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ヒッチハイカー  作者: 幻田恋人


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第30話「どうしても南へ行きたいんだ…㉘『続く激闘!伸田vsヒッチハイカー!! そして、ロシナンテに襲いかかるライラ&バリー!』」

「よう! 待たせたな、ノビタ!」


 空中でホバリングするヒッチハイカーを鋭く見据えたまま、白い野獣が目だけを伸田へ向け、人間の男の声で言った。


「せ、千寿(せんじゅ)さん……。ご無事だったんですね……」


 地面から拾い上げたベレッタを右手に強く握り締めたまま、伸田は今にも泣き出しそうな表情で答える。


「何だ、その情けない顔は? 当たり前のことを言うな。


 満月期の俺は、ゴキブリ以上にしぶといんだ。殺されたくらいじゃ死なん。


 それにしても、俺専用の『ウインドライダーシステム』で空まで飛べるようになったくせに、まだこんなトンボ野郎に手こずってたのか?


 しょうがないヤツだ。まだまだだな、お前は」


 今は白虎へと変身している、自称『風俗探偵』こと千寿理(せんじゅ おさむ)の厳しい言葉が、伸田の胸に突き刺さる。


「で、どうする?


 さすがの俺も空は飛べん。


 その『ウインドライダーシステム』を俺に返して、お前は愛するシズちゃんの傍にいてやるか?」


 その言葉に嫌味やからかいの響きはまったくなかった。


 そこにあったのは、ヒッチハイカーという驚異の怪物を相手に、ここまで戦い抜いた伸田への称賛と、相棒としての揺るぎない友情。


 白虎の優しさが、伸田の胸へ静かに染み渡っていく。


 伸田もまた、その想いに応えるように真っ直ぐな視線を向けた。


「いえ……お気持ちはありがたいです。でも、これは僕が終わらせなければならない戦いです。


 ヤツは……僕が倒します」


 その固い決意を宿した表情を見た白虎は、あっさりとうなずいた。


「そうか……。


 それじゃ、お前さんが最後までやり遂げな。


 それに俺も、別の用事ができちまったみたいだ。性懲りもなく、やっかいな野郎どもが現れやがった。


 ヒッチハイカーは任せたぜ、相棒。


 だが、その『式神弾(しきがみだん)』一発ぽっちじゃ、今のヤツ相手にはハンデがあり過ぎるな……


 これは俺からの餞別(せんべつ)だ!」


 そう言った次の瞬間――白虎の姿は、音もなくその場から消え去った。


「ぐぎゃあっ!」


 上空からヒッチハイカーの絶叫が響いた。


 トンボと人間が融合したような怪物の巨体が、真っ逆さまに地面へと落下する。


ズダーンッ!


