第17話「どうしても南へ行きたいんだ…⑮『激突!怪物VS式神! そして、姿を現した白い魔獣!!』」
猛吹雪の中、自らが雪面に描いた五芒陣の中で、皆元静香と共にヒッチハイカーとSIT達の戦いを見守っていた鳳 成治がつぶやいた。
「だが、ヤツがここまで皆元さんに固執する理由は何なんだ……?
県警から提出されたヒッチハイカーが犯したとされる過去の猟奇殺人事件のデータによれば、被害者三十名のうち生き残りは三人だけだった。
だが助かったとはいえ、事件のあまりの残虐さに三人ともPTSD(post-traumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害)を発症してしまった。
共通点は三人とも女性だった事。
そしてもう一つ――事件当時、全員が妊娠していたという事実だ。
亡くなった被害者達を検死解剖した結果、妊娠していなかった女性は男性達と同様に残虐に殺害されていた。
複数の事件における、その共通点は捜査本部内で有力視された」
独り言のように分析を口にした後、鳳は隣にいる静香へ視線を向けた。
「皆元さん、たいへん失礼な事を聞くが……あなたは現在、妊娠しているのではないのか?」
普通なら女性本人には聞きにくい極めてプライベートな質問だったが、この男はためらいなく核心を突いた。
「え……? ど、どうして鳳さんがその事を……? ノビタさんにもまだ言ってないのに……」
静香が頬を赤らめながら問い返した。その反応だけで答えは十分だった。
胎児の父親は、やはり伸田なのだろう。
「分かった。いや、もういい……
やはりそうか――。
理由は分からんが、ヒッチハイカーが妊娠している女性だけを選んで殺さずにいるのは、ほぼ間違いないようだな」
鳳は納得したように頷くと、それ以上は追及しなかった。
そして再び怪物化したヒッチハイカーへ目を向ける。
「来るぞ! もの凄いスピードでヤツが来る!」
鳳が叫んだ。
気味の悪い蜘蛛のような脚さばきで疾走する怪物が、二人まで残り三十メートルほどに迫ったその時だった。
「カアアァーッ!」
それまで静香の隣で気持ち良さそうに首を撫でられていた擬人式神の八咫烏が、通常のカラスとは比較にならない甲高い声で鳴いた。
次の瞬間、翼開長五メートルはあろうかという巨大な黒い翼を広げる。
羽ばたきと同時に地面の雪が舞い上がり、八咫烏は吹雪の空へと飛翔した。
そして静香を護るかのように、迫り来るヒッチハイカーへ襲いかかっていった。
「クワアァーッ! カアッ!」
バサバサバサッ!
さすがのヒッチハイカーも、予想外の巨大カラスの奇襲に前進を止めざるを得なかった。
思いもよらぬ伏兵が現れたのである。
「ううっ! 何だコイツは?」
地面にいる敵なら外骨格の脚で攻撃出来た。
だが、自分より高い位置から人間部分を狙ってくる攻撃に対しては、生身の両手で頭部を庇うしかない。
静香は呆然とその光景を見つめた。
つい先ほどまで隣で首を撫でられ、気持ち良さそうに目を細めていた八咫烏が、本性をむき出しにしたかのようにヒッチハイカーへ襲いかかっている。
それは、まるで怪獣同士の戦いだった。
目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に、静香は思わず後ずさった。
「駄目だ、皆元さん! その五芒陣から出てはいけない!」
傍らから鳳の鋭い叱咤が飛ぶ。
「さっき説明しただろう! その結界内にいる限り魔物は決して手を出せない! そこが一番安全なんだ!」
怒鳴られた静香は慌てて五芒陣の中心へ戻った。
しかし、恐怖が消えるわけではない。
『鳳さんの言う事は本当なの……? こんな線で描いただけの魔法陣が、本当に私を護ってくれるの……?』
本当は半信半疑だった。
だが、逃げたところで怪物から逃げ切れるはずもない。
今は鳳を信じるしかなかった。
「カアァッ! カアアーッ!」
ビシッ! ビシビシッ!
