第三話 現世人類のアタラクシア ④
その紅いトーテムは、二人と一羽を国内へと導き入れてくれた。
長かった連絡橋も終わりを告げ、一行は大理石の城で覆われた空の塔の一つに到達した。
城門では多くのホモ=ヌーメノンやトーテムたちが待ち構えており、王室付き警護官としてカナタたちを〝拝〟の姿勢で出迎えた。紅いトーテムは道中、このコロニーが九千年ほど前から王政をとっていること、市民はみな上霊新教徒であり、地球再建事業ともこれ以上ない良好な関係を築いていることなどを語って聞かせた。
宇宙塔として地上と外殻とを結び、将来バルドの大地を敷き詰めていくうえでの足場となるはずの空の柱は、それ自体が城か国かと呼べる程度にまで改修が施されていた。以前カナタたちが旅した〈情熱のモーガン〉のような科学的雰囲気はいっさい廃されており、大理石の白さや余裕をもった柱の配置なども相まって、鮮烈な空の色にもよく映える。
そんななかを歩くロボット・カナタや機械武装をしたソラなどは、極めて異質な存在だった。
そのままカナタたちは、この国を統治する王の謁見に預かることになった。
玉座は青空の下に設けられていた。
国王は自らをトンマゼオと名乗り、二人にも自己紹介を促した。
玉座の前で膝をついたカナタは、それに応じた。
『雲野カナタ。こちらは現生人類の天海ソラさんです。わたしたちは――』
そこまで言って、カナタはトーンダウンするように言葉に詰まった。
例の同行の白い鳩が、落ち着きなく目の前で荒ぶり始めたからだった。
厳かだった空気が、鳩一羽のせいで一気に瓦解する。
『あの、すみません……前が見えないので退いてくれると有難いんですけど……』
「今捕まえるから、ちょっと動くなよカナタ……」
ソラが立ち上がり、カナタの肩に停まった鳩にそぉっと手を伸ばす。が、すぐに逃げられる。
鳩はカナタの躯体の上をぴょんぴょんと跳ね回り、何やらくちばしで各所をつついていった。
『何やってるんですか? いまちょっと公的な場面なので大人しく――』
すると鳩はカナタの肩部の装甲の隙間をつつき――彼女の左腕が大きく崩れ落ちた。
どうやら長い放浪や戦いを経て、著しく劣化・消耗していたようだった。
『腕が……わたしの腕がああ……』
「うわあああカナタあああ!」
それから鳩は、カナタの躯体の消耗を指摘するように暴れまわった。
総動員された王室警護官によって無事捕獲されるまでに、数分ほどがかかった。
数刻後、国王に向かって土下座する半壊のロボットと一人の少女の姿があった。
『本っ当に失礼しました』
「申し開きのしようがありません」
地べたに額を押し付けるソラは、胸元に鳩をガッチリと抱えていた。
そして当の鳩は、なぜかとても満足そうな御様子だった。
とはいえ先ほどの茶番も無礼と捉えられたわけではなく、微笑みをもって受け入れられたことだけが二人にとっての救いだった。むしろ、国王や警護兵たちの二人に対する警戒心が薄れたようだった。隣に座る王妃やお付のメイドに至っては、必死に笑いを抑えている有様だった。
カナタは顔から火が出る思いだった。国王も、苦笑しながら二人に言った。
「顔を上げなさい、お嬢さんたち。こんな老輩に頭を垂れる必要はないよ」
『はい』とカナタは顔を上げた。ソラも従う。
「歳は幾つなのだ?」
『来月で二〇四歳となります、国王陛下』
「あいや、そうではない。中身のほうだ」
『永遠の十四歳です』
カナタが戯けた口調で言うと、国王の頬も緩んだ。
「そうか……まだ年端もいかぬのに立派なことだ」
それからカナタはようやっと本題に入ることができた。
ここにいる天海ソラが、地上にある現生人類のコロニーの戦巫女であること。
自分たち二人は先の大戦で行方不明になったこと。
ソラの故郷と同時に、アリストートルの圏内を目指していたこと。
この国の滞在を地球再建事業への報告と、ソラの故郷へ向けた休養にあてたいこと。
一通り話し終えてから、カナタは話題を切り替えた。
『それにしても、ホモ=ヌーメノンの大国が王政をとっておられるとは思いませんでした』
「完璧な民主主義など無いからな。であれば、どこからか最高の哲人を一人、王として連れてくればいい。そう唱えたのは、確かプラトンだったかな」
そう言うと国王は、茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。
カナタは目を見開いた。とはいえトーテムに憑依している以上相手には伝わらないが。
『……その名前をこの世界で耳にするとは夢にも思いませんでした』
