第27話「どうしても南へ行きたいんだ…㉕『空と陸の激突!! 白虎vsライラ&バリー! ヒッチハイカーvsフル装甲ロシナンテ!』」
向こう側は、はっきりと見えている。
それなのに、ヒッチハイカーは何度試しても『疑似結界』の壁を通り抜けられなかった。
「くそっ! 何なんだ、この緑色のオーロラみてぇな壁は……!」
拳を叩きつけても壊れない。
身体ごと突っ込んでも弾き返される。
見えない牢獄に閉じ込められた事実が、ヒッチハイカーの神経を逆撫でしていた。
「……あいつらか。あいつらが作りやがったんだな!」
忌々しげに吐き捨てると、彼は眼下へ視線を向けた。
そこには、『ロシナンテ』が停車している。
「だったらシズちゃんを取り戻して、あのクソ車をブチ壊せば、この壁も消えるんじゃねぇのか?」
口元が大きく吊り上がる。
「どっちにしろ、あの車は気に入らねぇ。
シズちゃん以外は皆殺しだ。
クソ車もスクラップにしてやる!」
怒りの矛先を『ロシナンテ』へ定めると、ヒッチハイカーは四枚の翅を震わせ、一気に地上へ向けて降下を開始した。
********
「……やっぱりな」
白虎は不敵に笑った。
眼下では、エメラルドグリーンに輝く巨大なドームが夕霧谷を包み込んでいる。
その真上には、先ほど追い抜いていった『黒鉄の翼』が静止していた。
「聖子君の『疑似結界』か。以前、実験台にされた時とまったく同じだ」
白虎は鼻で笑う。
「俺や『野衾』みたいな『人外』は通れねぇ。
便利な代物だが、これじゃヒッチハイカーをぶん殴りにも行けねぇな」
野衾の背で肩をすくめる。
その様子に、野衾も困ったような鳴き声を漏らした。
「ぎぃ……」
「おっと……?」
白虎の鋭い瞳が、吹雪の向こうを捉えた。
「何だ、あのヘリは」
ステルス迷彩を施した一機のヘリが、『疑似結界』の反対側からゆっくりと接近してくる。
「鳳の配下の連中か?」
白虎は首を横に振った。
「……いや、違うな」
全身の毛が逆立つ。
長年、修羅場を潜り抜けてきた獣の勘が警鐘を鳴らしていた。
「どうにも胡散臭ぇ。
嫌な匂いがプンプンしやがる。」
白虎は野衾の首筋を軽く叩いた。
「野衾。結界を迂回して、あのヘリへ近づくぞ」
「ぎゃああっ!」
野衾は大きく翼膜を広げると、『疑似結界』の外周を回るように飛び始めた。
しかし、不思議なことに、正体不明のヘリもまた結界の手前で停止していた。
まるで、こちらと同じように先へ進めないと言わんばかりに。
「……なるほどな」
白虎が目を細める。
「普通の人間しか乗ってねぇなら、そのまま結界を通れるはずだ」
だが、ヘリは入らない。
――いや、入れない。
「ってことは……」
白虎は牙を覗かせ、不敵に笑った。
「あの中にも『人外』が乗ってるってことだ」
胸の奥で、高揚感が膨らんでいく。
「野衾、油断するなよ。
どうやら、ますます面白くなってきたぜ」
********
「ミズ・ライラ! ミスター・バリー! お二人とも、どうされました!?」
特殊作戦仕様ヘリ『UH-60 ブラックホーク』の機内。
緑色の巨大なドームを目前にしてライラから突然停止を命じられた副操縦士は、後部乗員室を振り返った。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫なものか……!」
返ってきた声は苦しげだった。
「あ、あの緑色のドーム……。お前たちは近づいても何ともないのか……?」
黒いレザースーツに身を包んだ美女ライラは、座席の肘掛けを強く握り締め、美しい額を押さえていた。
その端正な顔は血の気を失い、額には脂汗が滲んでいる。
