第5話「どうしても南へ行きたいんだ…③『若者達を襲う地獄… ヤツの狩りが始まった!』」
「うわあっ!」
「きゃあっ!」
最前列の運転席と助手席に座っていた伸田伸也と皆元静香が、ガソリンスタンドの爆発の閃光をフロントガラス越しに最初に浴び、真っ先に叫び声をあげた。
爆発炎上したガソリンスタンドは伸田達の乗る車から直線距離にして200mくらいだろうか…閃光の一瞬後、爆風が車に向かって押し寄せて来て、ワイパーで払い切れていないフロントガラスの雪を吹き飛ばした。
ビシッ!
飛んで来た何かの破片がフロントガラスに当たり、幸運にも粉々に割れはしなかったが、破片を中心としてガラスに蜘蛛の巣状にヒビが入った。もう一撃何かがぶつかれば、文字通り粉々になったフロントガラスは車内に飛び散ったに違いない。
「キャアッ!」
静香は抱えた頭を下げて助手席に蹲り、運転席の伸田は隣の静香を守ろうと反射的に左手で彼女の頭を押さえた。
カンッ! カンカン!
降り注いだ幾つもの破片が車の屋根に当たって音を上げた。200m程離れたこちらにまで破片が飛んで来ているのだ。それだけでも爆発の凄まじさが理解出来るだろう。
車内にいる6人全員が伏せた頭を両手で抱えていた。
車の停車している道路も爆発で発生した振動で揺れていた。
伸田は、この男にしては賢明かつ的確な判断で急ブレーキを踏まなかった。もし彼が急ブレーキを踏んでいたら、凍結した下り坂の路面で、滑った車はスピンしてガードレールを突き破るか、反対側の崖に激突していたかも知れなかった。
伸田は慌てずにギアをチェンジして回転数を上げエンジンブレーキでスピードを落とし、ポンピングを多用したフットブレーキで徐々に速度を落として山を下る急こう配のカーブを何とか乗り切って、国道からガソリンスタンドへの引き込み道路へ乗り入れた地点で停車する事が出来たのだ。
意外な事だが、何をやってもダメだと周りから言われ続けて来た伸田は、この緊急事態において車の運転に非凡な才能を発揮したと言えるだろう。臆病で慎重な彼だからこそ、こんな芸当が出来たに違いなかった。普段、伸田の運転する車に乗り慣れている恋人の静香だけが、この事実を無理なく受け止める事が出来た。
「おい、大変だぜ! 警察…いや、消防に報せなきゃ!」
セカンドシートで恋人のエリを大きな身体で覆い隠す様にして衝撃から護っていた幸田剛士がガバっと身を起こし、前方で突然生じた爆発を見ながら叫んだ。
「あんなの…僕、初めて見たよ…」
「私もよ… 怖いわ…」
サードシートでは須根尾骨延と恋人の山野ミチルが小柄な身体を寄せ合い、互いの手をしっかりと握りしめながら、茫然とした表情でつぶやいた。
「これで、ガソリンを補給出来なくなった。旅館まで、どうやってたどり着けばいいんだ…?」
身を起こした伸田が小さくつぶやいたのを聞いた恋人の静香が、スマホを握りしめたまま嗜める様に怒鳴った。
「ノビタさん! 何を呑気な事言ってるのよ! 今そんな事言ってる場合じゃないでしょ!
