第28話「どうしても南へ行きたいんだ…㉖『空の女同士の激突!! 聖子vsライラ! 陸では女を巡る男達の戦闘!! ヒッチハイカーvsウインドライダー!』」
「バリー……アタシ達、本来の仕事に戻ろうか。
それよりあんた、いいかげんその格好はやめな。右腕の荷電粒子砲は、一発撃っただけでもうオシャカだよ」
ブラックホーク後部乗員室。開いたドアの前で、荷電粒子砲を撃った姿勢のまま微動だにしないバリーの肩へ、ライラは諭すように右手を置き、軽く叩いた。
「ブウゥモオォ……」
ため息にも似た唸り声を漏らした瞬間、呪縛が解けたように全身から力が抜ける。
膝立ちの姿勢を保っていた巨体は崩れ、そのまま床へドサリと尻もちをついた。
ライラに言われて初めて異変に気付いたバリーは、自分の右腕を見下ろして目を見開く。
荷電粒子ビームを放った右腕に接続されていた特殊チタン合金製の砲身が、半分以上も溶け落ちていたのだ。
発射時の凄まじい反動こそ、怪物バリーの強靭な肉体が受け止めた。しかし、あまりにも強大な威力と熱量に、砲身そのものが耐えられなかったのである。
「荷電粒子ビームの威力じゃ、特殊チタン合金でも耐え切れないか……。
となると、砲身は『オレイカルコス(オリハルコン)』で作るしかないね。もっとも、その製造技術は今じゃ失われてるけどさ。
どれだけ威力があっても、一発使い切りじゃコストが掛かりすぎる。そんなガラクタ、とっとと捨てちまいな」
命じられたバリーは、半ば溶け落ちた砲身を右腕から外した。
さらに、背中のバックパックへつながるケーブルや蛇腹状のホースを力任せに引き千切ると、砲身の残骸を開いたドアからポイッと放り捨てる。
さすがにバックパックまでは捨てなかったが、再利用する気遣いとは裏腹に、背中から乱暴に外すと、そのまま床へ放り投げた。
ドガッ! バキッ!
約五十キロもあるバックパックが鈍い音を響かせ、後部乗員室の床を破損させる。バックパック自体も、あちこちが大きく凹んでしまった。
「バカ野郎! 乱暴に扱うんじゃないよ!
あんたのクソ馬鹿力で放り投げたら、ヘリもバックパックも両方壊れちまうだろ!」
「ブモウゥ……」
怪力無双、不死身の怪物バリー。
そんな彼が唯一頭の上がらない相手――それが、相棒であり双子の妹でもあるライラだった。
怒鳴られたバリーは、三メートル近い灰色の巨体を小さくするように肩をすくめる。
二本角の生えた巨大な頭をしょんぼりとうなだれ、申し訳なさそうな唸り声を漏らした。
********
「よくもやりやがったなぁ! 俺の腹に風穴を開けた挙げ句、とどめとばかりにミサイルまでブッ放しやがって!
間一髪で逃げたから助かったものの、さすがの俺でも今のは危なかったぜ。
このクソ忌々しいボロ車め! 溶解液で溶けねぇなら、俺の怪力でブチ壊してやる!
ぐひゃひゃひゃっ!」
メキメキメキッ! ギシギシッ!
バンパーミサイルの爆発を間一髪で逃れたヒッチハイカーは、『ロシナンテ』の屋根へ取り付くと、車内から突き出した助手席砲《PS砲》(Passenger seat cannon)の砲塔を、凄まじい怪力でもぎ取ろうとし始めた。
********
「くそおっ! 落ちろ、この化け物!」
ギャギャギャギャーッ! ギギーッ! ブオオオーッ!
運転席の鳳 成治は『ロシナンテ』を急発進させた。
激しい加速と急停止。前進と後退を繰り返し、さらに左右へ激しく蛇行する。
屋根に取り付いたヒッチハイカーを振り落とそうと、考え得る限りの荒々しい運転を続ける。
「キャーッ!」
「うわわあーっ!」
後部座席では、皆元 静香が運転席のシートへ必死にしがみつき、甲高い悲鳴を上げていた。
隣に座るSITの島警部補も、職業柄荒い運転には慣れているはずだった。しかし、鳳の常軌を逸した運転には耐え切れず、静香と一緒になって悲鳴を上げる。
『PS砲のダメージ重大! このままではヒッチハイカーに引き千切られます!』
車載AI『ロシーナ』が、悲鳴にも似た甲高い声で警告した。
バキバキバキッ! メキメキメキッ!