それを聞くと、国王・トンマゼオは薄く笑って答えた。
「この国がアリストートルから恩恵を受けているのは、何も棲み家の共有に関してだけではない。我々が地球再建事業と現生人類との間の橋渡し役をしているのと引換に、我々も多くの知識や技術を地球再建事業から提供してもらっているのだ。あとで王立図書館にも足を運んでみるといい。霊学文明の記録だけでなく西暦文明のあらゆる文献を揃えている」
『是非見学させていただきます』
「それだけではない。この国には君以外にも多くのトーテムが住んでいる。――呼びなさい」
国王が命ずると、奥から『はい』という声とともに一人の女性が入ってくる。
あっとカナタは声を洩らした。さっきまでわたしたちを案内してくれたヒトの声だ……。
『あなたは、さっきまでの――』
二十代後半くらいの妙齢の女性は、柔らかく微笑んで雲野カナタに挨拶した。
その姿はよく見ると半透明で、ときおりブロックノイズが奔っている。
「ごきげんよう、雲野カナタさん。トーテムの姫野サヲリと申します。地球再建事業以前は東京の海蛍区で小さなカフェの店主をしていて、織姫とかって呼ばれてました。今はアリストートルとこの国の人々との間で調停官を任されています。年齢は二十七、トーテムとしての活動は五百十二年にあたります」
『え? でも、躯体は? トーテムは? どうして生身なんですか?』
少なからず狼狽するカナタの足下に、姫野と名乗った女性は近寄ってくる。
彼女はタッチパネルの内蔵されたトーテムの外装に指を走らせると、
「ちょっと失礼しますね。そちらの躯体権限を少しだけお借りします」
と言って何やら操作を始めた。
着物模様をしたカナタの外骨格に、何やら怪しげな文字表示が多々浮かび上がっていく。
『あの、なんかログオフ処理が始まっているんですけど……』
「仕様です。少しだけ我慢してください」
『仕様って……』
完全に蚊帳の外になったソラと国王は二人の様子を見守りながら、
「あの、大丈夫なんですか、あれ」
「まあ見ていなさい。今に分かる」
そんな言葉を交わしていた。
まもなく操作は終了し、トーテムの外装がすべて消灯する。
すると無色になって沈黙したトーテムに大きな変化が現れた。
『わっ! ひゃあ!」
あまりにも場違いな可愛らしい悲鳴とともに、トーテムの躯体の中から何かが飛び出してきた。躯体側には大きな変化は無く、まるで憑依していた幽霊が〝器〟から追い出されてしまったかのような光景。ぽーんと飛び出してきたのは、十四歳ほどの半透明な少女だった。
仔犬のような幼い顔つき、くりくりとした黒い瞳、背はかなり小さい。しっとりと切り揃えられた黒髪は毛先が少しだけ内側に向き、ところどころで寝癖が跳ねている。どんな時代の人間が見てもパジャマ以外には判別のできないダボダボの服装を身に着けていた。
はかったかのような沈黙と静寂が場を充たす。国王でさえも呆気にとられ、言葉を失った。
黒髪童顔の少女は「あう、あう……」と口をぱくぱくさせながら、泣きそうな顔で周囲をきょろきょろと見回した。それから「あ……」目を見開いて自分の姿を見下ろすソラの視線に気づくと、おそるおそるといったふうに彼女の顔を見上げ返した。
人懐っこい瞳をうるうると潤ませる、あまりにかよわそうな幼い少女。これが電子データとしてバーチャルコクピットからトーテムを操縦し、そして二年半にも及ぶ孤立無援の旅をくぐり抜けてきた歴戦の少女の本当の姿――。内股で地べたに座り込んだこの少女と目を合わせたソラは、実に十秒以上も絶句したのちにゆっくりと彼女の名前を口にした。
「カナ、タ?」
その声を聞いた途端に、少女の姿をしたカナタの頬がぼっと紅く染まりあがった。
それから勢い良く立ち上がると、抜け殻と化したトーテムの足元まで走り寄っていった。
「何これ! 何これ! ちょっと姫野さん!」
『我が国ではアリストートルとの協定により次世代型霊子結晶炉とトーテムシステムの実証試験を行っています。後半に頒布された霊素環境を下地に、人工単子ほか各種.mndファイルを立体映像によって半実体化させる技術を導入しているのです。指向性重力制御による物体への干渉も可能ですから、この国の有効範囲内であれば、地球外殻の内壁都市と同様に、我々旧人類もトーテムから抜け出して行動することが……ってカナタさん?』
「戻してください! 神様の威厳が失墜しちゃうからぁ!」
情けなさそうにトーテムの外装をぽかぽかと叩くカナタ。
神様の威厳とやらは、既に地の底まで落ちていた。