この爆発でガソリンスタンドで誰か人が死んでるかも知れないのよ。剛士さんが言った通り、急いで消防隊を呼ばなきゃ!」
そう言った静香が自分のスマートフォンで急いで119番にコールしようとしたが、液晶画面の通信状態を示す表示が『圏外』となっていた。
「さすがシズちゃんだな。俺は気ばかりあせって、分かっちゃいても実際に通報出来なかったけど…」
口でそう言いながらも、剛士は抱いていた恋人の水木エリの身体を擦り続けている。彼にとって今一番大事なのは目の前の恋人エリの安全だった。
この時には、体育会系で元々身体の健康なエリはかなり体力を回復し、低体温症のショック状態からも抜け出した様子だった。エリは自分を心配そうに見下ろしている剛士の顔を見上げ、まだ弱々しくだったが微笑んで言った。
「ありがと、タケシ。私を守ってくれて…」
「そんな事、当たり前じゃねえか。お前は俺の大事な…」
そこまで言って自分の言葉に照れたのか、剛士は顔を赤くして黙り込んだ。エリは嬉しそうな顔で剛士の顔を見つめていた。
「ダメだわ、剛士さん… 私のスマホは『圏外』になってるし、ノビタさんのスマホも試してみたけど…同じキャリアの製品だからか、やっぱり『圏外』なのよ。剛士さんやスネオさんも確認してみて。」
静香が後ろの座席に座る者達を振り返って言った。
それを聞いた剛士は左手でエリの身体を擦り続けながら、右手で自分のスマホをポケットから取り出して確かめて見た。
「俺のもダメだ… 『圏外』になってる。お前達のはどうだ?」
剛士はそう言って、後ろのシートに座っている二人の方を見て須根尾に尋ねながら、両手でエリの身体の血行を良くしてやるためのマッサージを再開する。
「僕とミチルのスマホもダメだよ。やっぱり山の中なのと、この吹雪が影響してるのかな?」
須根尾が左右に首を振りながら、両手で掲げ持った自分とミチルのスマホの液晶画面を前の者達に見せる様に向けて言った。
「そっか… ここ、結構山の中だからな…」
剛士がエリへのマッサージを続けながら残念そうに呟いた。
そのエリが自らシートに座り直し、マッサージを施してくれていた剛士の両手をそっと自分の身体からどけさせて言った。
「ありがとう、剛士。もういいわ。あなたのおかげで身体が温まったし、だいぶ気分も良くなったから。アタシ、服を着るわね。」
そう言って、まだ心配そうな表情を浮かべている剛士の頬にキスをしたエリは、ヒッチハイカーと繰り広げた激しいセックスの最中、夢中で床に脱ぎ散らかしていた自分の衣服を拾い上げようと屈んだ。
「あら? なにかしら…これ?」
「ん? どうした… エリ?」
エリが怪訝そうにつぶやく声に、炎上するガソリンスタンドを見つめていた剛士が振り返った。
エリは足元に拾い上げた自分の服を身に着け始めていたが、それまで服が被さって下に隠れていた細長いモノに気付いたのだ。
「こ、これって…? あの男の? ひっ! な、何よ…これ! こ、この赤黒い色って…ち、血じゃないの?」
エリが恐ろしそうに履き終えた靴の先で剛士の方へ細長いモノを押しやった。
剛士が見たそれは、赤黒いシミだらけの使い古されたタオルで包まれていた。タオルに包み切れずにはみ出しているのは、黒い木材で作られたしっかりした造りの何かの握り部分だろうか。当然汚れたタオルに包まれて見えない部分が本体なのだろうが、その細長い形状からして剛士は鉈の様な大ぶりの刃物を連想した。
「うっ! 確かに、エリが言うように…鉄臭い血の匂いと腐った肉の混ざった様なイヤな匂いがしてやがる… 想像したかねえが…これは物騒な刃物みたいだぜ。」
先ほど車から叩き出したヒッチハイカーの後から外へ放り投げたリュックサックから抜け落ちていたのだろう。確かにリュックのトップ部分の半分開いたスライドファスナーから、黒っぽい色をした道具の持ち手らしき部分がが外へ飛び出していたのを剛士は記憶していた。
「これ…確かにあのヒッチハイカーの持ち物だぜ。ヤツのリュックから抜け落ちてたんだ。こんな気味が悪いモノ…窓から外へ放り出してやる。」
剛士がそう言って、自分の足元から不気味なモノを拾い上げようとした時だった。
バーンッ!
何かが上から車の屋根に落ちて来たのか、大きな音と共に、衝撃で屋根が内側にたわみ、車内に向けて数か所がボコッと飛び出していた。
この車の屋根には乗員が雪山で使用するスキー板等を固定するために強固なルーフキャリアが装着されていた。運よくそのルーフキャリアが補強となり、突然落ちて来た物体の衝撃で屋根全体が破壊される事は無かった。しかし、突然起こった出来事に車内の全員がパニックに陥っても無理は無かった。
「う、うわあっ!」
「な、何だ?」
「きゃあああっ!」
ギャギャギャーッ!