「ぐわあああっ! お、俺の翅がぁっ!」


 約十メートルの高さから叩きつけられたヒッチハイカーは、雪上を転げ回りながら絶叫した。


 その背中には、本来あるはずの四枚の翅がない。


 高速で羽ばたいていた翅は、すべて付け根から噛み千切られていた。


 白虎は一瞬で上空へ跳躍すると、空中に静止していたヒッチハイカーへ襲いかかり、四枚の翅を一気に噛み千切っていた。


「それじゃあな。頑張れよ」


 白虎は音もなく地上へ降り立つと、口にくわえていた四枚の翅を吐き捨てる。


 そして何事もなかったかのように、猫科の獣らしいしなやかな足取りで伸田へ背を向け、吹雪の中へ歩き去っていった。


 自分たちに背を向けて向かった先には、いったい何がいるというのか。


 伸田は、すでに吹雪の向こうへ消えた白虎の背中を見つめながら考える。


「白虎さんは『やっかいな野郎ども』って言ってたけど……『疑似結界』ドームが消えたあと、上空で起きた三回の爆発と何か関係があるんだろうか……?」


 そう呟き、伸田はヒッチハイカーへ視線を戻した。


 先ほどまで翅を失った激痛にのたうち回り、喚き散らしていた怪物は、いつの間にか静かになっていた。


 腹這いのまま、凍てついた地面に蹲っている。


 雪はその背にも容赦なく降り積もり、やがてヒッチハイカーの身体は痙攣でも起こしたかのように、小刻みに震え始めた。


 背中には、白虎に噛み千切られた四枚の翅の付け根だけが残っている。


 だが、その無残な傷に異変が生じていた。


 神獣・白虎の牙に傷つけられた肉体は、ゆっくりと消滅を始める。


 その傷だけは、再生能力が通用しない。


 再生能力が機能しないのだ。

 

 バリーが今なお左角や右手首を再生できないのも、そのためだ。


 だが、その傷から逃れる方法が一つだけ存在する。


 ヒッチハイカーは、それを知っていた。


ズバッ!


「ぐぎゃあああーっ!」


 腹這いのまま震えていたヒッチハイカーは、覚悟を決めたように左腕の触手を振るった。


 その先端は鋭い刃へと変化している。


 ためらいは一切ない。


 消滅を始めていた四枚の翅の付け根ごと、自らの背中の肉を深々とえぐり取り、切り捨てたのだ。


ベシャッ!


 血に染まった肉片が、不気味な音を立てて凍てついた雪の上へ落ちる。


 その肉片は雪に埋もれながらも消滅を止めることなく、青白い炎と白煙を上げ続けていた。


 やがて跡形もなく、この世から消え去るだろう。


 ――だが、本体はどうだ?


 その異様な光景を目の当たりにした伸田の胸に、これまでの戦いで培われた経験が警鐘を鳴らす。


 言いようのない不安が込み上げた。


 油断はできない。


 そう自分に言い聞かせながら、伸田はヒッチハイカーから目を離さぬまま、じりじりと後退して距離を取った。


「ぐううぅっ! ぐわおおおうっ!」


ビキッ! グチュッ! グジュルルルーッ!


 苦しげな絶叫がヒッチハイカーの口から響き渡る。


 その直後、トンボの胴体のように細かった下半身が異様に膨れ始めた。


 ラグビーボールのような形へと変わりながら、その巨体はみるみる肥大化していく。


 その異様な変化を見た瞬間、伸田の脳裏によみがえったのは昨夜の戦いだった。


 ――この変身を、見たことがある。


 そう気付いた途端、伸田は後退する足を止めた。


 振り返ると同時に駆け出し、全力でヒッチハイカーから距離を取る。


 恐怖で頭が真っ白になり、『ウインドライダーシステム』で空へ逃れるという発想すら浮かばなかった。


 十分な距離まで逃げてから振り返る。


 そこにあったのは、軽自動車ほどの大きさにまで膨れ上がった、黒い剛毛に覆われた卵型の下半身だった。


「あの形……見覚えがあるぞ……。


 しかも、今夜見たばかりだ」


 青ざめた顔で呟いた、その瞬間だった。


 ボコッ!


 卵型の胴体の側面を内側から突き破り、剛毛に覆われた巨大な脚が一本飛び出す。


 続いて二本、三本――。


 やがて電柱ほどもある太さの脚が八本、次々と姿を現した。


メキメキメキッ! バキバキバキーッ!


 八本の脚は不気味な音を立てながら急速に伸び、巨大な身体を持ち上げていく。


「蜘蛛だ!


 ヤツはまた蜘蛛型の身体に変身する気だ!」


 伸田は叫びながら、右手のベレッタを構えた。


「トンボの身体を捨てて、蜘蛛形態に戻るつもりなんだ!


 しまった……!