「ブ……ブモゥ……」
ライラの後ろでは、三人分の座席を占領する巨漢バリーまでもが苦しげに身体を丸めていた。
「自分たちは何ともありませんが……」
副操縦士は困惑した表情で操縦士を見る。
「お前は?」
「異常ありません!」
操縦士も即答した。
人間である彼らには、何の異変も起きていない。
ライラは苦しそうに息を吐いた。
「そうか……」
そして、隣の巨漢へ目を向ける。
「バリー。あんたも同じみたいだね」
「ブモゥ……」
「なら原因は、あの緑色のドームだ」
ライラの鋭い瞳が、窓の外で淡く輝く『疑似結界』を射抜く。
「あれは人間には作用しない……。
だが、人外だけを拒絶する結界らしい」
そう結論づけると、操縦席へ鋭く命じた。
「機体を後退させな! あのドームから離れるんだ!」
「ラジャー!」
ブラックホークが右旋回を開始した、その時だった。
「うわっ!?」
副操縦士が悲鳴を上げる。
「あ、あれは何だ!?」
吹雪の中。
前方の空に、何かが浮かんでいた。
「なっ……!」
操縦士も息を呑む。
「何だ、あの飛行物体は!? 生き物か?」
「騒々しいぞ!」
結界から離れ、ようやく顔色を取り戻したライラが苛立った声を飛ばす。
「ミ、ミズ・ライラ!」
副操縦士は震える指を前方へ向けた。
「当機前方に……未確認飛行物体を確認!」
「何を馬鹿なことを──」
ライラは背後から手を回し、副操縦士の胸ぐらを右手一本で掴み上げた。
「貴様……」
見た目のスラリと細い腕からは想像もできない怪力で男を引き寄せる。
「ふざけた報告を──」
だが。
男が指差す先を見た瞬間。
ライラの言葉は止まった。
「……何だ、あれは?」
吹雪の中を滑空する、巨大な飛行妖怪。
まるで空飛ぶ絨毯のような異形。
「あれは日本の妖怪……?」
さらに、その背に乗る白い影を見た瞬間──。
ライラの表情が一変した。
「……ッ!!」
美しい顔が怒りに歪む。
「バリーッ!」
甲高い叫びが機内へ響いた。
「来い! あ、あいつだ!」
震えるほどの憎悪を込めて叫ぶ。
「白虎だぁぁっ!!」
「ブ……?」
その名を聞いた瞬間だった。
「ブモオオオオォォォッ!!」
バリーが一気に立ち上がる。
全長三メートル近い巨体が、ヘリの中で猛然と膨れ上がった。
――バキッ!!
――メキメキッ!!
頭が天井へ突き刺さり、機体全体が軋んだ。
「バリー!」
ライラが怒鳴る。
「落ち着け! あんたが中で暴れたら、このヘリごと壊れる!」
「ブ……ブモゥ……」
ライラの一喝に、バリーは渋々身を縮めた。
だが、その赤い瞳から怒りは消えていない。
当然だった。
二人は以前、白虎と幾度となく死闘を繰り広げてきた。
そしてバリーは、その戦いで白虎に瀕死の重傷を負わされている。
奇跡的に蘇った今もなお、噛み千切られた左角と右手首、右足首だけは二度と再生しなかった。
不死身の怪物――『ミノタウロス』であるバリーにとって、それは生涯消えない屈辱だった。
ライラもまた、その屈辱を忘れた日は一日たりともない。
「おのれ……白虎」
ライラの口元がゆっくりと吊り上がる。
「ここで会ったが百年目だ」
妖しく笑いながら、バリーを振り返る。
「ヒッチハイカーの回収は後回しでも構わない」
ライラの緑色の瞳に残忍な光が宿る。
「今のあんたが、昔のあんたじゃないことを教えてやりな」
そして静かに命じる。
「バリー――その新しい右腕で、白虎の野郎を粉々にしておやり」
「ブモオオオオオォォォッ!!」
復讐に燃える雄叫びが、吹雪の空へ轟いた。
********
ガララッ――。