空中の八咫烏が鋭い三本の足でヒッチハイカーの胴体を引っ掻き、掴み、引き裂こうとする。
さらに、鋭い嘴で頭部を含む生身の上半身を激しく突き回した。
今まで人間相手の戦闘で怯む事のなかったヒッチハイカーも、この巨大な八咫烏の攻撃には防戦一方だった。
頭を庇いながら、八本脚を動かしてじりじりと後退していく。
「そう、その調子よ! 頑張って、ヤタガラスちゃん!」
静香が祈るように両手を組んで応援する。
その隣では鳳も身を乗り出すようにして戦況を見つめていた。
「よし! 頭を狙え! いくらBERSで怪物化したヤツの再生能力でも、破壊された脳までは再生出来ないはずだ!」
声を上げると同時に、鳳は思念でも八咫烏へ命令を送った。
ヒッチハイカーは両腕を顔の前で交差させ、必死に嘴の攻撃を防いでいる。
「カアアアァーッ!」
命令を受けた八咫烏が鋭く鳴いた。
そしてヒッチハイカーの頭部へ向け、渾身の一撃を突き立てようとした瞬間――
それまで防御一辺倒だったヒッチハイカーが動いた。
頭部の髪の間から伸びた二本の触角。
その球状だった先端が鏃のように鋭く変形する。
次の瞬間――
伸びた触角が八咫烏の両目へ同時に突き刺さった。
「クワアアァァーッ!」
両目から血を噴き出しながら、八咫烏が苦痛の叫びを上げる。
頭を大きくのけ反らせたその一瞬を、ヒッチハイカーは見逃さなかった。
右手の山刀が水平方向に閃く。
「キャアーッ! ヤタガラスちゃん!」
静香の悲鳴が吹雪の中に響いた。
大量の血飛沫と黒い羽毛を撒き散らしながら、八咫烏の首が雪面へ落下する。
首を失った身体はしばらく空中で羽ばたき続けたが、やがて力尽き、自らの首へ覆い被さるように地面へ落ちた。
その身体から紫色の煙が立ち上る。
巨大だった姿はみるみる縮み、やがて黒い折り紙のカラスへと変わっていった。
八咫烏の死によって、鳳 成治が施していた『擬人式神』の術が解けたのだろう。
「やはり式神程度ではヤツには敵わぬか……」
鳳は淡々と呟いた。
そこに悔しさも悲しみも感じられない。
最初から結果を予想していたかのようだった。
「ふふふ……とんだ邪魔者だったが、これで二つの命を持つ女は俺のモノだ」
ヒッチハイカーはそう呟くと、静香へ向き直った。
「か、怪物が……こっちへ来る……」
二十メートルほどの距離から向けられた赤く光る双眸。
その視線だけで静香の身体は震え上がった。
「大丈夫だ! 何度も言うが、その五芒陣の中にいる限りヤツは君に手を出せない!」
********
伸田はヒッチハイカーが変身した怪物を追って懸命に走った。
だが、いくら雪面を必死に走っても、八本脚で高速移動するヒッチハイカーとの距離はなかなか縮まらなかった。
「くそ! 待てえっ! 化け物! 僕のシズちゃんに手を出すなっ!」
膝をつきそうになりながら絶望の叫びを上げたその時だった。
前方で、突然ヒッチハイカーに襲いかかる巨大な黒い怪鳥の姿が見えた。
そのカラスのような巨大な怪鳥を目にした伸田は最初、自分達にとって新たな敵が現れたのかと思い、さらなる絶望感に囚われた。
だが実際には、彼の目の前で怪物同士の激突が始まったのである。
結果はヒッチハイカーの勝利に終わり、巨大なカラスの姿は紫色の煙と共に消え去ってしまった。
しかし、追いつこうと必死に走っていた伸田にしてみれば、追いつけなかったヒッチハイカーの脚が止まっただけでもありがたかった。
伸田は怪物同士の戦いの最中に、遠巻きに大回りしながら静香達のいる地点へと回り込んで近づいていった。
そこでは、怪物達の戦いを固唾を呑んで見つめる静香と鳳の姿があった。
ようやく伸田は愛する恋人の元へ辿り着くことが出来たのである。
二人とも怪物達の戦いに気を取られており、別方向から近づいて来る伸田には全く気付いていなかった。
「シズちゃん!」
目の前に佇む愛する静香へ、伸田が呼びかけた。
「えっ! ノビタさん?」
自分の目で恋人の存在を認めた静香の瞳から涙が溢れた。
ようやく再会出来た喜びに、彼女は思わず駆け寄ろうとした。
その瞬間――
「駄目だ! 皆元さん! その五芒陣から出るんじゃない!」
鳳の鋭い叫び声が飛んだ。
その時だった。
ザザザザザザザーッ!