 あの時、とどめを刺せたのに!」


 思わず地団駄を踏む。


 変身を始める前、地面に蹲っていたヒッチハイカーの背中へ『式神弾』を一発撃ち込めば、それで決着はついていたはずだった。


 しかし、その好機はもう失われた。


 今や蜘蛛のような巨大な怪物となったヒッチハイカーは、全身を針金のように硬い剛毛で覆われている。


 唯一の急所といえる人間の姿を残した頭部と上半身も、八本の長い脚に支えられ、地上の伸田には手の届かない高さまで持ち上げられてしまっていた。


 ついに怪物は、真っ黒な剛毛に覆われた八本の脚で大地へと立ち上がった。


 その全長は十数メートル。


 一本の脚だけでも十メートルを優に超えていた。


 もはや目の前にいるのは怪物ではない。


 ――怪獣。


 そう呼ぶ方がふさわしい、巨大でおぞましい存在へと変貌していた。


 ベレッタを構えたまま後退した伸田は、呆然とその姿を見上げる。


「く……蜘蛛の化け物……。


 前よりも巨大化してる……。


 いくら魔物には必殺の威力を持つ『式神弾』でも……たった一発の九ミリパラベラム弾で、こんな怪獣を本当に倒せるのか……?」


 厳冬の吹雪が吹き荒れる山中。


 それにもかかわらず、伸田は全身からねっとりとした汗が噴き出すのを感じていた。


 胸を満たしていたのは、拭い切れない不安だった。


 巨大な蜘蛛の頭部にあたる部分から、人間の姿を残したヒッチハイカーの上半身がゆっくりと起き上がる。


 胎児のように丸めていた身体を伸ばし、不気味な笑みを浮かべた。


「ふふふふ……。


 確かに空を飛ぶのも悪くはなかったが、やっぱり大地をしっかり踏み締める方が俺の性に合ってるな。


 こっちの方が断然いいぜ」


 そう言うと、生え揃ったばかりの八本の巨大な脚をシャカシャカと軽快に動かし、凍てついた大地を踏み鳴らす。


「ノビタよぉ!


 白トラ野郎がいなくても、俺に勝てると思ってるのか?


 舐めんじゃねぇぞ、小僧!」


 次の瞬間だった。


 三十メートルほど離れていたはずの巨体が、一瞬で間合いを詰める。


 あまりの速さに、その巨大さをまるで感じさせない。


ビシュッ!


 右前脚が鋭い槍のように振り下ろされ、伸田を串刺しにせんと襲いかかった。


 呆然と立ち尽くしていた伸田は、その瞬間ようやく我に返る。


 そして心の中で、『ウインドライダーシステム』へ命じた。


――右後方にジャンプ!


グサッ!


 ヒッチハイカーが振り下ろした巨大な右前脚が、凍てついた地面に数十センチも突き刺さる。


 しかし、その一撃は虚しく空を切る。


 伸田は文字どおり間一髪でかわし、『ウインドライダーシステム』の力で十数メートル後方へ軽やかに跳び退いていた。


 それを見たヒッチハイカーは、あの巨体からは想像もできない俊敏さで追撃を開始する。


 そこから始まったのは、伸田とヒッチハイカーによる壮絶な追いかけ合いだった。


 六基のプロペラを自在に制御し、吹雪の中を跳ねるように舞う伸田。


 その後を、巨大な蜘蛛の怪物が執拗に追い続ける。


 白銀の世界で繰り広げられるその攻防は、まるで京の都・五条大橋で繰り広げられた牛若丸と弁慶の一騎打ちを思わせた。


 だが、疲れを知らない怪物の猛攻は止まらない。


 前脚だけではない。


 左腕から伸びる伸縮自在の触手までもが攻撃に加わり、その猛威はさらに激しさを増していく。


「ヒャッハー! これならどうだ!」


 巨大な前脚を真上から振り下ろすと同時に、鋭い刃へと変化した触手が鎖鎌のように横薙ぎに走る。


 二段構えの連続攻撃だった。


 伸田は垂直に落ちてくる前脚をかわした。


 しかし、その直後には横一文字に薙ぎ払う触手の刃が容赦なく迫る。


「くっ! 『疑似結界シールド』!」


 伸田は瞬時に判断した。


 背中の『ウインドライダーシステム』から放射される超音波と電磁波を同期させ、『疑似結界』を応用した防御障壁を展開する。


ガッキーン!


