだろう?
カナタはふわ……と小さく欠伸を洩らすと、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。
答えのない考えごとは、嫌いだった。