屋根の上から加えられる容赦ない怪力に、PS砲の基部が悲鳴を上げる。
今にも引き千切れそうな軋み音が車内へ響き渡り、ついには特殊チタン合金製の『ロシナンテ』自慢の堅牢な屋根にも亀裂が走り始めた。
ギシギシッ! バキバキ!
「ひいいっ! キャアアーッ!」
自分たちの頭上にある天井が軋みながら、ベコン、ベコンと何度も上下にたわむ。
その恐怖に耐え切れず、静香の悲鳴は止まらなかった。
メキメキメキーッ! ギギギギーッ!
嫌な音が頭上に響き渡る。
ついに特殊チタン合金製の装甲屋根が外側へめくれ上がり、内張りの布まで裂け始めた。
広がる裂け目から吹雪が一気に車内へ吹き込む。
「うわああっ!」
静香をかばうように身を覆っていた島が、顔を上げて叫んだ。
屋根の裂け目から灰色の手が車内へ差し込まれたかと思うと、そのまま屋根板を力任せに自分の方へめくり上げ始めた。
「皆元さん! ここは危ない! 外に出よう!」
「バカ野郎! 駄目だ! それこそヤツの思うつぼだぞ!」
パニックに陥り、『ロシナンテ』の後部ドアを開けようとした島を、鳳が鋭く叱咤した。
「しかし、鳳さん! このままでは全員やられます! せめて皆元さんだけでも!」
「バカ野郎! ヤツの一番の狙いは彼女の捕獲なんだぞ!」
年上の島に対しても、鳳は容赦なく怒鳴りつける。
しかし、その言葉は核心を突いていた。
今まさにドアを開けようとしていた島の手が止まる。
「うう……申し訳ありません。自分が間違っていました。でも、鳳さん……このままでは我々全員が……!」
ギギギギギーッ! メリメリッ!
車外のヒッチハイカーは、車内の混乱など意にも介さない。
『ロシナンテ』の屋根に開いた穴を、怪力に任せてさらに押し広げていく。
裂け目が広がるたび、吹雪とともに外の冷気が暖かかった車内へ容赦なく流れ込んできた。
バキッ! メキメキ! ブチブチブチーッ!
激しい破壊音が響く。
ついにヒッチハイカーは、PS砲そのものである助手席シートを支えていた金属製油圧ダンパーのフレームごと引きちぎった。
砲弾補給用の弾帯や電源ケーブルも、残った屋根板ごと一気に引き裂かれる。
これで30ミリPSキャノンとPSGランチャーという強力な武装は完全に失われた。
さらに、破られた屋根の大穴から『ロシナンテ』の車内は外へ完全にさらされてしまう。
「ぐへへへぇ~! シズちゃん、見つけたぁ!」
「きゃあああーっ!」
島の膝へ身を伏せ、両手で頭を抱えて震えていた静香は、自分の名を呼ばれた瞬間、おぞましい恐怖に絶叫した。
「これでも食らえ、化け物っ!」
ドゴーンッ! ドゴーンッ!
島の叫びに続き、二発の銃声が車内へ轟く。
島が両手で構えて放ったのは、『ソードオフ・ショットガン』――銃身と銃床を短く切り詰めた散弾銃だった。
銃身が短いため、このような狭い車内でも容易に扱える。
ほぼゼロ距離で浴びせられた二発の散弾。
その破壊力は凄まじく、いくら怪物といえど致命傷に近い傷を負わせたはずだった。
少なくとも、撃った島自身は確かな手応えを感じていた。
びゅうううーッ!