 鋭い刃は『疑似結界シールド』に弾かれ、火花のような衝撃音だけを響かせた。


 すでに魔物となったヒッチハイカーの攻撃であっても、『結界』と同等の作用を持つ『疑似結界シールド』を突破することはできない。


 圧倒的な膂力から繰り出される猛攻。


 それでも、もはや『ウインドライダーシステム』を完全に使いこなし、文字どおり"風に乗る者"となった伸田を捉えることはできなかった。


「くっそぉ! 何で当たらねぇっ!?」


 攻撃はことごとく空を切り、あるいは弾き返される。


 そのたびにヒッチハイカーの焦りは募っていった。


「よし……いけるぞ!」


 一方、伸田は逆だった。


 『ウインドライダーシステム』を自在に操る感覚に酔い始め、自信は次第に油断へと変わりつつあった。


 激しい追撃戦の末、二人が駆け回った一帯は無惨な有様だった。


 凍結したアスファルトも、固く凍った土も、ヒッチハイカーの鋭い脚によって無数の穴が穿たれている。


「うっ!」


 思いがけない事が起こった。


 ヒッチハイカーの脚を鮮やかにかわした伸田は、着地した左足をその穴の一つへ突っ込んだのだ。


「しまった! 左足がっ!」


 足を取られ、身体が大きく揺らぐ。


「へっへー! マヌケぇ!」


 ヒッチハイカーの嘲笑と同時に、何かが猛烈な勢いで伸田へ叩きつけられた。


 ――やられた!


 そう思い、思わず目を閉じる。


 しかし、鋭い脚や触手の刃で斬られた衝撃ではない。


 身体にまとわりついたのは、粘つく液体に覆われた白い繊維状の物質だった。


 梱包用のナイロン紐にも似たそれは、SITのボディーアーマーへべったりと張り付いて離れない。


「くっ!」


 目を開けた伸田は、ようやく正体を悟る。


 ヒッチハイカーが吐き出した――蜘蛛の糸だった。


 それは静香を拘束し、『夕霧橋』中央の鉄骨から吊るしていたものとまったく同じ蜘蛛の糸だった。


 伸田は全力で引き剥がそうとする。


 だが、びくともしない。


 背中の『ウインドライダーシステム』に搭載された六基のプロペラを最大出力で回転させ、強引に離脱しようと試みる。


 しかし、強靭な蜘蛛の糸はその力すらものともせず、伸田をがっちりと捕らえ続けていた。


「ひゃっはー!


 ついにブンブン飛び回るハエ野郎を捕まえたぞ!」


 ヒッチハイカーが歓喜の声を上げる。


「でも、これなら『ヒヒイロカネの剣』で切れる!」


 静香を救い出した時のことを思い出した伸田は、左手の剣を振り上げ、蜘蛛の糸を断ち切ろうとした。


「させるかよ!」


ガキィーンッ!


 甲高い金属音が吹雪の中に響く。


 次の瞬間、『ヒヒイロカネの剣』は伸田の左手から弾き飛ばされていた。


「しまったぁっ!」


 剣を弾いたのは、ヒッチハイカーの左腕から伸びた触手だった。


 先端を刃へと変えた触手が、『ヒヒイロカネの剣』を正確に叩き落としたのだ。


 剣は数メートル先の雪上へ転がる。


 蜘蛛の糸に拘束された伸田には、もはや届かない。


 右手にはベレッタ。


 だが、『式神弾』はあと一発。


 この体勢では、ヒッチハイカーの急所へ確実に撃ち込むことは不可能だった。


 まさに――絶体絶命。


「ノビタ……。


 やっとテメエにとどめを刺せそうだな。


 本当はシズちゃんの目の前で身体をバラバラにしてやるつもりだったが、もうテメエの顔を見るのも飽きた。


 喜べ。


 切り落とした首を、シズちゃんへのプレゼントにしてやるよ。


 死ね!」


 残忍な笑みを浮かべたヒッチハイカーが、巨大な右前脚を振り上げる。


 その瞬間――。


ガアアアアアーッ!