特殊作戦仕様『UH-60 ブラックホーク』の後部ドアが勢いよく開いた。
機体は、白虎を乗せた飛行妖怪『野衾』から約五十メートル離れた空域で静止している。
「……何だ?」
白虎は目を細めた。
開いたドアの前に、一人の人物が立っている。
黒いボディスーツに包まれた、長身の女だった。
吹雪の中でも分かるほど均整の取れた身体つき。
腰まで伸びた黒髪が風に揺れる。
「へぇ……女か」
白虎は感心したように鼻を鳴らした。
「ずいぶんといい女じゃねぇか。
まさか空の上でデートのお誘いとはな」
思わず口元が緩む。
白虎の中身は、風俗探偵・千寿理。
美女を見れば条件反射で鼻の下が伸びる悪癖は、獣になっても治っていなかった。
次の瞬間だった。
「ふふっ……」
吹雪を越えて、艶のある女の声が届く。
「久しぶりだねぇ、白虎。
相変わらずアタシを見て発情してるようじゃないか。このエロ探偵!」
その声を聞いた瞬間。
白虎の笑みが凍りついた。
「……ライラか」
低く呟く。
「間違いねぇ。
あの暴れじゃじゃ馬だ。」
嫌な予感が現実へと変わっていく。
「ってことは……」
「ブモオオオオォォォッ!!」
牛の咆哮にも似た雄叫びが吹雪を震わせた。
白虎は思い切り顔をしかめる。
「あぁ……やっぱりか」
深いため息をついた。
「あのバカ牛野郎まで来やがった」
頭を抱えたくなる。
「こんな忙しい時に、不死身同士の喧嘩なんざ勘弁してくれよ……」
********
一方、その視線の先では――。
ブラックホークの後部ドアに立つライラが、白虎を見据えていた。
「白虎……」
その声には、押し殺した憎悪が滲んでいる。
「こんな場所で再会するなんてね。」
薄く笑う。
だが、その瞳はまったく笑っていなかった。
「考えてみれば当然か」
ライラは静かに呟く。
「日本側では『内調・特務零課』の鳳が動いている。
あいつとつるんでるエロ探偵が現れても、不思議じゃない」
その笑みがゆっくりと獰猛なものへ変わる。
「だけど……これは好都合だ。」
白虎だけを見据え、低く囁く。
「アタシたち『殺戮のライラ&バリー』が、生まれて初めて土をつけられた相手――」
脳裏によみがえる屈辱。
バリーは瀕死となり、自分たちは兄チャーリーと、さらに上位の存在へ顔向けできないほどの失態を演じた。
あの日の敗北は、一度たりとも忘れたことがない。
「今日は違うよ」
妖しく微笑む。
「汚名は、ここで返上する」
ライラは背後を振り返った。
「バリー!」
その一言だけで、巨漢の肩が震える。
「荷電粒子砲を準備しな!」
命令は短かった。
「今度こそ――白虎を木っ端みじんに消し飛ばすよ。」
「ブモオオオオオォォォッ!!」
歓喜と憎悪が入り混じったバリーの咆哮が、夜明け前の夕霧谷に轟き渡った。
********
「きゃあっ!」
皆元静香の悲鳴が『ロシナンテ』の車内に響く。
フロントガラスに、ヒッチハイカーの顔が張り付いていた。
燃えるような赤い双眸。
ゆっくりと舐め回すように車内を見渡す視線。
怪物へと変貌した今なお、その顔立ちは人間だった頃の面影を残している。
深く彫り込まれた端正な顔。
本来なら女性が振り返るほど整った容姿だったはずだ。
だが、その美貌に浮かぶ笑みだけは違う。
そこにあるのは、人間の理性ではない。
獲物を見つけた捕食者だけが浮かべる、ぞっとするほど残忍な笑みだった。
やがて赤い瞳が後部座席を捉える。
静香だ。
その瞬間、怪物の口元が大きく吊り上がった。
「ロシーナ! バックだ!」
鳳がシフトレバーをリバースへ叩き込み、アクセルを床まで踏み抜く。
ギャギャギャギャーーッ!!
