第19話「どうしても南へ行きたいんだ…⑰『空と陸からの追跡! 決戦の地・夕霧谷へ!』」
「ちいっ……あの大木を飛び越えやがった。バケモンか、あいつは……」
自分のことを棚に上げて他人を化け物呼ばわりしたヒッチハイカーは、前方へ視線を向けたまま速度を緩めることなく走り続けていた。
いつの間にか頭部から生えた二本の触角。その先端に形成された眼球が、後方の様子を監視している。
どうやら新たに怪物が得たこの眼には、望遠機能のような能力も備わっているらしい。
遠く後方にいる白虎の姿さえ、はっきりと捉えることができていた。
「どいつもこいつも、なぜ俺が南へ行くのを邪魔するんだ。
俺はただ、夫婦二人で南へ行って、海の見える場所で子供を育てたいだけなのに……」
ヒッチハイカーはそう呟き、左腕の触手に捕らえられたまま意識を失っている皆元静香の顔を見つめた。
その表情には、狂気じみた執着が滲んでいた。
「この女は俺のモノだ……。
南へ行ったら、二人で暮らすんだ。たくさん子供を作ってな……楽しみに待ってろよ、シズちゃん」
伸田が呼んでいた名前を、ヒッチハイカーは覚えていた。
だが彼は知らない。
偶然体内に取り込んだ薬剤によって超人的な力を手に入れた代償として、自らの生殖能力を失っていたことを。
彼は女性を襲い続けた。
子孫を残そうという本能だけが暴走していた。
しかし、その願いが叶うことは決してなかった。
怪物化によって思考能力を失った彼には、その事実を理解することすらできなかったのである。
ヒッチハイカーは国道を高速で疾走しながら、山側の木々を次々となぎ倒していった。
倒木は道路を塞ぎ、追跡者の妨害となる。
完全に足止めできなくとも、わずかでも時間を稼げれば十分だった。
さらに彼は、自らの触手に新たな能力があることに気づく。
伸縮自在の筋肉で構成された触手を、自らの意志で硬質化できるのだ。
金属をも上回る硬度へと変化した触手は鋭い刃となり、巨木の幹すら容易に切断していく。
岩石を砕き。
ガードレールを引き裂き。
その破片を道路上へばら撒く。
ヒッチハイカーが通過した後の国道は、障害物で埋め尽くされていた。
「はははははっ! これでもまだ追って来られるか! 化け虎野郎め!」
狂気じみた笑い声を響かせながら、ヒッチハイカーは吹雪の中を走り続けた。
しかし――
それでも白虎は止まらない。
ヒッチハイカーの予想を超える速度で、その背後へ迫り続けていた。
********
「くそっ! 好き勝手にやりやがって!」
白虎は毒づきながらも、速度を緩めることなく国道を疾走していた。
路面には倒木、岩石の破片、引きちぎられたガードレール。
ヒッチハイカーが残していった障害物が散乱している。
しかし白虎にとって、その程度は足止めにもならなかった。
ある時は大きく跳躍して飛び越え、またある時は山側の崖を蹴って軌道を変える。
圧倒的な身体能力によって、障害物を次々と突破していった。
「うわああああっ!」
その背中では伸田が悲鳴を上げていた。
これではまるで安全装置の無いジェットコースターだ。
彼にとっては生きた心地のしない追跡行である。
白虎の背中に必死でしがみつくだけで精一杯だった。
乗馬経験などもちろんない。
だが仮に競走馬に乗った経験があったとしても、この状況ではまったく役に立たなかっただろう。
白虎の移動は単なる高速走行ではない。
前後左右、さらには上下へも激しく跳ね回る三次元的な動きだった。
少しでも気を抜けば振り落とされる。
そのため伸田は白虎の毛皮に顔を埋め、ひたすら耐え続けていた。
「うっ……げえっ!」
耐え切れず吐き気が込み上げる。
すでに胃の中は空だった。
吐き出されるのは胃液と胆汁ばかりである。
「おいっ! 汚ねえぞ、この野郎!」
白虎が怒鳴る。
「人様の背中でゲロ吐くんじゃねえ!」
だが文句を言われてもどうしようもない。
伸田自身も好きで吐いているわけではなかった。
むしろ気絶せずにしがみついているだけでも奇跡的だった。