ドッガアアーンッ!


 吹雪の中から、巨大な影が凄まじい勢いで突っ込んできた。


 激突。


 轟音とともに、ヒッチハイカーの巨体が右斜め前方へ吹き飛ばされる。


 伸田にとどめを刺すことだけに意識を集中していたヒッチハイカーは、完全に無防備だった。


 その怪物へ不意打ちの体当たりを仕掛けたのは――。


 重機運搬用の巨大トレーラーだった。


 時速百キロを超えていたと思われるその一撃は凄まじく、ヒッチハイカーの左側の脚を三本まとめてへし折る。


 さらに、剛毛に覆われた巨大な卵型の腹部を大きく陥没させ、その裂けた穴から体液を盛大に撒き散らしながら、怪物は宙へと吹き飛ばされていった。


 もちろん、時速百キロ近い勢いで激突した大型トレーラーも無事では済まなかった。


 前部を大きく破損した車体は衝撃で跳ね返され、凍てついた地面を激しくスリップする。


 そのまま近くの崖へ二度目の激突を起こし、ようやく停止した。


 黒煙を噴き上げる運転席のドアが開く。


 中から、一人の男がよろめきながら降りてきた。


 その姿を遠目に見た伸田は息をのむ。


 男が身に着けていたのは、見覚えのあるSITの隊員服とボディーアーマーだった。


「あれは……SITの隊員?


 誰だ……?


 ひょっとして安田さんか?」


 伸田が顔と名前を知っていて生き残っているSIT隊員は、それほど多くない。


 だから真っ先に思い浮かんだのは、大柄で怪力だが、誰よりも気の優しい安田巡査の顔だった。


「あの人のおかげで、僕は間一髪で助かったんだ。


 あと一瞬、トレーラーの突入が遅れていたら……。


 僕は間違いなく、ヒッチハイカーの脚に串刺しにされていた……」


 伸田の身体はガチガチと震えていた。


 それは吹雪の寒さではない。


 ほんの一歩間違えば命を落としていたという現実。


 そして、その運命の分かれ道を誰かが救ってくれたという幸運に、今さら全身が震え出したのだった。


「でも……巨大蜘蛛になったヒッチハイカーは、あの激突で今度こそ倒せたんだろうか……?」


 そう呟いた時だった。


 トレーラーを運転していたSIT隊員が、ふらつきながらこちらへ歩いてくる。


「おーい! そこの君!


 君の方は無事か?」


 自分も満身創痍のはずなのに、真っ先に他人を気遣う低い声。


 その声には聞き覚えがあった。


「その声は……長谷川警部!


 長谷川隊長! 僕です、伸田です!」


 それは、皆元静香救出作戦の途中、製材所で別れて以来となるSIT隊長・長谷川警部だった。


 自分を間一髪で救ってくれた命の恩人が長谷川警部だったと知り、伸田の胸には安堵と感激、そして深い感謝の思いが込み上げるのだった。


 長谷川は吹雪の中を歩き、互いの表情が見える距離まで近づいてきた。


「おお、本当に伸田君だ。君が無事で何よりだよ」


「長谷川隊長……助かりました。


 今度こそ死ぬかと思いました。本当にありがとうございます」


 伸田は心からの感謝を込めて頭を下げた。


「いや、市民を守るのが私の仕事だ。気にしなくていい。


 それより伸田君、君のほかに生存者はいるのか?