八咫烏を撃破したヒッチハイカーが、吹き荒れる猛吹雪の中から三人の前へ姿を現した。
「見つけたぞ! おんなあー!」
怪物ヒッチハイカーは甲殻類のような八本脚を器用に動かし、人間型の上半身を前方へ突き出すような前傾姿勢になりながら、静香を捕まえるべく左手を伸ばした。
「危ない! シズちゃん!」
伸田は恐怖の叫び声を上げた。
しかし――
バチッ! ジュッ!
静香へ向かって突き出されたヒッチハイカーの指先が、目に見えない何かに阻まれて火花を散らした。
その指先からは白い煙が立ち上る。
「な、何だ……これは?」
ヒッチハイカーは何度も静香へ向かって左手を伸ばした。
だが結果は同じだった。
まるで目に見えない壁が二人の間に存在し、自分の手を妨害して静香へ触れさせまいとしているかのようだった。
「本当だわ……五芒陣が私を護ってくれているのね」
雪面に突き立てられた五本の蝋燭。
それらを直線で結んで描き出された五芒星の魔法陣は、確かに静香を護っていた。
ヒッチハイカーの身体は指先一つすら内部へ侵入出来ないのである。
「今だ! 伸田君! 式神弾を撃てっ!」
鳳が叫んだ。
だが、その言葉を待つまでもなかった。
伸田はすでにヒッチハイカーへ向けてベレッタを構えていた。
怪物が静香へ伸ばし続けている左手へ照準を合わせる。
そして迷うことなく引き金を引いた。
パーンッ!
「ぎゃっ!」
伸田の放った式神弾が、見事に怪物の左掌を撃ち抜いた。
ジュウウウッ……
式神弾によって穿たれた銃創から白煙が上がり、傷口が燃え広がり始める。
「ぐがああぁっ! 貴様、またっ!」
ヒッチハイカーは右手の山刀を振るうと、自らの左手首を銃創より上の位置で切断した。
「きゃああっ!」
切り飛ばされた左手首が静香へ向かって飛んで行く。
だが五芒陣が生み出す見えない障壁に弾かれ、雪面へ転がった。
それでも切断された左手の傷口は燃え続けていた。
ガボッ! グジュルルルーッ!
胸が悪くなる音を立てながら、切断面から無数のミミズが束になったような触手が飛び出した。
ピンク色の触手はにゅるにゅると蠢きながら急速に伸び始める。
「貴様、もう許さんっ!」
伸田が再びベレッタを構えた瞬間だった。
数メートルに伸びた触手が鞭のようにしなり、彼へ向かって襲いかかった。
バシッ!
伸田の構えていたベレッタが弾き飛ばされた。
握った右手から離れる瞬間に暴発した式神弾は、怪物とは全く別の方向へ飛び去る。
「うっ! しまったあ!」
叫び声を上げたのは鳳だった。
彼の視線の先には、五芒陣を構成する五本の蝋燭のうち一本があった。
何ということか、暴発した一発の銃弾が燭台を直撃し、蝋燭を弾き飛ばしてしまったのである。
偶然とはいえ、何という不運な事故だろうか。
この事故によって、静香を護っていた五芒陣の障壁は消え去ってしまった。
しかも、静香を救おうとした伸田自身の銃弾によって――。
ベレッタを弾き飛ばした触手は、そのまま伸田の顔面へ襲いかかった。
「危ないっ!」
叫びながら鳳が飛び込む。
伸田を雪面へ突き飛ばし、自らが盾となった。
ズバッ! ブッシューッ!
「ぐわあっ!」
だが、苦痛の叫び声を上げたのは鳳ではなかった。
ヒッチハイカーだった。
鳳へ襲いかかった触手が、切断面から緑色の鮮血を撒き散らしながら宙を舞っていたのである。
「うおおっ! き、貴様あっ! いったい何を?」
ヒッチハイカーの驚愕の叫びが吹雪く夜空に響いた。
その中で、雪面に倒れた伸田の前へ鳳が立ち上がる。
彼の右手には、満月の光を反射して白銀に輝く一本の両刃の剣が握られていた。
刃渡り五十センチほどの刀身と鍔、そして二十センチほどの柄。
その全てが銀色の金属で造られた剣だった。
「き、貴様……何だ、その剣は?」
強靭な筋肉で出来た自らの触手を一瞬で切断した剣を見つめながら、ヒッチハイカーが驚愕の声を漏らした。
「この剣は、我が父が宮司を務める『安倍神社』に創設以来より代々伝わる『ヒヒイロカネの剣』。
通常は祭礼に用いられる剣だが、同時に魔を祓う退魔の剣でもある。
貴様のような魔界の存在となり果てた化け物を切り裂くための剣だ」
鳳は静かに答えた。
ヒッチハイカーは即座に鳳の方へ体の向きを変えた。
「ふん……何だ、そんな剣ごとき!」
一番左前の硬い外骨格の脚を振り上げ、一気に鳳めがけて振り下ろす。
カキーンッ! バシュッ!
