第15話「どうしても南へ行きたいんだ…⑬『進化する怪物! 雪中の死闘』」
ヒッチハイカーが伸田の『式神弾』を受けて転倒したのを確認すると、離れた位置に展開していた二人のSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)隊員が、伸田のいる地点まで駆け寄って来た。
「見ましたか、島警部補! 今のを! ものすごい一撃でしたね!」
関本巡査が興奮して叫んだ。
「ああ! たった一発の9mmパラベラム弾がヤツに対してすごい威力を発揮したのは間違いない。あの銃弾で出来た銃創が、ヤツの足を内側から焼き始めたんだからな。
こいつはいけるぞ。なあ、伸田君!」
普段は冷静な島が関本と同じく興奮しながら言った。
「ええ、確かに。ですが、ヤツは負った銃創部より近位部を山刀で切断して回避しました。まるで『トカゲのしっぽ切り』だ。
あれをやられると、切断部からまた再生してしまう。」
たった今、目の当たりにしたヒッチハイカーの驚くべき再生能力を伸田が口にした。
「ああ… その『式神弾』で負わせた傷だけがヤツの再生能力を無効に出来るみたいだな。
だが…さすがの化け物も頭や胴体のど真ん中にその銃弾を喰らったら、再生は不可能なんじゃないか?」
島が自分の考えを言った。
「ええ、僕も同意見です。四肢じゃなく、胴体か頭を狙いましょう。」
我が意を得たりとばかりに伸田が言う。
「だが、この激しい吹雪の中じゃあ、十数m以上離れて拳銃で正確に当てるのは難しいぞ。
いくら伸田君の射撃が正確でも、この厳しい環境には逆らえない。」
三人それぞれが射撃に長けた者達である。誰もが言い出し難かった意見を島が口にした。
「会議はここまでです! ヤツが来ます! 展開しましょう! このままだとヤツに一網打尽にされる!」
伸田が最後まで言うよりも早く、島も関本も同時に駆け出していた。二人とも歴戦のSIT隊員なのだ。
「関本! 俺とお前でヤツの頭部に狙いを集中するぞ!
ヤツが頭を庇う間に伸田君はヒッチハイカーを撃て!」
「了解!」
「分かりました!」
島の命令に、二人が肯定の声を上げる。
伸田を中心にして島と関本は反対方向へ展開した。
タタタタタッ!
タタタタタッ! パララララッ!
迫りくる怪物の頭部に向けて、島と関本の持つSMGが9mmパラベラム弾を浴びせた。
ヒッチハイカーは伸田の銃弾を警戒しているのか、今度は走って迫ろうとはしない。
ゆっくりとだが、じわじわと歩を詰めてくる。そこへ、島と関本のSMGの同時斉射が襲いかかった。
怪物は両腕をクロスさせ、頭部への直撃を防ぐ。
組み合わせた腕の隙間から、ヒッチハイカーの燃え盛るように赤く光る眼が一直線に伸田を睨みつけていた。
伸田は『ベレッタ90-Two』の照準をヒッチハイカーの腹部へ合わせた。
「この『式神弾』をドテっ腹にぶち込んで貴様の身体を焼き焦がしてやる。
殺されたみんなの仇だ! 食らえ、化け物!」
狙いを定めた伸田は引き金を引いた。
パーンッ!
乾いた銃声が周辺に鳴り響く――。
「当たれっ!『式神弾』!」
必死の思いを込めて伸田が放った『式神弾』は、彼の願いも虚しく、ヒッチハイカーの腹部中央どころか、胴体にすら掠らなかった。
怪物は予測もつかない動きに出たのだ。
ヒッチハイカーは、それまで狙っていた伸田ではなく、右側に展開していた関本へ向けて跳躍した。
十数mは離れていた関本との距離を、怪物は一気に飛び越えたのだ。
一番驚いたのは関本だった――。
つい今まで遠距離で撃ち合っていた怪物が、一瞬で目の前に現れたのだ。
跳躍力もさることながら、その速度も半端では無い。
つい先ほど失った両膝から下を再生したばかりだとは思えない動きだった。
ヒッチハイカーは正面から伸ばした左手で関本の首を掴み、そのまま軽々と吊り上げた。
装備込みで100kgを超える関本の身体が、片手で軽々と吊り上げられていた――
「ゲ、ゲホッ… は、放せ… 化け物!」
関本は首に自重がかかり過ぎないように、怪物の左腕に自分の左手一本でしがみつき、右手に握ったSMGの銃口を相手の身体に直付けにして引き金を引いた。
タタタタタッ!