 それに、その格好は……?」


 長谷川はヒッチハイカーとの激突で首を痛めたのか、首筋をさすりながら尋ねる。


「この格好は……説明すると長くなります。


 あれから、いろいろありまして……。


 鳳さんも島警部補も、それに静香さんも無事です。


 ただ、安田さんが……」


 そこで伸田は言葉を詰まらせた。


 製材所脇の空き地に意識を失ったまま残してきた安田巡査。


 その安否が、どうしても気がかりだった。


 すると長谷川は、にやりと笑う。


「なあに、安田のことなら心配はいらん。


 あいつは見た目どおり、頑丈でタフな男だからな」


 そう言ってから、伸田の身体に巻き付いた白い繊維へ視線を向けた。


「それより伸田君。


 君を拘束しているその繊維状の物質は、あの怪物が吐き出したものか?」


「そうです。


 僕を逃がさないために、ヤツが蜘蛛の糸で磔にしたんです。


 長谷川さん、そこに落ちている剣を取ってもらえませんか。


 この糸は、その『ヒヒイロカネの剣』でしか切れないんです」


 長谷川は伸田が示した先へ歩み寄り、雪の上に落ちていた銀色の『ヒヒイロカネの剣』を拾い上げる。


 そして、伸田を縛る蜘蛛の糸へ剣を振り下ろそうとした――その瞬間。


ドッカアーンッ!


 天地を揺るがすような爆発音が吹雪の山中に轟いた。


 ヒッチハイカーへ激突したあと、崖へ衝突して炎上していた大型トレーラーが、ついに爆発したのだ。


     ********


「おや……何か爆発したようだね。


 軽油が燃える匂いだ。トラックか何かが吹き飛んだのかしら?」


 そう言って隣を歩く相棒へ振り返ったのは、スーパーモデルのような美貌を持ちながら、その本性は残忍で獰猛な女殺し屋――ライラだった。


 ライラとバリーは、自分たちが乗っていたブラックホークから飛び降りたあと、目標である『ヒッチハイカー』がいると思われる夕霧橋を目指し、吹雪の中を徒歩で進んでいた。


「バリー、ごらん。


 あそこに懐かしい車がいるじゃないか。


 まあ、ずいぶんポンコツになっちまってるけどね。


 どうやらコードネーム『ヒッチハイカー』に、派手にやられたみたいだ」


 ライラが前方を指差す。


 そこには、大破して動きを止めた『ロシナンテ』があった。


「ブ? ブモオオーッ!」


 その姿を見つけた途端、バリーは興奮したように雄叫びを上げる。


「ふふふ……。


 気持ちは分かるよ、バリー。


 あんたにとっては、そのポンコツ車は腹に大穴を開けられた因縁の相手だもんね。


 でも見てごらん。


 どうやら『ヒッチハイカー』にずいぶん痛めつけられたみたいじゃないか」


 以前、ライラとバリーが白虎――千寿理と初めて戦った時のことだ。


 瀕死となった千寿を救うため現れた、風祭聖子が遠隔操縦する『ロシナンテ』が参戦したのだ。


 そのPSキャノンから放たれた三連バーストの三十ミリ徹甲弾は、鋼鉄のような筋肉を誇るバリーの腹を貫き、巨大な風穴を開けた。


 その結果、形勢は一変する。


 獣人化した千寿に敗れたバリーは、文字どおり首から上だけの姿にまで追い込まれたのだった。


 バリーにとって『ロシナンテ』は、忘れようにも忘れられない因縁の相手なのである。


「あんた、あのポンコツ車をぶち壊したいんだろ?