巨体の『ロシナンテ』が雪を巻き上げながら一気に後退した。
「シールドを下ろせ!」
『ラジャー!』
AI『ロシーナ』が即座に応答する。
次の瞬間――
シャァァッ!!
カシャン!
シャシャシャッ!!
車体すべての窓へ特殊チタン合金製シャッターが一斉に降下した。
窓を覆う装甲板が隙間なく閉じられ、『ロシナンテ』は完全武装形態へ移行する。
耐衝撃、耐熱、防弾。
特殊複合装甲で覆われたその姿は、もはや通常のSUVではない。
雪原を走る小型戦車だった。
「バンパーガン、撃てッ!」
ガガガガガガガガッ!!
フロントバンパーへ内蔵された5.56ミリ機銃が火を噴く。
無数のNATO弾が吹雪を裂き、ヒッチハイカーへ襲い掛かった。
だが怪物は嘲笑いながら宙を舞う。
まるで巨大な蜻蛉だ。
弾幕の隙間を縫い、信じ難い速度で左右へ飛び回る。
ビシッ!!
ビシビシビシッ!!
数発は命中した。
しかし鋼鉄のような筋肉を貫くことはできない。
弾丸は筋肉にめり込んだだけで勢いを失い、雪の上へ虚しく転がった。
──効かない。
そんなことは最初から分かっていた。
鳳の狙いは別にある。
「今だ!」
怪物が一瞬だけ空中で止まった。
ほんの刹那。
その隙を島は見逃さなかった。
「島警部補! PSキャノン、三連バーストで撃て!」
「撃ちます!」
火器管制システム『ロシーナ』が瞬時に弾道を補正し、日本警察内屈指の射撃手・島が迷いなく引き金を絞る。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドォンッ!!
二十ミリPSキャノンが連続して火を噴いた。
三発の徹甲弾は一直線に怪物へ突き進んだ。
一点だけを狙った三連砲撃――
ブシュッ!!
ブシュッ!!
ズバァッ!!
一発目。
二発目。
分厚い腹筋が砲撃を受け止める。
しかし――
三発目がついに装甲のような筋肉を撃ち抜いた。
腹部を貫通した徹甲弾は背中から鮮血を撒き散らし、そのまま雪空へ飛び去る。
「ぐぁあああああっ!!」
初めてヒッチハイカーが絶叫した。
腹部へ叩き込まれた二十ミリ砲弾の衝撃は、さすがの怪物の筋肉でも殺し切れない。
巨体が後方へ吹き飛び、数メートル先の雪原へ激突した。
ドサァッ!!
白い雪煙が激しく舞い上がる。
ついに――怪物が地に落ちた。
********
「やった! 吹っ飛ばした!」
PSキャノンの火器管制モニターを見つめていた島が、思わず拳を握り締める。
三連バーストをまともに浴びたヒッチハイカーは、吹雪の中を弾き飛ばされ、雪原へ叩きつけられていた。
「やりました!」
隣の静香も、何度もうなずきながら笑顔を浮かべる。
しかし――。
「まだだ」
鳳だけは表情を変えなかった。
ロシナンテをさらにバックさせ、怪物との距離を約三十メートルまで広げる。
そして、短く命じた。
「追撃する」
その声に、車内の空気が引き締まる。
「墜落地点へバンパーミサイルを叩き込め!」
「了解!」
次の瞬間。
ガコンッ。
バンパー両端の装甲が左右へ開いた。
内部から姿を現したのは、小型対戦車ミサイルランチャー。
ロシナンテ最大級の切り札――『バンパーミサイル』だ。
現用主力戦車すら一撃で戦闘不能に追い込む威力を秘めた、この装甲車最強の武装である。
「右バンパーミサイル、照準完了!」
島の報告が飛ぶ。
鳳は一拍も置かなかった。
「撃てぇッ!!」
ボシュゥッ!!
