第22話「どうしても南へ行きたいんだ…⑳『静香奪還!! そして、伸田は最終決戦へ!』」
ドドドドドドドドドッ!
それはまるで、県警SIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の隊員達が装備するSMGの一斉射撃を思わせる轟音だった。
しかし、その正体は銃弾ではない。
ヒッチハイカーの巨大なサソリの尾の先端から吐き出される猛毒の溶解液だった。
透明な毒液は吹雪の中を一直線に飛翔し、『夕霧橋』中央部のアーチリブ上で身構える伸田へと襲い掛かる。
一発や二発ではない。
数十発。
いや、それ以上だ。
まるで豪雨のような密度で放たれた毒液は、伸田の退路も回避経路も完全に封じ込めていた。
「くっ……!」
伸田は反射的に『ヒヒイロカネの剣』を盾代わりに構えた。
だが分かっていた。
無理だ。
到底防ぎ切れる量ではない。
単発攻撃ならばともかく、これほどの連続射撃を受ければ、いずれどこかに被弾する。
そして一滴でも身体に触れれば終わりだった。
人体など瞬く間に溶かされてしまう。
伸田の額を冷たい汗が流れた。
吹雪の中だというのに、その汗だけは妙に熱く感じられた。
『終わった……』
脳裏に死の予感がよぎる。
静香の顔が浮かぶ。
父の顔が浮かぶ。
SITの仲間達の顔が浮かぶ。
そして。
これまでヒッチハイカーによって命を奪われた多くの犠牲者達の姿が頭をよぎった。
『ごめん……』
思わず目を閉じる。
だが――
その瞬間だった。
ブワアアアアアッ!
突然。
天地を揺るがすような爆風が吹き荒れた。
「なっ!?」
伸田の身体が後方へ吹き飛ばされる。
凍結したアーチリブの鋼鉄表面を二メートル近く滑走しながら、どうにか体勢を維持する。
そして次の瞬間。
彼は信じられない光景を目にした。
先ほどまで自分を襲っていた大量の毒液が、跡形もなく吹き飛ばされていたのである。
一滴残らず。
まるで見えない巨大な手が払ったかのように。
「えっ……?」
伸田は呆然とした。
今、自分は生きている。
毒液は当たっていない。
一滴たりとも浴びていない。
まさに奇跡だった。
いや。
伸田には思い当たるものがあった。
この爆風。
この衝撃。
この現象。
以前にも体験している。
『まさか……』
震える声で呟く。
それは白虎が吹雪の中で撃墜されかけた時にも発生した現象だった。
超電磁加速砲。
レールガン。
極超音速で射出された砲弾が生み出す衝撃波。
そしてソニックブーム。
あの時と同じ神風が、再び伸田を救ったのだ。
ゆっくりと目を開き、吹雪の向こうを見る。
白い雪煙の彼方。
そこに何かがいる。
伸田は必死に目を凝らした。
涙があふれそうになる。
視界が滲む。
それでも彼は見た。
「あ……」
喉が震える。
「ああっ……!」
そして。
次の瞬間。
伸田は声にならない叫びを上げた。
「白虎さん……!」
そこにいた。
確かにいた。
死んだはずの男が。
絶対に助からないと思われた男が。
吹雪の向こうに立っていた。
現在、伸田がいるアーチリブ上面は木流川の水面から約五十メートルの高さにある。
その伸田とほぼ同じ目線の高さ。
約五十メートル離れた空間に。
白虎がいた。
人間の姿ではない。
本来の神獣としての姿。
全長三メートルを超える巨大な白虎の姿だった。
だが、もっと驚くべきことがある。
白虎は空中に浮いていた。
いや。
正確には違う。
何かの上に立っていた。
しかし、その何かが見えない。
陽炎のように揺らぎ、存在しているのに視認できない。
その正体を知った瞬間、伸田は再び目を見開いた。
「黒鉄の翼……!」
そう。
そこにいたのは『黒鉄の翼』だった。
完全な光学迷彩を展開した特殊航空機。
それがホバリングしたまま空中に静止しているのだ。
周囲の光を機械的に屈折させることで不可視に近い状態となった機体。
その上に白虎が四本の脚で堂々と立っていたのである。
まるで吹雪の中に現れた神話の獣のようだった。
そして。
その神獣は大きく口を開いた。
「おーい! 相棒ぉぉぉっ!」
聞き慣れた声が吹雪を突き抜ける。
「今の危なかったんじゃねえのかあ!」
伸田の胸が熱くなった。
「グズグズしてると、本当に死ぬぞぉ!」
白虎は笑っていた。
いつものように。
何事もなかったかのように。
まるで先ほどまで死線を彷徨っていたことなど忘れたかのように。
その姿を見た瞬間。