屋根の穴から覗いていたヒッチハイカーの顔は消え、そこには吹雪の舞う夜明け前の寒空だけが広がっていた。
銃声の残響が消えた車内に響くのは、吹き込む吹雪の音だけ。
誰もが息を潜め、耳を澄ませながら外の気配をうかがっていた。
「やったか……?」
島がごくりと唾を飲み込み、誰にともなくつぶやく。
しかし、SITのベテラン隊員であり射撃のエキスパートでもある彼は、長年の習性を忘れなかった。
二連式ソードオフ・ショットガンを手早く折り、ポケットから取り出したバックショット弾を二発装填する。
その膝では、静香が身体を強張らせたままうずくまり、震えていた。
恐怖のあまり、まだ顔を上げることさえできない。
「…………」
鳳は無言のまま、屋根に開いた穴から外の様子をうかがっていた。
吹雪の音と、『ロシナンテ』のエンジン音だけが流れていく。
「鳳さん……やはりヤツをやったんじゃ――」
島が声を掛けた、その瞬間だった。
「んな訳……ねえだろ! バーカ!」
怒鳴り声とともに、ヒッチハイカーの顔が再び穴の向こうへ現れた。
だが、その姿は先ほどまでとはまるで違っていた。
怪物化する前には端正な顔立ちだった左顔面は、散弾によって無残に吹き飛ばされている。
左頬の肉はズタズタに裂け、左耳は完全に消失していた。
「てめぇ……よくも、俺の美しい顔を……」
失われた左耳から鼻先までの顔半分は、上顎も下顎も、歯茎までもがむき出しになっていた。
しゃべるたびに左の顎関節を支点として、剥き出しの顎がパクパクと不気味に動く。
悪夢かホラー映画に現れる怪物――。
しかし、それは紛れもなく現実世界に存在する生き物だった。
さらに、おぞましいことが起こる。
修復能力が低下していたはずの傷口を、血と混ざってピンク色に変色した泡が、ぐじゃぐじゃと音を立てるように覆い始めていた。
運転席から見上げていた鳳は、その異変を見逃さなかった。
「まずいぞ! よく分からんが、ヤツの低下していた再生能力が、怒りで活発化しているようだ!
二人とも、しっかりつかまってろ!」
叫ぶと同時に、鳳はアクセルを床まで踏み抜く。
ギャリギャリギャリギャリーッ! ブオオオオーッ!
『ロシナンテ』は急発進した。
特殊スタッドレスタイヤが蒸気を上げながら凍結した路面を激しく削り取り、エンジンは咆哮のような轟音を響かせる。
「キャーッ!」
「うわっ!」
静香と島は悲鳴を上げながらも、鳳の言葉どおり座席へ必死につかまった。
「クソッ!」
今にも屋根の大穴から静香へ手を伸ばそうとしていたヒッチハイカーは毒づくと、急発進した『ロシナンテ』から一度距離を取るため、四枚翅を激しく羽ばたかせて吹雪の空へ舞い上がった。
「クソ忌々しいボロ車め!
走れないように、そのタイヤを俺の溶解液で溶かしてやる!
食らえ!」
ヒッチハイカーは遠ざかる『ロシナンテ』の後輪を狙い、下半身から伸びる細長い尾部を大きく湾曲させる。
そして、尻尾の先端から猛毒の溶解液を、まるでマシンガンの斉射のように連続して撃ち放った。
ドドドドドドドドドッ!
ジュジュジュジュジューッ!
溶解液を浴びた路面は、凍結した表面ごとアスファルトが手前から順に溶けていく。
そして、ついに『ロシナンテ』左後輪の特殊スタッドレスタイヤへ溶解液が届こうとした、その瞬間――
「疑似結界シールド展開!」
誰かの叫び声とともに、『ロシナンテ』後方、路面すれすれに緑色のオーロラのような光の壁が突如出現した。
ヒッチハイカーの溶解液はことごとく弾き返される。
いや、弾かれたというより、その壁より向こうへ到達すること自体ができないのだ。
まるで緑色の壁が、『ロシナンテ』を攻撃から守っているかのようだった。
ジュジュッ!
突然現れたその光の壁は、一メートル四方ほどしかない小さなものだった。
しかし、その姿は『黒鉄の翼』から放射される超音波と、地上の発生器から放射される電磁波が共鳴して生み出す『疑似結界』のドームと、まったく同じものだった。
「げっ! あ、あれは!」
ヒッチハイカーは思わず空を見上げる。
そこには、今なお自分を閉じ込めるエメラルド色の『疑似結界』が展開されていた。
再び『ロシナンテ』の後方へ目を向ける。
しかし、ほんの一瞬だけ溶解液を防いだ緑色の壁は、すでに跡形もなく消え去っていた。
「どこを見てる? お前の相手は、この僕だ!」
その声に振り返ったヒッチハイカーは目を見張る。
吹雪の空中で、自分と同じように停止飛行している人影があった。
ヘルメットと大型ゴーグルを身につけ、首に巻いたマフラーで口元を覆っているため、顔は判別できない。
分かるのは、男であるということだけだった。
「な……何だ、お前は?」
戸惑うヒッチハイカーへ、男は空中でホバリングしたまま静かに答えた。
「僕か?