鳳は真っ直ぐ自分へ振り下ろされた鋭い鉤爪を素早く躱すと同時に、『ヒヒイロカネの剣』を逆袈裟に振り上げた。
その一閃は見事にヒッチハイカーの脚先を斬り飛ばしていた。
切断面から緑色の体液が空中へ迸る。
SMGから発射された九ミリパラベラム弾を全て弾き返した怪物の外骨格を、一薙ぎで鮮やかに切断したのである。
「そ、そんな馬鹿な……」
ヒッチハイカーが狼狽した声を漏らす。
「この剣を形成する日緋色金は、残念ながら現代では素材も精錬技術も失われてしまった。だが紛う方なき太古の日本に存在した伝説の超金属だ。
その硬度は金剛石をも上回る。この剣に斬れぬ物など存在しない。
貴様ら魔界の存在がいかに硬く変化しようとも、この剣の前では恐れるに足らず!」
鳳は『ヒヒイロカネの剣』の切っ先をヒッチハイカーへ向けた。
「ぬううう……忌々しい剣だ。
だが、さっきの銃弾のように切り口から俺の身体を焼く力は無いようだな」
剣の威力に一瞬怯んでいたヒッチハイカーだったが、すぐに不敵な表情を取り戻した。
しかも『ヒヒイロカネの剣』で切断された触手や脚先は、見る見るうちに再生を始めていた。
「ふっ……怪物の割には賢しい奴め。気付いたか。
確かにお前の言う通りだ。
『ヒヒイロカネの剣』は超硬度ゆえに、鉛の銃弾のように念を込めた五芒星の文様を刻む事が出来ない。
つまり、『式神弾』のような使い方は不可能なのだ」
苦々しく呟きながらも、鳳は右手に剣を握り、左手では片手印を結んで早九字を切り始めた。
「されど、この俺が貴様の好きにはさせん!
青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台……」
しかし、鳳が九字の文言を唱え終える前にヒッチハイカーが動いた。
「ふんっ!」
再生した左手の触手が伸びる。
だが、狙いは鳳ではなかった。
静香だった。
「キャアーッ!」
一本の蝋燭が倒された事によって、すでに五芒陣の効力は失われていた。
鞭のように伸びた触手が静香の腰へ巻き付く。
「うっ! た、助けて……ノビタさん!」
静香の身体が雪面から軽々と持ち上げられた。
「シズちゃん!」
鳳に突き飛ばされて雪面へ転がっていた伸田が、よろめきながら立ち上がる。
「はっはあ! ついに取り戻したぞ! 二つの命を持つ女を!」
ヒッチハイカーは触手で捕らえた静香を自分の顔の前まで引き寄せた。
そして全身を舐め回すように見ながら身体中の匂いを嗅ぎ回る。
「いやあっ! やめてっ!」
静香が恐怖と嫌悪に満ちた悲鳴を上げ、必死に身をよじった。
「や、やめろっ! シズちゃんを放せっ!」
伸田は拳を握り締めた。爪が掌へ食い込み、血が流れるほど強く。
怒りと悔しさを滲ませながら、ふらつく足取りで怪物へ近付いていく。
「この女は俺のモノだ!
貴様のような虫けらは、さっさと死ねっ!」
ヒッチハイカーは前脚を大きく振りかぶった。
そして伸田へ向かって振り下ろす。
「危ないっ!」
カキーンッ!
再び鳳が二人の間へ割って入った。
『ヒヒイロカネの剣』で怪物の前脚を受け止める。
「ぐっ!」
「また邪魔をするか、貴様!