伸田の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「びゃ……」
言葉にならない。
涙が止まらない。
「白虎さん……!」
頬を伝う涙が凍る。
顎の先で氷の粒となって砕け散る。
だが構わなかった。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
伸田は泣きながら叫んだ。
「僕は信じてました!」
吹雪の中へ向かって。
「あなたが死ぬはずないって!」
白虎は一瞬だけ目を丸くした。
そして次の瞬間。
豪快に笑った。
「バカ野郎ぉぉっ!」
虎の咆哮にも似た怒鳴り声が響く。
「男が簡単に泣くなあっ!」
だが。
その言葉には優しさがあった。
仲間を想う気持ちがあった。
そして何より。
生きて再会できた喜びがあった。
「俺はなあ!」
白虎が胸を張る。
「満月の夜は死なねえんだよ!」
その声が吹雪に響き渡った。
「月の女神様に気に入られてるからなあ!」
伸田は思わず笑った。
涙を流しながら。
泣きながら笑った。
それは絶望の中で初めて見えた希望の光だった。
そして同時に。
最終決戦の幕が、静かに上がろうとしていたのである。
その頃――。
夕霧橋の巨大なアーチリブの下側。
吹雪の中、糸に吊るされたままの皆元静香は固く目を閉じていた。
先ほどまで、彼女は覚悟していたのだ。
愛する人が自分の目の前で命を落とすかもしれない、と。
ヒッチハイカーの放った無数の毒液。
あれを避けられるはずがない。
そう思った瞬間、静香は目を閉じて祈ることしか出来なかった。
『神様……』
せめて。
せめて彼だけは助けてください。
自分の命などどうなってもいい。
だけどノビタさんだけは――。
そう願った直後だった。
身体全体を揺さぶるような衝撃。
そして爆風。
吹雪の流れが一瞬で変わる。
何かが起きたのだ。
静香は恐る恐る目を開いた。
そして聞こえてきた。
吹雪の向こうから。
伸田の声が。
「ああっ……!」
静香の顔がぱっと明るくなる。
生きている。
ノビタさんは生きている。
その事実だけで胸がいっぱいになった。
涙が溢れる。
「ああ……よかった……」
凍える寒さも忘れていた。
「神様……ありがとうございます……」
静香は必死に首を伸ばした。
自分の位置から見えるのはほんの僅かだ。
それでも見えた。
吹雪の向こう。
アーチリブ上に立つ伸田の姿が。
無事だった。
本当に無事だった。
静香の頬を伝った涙が首筋で凍り付いていく。
だが彼女は気にも留めなかった。
今はただ。
愛する人が生きている。
それだけで十分だった。
*****
一方――。
夕霧橋から少し離れた位置に待機する万能装甲戦闘ビークル『ロシナンテ』の車内でも歓声が上がっていた。
「鳳司令!」
後部座席のモニターを見つめていた島警部補が身を乗り出す。
「白虎です! 白虎が生きています!」
モニターには追跡偵察型ドローン『ハミングバード』が撮影した映像が映し出されていた。
吹雪。
『夕霧橋』。
そして光学迷彩状態の『黒鉄の翼』。
その上に立つ巨大な白虎。
誰が見ても生存は明らかだった。
島の顔に笑みが浮かぶ。
思わず拳を握り締める。
だが運転席の鳳成治は落ち着いていた。
むしろ当然だと言わんばかりだった。
「ああ。」
短く答える。
「だから言っただろう。」
鳳は肩を竦めた。
「あいつは満月の夜には殺しても死なん。」
島が苦笑する。
「本当にそう思えてきましたよ。」
「ゴキブリ並みにしぶといからな。」
「それ、本人が聞いたら怒りますよ。」
「聞こえても構わん。」
そう言いながらも。
鳳の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
長い付き合いだからこそ分かる。
鳳も喜んでいるのだ。
島はそう感じた。
*****
だが。
歓喜に浸っていたのは人間側だけだった。
ヒッチハイカーは違う。
怪物は冷静だった。
いや。
正確には冷静になろうとしていた。
『まだだ。』
まだ終わっていない。
標的は伸田だ。
静香も欲しい。
だが最優先は伸田の排除。
ヤツの武器は危険だ。
白虎との再会に気を取られている今なら――。
殺せる。
ヒッチハイカーは巨大な身体をわずかに動かした。
サソリの尾が持ち上がる。
先端の射出口が膨らみ始める。
猛毒の溶解液。
人間など、ひとたまりもあるまい。
今度こそ確実に仕留める。
そう確信した瞬間だった。
バシュッ!