轟音とともに右側ランチャーからミサイルが飛び出す。
白煙を尾のように引きながら、オレンジ色の噴炎をまとった弾体は一直線に雪原へ突き進んだ。
そして――
ドゴォォォォン!!
天地を揺るがす爆発。
着弾地点から巨大な火柱が上がった。
雪と土砂が一斉に吹き飛び、黒煙が吹雪を突き破って空高く噴き上がる。
衝撃波が雪原を駆け抜け、三十メートル離れた『ロシナンテ』を激しく揺さぶった。
砕け散った岩石や土塊が装甲へ雨あられと叩きつけられる。
ガガガガガッ!!
重装甲の車体が衝撃を受け止めてもなお、その爆発力の凄まじさは車内にいる全員へ伝わってきた。
着弾地点は黒煙と雪煙に完全に飲み込まれ、怪物の姿は跡形もなく見えなくなっていた。
********
「……やったか?」
誰かが呟いた。
全員の視線がフロントガラスへ集まる。
フル装甲モードとなったロシナンテでは、窓は特殊チタン合金製シャッターで完全に閉鎖されている。
しかし車体各部のカメラが捉えた映像は、ガラス全面へリアルタイムで投影される。
視界は失われない。
しかも任意の地点を拡大することも可能だった。
炎は吹雪に煽られ、やがて勢いを失う。
黒煙も風に流され、爆心地が徐々に姿を現した。
「……いない?」
島が眉をひそめる。
巨大なクレーターだけが口を開けている。
ヒッチハイカーの肉片どころか、血痕すら見当たらない。
「おかしい……」
鳳の表情が険しくなる。
「何も残らないはずが――」
『上よっ!!』
スピーカー越しに風祭聖子の鋭い叫びが響いた。
『みんな、気を付けて!』
ほぼ同時だった。
ガァァァンッ!!
車体上部へ、とてつもない衝撃が叩きつけられる。
「きゃああっ!!」
静香の悲鳴。
さらに――
メキ……メキメキメキッ!!
特殊チタン合金製の装甲が軋み始めた。
ロシナンテ全体が激しく揺れる。
屋根の上に乗った"何か"が、圧倒的な怪力で車体を押し潰そうとしている。
屋根上に展開中だったPSキャノンの油圧アームが悲鳴を上げた。
ギシ……ギシギシッ!!
あと数秒でへし折られてもおかしくない。
「まずい!」
島が叫ぶ。
「ヤツだ! PSキャノンごと屋根を引き剥がそうとしてる!」
敵の姿は見えない。
それが余計に恐怖を煽る。
「いやぁっ!!」
耐え切れなくなった静香が島へしがみつく。
島は彼女を抱き寄せながらも、青ざめた顔で前を見据えた。
「鳳さん!」
悲鳴にも似た叫びが車内へ響く。
その直後だった。
メリメリメリッ!!
特殊チタン合金製の屋根が、ついに限界を迎えようとしていた。
********
「くそっ!」
黒鉄の翼のコックピットで、伸田が拳を震わせた。
モニターには、ロシナンテの屋根へ取りつき、装甲を力任せに引き剥がそうとするヒッチハイカーの姿が大きく映し出されている。
「ヒッチハイカー……!