車内にいた6人の男女が口々に悲鳴を上げ、運転していた伸田自身も驚いた弾みにハンドルを切り損ねそうになったため、車はジグザグに蛇行したが、徐行に近い速度で坂道を下っていたので、伸田は車体をスピンさせずに何とか元通りに立て直す事が出来た。
「お…おいっ! な、何か…上から車の屋根に落ちて来たぞ!」
悲鳴の様な剛士の叫び声に重なるようにして、車の屋根の上でガサゴソと何かが動く物音と振動が伝わって来た。
「な、何か…生き物が屋根に取り付いたんじゃ?」
「や、やめてよ! そんな、怖い!」
サードシートに座った須根尾と恋人のミチルが抱き合って震えながら口々に叫んだ。
「伸田! 何だか分からねえけど、こいつはヤバいぜ! 絶対に車を止めるんじゃねえぞ! 走らせ続けろ!」
剛士がエリを背中にかばう様にしながら叫んだ。
「分かった!」
ハンドルを切りながら伸田が叫び返す。
ブウウーーーッ!
それまで伸田は、残り少ないガソリンを温存するためにあまり速度を出さなかったのだが、この突然発生した緊急事態にやむを得ずアクセルを踏み込んだ。
「みんな、しっかり掴まってて! 屋根の上に乗った何かを振り落とす!」
ギャリリリーッ!
伸田は車を加速すると同時に車をUターンさせ、燃え盛るガソリンスタンドと逆方向の元来た国道に向けて走り出した。
「うわっ!」
「うわわわーっ!」
「きゃああーっ!」
「ひぃーっ!」
車内の仲間達が上げる悲鳴に一切構わず、伸田は路面の凍てついた国道に再び乗り入れると車をジグザグに走らせた。そうする事で、彼は屋根に乗っている何かを落とそうというのだ。
「キキキキーッ!」
「おい、ノビタ! 無茶すんなよ!」
「そ、そうよ! ノビタさん! 怖いっ!」
須根尾とミチルがサードシートから泣きそうな声で叫んだ。
「いや! か、構わねえから走り続けろ、ノビタ! お、俺が窓を開けて上を覗いて見る! ノビタ、何があっても絶対に車を止めるんじゃねえぞ!」
車内で一番勇敢な剛士が、自分の横の窓ガラスを開けようとした。
「あ、危ないよ… ジャイアンツ!」
「そうよ、剛士さん。無茶はやめて!」
最前列に座る伸田と静香が口々に叫ぶ。
「生き物だったら屋根から追い払わなきゃ、このままにしてるのは危ねえだろ。
でも、何か追い払う棒みたいなもんはねえか…?」
そう言って皆に尋ねながら自分の足元を見た剛士は、先ほどエリの見つけた赤黒いタオルに包まれた細長い代物に目が留まった。何か大型の刃物…
「これ、使えねえかな…?」
そうつぶやいた剛士は足元から細長いモノを拾い上げ、巻かれていた赤黒いタオルを乱暴に取り払った。
「な、何だ、こりゃあ⁉」
剛士が持っていたのは、刃渡りが40㎝ほどもある変わった形状の刃をした山刀と呼ぶのが相応しい刃物だった。見たところ、重さからしてもオモチャではなくズッシリとした本物の刃物の様である。
曲線を描いた形状の山刀の刃部分をジッと見つめた剛士は叫び声をあげた。
「うわ… な、なんだよ、これ! 血か? 血が付いてるぜ! それに、肉片と毛みたいなもんもこびり付いてやがるっ!
あのヒッチハイカーの野郎、これで一体何を切りやがったんだ…?」
剛士の発した大声に、運転する伸田以外の全員の目が彼の手にした山刀に吸いつけられた。チラッとだが、一瞬伸田もルームミラーで剛士の手に目をやった。
車内にいる6人全員の関心が不気味な刃物に移り、一時ではあったが、凍り付いた路面上での走行に対する恐怖と屋根の上にいる何かの存在を忘れていた。
「ジャイアンツ… そ、それ…獣の体毛じゃないよ。人間の髪の毛みたいだ… って事は…」
サードシートから身を乗り出して山刀の汚れた刃部分を見つめた須根尾が、ガタガタ震えながら剛士に言った。車内にいた全員が、その言葉の意味に思い当たったのか、恐怖のあまり震え上がった。
「きゃああああーっ!」
女達が異口同音に甲高い叫び声を上げた。男達も息を吞んだ。
「ああ…アイツなら、この山刀をつかって人殺しくらい…やりかねねえな。」
剛士は震えながら、手に持った恐ろしい山刀から取り払った赤黒く汚れたタオルを、もう一度刃部分に巻き付けた。
「この気持ち悪い山刀… すぐにでも車から投げ捨てたいところだけど、警察に届けた方がいいな。
何かの事件の証拠になるかもしれねえ。」
そう剛士がつぶやき、他の全員が頷いた時だった…
バリーンッ!