普通の人間なら、とっくに振り落とされている。
その事実を白虎も理解していた。
(こいつ……)
白虎は内心で驚いていた。
(なんて根性だ。まだ意識を失わねえのか)
愛する女性を救いたい。
その一心だけでここまで耐えている。
それは神獣である白虎から見ても感心せざるを得ない執念だった。
(もしかすると、本当にやれるかもしれねえな)
白虎は思う。
(こいつなら、あの怪物から女を取り戻せるかもしれねえ)
自然と口元が緩んだ。
獰猛な虎の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
白虎は元来、情に厚い性格だった。
「おい若造!」
走りながら叫ぶ。
「振り落とされて死ぬんじゃねえぞ!」
「だ、大丈夫です!」
伸田も必死に返事をした。
その声は震えていたが、まだ気力は残っている。
「へっ」
白虎は笑う。
「だったら最後までしがみついてろ!」
そして、さらに加速した。
吹雪を切り裂きながら、白い神獣は怪物の後を追い続けた。
********
『どうしますか、ミスター鳳?』
女性の声が車内に響く。
『ロシナンテ』を制御するAI『ロシーナ』だった。
『このままでは障害物の排除に時間を取られます。ヒッチハイカーは追跡妨害を続けています』
「そうだな……」
鳳は前方を見据えたまま答えた。
国道には障害物が散乱している。
一つひとつ除去していては時間がかかりすぎる。
「ロシーナ」
『はい』
「『黒鉄の翼』は待機中か?」
後部座席に座った島警部補が首をかしげた。
くろがねのつばさ――?
初めて聞く言葉だった。
『はい、ミスター鳳』
ロシーナが即座に答える。
『現在、上空にて待機中です。いつでも作戦行動へ移行できます』
「よし」
鳳は頷いた。
「『黒鉄の翼』を呼べ」
一瞬の沈黙。
そして鳳は静かに命じた。
「これより『黒鉄の天馬』モードへ移行する」
『了解しました』
ロシーナの声と同時に車体が変化を始めた。
戦闘モードで展開していた装備が収納されていく。
助手席砲が格納され、車内は通常車両の状態へ戻っていった。
「助手席が元に戻った……」
島は目を丸くする。
「アイアンペガサス……? いったい、何の話なんだ?」
意味が分からない。
だが鳳の表情は真剣そのものだった。
数秒後――。
突然、車体の周囲で雪が激しく舞い上がった。
上空から凄まじい風圧が吹き付けてきたのである。
「なっ……!」
島は思わず顔を上げた。
真上からの風圧で車体がわずかに沈み込む。
サスペンションが軋む。
さらに耳を澄ますと、遠くから聞こえるような回転音が響いていた。
ババババババッ――
ヘリコプターに似ている。
しかし普通のヘリのローター音とはどこか違う。
「これは……航空機か?」
島は眉をひそめた。
「だが妙だ。これだけ近いのに音が小さすぎる……」
舞い上がる雪煙の流れも不自然だった。
通常のヘリなら円形になるはずの風紋が、数字の『8』あるいは『∞』の形を描いている。
「二基ローター……?」
窓越しに上空を見ようとする島へ、鳳が口を開いた。
「島警部補。これがアイアンウイング――『黒鉄の翼』だ」
鳳は静かに説明する。
「米軍のV-22オスプレイと同じティルトローター方式を採用した垂直離着陸機だ。この二基の回転翼が、ロシナンテの翼となる」
そう言って笑った。
「今からこの駄馬は、空を駆ける黒い天馬になる」
その瞬間だった。
島は窓の外に異様な光景を見た。
上空の景色が歪んでいる。
陽炎のように揺らぎ。
蜃気楼のように輪郭が崩れた”何か”が上から近づいて来る。
そこに何か巨大な物体が存在するはずなのに、目が捉えられない。
「な、何だ……?」
島は思わず目を擦った。
「安心したまえ」
鳳が笑う。
「君の目は正常だ。あれは光学迷彩だよ」
「光学迷彩?」
「そうだ。『黒鉄の翼』は現在ステルスモード中だ。レーダーだけでなく視覚的にも発見しにくくなっている」
説明が終わると同時に――
ガシンッ!
ガシンッ!