空気が裂けた。
続いて。
轟音。
「ぐぎゃあああああああっ!」
怪物の絶叫が橋全体に響き渡る。
次の瞬間。
サソリの尾の先端部が消えていた。
正確には吹き飛んでいた。
肉片となって。
血飛沫となって。
吹雪の中へ四散した。
同時に。
ソニックブーム。
再び神風が吹く。
伸田の髪が揺れる。
静香の身体も揺れる。
橋全体が震える。
レールガン。
超電磁加速砲の直撃だった。
「くっそううううっ!」
ヒッチハイカーが叫ぶ。
「クソ虎あああっ!」
尾の半分近くが消失していた。
だが。
傷口が泡立っている。
再生が始まっていた。
しかし以前より遅い。
明らかに遅い。
それは怪物自身も理解していた。
そこへ。
追い打ちをかけるように白虎の声が飛ぶ。
「おーい!」
白虎は笑っていた。
わざとらしいほど大声で。
「どうしたあ!」
挑発そのものだった。
「再生が遅いじゃねえか!」
ヒッチハイカーの顔が歪む。
「俺なんかよお!」
白虎は胸を張った。
「お前に焼かれた腹はもう治っちまったぜ!」
そして牙を剥いた。
「これが本物と紛い物の差だ!」
怪物の目が血走る。
図星だった。
だからこそ、よけいに腹が立つ。
だからこそ許せない。
「ギギギギギギ……!」
歯軋りの音が響く。
だが。
白虎が大声で挑発している間にも。
別の戦いは始まっていた。
*****
伸田だった。
彼は動いていた。
誰にも気付かれないように。
静かに。
慎重に。
ヒッチハイカーの意識が白虎へ向いている隙を突いたのだ。
アーチリブ上面から身を乗り出す。
そして下側へ。
ゆっくりと潜り込む。
凍り付いた鋼鉄。
吹雪。
転落すれば即死。
それでも迷いはなかった。
『待っていてくれ。』
伸田は心の中で呟く。
『シズちゃん。』
必ず助ける。
絶対に助ける。
その一心だった。
ヒッチハイカーの張り巡らせた糸を掴む。
逆さまにぶら下がる。
そして。
巣の中心へ向かって進み始めた。
そこには。
愛する静香が待っていた。
吹雪の唸り声にも似た風音が、『夕霧橋』の巨大なアーチリブの周囲を荒々しく吹き抜けていく。
その中を、伸田は慎重に進んだ。
ヒッチハイカーが張り巡らせた無数の糸。
まるで巨大な蜘蛛の巣のようなその構造物の内部を、彼は両手両足を使って少しずつ移動していく。
下を見れば道路まで二十数メートル。
落ちれば助からない。
それでも伸田の心に恐怖はなかった。
いや、正確には恐怖を感じている余裕がなかった。
彼の胸の中を満たしているのは、ただ一つ。
静香を助ける。
その想いだけだった。
白虎がヒッチハイカーの注意を引き付けてくれている。
今しかない。
この機会を逃せば二度と彼女を救えないかもしれない。
そう考えた伸田は、さらに慎重に糸を伝って進んだ。
やがて。
吹雪の向こうに見えていた静香の姿が、はっきりと見える距離まで近付いた。
彼女は依然として糸に拘束されたままだった。
だが、その瞳には先ほどまでの絶望は無かった。
白虎の生還。
そして伸田の無事。
それだけで彼女の心は救われていた。
その時だった。
気配を察したのか、静香が振り返った。
「きゃっ!」
思わず悲鳴を上げかける。
しかし、その口は大きな手によって優しく塞がれた。
「しーっ……」
聞き慣れた声。
愛しい人の声だった。
静香の瞳が大きく見開かれる。
「ノビタさん……!」
伸田は静かに微笑んだ。
吹雪にさらされ続けた顔は青白く、唇もひび割れている。
それでも彼は笑っていた。
まるで姫を迎えに来た王子様のように。
そして。
静香の耳元へ口を寄せると、小さく囁いた。
「約束しただろ?」
静香の身体が震えた。
「僕が君を助けるって。」
さらに優しく続ける。
「迎えに来たよ――僕のプリンセス・シズカ。」
静香の瞳から涙が溢れた。
それは悲しみの涙ではない。
喜びの涙だった。
「ああ……」
溢れ出る涙が止まらない。
「ノビタさん……」
静香は夢を見ているのかと思った。
だが違う。