突然、剛士が座っていた左横の窓ガラスが破裂するような音を立てて内側に向けて割れ、粉々になった破片が車内に飛び散った。
「うおっ!」
「きゃあああっ!」
驚愕の叫び声を上げながらも剛士はスポーツマンならではの持ち前の反射神経を発揮し、何が起こったか分からないながらも、右隣に座るエリの身体に覆いかぶさるようにして車内に飛び散るガラスの破片から彼女を庇う姿勢を取った。彼の背中に幾つものガラスの破片が次々に当たった。
すると次の瞬間、破られた窓の外から長く伸びた腕がヌッと車内に入って来たかと思うと、山刀を握ったままだった剛士の左手首を捕らえ、恐ろしく強い力で引きずる様にして車外へと強く引っ張った。
身長185㎝で体重100kgもある巨漢の剛士の身体が恐ろしく強い力で軽々と引きずられ、引っ張られた左腕を窓外に突き出したまま勢いよく剛士の身体がドアにぶつかった。
ガッシイイィーンッ!
「い、痛えっ! 痛えっ! 放せ! 放してくれ! う、腕が千切れちまうっ!」
剛士が苦痛の叫びを上げた。
「ジャイアンツ! その山刀を放すんだよ!」
サードシートから身を乗り出した須根尾が、まだ引っ張られ続ける剛士の身体にしがみついて大声で叫んだ。隣に座るミチルも須根尾の身体に抱きついて小柄な身体ながら健気にも懸命に踏ん張っている。
「スネオ! みんなっ! 助けてくれえっ! す、すげえ力で左腕を掴まれてんだ! うおっ、引っ張られるっ!」
剛士の隣に座るエリも、大事な恋人を奪われてなるものかと剛士の身体に抱きついて必死で踏ん張った。後ろの状況に慌ててシートベルトを外し、助手席から後ろ向きに身を乗り出した静香も、剛士の身体が引きずり出されないようにしがみついた。それでも剛士を車内に引き戻す事が出来ないほどの恐ろしい力だった。
バツンッ!
「うっぎゃああああーっ!」
何が起こったのか、気味の悪い大きな音が聞こえたのに引き続き、けたたましい絶叫を上げた剛士の身体を外部から引っ張っていた強い力が突然失われ、仲間達に引き戻された剛士が勢いよく隣に座るエリの身体の上に倒れ込んだ。
「た、助かったね、ジャイ…」
須根尾が剛士に声を掛けようとした。
「ぎぃぃやああーっ! 俺の…俺の左手があっ!」
車内に倒れ込んだ剛士は右手で血が噴き出す自分の左前腕部を押さえ、セカンドシート上でエリの身体に重なって喚き散らしながらのたうち回っている。
「おい、ジャイアンツ! そ、その腕!」
須根尾が指さした剛士の左手首から血が噴き出していたが、そこから先にあるべきはずの左手が無くなっていた。着ていた服の袖ごと鋭利な刃物でスパッと切断された様な状態だった。
切断された左手首を押さえる剛士の右手の指の間から、押さえ切れずに迸った真っ赤な血が噴水の様に車内に降り注いだ!