一見すれば微笑ましい光景でもあったのだが、しばらくしてトンマゼオの表情が豹変する。
「カナタ嬢……名前を聞いたときから、もしやとは思っていたのだが……やはりそなたは、雲野イヲリ殿の親族なのではあるまいか?」
「それ、お兄ちゃんの名前……! 兄を、ご存知なのですかっ!」
カナタは国王のほうに素早く振り向くと、大きく目を見開いた。
それから、慣れない身体に何度かよろめきながら、玉座の前まで駆け戻る。
国王・トンマゼオは、目を細めながらカナタに言った。
「似ておるよ、そなたたち兄妹は。その黒い髪と瞳は、彼と同じ色を浮かべている」
「だからって、名前と容姿だけでどうしてお分かりに……」
「数千年前、あやつもそなたと同じような桔梗模様のトーテムとして、この国を訪れた」
「え……?」
「哀しい目をしていてなあ……新人類と旧人類との戦争を誰よりも憂えておった」
「その後の足取りについては、何か聞き及んではおりませんか!」
「いや……たしか、そなたらと同じように地上を目指したと記録されているはずだ」
カナタはそれを聞くと、確かめるように小さく、だが力強く呟いた。
「そっか……お兄ちゃんも、この国に来てたんだ……」
「カナタ……?」とソラ。
「会いたい、なあ……」
胸に手を置いて目を細め、切なそうに、心細そうに、口の端を吊り上げる。
そんな彼女の様子を、ソラは心配そうに見つめていた。
「大切な家族なのに、九十億年も会えないままだなんて」
「そんなカオしないでくださいってば。淋しくはありますけど、ツラくはないですから」
えへへ、とカナタは困ったように言った。それから少し考えてからこう付け加えた。
「それはたぶん、ホモ=ヌーメノンが数千年を生きるのと大差ないことなんです」
ぞくっとするような声音。顔を上げたカナタは、落ち着きを取り戻した様子だった。
ホログラムとして半実体化した自らの右手を、興味深げに凝視していた。
少し透けた手の平を開いたり閉じたりし、次に傍らの躯体に手を伸ばす。
カナタは今まで自分が憑依していたトーテムの外装を撫でながら、
「素敵な技術です。まるで魔法みたい」と声を洩らした。
カナタのログオフ作業を終えた姫野サヲリは、説明を再開した。
「カナタさんが乗ってきたこの躯体には、幾つかの損傷が認められます。修繕作業は地球再建事業側のメカニックスタッフに委任しますので、カナタさんは暫くその状態でお過ごしになられてください。もし不安でしたら、代えのトーテムをお貸しすることもできます」
「ありがとう。では、そちらもよろしくお願いします」
カナタが礼を言うと、姫野は手を止めて、ソラが胸に抱えた白い鳩に目を向けて言った。
「優しい鳩ですね。友達の身を第一に案じてるんだ」
「え?」と、ソラがきょとんと小首を傾げる。
「さっきの。たぶん、カナタちゃんに休めって言いたかったんだと思いますよ」
そう言って姫野は鳩の頭を指で撫でると、カナタのトーテムを連れて玉間を後にしていった。
仮初めながらもかつての身体を取り戻したカナタは、国王に向き直った。
「それで、今後の予定についてですが……」
「うむ、滞在に関しては厚遇しよう。気兼ねなく休養をとるといい」
「アリストートルとも話し合って、今後の身の振り方を決めなければなりません。地球再建事業のために報告しなければならない事柄も数多くあります。この国に常駐しているアリストートルとの連絡端末をお借りしたいのです」
「分かった。関係する者達に伝えて取り計らおう。――して、ソラ嬢はどうするかな?」
話を振られたソラは、虚を突かれたような表情を浮かべた。
「そう、ですね……」と語尾を濁す。
「心配せずとも、考えを整理するだけの時間はあろう。急かしはせんよ」
「ではせめて、なにか手伝えることがあれば」
「良いのか? わざわざ働くこともなかろう」
「何もしないで待遇に預かるのも気がひけます」
「であれば……大学で霊素翻訳学の講義を一つ二つ開いてほしいのだ。この国で使われている技術は、科学も霊学も古式な方法をとっておってな。ホモ=ヌーメノンの最新式の装備を扱え、かつ実戦を経験した戦巫女のムカサリサマであるソラ嬢とあらば、歓迎もされるだろうよ」
「よしなに」
「我が国では女性の登用も進んでいる。ソラ嬢に然るべきポストを与えることも視野に――」
そこまで話が進んだところで、カナタは彼女らしからぬ頑強な態度でそれを拒んだ。
「ソラさんには故郷に帰るという目的があります。あまり根を下ろさせるようなことは――」