 まあ、いいさ。


 アタシたちのヘリも撃墜されたんだ。


 あの車も、あのカザマツリって女が造ったんなら遠慮はいらない。


 思う存分、ぶっ壊しておいで。


 中に人が乗ってるなら、そのまままとめて始末しちまいな」


 美しい笑みとは裏腹に、ライラは物騒な命令を口にした。


「ブッフッフ……」


 正式に破壊の許可を得たバリーは、水牛のような灰色の顔に、嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。


     ********


『警告! 右前方二時の方向より、正体不明の二名が接近中。


 現在、”ロシナンテ”との距離、約二百メートル』


 突然、『ロシナンテ』に搭載された完全自立思考型AI『ロシーナ』が、澄んだ女性の声で警告を発した。


「何だ?」


 ヒッチハイカーに破壊された車体の屋根へ、防水シートを張る応急処置をしていた島警部補が、ロシーナの示した方向へ目を凝らす。


 だが、吹雪が激しく、十メートル先さえ見通せない。


 補修作業は、車外では島が、防水シートの固定は車内で鳳成治と皆元静香が担当していた。


「二人組だと?


 こんな吹雪の中を、この場所へ近づいて来るとは……敵か、それとも味方か。


 ロシーナ、もっと詳しく分からないか?」


 運転席で防水シートを内側からテープで固定していた鳳が問いかける。


 すると運転席と後部座席の十インチ液晶モニターへ、超望遠カメラで捉えたサーモグラフィー映像が映し出された。


『超望遠カメラによるサーモグラフィー画像です。


 画像解析の結果、一人は身長約百八十センチの女性。


 もう一人は、人間とは思えないほど筋骨が発達した男性。


 頭部の二本の角を含めた全高は、およそ三百センチです』


「さ、三百センチ!?」


 三人の声がほぼ同時に重なった。


 そんな巨人など、この世に存在するはずがない。


「み、見てください!


 あの男、本当に頭に二本の角があります!」


 車内へ戻った島が、サーモグラフィー画像を震える指で示す。


 温度分布を映し出すサーモグラフィーでは、その角が装飾品なのか、生体の一部なのかは一目瞭然だった。


 右の角は体温を示すオレンジ色。


 だが、左の角だけは異様に低温を示す青色をしている。


 まるで、生きた角ではないかのように。


「二人組……。


 男と女……。


 大男には角……。


 ま、まさか……!」


 鳳の表情が凍りつく。


「ライラ……。


 『殺戮のライラ&バリー』か!?」


 普段は冷静沈着な鳳が、これほど取り乱す姿を見たことはなかった。


 島と静香は思わず顔を見合わせる。


 鳳は、この二人を知っているのか。


 彼を狼狽(うろた)えさせるほどに恐ろしい存在なのか。


 静香が問いかけるような視線を島へ向ける。


 しかし島も、小さく首を横に振るだけだった。


 『殺戮のライラ&バリー』――。


 世界中の諜報機関では、その名を知らぬ者はいない。


 だが、日本の地方警察に所属する一警部補に過ぎない島が知るはずもなかった。


「恐ろしい連中が来た……。


 目的は、おそらく我々と同じくヒッチハイカーの確保だ。


 どこの組織の人間かは分からんが、とんでもない化け物コンビを送り込んできやがった……」


 鳳は早口で言い切る。


 その額には、この極寒の吹雪の中にもかかわらず、じっとりと脂汗が浮かんでいた。


『警告! 二人組が走り出しました!


 こちらへ向かって一直線に接近中!


 この速度は、人間が出せるものではありません!』


 AI『ロシーナ』が、悲鳴にも似た甲高い声で警告を発する。


「島警部補! バンパーミサイル発射準備! 照準が合い次第、撃て!」


 鳳が鋭く命じた。


「ええ!? 相手は生身ですよ!」


 島が思わず叫び返す。


「バカ野郎!


 あいつらは正真正銘の化け物だ!


 ヒッチハイカーより数倍恐ろしい!


 いいから撃て!」


「りょ、了解!」


 納得はできなかった。


 それでも島は、真剣そのものの表情を浮かべる鳳の命令に従おうとした。


 ――その時だった。


「もう遅いんじゃない?