転げ回る剛士の左腕から噴き出す血の雨が、下敷きになっているエリに豪雨の様な勢いで降り注ぐ。見る見るうちに剛士もエリも血だるまになっていく。
「キャーッ! 何? 何なのよコレ? 血⁉ 剛士っ! 冗談やめてよっ!」
「きゃあああーっ!」
「剛士君!」
「ス、スネオ! とにかく、ジャイアンツの左手を止血しろ! そのままじゃ失血で死んじまうぞ!」
セカンドシートで生じた凄惨な光景に、恐怖の悲鳴を上げる静香とミチルの声を遮るように、伸田がルームミラーに映る須根尾に向かって大声で叫んだ。
「分かった!」
叫びながら、須根尾がキョロキョロと止血するための布などを探した。
「スネオさん、これ使って!」
助手席から静香が叫んで、自分の膝にかけていたブランケットを剛士の身体に被せた。須根尾がそれを剛士の切断された左手首に被せ、自分のズボンから引き抜いたベルトを使って左上腕部をきつく縛って圧迫し、応急の止血処置を施した。
切断された手首に被せたブランケットの色が、すぐに血を吸って真っ赤に染まっていく。
エリと重なったまま、のたうち回っていた剛士の身体の動きは止まったが、今度は引き攣った様な痙攣を起こし始めていた。
腕の切断面から吹き出す血の噴水は止まったが、エリも須根尾も剛士の血を浴びて顔も身体も血まみれとなっていた。
「ダメだ、ノビタ! ジャイアンツの身体がショック状態を起こして痙攣してる。どんどん身体から体温が下がっていくみたいだ。早く病院に連れて行かなくちゃ!」
そう叫ぶ須根尾に伸田も叫び返す。
「分かってるさ、そんな事! でも、まだ何かが屋根の上にいるんだよ!」
伸田の訴える叫び声に全員が恐怖した。そうだった… 屋根に取り付き、破れた窓から突き出していた剛士の左手首を無残にも切断した何者か… スパッと一刀の元に切断された剛士の左手首の切り口から見ても、熊などの野生の動物では有り得なかった。
屋根に飛び乗った人間の何者かが鋭い刃物で剛士の手首を切断したのだろうと、車内の全員に容易に想像がついた。
恐らく切断には、剛士が左手に握っていた山刀を用いたのだろう…そいつは何者か…? 答は簡単だった。山刀の当の持ち主… 全員の頭に共通して浮かんだそいつの姿があった。
「あ、あのヒッチハイカーだわ! きっと、自分の山刀を取り返しに来たのよ!」
時折痙攣する剛士の身体を抱きしめているエリが金切り声で叫んだ。破られた窓から吹き込む吹雪を伴った風の唸るような音に、大声で叫ばなければ他の者の耳に聞こえないのだ。
「みんな! 何かに掴まってろ! アイツを屋根から振り落とす!」
伸田はそう叫ぶとハンドルを左右に切って蛇行運転を始めた。剛士を除いた全員がシートベルトを掛け、自分の周りの座席部分を力を入れて掴む。エリは剛士の身体をセカンドシートの足元に横たえて自分の両手で力いっぱい押さえた。
伸田が蛇行させる車の屋根の端から、上に乗った何者かが車にしがみつく手や靴の先が時おり見え隠れした。
普段は仲間からグズやノロマと言われる伸田だったが、車の運転だけは素晴らしいテクニックを発揮した。凍結した山道での文字通り命がけの運転だった。自分を含めた6人の命が懸かっているのだ。伸田は、きつく歯を食いしばりながら必死の集中力を発揮して運転を続けた。
ドンッ!
大きな音を立てて、伸田の目の前のフロントガラスに何かが叩きつけられてズルズルと滑り落ち、向かって右側のワイパーに引っかかって一緒に動き出す。と同時に、物体から出た真っ赤な液体がワイパーの動きにつれてフロントガラスに塗りつけられていく。
「キャアアアーッ!」
伸田よりも先に、ワイパーに止まった物体の正体を認識した静香が悲鳴を上げた。
「うわあっ! て、手だっ!」
静香に引き続き、伸田も叫び声を上げた。
今、引っかかったワイパーと共にフロントガラス上を一緒に左右に動いているのは、切断された剛士の左手だった。曲がったまま硬直した指先がワイパーを掴むようにして引っかかっているのだ。断面から流れた血や脂がワイパーの動きと共にフロントガラスに広がっていく
伸田は蛇行運転を続けながらワイパーの動きを一旦止め、もう一度『最強』の速さで動かした。すると、引っかかっていた指先がようやく外れ、振り落とされた剛士の左手は車の左後方の吹雪の中に飛ばされて消えて行った。
伸田はワイパーでフロントガラスに塗りたくられて広がった血が拭おうとしたが、すでに大部分がカチカチに凍結していた血はなかなか拭い切れなかった。
「ダメだ、もうガソリンが無い… Eランプ(エンプティランプ)が点灯し始めた。まだ完全に走れなくなったわけじゃ無いけど、旅館までは到底辿り着けないし、あの爆発したガソリンスタンド以外の給油所まで行き着くのも絶対に無理だ。ロードサービスどころか、僕達には助けを呼ぶ手段も無い…」