これは現実だ。
愛する人が自分を救いに来てくれたのだ。
「嬉しい……」
静香は震える声で言った。
「夢みたい……」
「夢じゃないさ。」
伸田は笑った。
「ちゃんと君を助けに来た。」
その言葉だけで、静香の心は温かさに満たされた。
だが。
現実は甘くなかった。
伸田は拘束糸を掴み、解除を試みた。
しかし――。
「くそっ……!」
思わず呻く。
硬い。
信じられないほど硬い。
見た目は細い糸に過ぎない。
だが実際は鋼線のような強度を持っていた。
爪を立ててもびくともしない。
指先が裂ける。
血が流れる。
それでも解けない。
「なんて硬さだ……!」
伸田は歯を食いしばった。
指先から血が滴る。
それでも手を止めようとはしない。
すると静香が首を振った。
「もうやめて!」
悲痛な声だった。
「ノビタさん!」
涙を浮かべながら叫ぶ。
「あなたの手がボロボロになっちゃう!」
だが伸田は首を振った。
「やめない。」
即答だった。
「絶対にやめない。」
静香の瞳が揺れる。
伸田は真っ直ぐ彼女を見つめた。
「君を助けるって決めたんだ。」
その言葉に迷いは無かった。
「どんなことをしても。」
そして。
ふと何かを思い出したように腰へ手を伸ばした。
「待てよ……」
ベルトに差していた一本の剣。
ヒヒイロカネの剣――。
「そうだ。」
伸田はそれを引き抜いた。
その瞬間だった。
白銀の刃が光を放った。
静香は息を呑んだ。
「綺麗……」
それは吹雪の中で見るにはあまりにも神々しい光だった。
月光とも違う。
電灯とも違う。
どこか温もりを感じさせる柔らかな輝き。
まるで誰かが優しく見守っているような光だった。
「不思議だ……」
伸田も呟いた。
「握っていると温かい――。」
本当にそうだった。
凍えて感覚の無くなっていた指先に、少しずつ力が戻ってくる。
裂けた傷の痛みも和らいでいく。
手だけではなく身体の芯から温まっていくようだった。
「本当だわ……」
静香も驚いていた。
「傷の血が止まってる……」
伸田は自分の右手を見た。
確かにそうだった。
先ほどまで流れていた血が止まっている。
それだけではない。
左手にも変化が起きていた。
「すごい……」
伸田は感嘆した。
「剣を持っていない左手の傷まで治ってる。」
静香は目を見開いた。
「奇跡だわ……」
「ああ。」
伸田は深く頷いた。
「これは奇跡の剣なんだ。」
その時。
二人は同時に気付いた。
温かくなっているのは身体だけではない。
心もだった。
絶望しか無かったはずなのに。
もう諦めようとしていたはずなのに。
今は違う。
未来を信じられる。
生きて帰れる気がする。
そんな希望が胸いっぱいに広がっていた。
「シズちゃん。」
「なあに?」
「こんな時でも、君は綺麗だ。」
静香の頬が赤く染まる。
こんな状況なのに。
こんな極限状態なのに。
それでも嬉しかった。
「あなただって……」
静香は微笑んだ。
「私を助けに来てくれた素敵な王子様よ。」
伸田は照れ臭そうに笑った。
二人は見つめ合う。
ほんの数秒。
だが二人にとっては永遠のような時間だった。
「愛してる。」
伸田が言う。
「愛してるわ。」
静香も答える。
そして。
伸田は静かに続けた。
「僕が必ず君達二人を助ける。」
静香は息を呑んだ。
驚きに目を見開く。
「知っていたの……?」
伸田は微笑んだ。
「ああ。」
優しく頷く。
「最初は戸惑った。」
だが。
その表情に迷いは無かった。
「今は違う。」
静香の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「君も。」
そして。
「お腹の子供も。」
力強く告げた。
「僕は二人とも愛している。」
静香の瞳から再び涙が溢れた。
それは幸福の涙だった。
吹雪の寒ささえ忘れてしまうほど温かな涙だった。
伸田はそんな静香へ微笑みかけると、光り輝くヒヒイロカネの剣を拘束糸へ押し当てた。
すると――。
ジュゥゥゥ……