僕は『風に乗る者』――
風に乗り、魔界の存在を撃退する者だ」
********
『ミズ聖子!
当機右後方四時方向で白虎と対峙中だった『ブラックホーク』から、高出力エネルギービームの発射を検知!
大気中に発生した大量のオゾンおよび二次放射線量から、発射された兵器は荷電粒子砲と推測されます!』
『夕霧谷』上空で停止飛行を続け、『疑似結界』を展開中の『黒鉄の翼』。
その完全自立思考型AI『スペードエース』が、カブキ町の『千寿探偵事務所』にいる風祭聖子へ、慌てた女性の声で報告した。
「か、荷電粒子砲ですって!? この日本で!?
誰がそんな恐ろしい兵器を……。
スペードエース! し、所長は無事なの!?」
荷電粒子砲という言葉を聞いた瞬間、聖子の血の気が引いた。
その兵器が誰へ向けて撃たれたのかを想像しただけで、パニックになりそうだった。
『先ほどまで飛行妖怪”野衾”が飛行していた空域に、生体反応なし。
マスターの消息――不明。
荷電粒子ビームは、その軌跡と距離から判断して、マスターの乗った”野衾”へ向けて発射されたものと推測されます。
発射元は、現在当機右後方四時方向を飛行中の正体不明ヘリ”ブラックホーク”で間違いありません』
スペードエースは、悲しげな女性の声で報告を続けた。
「スペードエース!
どこの国の衛星でもいい!
現在『夕霧谷』上空を監視可能な位置にある監視偵察衛星をハッキングして、この数分間に撮影された『夕霧橋』周辺の映像を『マザー』へ転送、解析させなさい!
急いで!」
聖子は悲鳴にも似た甲高い声で命じた。
********
『マザー』――。
それは『千寿探偵事務所』のあるビル内に設置された、風祭聖子自らが設計・製作したスーパーコンピューターだった。
国際的には『|The Witch of the Cyber World《電脳世界の魔女》』の異名を持ち、天才科学者としても知られる彼女が生み出した最高傑作である。
大型冷蔵庫二台分ほどの大きさしかないにもかかわらず、その性能は国家が保有する量子コンピューターにも匹敵していた。
『マザー』は、世界各国のスーパーコンピューターへ侵入し、複雑かつ厳重なセキュリティを突破してリンクする能力を持つ。
国家機密レベルの情報でさえ閲覧・ダウンロードが可能であり、聖子の卓越したハッキング技術と組み合わされば、アメリカ国防総省のスーパーコンピューターすら攻略対象に過ぎなかった。
いや、「可能だった」という表現は正確ではない。
彼女は実際に、それをやってのけている。
米軍が極秘に進める生物兵器『BERS(Bio-enhanced Remodeled Soldier)計画』――日本語でいう『生体強化型改造兵士計画』の機密情報を、ペンタゴンから盗み出したのだ。
この計画は、米軍内部でも将官級以上しか閲覧を許されないトップシークレットだった。
それでも聖子は、新宿カブキ町で流通・蔓延する人類史上最凶のドラッグ『strongest』へとつながる情報を得るため、所長・千寿理の命令を待つことなく、独断でハッキングを敢行した。
しかも、ペンタゴンに一切の痕跡を残すことなく。
それこそが、世界中の情報社会で彼女を『電脳世界の魔女』と呼ばせる所以だった。
********
『創造主・聖子。
現在、”夕霧谷”上空に滞在中の国籍不明偵察監視衛星”イーヴィルアイ(evil eye)”への接触、システム侵入および制御権の奪取に成功しました。
ミズ聖子の命令に該当する動画を入手しましたので、”マザー”へアップロードします』
『スペードエース』から、『千寿探偵事務所』にいる聖子へ任務成功の通信が入る。
直後、映像データが転送された。
「マザー! すぐに解析!
白虎が乗った妖怪『野衾』へ荷電粒子ビームが発射された瞬間からの映像を抽出して、モニターへ表示して!
急いで!」
『了解。』
命令から一分も経たないうちに、聖子の目の前の液晶モニターへ該当映像が表示された。
「これね……。
確かにオレンジ色の荷電粒子ビームは、『ブラックホーク』後部乗員室の開いた左側ドアから発射されてる。
……はっ! あれは!?