運転者の伸田が絶望的なつぶやきを漏らした。もちろん他の者達には聞こえない様に小さな声でである。こんな状況で、恐怖に怯えている仲間達に更なる不安を追加する事など彼には出来なかったのだ。
だが、隣りの助手席に座る静香は伸田のつぶやきを聞き逃さなかった。
「ノビタさん… お願いよ、そんな事言わないで…」
「ごめんよ、シズちゃん。とにかく、もう一度あの燃えてるガソリンスタンドに向かってみよう。そのうち、必ず消防や警察が来るはずだ。それに…このままエンジンが停止したら、みんな凍えてしまう。
特にジャイアンツが失血で危ない。火の傍なら、取りあえず凍える事は避けられるだろうし、スタンドで何か通信手段が見つかるかもしれない。」
今度は伸田は車内の全員に聞こえる様に大きめの声で言った。
「僕もノビタに賛成だよ。車の事はお前に任せる。とにかく、一刻も早くジャイアンツを病院に連れて行かなきゃ…」
そう言いながら須根尾は少しでも吹雪の侵入を防ぐために、外から割られた窓を車に積んであったビニールシートとガムテープで応急処置として塞ぎ始めた。
失血のため気を失っている剛士の身体はブランケットや毛布でくるんだ上に、エリが少しでも温めようと自分の身体を密着させて抱きしめていた。
バリーンッ!
「キャアーッ! 助けて! スネオ君!」
車の後部から大きな破裂音がしたかと思うと、けたたましい女の悲鳴が上がった。
今度は後部ドアのリアガラスが外から叩き割られ、サードシートに座っていたミチルの細い首が侵入して来た大きな手に掴まったのだ。
「ぐえぇっ… た…助…けて…」
苦しそうな声で隣にいる恋人の須根尾助けを求めながら、小柄なミチルの身体がガラスを割られたリアウィンドーから外へと引きずり出されていく。
ミチルは自分の首を掴んで引き寄せようとする大きな手に左手の爪を突き立てて滅茶滅茶に搔きむしりながら、右手を恋人の須根尾に向けて必死に伸ばした。思い切りバタつかせて空を蹴り続けるミチルの左足から履いていた靴が脱げ落ちて飛んた。
「うわあっ! ミチルーッ! ミチルを離せーっ!」
ミチルの上半身はすでに窓の外に引きずり出された。割られた窓の応急修理のためセカンドシートにいた須根尾が急いでサードシートに戻り、ミチルの暴れる脚に必死に縋り付く。須根尾はミチルの両脚を自分の両腕でかかえ込み、両足で座席を踏ん張って必死で恋人を引き戻そうとする。
それはまるで、車の外と内で展開するミチルの身体を使った綱引きの様なものだったが、右腕一本だけでミチルを引っ張り出そうとする恐ろしく強い力に、全身の力を込めて抗おうとする須根尾の必死の抵抗も全く通用しないのだ。彼自身もミチルと共にどんどん引きずられていく。
「うわああー! 助けてくれっ! ノビター!」
「スネオーッ!」
「スネオさん!」
「スネオ君っ!」
剛士を除いた伸田に静香、それにエリの3人が須根尾の名を口々に叫ぶ。
だが仲間達の叫びも空しく、ミチルの身体はすでに車外へと消え、今では須根尾の胸までがリアウィンドーの外へと引きずり出されていた。
バツンッ!
聞き覚えのある胸が悪くなる音がしたかと思うと、胸まで外に出ていた須根尾の身体が一度大きく弾んで外へと引きずり出されていく動きが止まった。そして、車内に残ったままになっている須根尾の身体が激しく痙攣し始めた。
しかし、その痙攣も十数秒ほど続くと止まり、それからは全く動かなくなった。
「おい、スネオ! どうしたんだよ⁉ ミチルちゃんは?」
伸田が車を走らせながらルームミラーに映る須根尾の身体に呼びかける。しかし、須根尾からの返事は無く…身体もピクリとも動く事は無かった…
「ノビタさん、私が見てくる! エリちゃんは剛士さんとそのままにしてて。」
気丈にも意を決した静香が、助手席からセカンドシートを越えてサードシートまで移った。そこにはミチルの姿はすでに無く、胸から上を外に出した須根尾のぐったりとして動かない身体があるだけだった。
「スネオさん… ねえ、スネオさんってば!」
静香が須根尾の身体に手を掛けて、外に出ていた胸から上の部分を引き戻しにかかる。男としては小柄だとは言っても、全く動かない須根尾の身体は静香にはとても重く感じられた。
強く引き、やっと須根尾の身体を車内へ引き戻した静香が、この世のものと思えないほどの叫び声を上げた。
「ぎゃああーっ! ひいいぃーっ!」
驚いた伸田がルームミラーで覗いた時には、叫び声を上げた静香が意識を失ったのか、サードシートに倒れるところだった。しかし、セカンドシートの背もたれが邪魔になって須根尾の身体は見えなかった。華奢で可憐な見た目に似ず、気丈で勇気のある静香にあれほどの絶叫を上げさせたのは一体…?