シズちゃんたちを離せぇっ!!」
怒りが胸の奥から込み上げる。
そのとき、ヘルメットの通信機から風祭聖子の声が響いた。
『伸田君。結界を張っている間、”黒鉄の翼”は動けない』
一拍置き、彼女は静かに続ける。
『――いよいよ、あなたの出番よ』
その声には焦りと、それ以上に大きな期待が込められていた。
『手順はさっき説明した通り。
お願い……みんなを助けて』
「もちろんです!」
伸田は力強く頷く。
「もう見ているだけなんて出来ません!」
決意を固めた彼は叫んだ。
「スペードエース!
キャノピーを開け!」
『ラジャー!』
ガシャン――。
キャノピーが後方へスライドする。
吹雪が一気にコックピットへ雪崩れ込んだ。
猛烈な寒風が全身を叩く。
それでも伸田は一歩も引かなかった。
立ち上がった背中には、大型バックパック。
ヘルメットとゴーグル、口元を覆うマフラー。
その姿は、すでに戦士だった。
「プロトタイプ装着型飛行ユニット――
『ウインドライダー』、展開!」
ガシャンッ!!
バックパック四隅からアームがせり出す。
折り畳まれていた四枚のローターがX字型に展開し、高速回転を始めた。
さらに両側面から細長い補助翼が伸びる。
最後に背面から二基の大型ローターが立ち上がり、左右へ大きく展開した。
ヴィィィィン……
六基のローターが一斉に唸りを上げる。
吹雪が渦を巻いた。
伸田は、空を飛ぶための翼を手に入れた。
『脳波操縦システム、正常』
ヘルメット内に機械音声が響く。
「リンク確認」
伸田は静かに息を吸った。
「伸田伸也――」
その瞳に迷いはない。
「ウインドライダー、発進!」
次の瞬間。
彼は『黒鉄の翼』の装甲を力強く蹴った。
ドンッ!!
六基のローターが一斉に推力を生み出す。
身体が吹雪の中へ躍り出た。
ヴィィィィィーン!!
ヒッチハイカーの羽音にも似た高周波音を響かせながら、ウインドライダーは大空へ舞い上がる。
一度大きく旋回すると、そのまま緑色に輝く疑似結界へ一直線に飛び込んだ。
オーロラのような光の壁は、人間である伸田と機械でできた飛行装置を拒まない。
何の抵抗もなく、彼は結界の内側へ突入する。
『頑張って、伸田君』
聖子の優しい声が耳元に届いた。
『あなたが、みんなの希望よ』
「了解!」
伸田は迷わず答える。
「今度こそ――ヤツを倒します!」
ヘルメットは彼の脳波を読み取り、その意思を瞬時に六基のローターへ伝達する。
飛ぶ。
曲がる。
加速する。
すべてが、思考と同時だった。
いまの伸田は、人類離れした飛翔能力を手にしていた。
単身飛行用システム、『風に乗る者』――
その機動力は、怪物ヒッチハイカーにも匹敵する。
伸田は単身、空の怪物へ挑む。
あまりにも無謀な戦い。
だが――。
もう賽は投げられた。
誰も、後戻りはできなかった。
********
「……荷電粒子砲、だと?」
白虎の耳が、吹き荒れる雪とローター音の向こうから、その単語だけを鮮明に拾い上げた。
ライラがバリーへ飛ばした命令。
――荷電粒子砲。
「何だ、そりゃ……?」
聞いたこともない。
だが、身体中の毛が逆立つ。
理屈ではない。
満月の力で強化された白虎の本能が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
「……ヤバい」
白虎は思わず唾を飲み込む。
「しかも、とびきりヤバい代物だ……」
不死身の神獣であるはずの身体が、寒さとは別の悪寒に震えた。
********
「ブモォォ……!」
ブラックホークの後部兵員室。
バリーは副操縦士に補助させながら、巨大なバックパックを背負っていた。
一方、ライラは白虎へ向かって大声を張り上げる。
時間稼ぎ。
バリーの準備が整うまで、白虎を会話へ引き込むつもりなのだ。
「あんたが何でこんな所にいるのさ?」
「そりゃ、こっちのセリフだ」
白虎は肩をすくめる。
「ライラ、お前こそ相棒連れて雪山まで何しに来た?