マザー! 右腕の砲身を構えているヤツをズームアップして!」
マザーは映像を停止させ、指定された箇所を拡大。
画像を鮮明化し、モニターへ映し出す。
「あっ! あれは……バリー!
ミノタウロスのバリー!
あの『殺戮のライラ&バリー』のバリーが、何でこんな所に!?
……いえ、今はそんなことより!
マザー! 動画の再生を続けて!
『ブラックホーク』左舷五十メートル付近にいた『野衾』へビームが命中する寸前を、コマ送りで!」
映像を見つめた聖子は、思わず息をのんだ。
「『野衾』が消えた……。
白虎が……千寿所長が、荷電粒子ビームの発射と同時に、口にくわえた魔槍『妖滅丸』へ『野衾』を呼び戻したんだわ。
だから白虎は地上へ落下した。
つまり――
千寿所長は、間一髪で荷電粒子ビームをかわしたのよ!
よっしゃあーっ!」
聖子は歓声を上げて立ち上がると、その場で少女のようにぴょんぴょん飛び跳ねた。
「不死身の所長なら、たかだか二百メートルの落下くらいで死ぬはずがないわ!
なにしろ今夜は満月なんだから!
よぉし!
所長の仕返しは、私がやる!
『黒鉄の翼』搭載の超電磁加速砲で、『ブラックホーク』をクソッたれのバリーごと――
……いいえ、きっとライラも乗っているはず。
『殺戮のライラ&バリー』ごと、一気に撃墜してやるわ!」
********
「ウインドライダーだと? な、何だ、そりゃあ?」
島のショットガンで吹き飛ばされた左顔面を、怒りによって活性化した驚異的な自己再生能力で修復しながら、ヒッチハイカーが数メートル先の空中に浮かぶ男へ叫んだ。
「『風に乗る者』だ。
お前のような魔界に堕ちた極悪人を倒すため、この場へやって来た。
お前のこれ以上の悪行は、僕が許さない!」
「けっ! 死にやがれ!」
問答無用と言わんばかりに、ヒッチハイカーは尾部の先端から猛毒の溶解液をマシンガンのように連射した。
ドドドドドドドドドッ!
「疑似結界障壁!」
ウインドライダーが叫ぶ。
その瞬間、彼の前方約一メートルに緑色のオーロラのような光の壁が出現した。
ジュジュジュジュジュッ!
『疑似結界障壁』は襲い来る溶解液をすべて受け止め、ことごとく弾き返す。
飛び散った溶解液は凍りついた国道へ無数の穴を穿っていった。
「くっそう! やっぱり、さっきのもテメエがやったのか!」
目の前の光景にヒッチハイカーは悔しげに叫ぶ。
「ああ、その通り。
この『疑似結界障壁』は、魔界の存在を通さない。
お前自身も、お前の放った溶解液もな」
ヘルメットとゴーグルで素顔を隠したウインドライダーは、冷静に言い放った。
彼が展開した『疑似結界障壁』は、背負った飛行ユニットに内蔵された発生装置によって生み出されている。
六基のプロペラと補助ウイングを備えたバックパックから放射される特殊な超音波と電磁波をシンクロさせることで形成されるもので、その原理は現在『夕霧谷』上空を覆う『疑似結界』とまったく同じだった。
いわば、小型・廉価版の『疑似結界』である。
この飛行ユニットは、本来、風祭聖子が空を飛べない千寿理のために開発した対魔族用飛行武装だった。
ヘルメット内部には『脳波誘導システム』を搭載。
装着者の思考を瞬時に読み取って作動するため、操作のタイムラグも、スイッチの押し間違いも存在しない。
つまり、ウインドライダーとなった伸田伸也は、思考するだけで飛行も防御も自在に操ることができるのだった。
ただし、このウインドライダーを守る『疑似結界障壁』にも弱点があった。
障壁の大きさは約一メートル四方が限界。
さらに展開できる時間も、ごくわずかしかない。
特殊な超音波と電磁波を同時に発生させるためには莫大な電力を必要とし、飛行ユニット内のバッテリーを急速に消耗してしまうからだ。
『ウインドライダー・システム』は、搭載されたバッテリーパックで六基のプロペラを駆動して飛行する。
そのため、大電力を消費する『疑似結界障壁』を多用すればするほど、飛行可能時間は短くなってしまう。
つまり、伸田がウインドライダーとして戦える時間には限りがある。
しかも、『疑似結界障壁』に頼る防御主体の戦い方では、戦闘時間はさらに短くなる。
それは、自分で自分の首を少しずつ絞めるようなものだった。
だが、戦場は常に非情である。
机上の理論どおりに戦えるとは限らない。
勝利するためには、運さえ味方につける必要があった。
「ヒッチハイカー! 今度はこちらから行くぞ!」
伸田は、自分の弱点を理解していた。
『黒鉄の翼』の中で、風祭聖子から戦闘方法について一通りのレクチャーを受けていたからだ。
ヒュンッ!