「おい! シズちゃん! 一体どうしたんだよ⁉ エリちゃん、頼むよ! シズちゃんを見てやって!」
大声でそう言った伸田がルームミラーに映るエリの方を見た時、すでに剛士の身体をセカンドシートに静かに横たえたエリは、サードシートに身を乗り出して静香の様子を覗き込んでいた。彼女もまた、静香に劣らず勇敢な女性なのだ。
そして、ルームミラーに映るエリの姿が凍り付いた様に動きを止めたままなのを、伸田が不審に思った次の瞬間…
「うぅっ、げええぇーっ!」
突然身体を二つ折りにしたエリが、サードシートの床に向けて激しく嘔吐した。そして、そのまま何度も吐き続けた。
「どうしたんだよ、エリちゃんまで!
いったい何が起きたんだよ⁉ 落ち着いて話してくれ!」
時折りルームミラーで後方を見て運転を続けながら、何が何だか分からない伸田はイラついた叫び声を上げた。
ようやく吐き気が収まったのか、エリが蒼白な顔に涙を流しながら伸田に向かってつぶやいた。
「うう… ノビちゃん… スネオ君の…く、首が… うえぇっ!」
エリにまた吐き気が襲ってきた様だった。
「スネオの首が…? ど、どうしたんだよ? しっかりしろ!」
エリを叱咤しながら伸田が先を促す。
「ううう… スネオ君の… 首が無いの… おええっ!」
エリはそこまで言うと、また吐き始めた。だが、もう胃液以外に吐く物など残っていないだろう…
「スネオの? 首が無い…? そんな…」
伸田は目の前が真っ暗になった。
剛士の左手首の切断に続いてミチルが連れ去られ、そして今度は須根尾が首を切断されて殺された…
「な、何だよ…どういう事だよ! 畜生! いったい、僕達が何したってんだよ… みんな…僕の大事な親友達なんだぞ…
くっそおおおおーっ!」
伸田は親友達の身に起こった不幸を思って泣きながら叫んだ。
須根尾には剛士と一緒になって、小さい頃からよくいじめられた。でも、自分と静香を合わせた幼馴染の4人はずっと親友だった。みんなのマドンナである静香を射止めた自分を、剛士も須根尾も何やかや言いながら結局は祝福してくれたのだった。
伸田が親友を思って泣いている間に、いつの間にか静香が意識を取り戻していた。
しかも驚いた事に、彼女は気丈にも首を切断された須根尾の遺体をサードシートの座席に座らせてシートベルトを掛けて固定し、予備のブランケットで首の無くなった遺体の上半身を覆ってやっていた。
自分にとっても幼少時からの親友の死で彼女自身もショックを受けているだろうに、静香はそれだけの事を一人だけでやってのけたのだった。何という精神力と、死者に対する慈愛に満ちた行動だろうか…
セカンドシートに戻ったエリは剛士の身体を抱きしめ、泣きじゃくりながら震えていた。
『あれだけ泣いているんだから、エリちゃんの身体はもう大丈夫だな…』
伸田は漠然と、そう考えた。彼自身も仲間達を襲ったショックな出来事の連続に放心状態に陥りかけていた。その伸田を現実に引き戻したのは恋人の静香だった。
「ノビタさん、しっかりして! ねえ、何か聞こえない? あれ…ミチルちゃんの泣き声じゃないかしら!」
須根尾の遺体の処置を終えた静香が助手席まで戻り、座り直してシートベルトを掛けながら伸田に対して話しかけてきたのだった。
「ご、ごめんよ…シズちゃん。全部、君だけにやらせちゃって…
それで、何だって…? ミチルちゃんの泣き声? じゃあ、彼女はまだ生きてるのか?」
伸田が横目で静香を見ながら、希望を込めた声で聞いた。須根尾を失った今、彼の恋人であるミチルだけでも助かってくれたなら…車内の誰もがそう思った。