金属同士が噛み合う重い音が響く。
車体全体が軽く揺れた。
『”黒鉄の翼”接続完了』
ロシーナが告げる。
『ミッション”黒鉄の天馬”、構築完了しました。これより、”黒鉄の翼”は私の支配下に入ります』
島は息を呑んだ。
何かが車両と合体したのだ。
「発進だ」
鳳が命じる。
『了解』
次の瞬間――
車体がふわりと浮き上がった。
「うわっ!」
島が叫ぶ。
だが鳳は驚かない。
車はそのまま静かに地面を離れた。
そして吹雪の夜空へ向かって上昇していく。
陸を駆ける戦闘車両『ロシナンテ』は、こうして空を翔ける黒鉄の天馬へと姿を変えたのだった。
********
「あの虎野郎……」
ヒッチハイカーは吹雪の中を疾走しながら舌打ちした。
頭部から伸びた二本の触角が、後方の様子を正確に捉えている。
白虎はまだ追ってきていた。
大量の障害物をばら撒いたにもかかわらず、その勢いはまるで衰えていない。
「やはり速いな……」
ヒッチハイカーは小さく呟く。
「このまま逃げ続けても、そのうち追いつかれるか」
その時だった――。
前方の景色が大きく開ける。
吹雪の向こうに巨大な渓谷が姿を現した。
「……あれは」
ヒッチハイカーの口元が歪む。
〇✕県に聳える祖土牟山と醐模羅山。
二つの山の間を流れる木流川。
そしてその上に架かる巨大な鋼橋――夕霧橋。
全長三百メートルを超える鋼鉄製の巨大な橋梁だった。
冬の夜。
吹雪に閉ざされたその姿は、まるで巨大な怪物の骨格のように見える。
「ふふっ……」
ヒッチハイカーは笑った。
「そうか。あそこならいい」
逃げる必要はない。
むしろ利用すればいい。
この怪物へと変貌した身体を最大限に活かせる場所。
それがあの橋だった。
「あの橋で待っていてやるよ」
狂気を宿した眼が細められる。
「白い虎め……今度は俺がお前を狩る番だ」
ヒッチハイカーは速度を上げた。
目指すは夕霧橋。
そこが決戦の舞台だった。
********
夕霧橋へ到達したヒッチハイカーは、橋を渡ろうとはしなかった。
鋼鉄製の骨組みに取り付き、そのまま上へ登り始めたのである。
八本の脚が鋼材を掴む。
まるで巨大な蜘蛛だった。
本来なら不可能な動きだった。
鋭く尖った外骨格の脚は、鋼鉄の柱を登るのに向いていない。
だが今のヒッチハイカーは違う。
脚先が変形していた。
鋭利な爪だった先端が、生き物のようにうごめく。
やがて五本指の手へと姿を変えた。
右側の脚には右手。
左側の脚には左手。
合計四十本の指が鋼材をしっかりと掴む。
さらにその指には細かな毛がびっしりと生えていた。
まるで猿と蜘蛛を掛け合わせたような異形だった。
ヒッチハイカーは鋼材を渡り歩く。
いや、歩くという表現では足りない。
滑るような速度だった。
巨大な身体とは思えないほど軽快に移動していく。
そして――
変化は脚だけではなかった。
黒く膨れ上がった下半身。
その先端から、半透明の粘液が吐き出される。
粘液は細く長く伸びる。
それは半透明の糸だった。
大量の糸。
次から次へと吐き出されるそれは、鋼材へ絡みつき、橋全体へ広がっていく。
ヒッチハイカーは縦横無尽に動き回った。
吹雪の中を。
鋼橋の骨組みの中を。
まるで職人が織物を編み上げるかのように。
いや――
それは蜘蛛そのものだった。
巨大な蜘蛛の怪物が獲物を待つための巣を作っている。
その光景だった。
やがて夕霧橋中央部。
およそ百メートルに及ぶ範囲が半透明の糸に覆われていく。
無数の糸が複雑に絡み合い、一つの巨大な網を形成していた。
橋そのものが巨大な蜘蛛の巣へと変貌していく。
吹雪の中では見えにくい。
だが一度捕らわれれば逃げられない。
人間など容易に絡め取られるだろう。
その中心部には、さらに強固な巣が作られていた。
獲物を吊るすための場所。
そして決戦の舞台。
ヒッチハイカーは鋼材の上に立ち、完成した巣を見下ろした。
「さあ来い……」
その口元に狂気の笑みが浮かぶ。
「白虎」
吹雪の向こうから迫る追跡者を待ちながら、怪物は静かに身構えた。
********
「見えてきたぜ!」
白虎が叫んだ。
吹雪の向こうに巨大な鋼橋が姿を現す。