 この距離じゃ、ミサイルなんて撃てないでしょ」


 突然、フロントガラスの向こうに一人の女が現れた。


 車内の三人へ向け、悪戯っぽくウインクを送る。


 その容姿は、ひと目で日本人ではないと分かる。


 ラテン系を思わせる彫りの深い美貌。


 ハリウッド映画の主演女優か、パリコレクションのランウェイを歩くトップモデルと見紛うほどの、美しく整った顔立ちと抜群のプロポーション。


 身体のラインを際立たせる黒いレザー調の戦闘スーツを身にまとい、胸元は大胆に開かれている。


 緩やかなウェーブを描く漆黒の長髪を後ろでまとめ、深い緑色の瞳は、見つめる者を吸い込んでしまいそうな妖しい輝きを放っていた。


 男なら誰もが振り返り、息をのむだろう。


 それほどまでに妖艶で、美しい女だった。


 『ロシナンテ』の車内でも、後部座席の島が思わず身を乗り出し、見入ってしまう。


 その様子を見た隣の静香は、呆れたように小さく眉をひそめた。


「お、お前は……ライラっ!」


 運転席の鳳が、驚愕の声を上げる。


 それを聞いた島と静香は、目の前の絶世の美女こそが、鳳の口にしていた『殺戮のライラ&バリー』の片割れだと知り、思わず息をのんだ。


 ――こんなにも美しい女性が、その名で恐れられる殺し屋だというのか。


「あら、アタシを知ってるなんて誰かと思えば……。


 これはこれは、内調《ないちょう》・特務零課の課長、鳳成治さんじゃない」


 ライラは妖艶な笑みをさらに深め、嬉しそうに口元をゆるめた。


「ライラ!


 お前たちの目的はヒッチハイカーの確保か?


 それと、相棒のバリーはどこだ?」


 鳳は問いかけながらも、ライラの深い緑色の瞳から目を離せない。


 まるで、その妖しい視線に心まで絡め取られてしまったかのようだった。


(まさか……。


 陰陽師の俺が、ライラの視線だけで……!?)


 鳳は胸の内で必死に己を奮い立たせる。


「ふふふ……。


 頭の回転が速くて話の分かる男、嫌いじゃないわ。


 そうよ。


 アタシたちの任務は、コードネーム『ヒッチハイカー』の身柄を確保すること。


 それが無理なら、せめて遺体だけでも回収すること。


 それから、お探しのバリーなら――」


 ライラは真紅のルージュを塗った唇を後方へ向ける。


「ほら。


 アンタたちの後ろにいるじゃない」


 ライラがそう言った直後。


「ブモオオオーッ!!」


 牛の咆哮にも似た声が吹雪の中へ響き渡る。


 同時に、『ロシナンテ』の車体へ衝撃が走った。


「うわっ!?」


「きゃああっ!」


 車体が大きく揺れ、後輪が二輪とも地面から浮き上がる。


 車内は一気に傾き、島と静香は滑り落ちそうになりながら必死で座席へしがみついた。


 乗車した三人を合わせれば三トン近い重量になる『ロシナンテ』の後部が、まるで玩具のように持ち上げられていく。


 こんな芸当ができるのは、クレーン車ほどの重機くらいしか考えられない。


 そう思いながら振り返った島と静香は、言葉を失った。


「いやああああっ!!」


 静香は両手で頬を押さえ、恐怖の悲鳴を上げる。


「う、牛の……化け物!?」


 昨夜から数々の怪異を目撃し、多少のことでは驚かなくなっていた島でさえ、自分の目を疑った。


 ラゲッジスペースの向こう。


 後部ドアの窓いっぱいに映っていたのは――。


 濃い灰色の巨大な水牛の頭部だった。


「ブモオオオオーッ!!」


 牛頭人身の怪物。


 ミノタウロス――バリーである。




【次回に続く……】

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