「ええ… 吹雪の音に混じって、何か『パン、パンッ、パンッ!』ていう肉を叩くような音と、ミチルちゃんの泣き声か呻くような声が聞こえた気がしたんだけど…」
はっきりとした自信が無いのか、愛らしい眉間にしわを寄せた静香は首を捻りながら言った。
「いや、シズちゃん… アタシにも聞こえたよ。
あれは、この車の屋根の上で…スネオ君を殺したケダモノ野郎が、ミチルの事を犯してやがるんだ! アイツの、あのでっかいチンポでミチルが犯されて泣いてるんだ…」
さっきまで狂ったように、その男と性交を繰り返していたエリが言うのだから現実味があった。二人の女性が性交の際に同性の上げる声を聞いているのだ。気のせいで片付ける訳にはいかなかった。。
「何て事を… アイツは狂ってる。あの鬼畜野郎は邪魔な男は虫けらのように殺して、女は誰かれ構わず犯さないと気が済まないのか…?
アイツ…まさか、僕達の事を狩りの獲物か何かだと思ってるんじゃ…」
恋人である伸田のつぶやきを聞いた静香は、着込んだ防寒着の上から自分自身を抱きしめるようにしてガタガタと震え始めた。もちろん、それは寒さのためだけでは無かった。
「大丈夫だよ、シズちゃん… 大事な君を、あんな狂ったケダモノの好きにさせてたまるか!」
伸田が静香を勇気づける様に自分の決意を口にした時だった。
バンッ!
「うわ!」
「今度は何⁉」
鈍い衝撃音と共にヒビの入ったフロントガラスに、逆さまになったミチルの顔がへばりついた。ガラスにヒビが入るほど叩き付けられた彼女の額はパックリと裂け、ドロリと血が流れ出していた。顔の両脇にだらりと垂れ下がった両手が、助けを求めて必死でフロントガラスを掻きむしっていた。ワイパーは左右とも苦し紛れのミチルが引き千切ってしまった。
かわいそうに全ての爪が剥がれて血まみれになった指先でミチルが掻きむしったため、蜘蛛の巣状にヒビの走ったフロントガラスは血でヌルヌルになり視界がさらに悪くなった。それだけでは無く、フロントガラスに張り付いたミチルの顔や両腕で前方の視界は惨憺たる状態となっているのだ。
パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!
ミチルの身体は逆さまにぶら下げられたまま、背後からヒッチハイカーに犯され続けているのだろう…男の腰の動きに激しく突かれる度に、フロントガラスから見えている彼女の顔や手もガクンガクンと大きく跳ねていた。その度にミチルの顔がフロントガラスにベタンベタンと何度も叩きつけられる。
「ひどい…ひど過ぎるわ! もう止めて…」
自分の目の前で親友のミチルがこれ以上は無いと言えるほどの暴虐の限りを尽くされているのを、静香は見るに堪えなかった。
しかし、目をつむろうとした静香は気付いた。
声は聞こえないが、彼女の口元が血の混じったヨダレを流しながら何かを訴えかける様に動いていた…
「『た・す・け・て…』 ミチルちゃん、そう言ってるのよ!」
静香が泣きながら自分の両手を前に伸ばして、ヒビの入ったフロントガラス越しに跳ね動いているミチルの顔を指でなぞった。
「ミチルちゃん…」
今度こそ、静香は親友の凄惨な顔を見ない様にと涙の溢れて止まらない目をつむった。
しかし、運転をしている伸田は目をつむる訳にはいかなかった。彼とて親友達の受けた惨状に胸がつぶれそうな思いは静香と同じだった。
だが、伸田は残った仲間達のためにも可能な限り運転を続けようと心に誓った。
「アイツを振り落とせば、ミチルちゃんまで凍った路面に叩きつけられる… どうすればいい…? 教えてくれ、スネオ…」
伸田はルームミラーでサードシートに固定された首の無い須根尾の遺体を見て、祈る様につぶやいた。