まるで熱した刃で氷を溶かすような音が響く。
二人は目を見開いた。
あれほど頑丈だった糸が。
伸田の指を傷だらけにした糸が。
少しも抵抗することなく溶け始めたのである。
「すごい……」
静香が呟く。
伸田も驚いていた。
「本当に奇跡だ……」
そして。
ついに救出作業は最終段階へと入っていくのだった――。
しかし、その時だった。
「貴様らぁぁっ!」
突然、橋全体を震わせるような怒声が響いた。
伸田と静香が同時に顔を上げる。
そこには、巨大な蜘蛛の身体を持つ怪物――ヒッチハイカーがいた。
白虎とのやり取りに気を取られていると思われていた怪物だったが、いつの間にか二人の存在に気付いていたのである。
赤い光を放つ双眸が憎悪に燃えていた。
「何をコソコソやってやがる!」
憎しみに燃える感情をむき出しにして怒鳴る。
「シズちゃん!」
狂気に満ちた声だった。
「俺というものがありながら、そんな小僧とイチャイチャしやがって!」
静香の顔が嫌悪に歪む。
ヒッチハイカーはそんな反応さえ快感に感じているようだった。
「小僧!」
巨大な身体を動かしながら叫ぶ。
「シズちゃんの見ている前でバラバラに切り刻んでやる!」
そして。
八本の脚を器用に動かしながらアーチリブの裏側へ回り込もうとした。
伸田の顔が強張る。
まだ拘束は完全には解けていない。
今ここへ来られれば終わりだった。
だが。
次の瞬間――。
空気が裂けた。
バシュッ!
「グギャアアアアッ!」
ヒッチハイカーが絶叫する。
前足の一本が途中から消し飛んでいた。
続いて発生するソニックブーム。
猛烈な衝撃波が吹雪を吹き飛ばす。
「またかぁぁぁっ!」
ヒッチハイカーが怒り狂う。
その視線の先。
吹雪の向こうにいる白虎がニヤリと笑っていた。
「おいおい。」
白虎が肩を竦める。
「どこ見てやがる?」
挑発的な声だった。
「今、お前の相手をしてるのは俺だろうが。」
さらに牙を見せて笑う。
「その二人に汚い手を出すんじゃねえ。」
そして叫んだ。
「ノビタ! 早く姫様を助けろ!」
「はいっ!」
伸田は力強く答えた。
白虎が命を懸けて時間を稼いでくれている。
ならば迷っている暇は無い。
伸田は再びヒヒイロカネの剣を握り直した。
白い光を放つ刃が、拘束糸を次々に切断していく。
一本。
二本。
三本。
まるで熱した刃が雪を溶かすようだった。
そして。
最後の一本が切れた。
「やった!」
伸田が叫ぶ。
「シズちゃん!」
静香へ向かって手を伸ばした。
「僕に掴まって!」
静香は迷わなかった。
伸田の首へ両腕を回す。
その身体をしっかりと抱き締めた。
「ノビタさん!」
ようやく。
ようやく自由になれた。
だが安心するのはまだ早い。
二人は依然としてアーチリブの裏側にぶら下がったままなのだ。
地面までは二十数メートル。
落下すれば即死である。
伸田は周囲を見回した。
そして一本の糸へ目を向けた。
ヒッチハイカーの糸。
異常なほど頑丈な糸。
「これだ。」
伸田は呟く。
一本切り取り、自分のベルトへ結び付けた。
強度を確認する。
問題ない。
二人分の体重にも耐えられるはずだった。
「シズちゃん。」
「うん。」
「もう少しだけ頑張ろう。」
静香は微笑んだ。
不思議だった。
こんな極限状態なのに怖くない。
愛する伸田がいる。
それだけで安心できた。
*****
一方。
ロシナンテの車内。
「やった!」
島が声を上げた。
「皆元さんを解放しました!」
モニターを見つめる鳳も頷く。
「ああ。」
しかし。
彼の表情はまだ険しかった。
「問題はここからだ。」
二人は依然として高所に取り残されている。
助かった訳ではない。
鳳は即座に決断した。
「ロシーナ。」
『はい。』
人工知能が応答する。
「遭難救助用ワイヤー射出準備完了。」
「ハミングバード2号も出せ。」
『準備完了しています。』
鳳は頷いた。
「よし。」
その瞳が鋭く光る。
「二人を回収する。」
*****
やがて――。
バシュッ!