夕霧橋――。
木流川をまたぐ巨大橋梁だった。
しかし、その巨大な姿は通常の鋼橋とはまるで違っていた。
「何だ……あれ?」
伸田は思わず目を見開く。
橋の中央部が異様な光景になっていた。
無数の糸。
吹雪の中で半透明に光る巨大な網。
橋全体が巨大な蜘蛛の巣へと変貌していたのである。
「ちっ……」
白虎が牙を剥いた。
「やっぱりか――」
神獣の勘が告げていた。
あの怪物は逃げることをやめた。
ここを決戦場に選んだのだ。
「若造」
白虎が声を掛ける。
「降りろ」
伸田はふらつきながら地面へ足を下ろした。
だが足が笑ってまともに立てない。
長時間に及ぶ追跡で体力は限界だった。
それでも彼は倒れなかった。
夕霧橋を見つめる。
ただ一点だけを探していた。
「シズちゃん……」
その姿を。
愛する人の姿を。
必死に探す。
そして――
「あっ!」
伸田が叫んだ。
「いた!」
橋の中央。
蜘蛛の巣の奥。
そこに人影があった。
糸に巻かれ、吊り下げられている女性。
皆元静香だった。
「シズちゃん!」
伸田の顔に喜びと焦りが同時に浮かぶ。
愛する静香がいる――。
だが危険な状況に変わりはない。
少しでも遅れれば何が起きるか分からない。
「落ち着け」
白虎が低く唸る。
「焦った方が負けだ」
その視線は橋の上へ向けられていた。
巨大な蜘蛛の巣。
そしてその中心付近。
黒い影。
八本脚の怪物がこちらを見下ろしている。
ヒッチハイカーだった。
「待ってやがるな」
白虎が不敵に笑う。
「上等だ」
青白く光る牙が剥き出しになる。
「決着をつけてやるぜ」
********
一方その頃。
夕霧谷上空。
吹雪の夜空を『黒鉄の天馬』が飛行していた。
ロシナンテと黒鉄の翼。
二つが合体した特殊航空機である。
その内部では島が窓の外を見つめていた。
「な……」
思わず言葉を失う。
「何だ、あれは……」
眼下に見える夕霧橋。
そこに張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣。
そして中央に陣取る怪物。
あまりにも異様な光景だった。
長年警察官を務めてきた島だったが、こんなものは見たことがない。
「まるで怪獣映画だ……」
思わず本音が漏れる。
鳳も険しい表情で橋を見つめていた。
「いや」
静かに呟く。
「映画ならまだ良かった」
その声は重かった。
「現実だから厄介なんだ」
島は黙り込む。
確かにその通りだった。
もしこれが映画なら、スクリーンの向こう側の出来事で済む。
だが違う。
橋の上には実際に人質がいる。
失敗は許されない。
鳳はカーナビモニターへ視線を向けた。
「ロシーナ」
『はい、ミスター鳳』
「皆元さんの位置は?」
画面が切り替わる。
サーモグラフィー映像だった。
青い世界の中。
一つの熱源が映し出される。
『橋中央部に人質を確認』
ロシーナが答えた。
『生命反応あり』
「生きていたか」
鳳は小さく息を吐いた。
最悪の事態ではなかった。
だが状況は厳しい。
人質がいる以上、大型火器は使えない。
「面倒なことになったな……」
鳳は苦笑した。
もし静香がいなければ。
最強火器のレールガン(超電磁加速砲)で橋ごと吹き飛ばすという選択肢もあった。
しかし今は違う。
人質救出が最優先だった。
『ミスター鳳』
「何だ?」
『主および伸田伸也を確認』
モニターに新たな映像が表示される。
橋の手前。
雪原に立つ白虎と伸田。
決戦を前にした二人の姿だった。
「マスターって――あの白虎の事か?」
後部座席で島が目を丸くする。
運転席の鳳が小さく笑った。
「やれやれ」
そして呟く。
「本当に来たか」
その声には感心が混じっていた。
あの過酷な追跡を最後まで耐え抜いたのだ。
普通の人間なら途中で気絶していても不思議ではない。
「伸田君――大した男だよ、君は」
鳳はそう呟くと、再び夕霧橋へ視線を戻した。
怪物。
神獣。
陰陽師。
そして最新兵器。
吹雪の夕霧谷にすべての役者が揃った。
今まさに――
囚われた静香を巡る最後の戦いが始まろうとしていた。
【次回に続く……】