どうせロクでもねえ用事なんだろ?」
「うるさい!」
ライラが眉を吊り上げる。
「ゲス探偵にだけは言われたくないね!」
切れ者で冷酷なライラ。
だが白虎を相手にすると、いつも冷静さを失う。
「チッ……。
こいつと話してると調子が狂う。」
ライラは深く息を吐くと、不敵に笑った。
「でも、それも今日までだ」
その美しい笑みが獣のように歪む。
「バリーの新しいオモチャ……
『荷電粒子砲』――でね。」
ライラが横へ退く。
「バリー。出番だよ」
「ブモオオオオーーッ!!」
猛牛の咆哮。
巨体がゆっくりと前へ進み、開いたドアの前に立つ。
そこで初めて、その全身が夜明け前の空へ姿を現した。
身長は三メートル近い。
全身を覆う鋼のような筋肉。
そして、その肩の上には――人間ではない巨大な灰色の牛の頭。
ギリシャ神話の怪物。
牛頭人身の魔物――ミノタウロス。
それが、バリーの正体だった。
黒目のない眼球が、白虎を真っすぐ射抜く。
「ブモオオオオーーッ!!」
ドンッ!
ドンッ!
左足で床を踏み鳴らすたび、ブラックホークの機体が揺れる。
闘牛場で獲物へ突進する直前の猛牛、そのものだった。
「よう、バカ牛」
そんな怪物を前にしても、白虎は口元を緩める。
「何度やられても懲りねぇな。
あんまり暴れると、自分でヘリ壊しちまうぞ?
べっぴんのライラ姐さんまで道連れにする気か?」
完全な挑発だった。
危険なほど笑みを浮かべる白虎を見て、ライラまで愉快そうに笑う。
「あんた、本当に死にたいらしいね」
緑色の瞳が妖しく細められる。
「その挑発、受けて立つよ。」
ライラは静かに告げた。
「灰になっちまえば、不死身も関係ないさ」
そして右手を振り下ろす。
「バリー!
そのデカいイチモツ、ぶっ放しな!」
バリーが片膝をつく。
白虎によって失われた右腕。
その先には、生身ではなく巨大な金属製の砲身が取り付けられていた。
背負ったバックパックから何本ものケーブルとパイプが砲身へ接続されている。
失った腕を――
兵器へと作り替えていた。
キュイィィィィン……
砲口が淡いオレンジ色に染まり始める。
周囲の空間へ無数の光粒子が現れ、吸い寄せられるように砲口へ集束していく。
「……何だ、ありゃ?」
白虎の笑みが消えた。
「やばい……野衾!」
声が鋭くなる。
「逃げろッ!!」
その瞬間だった。
「バリー!
ぶっ放せぇぇぇーーッ!!」
ライラの絶叫が夕霧谷に響き渡る。
次の瞬間。
オレンジ色の閃光が夜明け前の空を切り裂いた。
バシュゥゥゥゥゥゥッ!!
極太の荷電粒子ビーム――。
一直線に白虎へ襲いかかる。
「しまっ――」
回避は、間に合わない。
「うわあああああーーッ!!」
白虎と野衾の姿が、眩い光の奔流へ完全に飲み込まれた。
やがて光は消えた。
吹雪だけが静かに舞っている。
空気には、焦げついたオゾン臭だけが残っていた。
ライラはしばらく黙って、その空を見つめていた。
そして、小さく呟く。
「……バイバイ、白虎」
一拍。
「アタシさ……
本当は、あんたのこと――」
最後まで言えなかった。
ライラは静かに目を閉じ、大きく息を吐く。
「……ふぅ」
首を振る。
その瞬間、彼女の瞳から一粒だけ光るものが零れ落ち、吹雪の中へ消えていった。
【次回に続く……】