ホバリング状態だったウインドライダーが、一気に攻勢へ転じる。
『脳波誘導システム』で六基のプロペラを自在に制御し、大きく弧を描きながらヒッチハイカーの背後へ回り込もうと高速移動した。
しかし、ヒッチハイカーも黙ってはいない。
四枚の翅を激しく羽ばたかせ、巧みに向きを変えながら、決して背後を取らせようとはしなかった。
互いに相手の背後を狙いながら、鋭くにらみ合う。
不用意に背中を見せれば、それだけで致命傷につながる。
二人とも、それをよく分かっていた。
「ウインドライダー! 顔を隠していても、お前がノビタだってことくらい分かってるぜ!
人間を超えた進化で、俺の嗅覚はイヌ並みに利くんだ!
性懲りもなく、自分から殺されに戻ってきやがって!
待ってろよ! シズちゃんの目の前で、お前をグジュグジュに溶かして、バラバラの肉片にしてやるからな!」
ヒッチハイカーは怒鳴りながら、何度も溶解液を撃ち放つ。
だが、ウインドライダーは蜂のような軽快な動きで、その攻撃を紙一重でかわしていく。
それでもヒッチハイカーは、トンボを思わせる鋭い飛翔で執拗に追撃し、マシンガンのような連射を浴びせ続けた。
ときおり避け損ねた溶解液の飛沫が、ウインドライダーの背負う飛行ユニットの六基のプロペラや二枚の補助翼へ降りかかる。
「うっ!」
「へっ! やったか?」
――だが。
驚くべきことに、鋼鉄すら容易に溶かすヒッチハイカーの溶解液を浴びても、飛行ユニットのプロペラも補助翼も無傷だった。
もちろん、この攻撃を想定して設計されたわけではない。
しかし、『ウインドライダー・システム』は飛行ユニットとして最も重要な軽量性を確保するため、軽く、しかも頑丈な『特殊チタン合金』で製作されていた。
この合金は、『ロシナンテ』の車体にも使われている風祭聖子開発の特殊素材である。
軽量かつ高強度なだけでなく、酸などによる腐食にも驚異的な耐性を備えていた。
「くそ! 溶けねぇってんなら、これでも食らいやがれ!」
ビュンッ!
ヒッチハイカーは左腕の先端を鎌状へ硬質化させた触手を数メートルも伸ばし、高速回転させる。
そして、それを鎖鎌のようにウインドライダーへ投げ放った。
「くっ!」
カキーンッ!
「何ぃっ!?」
硬質化した刃は弾き返され、そのままヒッチハイカーの元へ戻ってきた。
鋼鉄すら容易に切断するはずの自分の刃が、防がれた。
いったい、何が起きたのか――。
「忘れたのか?
僕には、この『ヒヒイロカネの剣』があるってことを!」
ウインドライダーの右手には、銀色の輝きを放つ『安倍神社』に代々伝わる宝剣が握られていた。
********
この宝剣に使われている『日緋色金』は、日本太古に栄えたとされる文明が生み出した伝説の超金属だった。
驚異的な剛性と柔軟性を併せ持ち、現代科学をもってしても再現不可能な超硬度を誇る。
しかし、その文明の滅亡とともに生成技術は失われ、『ヒヒイロカネ』は二度と作り出せない幻の金属となってしまった。
その点は、一万年以上前に滅んだとされるアトランティス帝国で生み出された伝説の超金属『オレイカルコス(オリハルコン)』とよく似ている。
もし『ヒヒイロカネ』の製造技術が現代まで受け継がれていたなら、日本は世界を圧倒する技術的優位を手にしていた――そう語る研究者もいる。
だが、現存するのは太古に作られた遺物だけだった。
ウインドライダーが握る『ヒヒイロカネの剣』も、その貴重な遺物の一振りである。
伝説の陰陽師にして陰陽道の始祖、『安倍晴明』を千年以上祀り続ける『安倍神社』。
この剣は本来、その祭祀に用いられる宝剣だった。
鳳成治は、自らの実父であり『安倍神社』現当主の安倍賢生から、その宝剣を借り受けてきたのである。
********
「くっそう……。
取るに足らなかった人間風情が、生意気にも厄介な存在になりやがって……。
だがな、ウインドライダー。
この勝負――どうやら俺の勝ちだ。
見ろ!」
ぐじゅるるるーっ!