「故郷? 遠方の第八上霊帝国――苔むしたダヴィデのことか」
「約束したんです。ソラさんを故郷まで連れていってあげるって」
カナタはソラの前に出て、啖呵を切った。
「地上にあるという第八上霊帝国〈苔むしたダヴィデ〉。仕事と準備が整いしだい、わたしたちは数日の内にでも出発するつもりです。ソラさんだって装備の点検やダヴィデまでの道程の確認や調査、それになにより肉体を休める必要があります。登用云々は承服しかねます」
それから少しむっとしたような表情で続けた。
「それにお言葉ですが……霊学の講義に関しては同意ですが、能力の分からない人間をぽんぽんと起用するのも違うと思います。わたしたちは道化紛いのアイドルになるつもりはありませんし、善し悪しは別としても性差に関わらず正当に能力を評価されることを望みます。男性とか女性とかじゃなくて、一人のマインドとして」
「まあ、性なんて身体の凹凸の違い程度だからね」
「さすがにそれはちょっと……」
ソラの相槌に対し、カナタはドン引きするような表情を浮かべた。
トンマゼオはしばらく腕を組んで唸ったのち、こう口を開いた。
「……苔むしたダヴィデまでの道程については、こちらでも渡りをつけておこう。それまではこの国でしばし腰を休めなさい。仕事とか、義務とか、そういう気負いもしばらく忘れるといい。ここには世界のすべての時間があるのだ。年頃の娘たちが少しぐらい羽を伸ばしたところで、だれもそなたたちを非難したりはせんよ」
どうやら、何がなんでもカナタたちを休ませたいらしい。
これ以上粘る必要もないので、二人はその好意に預かることにした。
謁見を終え、玉間から去るときになると、カナタは一度だけ足を止めた。
「あの、最後に一ついいですか?」
「遠慮するでない、なんでも申せ」
「でも、もし失礼にあたるなら……」
「これ。子供がそうやって分かりきった口を聞いたら、大人の立つ瀬が無いではないか」
「じゃあ――」
カナタはそれでも葛藤する様子を見せていたが、やがて覚悟を決めたのか、トンマゼオに向き直ると、物憂げに目を伏せながら静かに切り出した。
「わたしたちのことを、どう思っていらっしゃいますか? いつか地球再建事業は完了し、わたしたち〝幽霊〟にとっての〝九十億年を隔てた明日〟がやってきます。道徳人類〈ホモ=ヌーメノン〉や高次人類〈ホモ=フェノメノン〉といった現生人類たちは一様に淘汰され、再び旧人類〈ホモ=サピエンス〉の時代に回帰するのです」
「ふむ。それで?」
「恨めしくは……思ったりしないのですか?」
消え入りそうな声を絞り出したカナタ。揺らいだ声音は今にも泣き出しそうだった。
初めて見るカナタの姿に、側にいたソラは動揺した素振りをみせたが、すぐに思いとどまり、何もせずに彼女を見守った。
そんな二人の姿をトンマゼオは十秒ほどじっと見つめておたが、やがて柔らかな表情を浮かべて口を開いた。
「顔を上げなさい、お嬢さん」
「はい……」
カナタは右手の指で涙を拭いながら、涙声で返事した。
「残念ながら、それに対して正しい返答を表明できる者はこの国にはおるまい。今に関して言えば、我々は地球再建事業とも共存して生きていられているのだからな。おそらくわしらが生きている間はその関係は変わらないし、そのことについて考えることも出来ぬだろう。しかしまだ地球再建事業は三分の一にしか到達していないのだ」
カナタは怯えるように、彼の言葉に耳を貸していた。
この子供好きな国王は、ほんの一瞬だけ困ったような顔を浮かべたが、どうにかしてこの可哀想な少女を元気づけてあげようと、戯けた口調で続けた。
「そりゃあそなたたち幽体人類たちが現生人類たちを滅ぼそうとしてくれば、我々も武器をとって戦うことになるだろう。戦争だ。さすれば、我が物顔で世界を取り戻そうとするホモ=サピエンスに対しても、恨み言の一つも言うだろう。――しかしな、我々は、そんな我々のために泣いてくれた心優しいお嬢さんのことを、決して忘れることだけはあるまいよ。それでは不満かね?」
カナタは黙ったまま、返事をしなかった。
「地球再建事業との戦いの果てで、おそらく我々現生人類たちは滅びるだろうよ。跡形も無く。そして時間という寄せては返す波のなかで、やがては儚くも忘れ去れていくに違いなかろう。しかし、だからといってそれが無為だと、どうして言えるのかね?」
彼は玉座に深く体重を預けると、息を吐くように続けた。
「時間は連続し、魂に刻まれた意識だけがそれを憶えている。それで充分なのだよ」
カナタには、小さく一礼するしかできなかった。