一本のワイヤーが夕霧橋へ向けて射出された。
ボンッ!
着弾と同時に小爆発。
そして固定。
さらに救助用ドローン『ハミングバード2号』が吹雪を切り裂いて飛翔する。
運搬用フックに吊り下げられているのは『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス』だった。
数分後。
それは伸田達の目の前へ到達した。
『伸田君。私だ。』
ドローンのスピーカーから聞こえる声。
鳳成治だった。
伸田が思わず笑う。
「鳳さん。」
やはり来た。
この人なら必ず何とかしてくれると思っていた。
『詳しい説明は後だ。』
鳳が続ける。
『そのハーネスを装着したまえ。』
静香の顔が明るくなる。
『ワイヤーを伝って安全に脱出できる。』
「助かった……」
伸田は心からそう思った。
すぐにハーネスを受け取る。
そして静香へ装着していく。
慎重に。
丁寧に。
まるで壊れ物を扱うように。
やがて装着は完了した。
後は自分も取り付けるだけ。
そのはずだった。
だが。
伸田は手を止めた。
静香が不思議そうに見つめる。
「ノビタさん?」
伸田は微笑んだ。
優しく。
だが――決意に満ちた笑みだった。
「ごめん。」
そう言うと。
彼はハーネスのスイッチを押した。
電動リフトが作動する。
静香の身体がゆっくりと移動を始めた。
「えっ⁉」
静香の表情が凍り付く。
「ノビタさん!」
パニックになって叫ぶ。
「何してるの⁉」
伸田は手を振った。
「ごめん!」
吹雪の中で叫ぶ。
「僕は行かなきゃならない!」
静香の瞳から涙が溢れた。
「ダメよ!」
しかし伸田は首を振る。
「ヒッチハイカーと決着を付ける!」
その声には迷いが無かった。
「死んでいったみんなのためにも!」
そして。
優しく笑った。
「必ず帰る。」
静香を見つめる。
「愛する君と。」
さらに。
「お腹の子供の元へ。」
静香は泣きながら叫んだ。
「私も愛してる!」
伸田は頷いた。
「ああ。」
そして。
「必ず帰る!」
その言葉を最後に。
彼はヒッチハイカーの糸を掴んだ。
再び上へ。
吹雪の中へ。
最終決戦の舞台へ。
登っていく。
*****
やがて――。
伸田は夕霧橋のアーチリブ上面へと辿り着いた。
吹雪が吹き荒れる。
視界は悪い。
足元は凍結している。
だが。
彼は立った。
一人の男として。
一人の戦士として。
そして。
十数メートル先で白虎と対峙する怪物を睨み付ける。
ヒッチハイカー。
全ての元凶。
仲間達の命を奪った怪物。
伸田は『ヒヒイロカネ』の剣を握り締めた。
その白銀の刃が吹雪の中で輝く。
そして。
腹の底から叫んだ。
「ヒッチハイカァァァァーッ!!」
怪物が振り向く。
白虎も振り向く。
吹雪の中へ。
伸田の声が響き渡る。
「お前との決着を付けに!」
ヒヒイロカネの剣を構える。
「この僕が戻って来たぞぉぉぉぉーっ!!」
それは宣戦布告だった。
伸田伸也とヒッチハイカー。
長きに渡る因縁。
その全てに終止符を打つための。
最終決戦の幕開けだった――。
【次回へ続く……】