ウインドライダーを攻撃していたヒッチハイカーの左腕の触手に亀裂が走る。
次の瞬間、触手は二本に分裂した。
そのうち太い一本の先端はさらに四本へ枝分かれし、そのまま真下へ向かって音もなく伸びていく。
「うっ!」
ウインドライダーは、その先を見て息をのんだ。
いつの間にかヒッチハイカーは、『ロシナンテ』の数メートル上空でホバリングしていたのだ。
「しまった!」
気づいたときには、もう遅かった。
メキメキメキッ! バキバキバキーッ!
四本に分かれた触手が、『ロシナンテ』の屋根に開いた大穴へ食い込む。
そして本体へ向け、凄まじい怪力で車体を引き上げ始めた。
二トンを超える『ロシナンテ』が、凍てついた路面からゆっくりと浮かび上がる。
一方、二本に分かれたもう一本の細い触手は、その先端を再び硬質化させ、人間の右腕に握られた山刀のような鋭い刃へと姿を変えた。
ギシッ! ギシギシッ! メリメリメリーッ!
吊り上げられた車体を支える屋根の支柱が、限界を迎えて悲鳴を上げる。
「どこまでも頑丈なポンコツ車だが……。
ようやく悲鳴を上げ始めやがったな。
――これで、どうだ!」
ビュンッ!
キンッ! キンッ! キンッ!
鋭い刃と化した触手が水平に薙ぎ払われる。
その一撃で、『ロシナンテ』の屋根を支える特殊チタン合金製の支柱は、すべて一瞬にして断ち切られた。
ズシーンッ!
数十センチ吊り上げられていた『ロシナンテ』が、三人の乗員を乗せたまま凍結した路面へ激しく落下した。
「きゃああーっ!」
「うわあっ!」
「うっ!」
車内の皆元静香、島警部補、鳳成治の三人は、落下の衝撃に思わず声を上げた。
「へっへー! 中が丸見えだ!
シズちゃん、いただきー!」
ビュルルルルーッ!
刃と化していた触手は元の軟体へ戻り、二本に分かれていた触手も再び一本へ融合する。
そのまま剥き出しとなった『ロシナンテ』の車内へ一気に伸びると、震える静香の身体へ絡みついた。
「きゃあああーっ!
やめてっ! 放して!」
触手は静香を捕らえ、その身体を一瞬で上空へ引き寄せる。
「くそおっ!
皆元さんを放せ、化け物!」
隣にいた島警部補は、一瞬呆然とした。
だが、すぐに我に返る。
握ったままの装填済みソードオフ・ショットガンを構え、立ち上がった。
もう屋根はない。
狙撃を妨げるものは何もなかった。
島は射撃のスペシャリストとしての本能で、瞬時にヒッチハイカーへ照準を合わせ、引き金へ指をかける。
――だが、撃てない。
散弾の何発かは、確実に静香にも命中してしまう。
装填されているのは九粒の弾丸が入ったスラッグショット弾。
しかも、さきほどの至近距離とは違う。
上空まで距離があり、吹雪の影響も受ける。
武器を知り尽くした島だからこそ、この状況ではソードオフ・ショットガンでは勝負にならないことを理解していた。
それでも彼は、銃口を下ろさなかった。
「ヒッチハイカー!
皆元さんを放せ!
撃つぞ!」
「へっ! 撃ってみろよ。
俺は死なねぇが、シズちゃんは死んじまうぜぇ……」
ヒッチハイカーは不敵な笑みを浮かべる。
ショットガンで吹き飛ばされていた左顔面は、すでに跡形もなく修復され、美しく彫りの深い顔立ちを取り戻していた。
【次回に続く……】