ならば、お前から殺してくれるっ!」
ヒッチハイカーが怒り狂った。
受け止められた前脚へさらに力を込める。重機にも匹敵する怪力だった。
剣は耐えても、人間である鳳の身体までは耐えられない。
両腕は徐々に押し下げられ、片膝が雪面に着き、やがて両膝が沈む。
全身の骨がギシギシと軋み始めた。
「くっ……これまでか……」
その時だった――。
「ぐわおおおおおぉーっ!」
大地を揺るがすような雄叫びが山中へ響き渡った。
その場にいた全員が驚愕した。
怪物ヒッチハイカーでさえ、鳳を攻撃する動きを止めた。いや、魔獣と化した本能が恐怖を感じ取ったのである。
そして、一陣の白い突風が吹き抜けた次の瞬間――
ヒッチハイカーの前脚の半分が消失していた。
「ぐぎゃあああぁーっ! 俺の脚がああぁっ!」
先ほど鳳の『ヒヒイロカネの剣』で切断された切り口とは違い、まるで引き千切られたような脚の断面がブスブスと燃え始めていた。
それはまるで『式神弾』で撃ち抜かれた銃創のようだった。
「ぐわおおおっ!」
大地を揺るがす野獣の咆哮が再び山中に響き渡った。
ヒッチハイカーも含め、その場にいた全員が一斉に咆哮の上がった方角を見た。
そこには、積もった白い雪と吹き荒れる吹雪の中に四本足で立つ白い野獣の姿があった。
白い風景へ溶け込むかのような真っ白い毛皮。その全身には黒い縞模様がくっきりと浮かび上がっている。
体長は三メートルほどもあった。
その足元には、噛み千切られたヒッチハイカーの前脚が転がっている。
しかも断面は赤くはなく、青白い熾火のような光を放ちながら燃え続けていた。
「やっと来たか……遅いぞ……」
左膝を雪面に着き、『ヒヒイロカネの剣』を杖代わりにして身体を支えていた鳳が、苦笑にも似た表情を浮かべながら荒い息の中で呟いた。
安心したのだろうか。
鳳はそのまま雪面へ腰を下ろし、全身の力を抜いた。
白い虎の両眼は、まるで内側から光を放っているかのように青白く輝いていた。
大きく開いた口から覗く牙もまた、同じ色の光を放っている。
「何だ……?
あれが助けてくれたのか……? ホワイトタイガー?
どこかの動物園から逃げ出して来たのか?」
伸田は束の間、自分達が置かれている状況を忘れ、素直な疑問を口にした。
「あれは白虎……
神獣白虎だ」
鳳が静かに答えた。
「神獣……?
そんな馬鹿な……」
伸田は鳳の方を見て首を横に振った。どうしても信じられなかったのである。
そんな伸田へ、鳳は教え諭すような口調で言った。
「君は自分の目であれを見ても、まだ信じられないのか?
ではヒッチハイカーの存在はどうだ? 君の撃った『式神弾』は?
この世には人間の常識では計り知れない事象が、いくらでも存在するんだよ」
頭では俄かに信じられなかった。
だが心のどこかで、鳳の言葉が真実だと悟っていた。
「伸田君。早くベレッタを拾いたまえ。
君の手で皆元さんを救うんだ」
鳳の声に、伸田はハッと我に返った。
急いで辺りを見回し、触手によって弾き飛ばされたベレッタを探す。
「あった!」
ベレッタは左後方数メートルの雪面に半ば埋もれるように落ちていた。グリップを下にし、銃口部分だけが雪の上に覗いている。
伸田はすぐに駆け寄り、それを拾い上げた。
一方、ヒッチハイカーは狼狽していた。
神獣白虎に噛み千切られた左前脚が、じわじわと燃え広がっている。
不死身で無敵の存在となったと思っていた自分を上回る怪物が現れたのである。
生物としての本能が警鐘を鳴らしていた。
突然姿を現した白虎は、自分にとって天敵と呼ぶべき存在だった。
しかし白虎は十数メートル離れた場所に立ったまま、青白く輝く眼でヒッチハイカーを見つめているだけで、それ以上の攻撃を加えようとはしなかった。
『ヤツから逃げなければ……』
ヒッチハイカーの頭には、その考えしか無かった。
だが――
『この女だけは絶対に手放さん……』
左手の触手で捕らえた静香を放棄する気は無かった。
触手へ力を込める。
「うっ! く、苦しい……」
静香の顔に苦悶の表情が浮かんだ。
ヒッチハイカーは苦しむ静香と白虎、そして燃え続ける自分の左前脚を順に見比べた。
「くっ!」
次の瞬間――
右手の山刀を振り上げると、燃えている脚の付け根へ叩き付ける。硬い外骨格に覆われた脚の関節部分がスパッと断ち切られた。
まるでトカゲの尻尾切りだった。燃え広がる前に、自らの意思で脚を切り捨てたのである。
それにしても――
ヒッチハイカーの山刀には、鳳の持つ『ヒヒイロカネの剣』に匹敵する切れ味があるのだろうか? 一薙ぎで銃弾をも跳ね返す外骨格の脚を切断してしまった――
『ヤツの牙には、あの不思議な銃弾と同じ力があるのか……』
そう判断したヒッチハイカーは、白虎と戦う事を諦めた。
これ以上身体を食い千切られるのは危険過ぎた。
『目的の女は手に入れた。ここは逃げるのが利口だな』
その間にも、自ら切り離した脚は再生を始めていた。
やがて八本の脚が再び揃う。
ヒッチハイカーは即座に反転し、白虎とは反対方向へ向かって高速移動を開始した。
その時だった――。
「ぐわあおおおぉーっ!」
白虎が再び咆哮した。
そして次の瞬間には、ヒッチハイカーの頭上を飛び越え、その進行方向へ立ち塞がっていた。
「なっ!?」
ヒッチハイカーは慌てて方向を変える。
しかし、白虎は再び跳躍した。
高さ十メートル近く。距離にして三十メートル以上。
凄まじい跳躍力で先回りしてしまう。
何度方向を変えても結果は同じだった。
静香を連れたまま、この場から逃げ出せないのである。
ヒッチハイカーは動きを止めた。
果たして逃走を諦めたのだろうか……?
何を考えたのか、ヒッチハイカーは逃げようと必死にもがく静香を捕らえた左手の長い触手を動かし、自分の顔の前へ横たえるような向きで吊り上げた。
そして右手に持つ山刀の刃を、静香の喉元へ押し当てる。
「これを見ろ! この女の首を刎ねられたくなかったら、誰も俺の邪魔をするな!」
ヒッチハイカーは勝ち誇ったように叫ぶと、静香を捕らえた触手を白い虎、鳳、そして伸田へと順に向け、見せつけるように揺らした。
「うっ、ううぅ――」
目の前に突き付けられた山刀の刃を恐怖に見開いた眼で見つめ、静香が呻き声を上げる。
「この女の命が惜しかったら、俺から離れて武器を捨てろ。もうここに用はない。俺はここから離れるが、貴様らは追って来るなよ!」
人質として静香を利用し、この場から逃げるつもりなのだ。
「くっ……」
伸田は拾い上げたベレッタをヒッチハイカーへ向けていたが、ゆっくりと銃口を下げた。
鳳成治もまた、静香を人質に取られては手を出せない。
手にしていた『ヒヒイロカネの剣』を雪面へ放り投げた。
「ガルルルルル……」
白い虎はヒッチハイカーを睨みながら唸り声を上げていた。
だが不思議な事に飛びかかろうとはしない。人質を取られている状況を理解しているかのようだった。
「そこの小僧。その銃は俺にとって危険だ。弾倉を抜いてこっちへ放り投げろ」
ヒッチハイカーは吊り上げた静香を伸田へ向け、山刀を彼女の首筋のすぐ傍で揺らしながら命じた。
「くそっ……」
伸田は歯を食いしばった。
だが、従うしかなかった。
ベレッタのマガジンリリースボタンを押し、『式神弾』の入った弾倉を抜き出すと、ヒッチハイカーの足元へ放り投げた。
「ふっ……それでいい」
バキッ!
ヒッチハイカーはカニの外骨格のように頑丈な前脚の鋭い爪先で、弾倉を何度も踏み砕いた。
壊れた弾倉から数発の『式神弾』が飛び出し、中には潰れた弾丸もあった。
「これでいい。そっちの白い虎が貴様らのペットなら、俺を追わせるんじゃないぞ。こっちには、この女がいるのを忘れるな」
そう言い捨てると、ヒッチハイカーは静香を触手に捕らえたまま、八本脚を凄まじい速さで動かしてその場を離脱した。
怪物は猛吹雪の中へ消えるように逃げ去って行く。
鳳は投げ捨てた『ヒヒイロカネの剣』を拾い上げると、次に破壊されたベレッタの弾倉の所へ歩み寄り、雪面にしゃがみ込んだ。
伸田は打ちのめされていた。
愛する婚約者を、再び目の前で怪物ヒッチハイカーに攫われてしまったのである。
「僕は腰抜けの大馬鹿野郎だ……最愛のシズちゃんを自分の目の前で……」
ガックリと肩を落とした伸田は、ヒッチハイカーの消え去った彼方をただ呆然と見つめていた。
【次回に続く……】