タタタタタッ!
バスッ! バスバスッ!
至近距離から発射された9mmパラベラム徹甲弾が、ヒッチハイカーの身体に突き刺さる。
だが――これまでと同じで身体にめり込んだ徹甲弾は、怪物の筋肉を突き破る事無く押し戻される。
関本の首を掴む左手にさらに力が加わる――。
カチッ! カチ、カチ……
すぐにSMGは撃ち尽くされ弾倉が空になった。
新しい弾倉への交換は不可能だ。
関本は怪物の左手首にぶら下がっていた左手を右手に持ち換え、肩から吊り下がったもう一丁のSMGの銃把を左手で握った。
「クソ野郎っ!」
関本の左手に握られたSMGが火を噴いた――
タタタタタッ!
タタタタタッ!
カチッ、カチ……
弾丸が尽きた――
至近距離から撃ち込んでも、怪物にダメージを与えられない――
「ふっ、無駄だ。
いくら撃っても、俺には効きはしない。
俺が怖いのは、あの男の持つ銃だけだ。
だが、今はまだお前を殺さない。
お前は俺の盾だ…
ヤツが俺を撃てば、まずお前が死ぬ――。」
恐ろしい顔を関本に寄せた怪物がニヤリと笑いながら言った。
「関本を放せ! 卑怯だぞ、貴様っ!」
島がヒッチハイカーにSMGの銃口を向けた。
だが――
発砲する事は出来ない……
ヒッチハイカーは、鼻から島など相手にしていない。
捕らえた関本を盾として向けているのは伸田に対してだけだった。
「くそ、関本さんを『式神弾』の盾に…」
『式神弾』を撃てる唯一の銃を、伸田は震える右手で握りしめる。
吹き荒ぶ吹雪の中――額に汗が浮かぶ。
「う、撃て… 伸田君… お、俺に構うなっ!」
「やかましい」
静かに呟いたヒッチハイカーは右手に握る山刀の鋭い切っ先を、関本の左大腿部に何の躊躇いも無く突き刺した。
「ぐっ! ぐうううぅ…」
関本が苦痛の叫びを上げようとしたが、喉を圧迫されているため、くぐもった呻き声にしかならない。
「や、やめろ! 関本を放せ!」
悲痛な顔で叫ぶ島――
「関本さん! だ、ダメだ… 僕には撃てない…」
伸田には、関本を人質に取られたまま撃つ事は出来なかった。
その時だった――
「ぐ、ぐおお…?」
この時、唸り声を上げたのは――驚いた事に関本ではなくヒッチハイカーの方だった。
「む?」
「え…?」
それまで見守るしかなかった島と伸田には、ヒッチハイカーに何が起きたのか分からなかった。
ぐらっ…
関本の身体を吊るし上げたまま、怪物の身体が左に傾いだ…
ドサッ…
関本が地面に落ちる――
腰を落としたヒッチハイカーの左膝が積もった雪にめり込み、よろけるのと同時に関本の首を放したのだった。
ズボッ!
「ぐわああっ!」
関本が苦痛の叫び声を上げた――。
ヒッチハイカーが、関本の左大腿部を貫いていた山刀をいきなり引き抜いたのだ。
「ぐうう… また…やりやがったな、小僧め!」
燃える様な赤い双眸を伸田に向けたヒッチハイカーが、憎しみに満ちた声を上げる。
今――
怪物の右足の甲から、肉の焼ける音と共にブスブスと煙が上がっていた。
ヒッチハイカーは超人的な跳躍で伸田が狙った腹部中央は見事に躱したものの、『式神弾』は怪物の右足の甲を貫通していたのだった。
『式神弾』の開けた貫通銃創が、再びヒッチハイカーの右足を穴の周辺から焼き始める。
「ヤツの右足に当たってたんだ!」
その隙を逃さず、島が地面に倒れた関本に駆け寄る。
「しっかりしろ、関本! 立つんだ。ヤツから逃げるぞ!」
自力で立てない関本を、島が助け起こす。
「ゴ、ゴホゴホッ! も、申し訳ありません… 警部補… ゴホッ!」
苦しそうに喉をさすりながら関本が島に謝る。
彼の左大腿部の傷口から流れ出した血が、黒いズボンに、さらに黒い染みを広げていく――
重傷だった。
「バカ野郎、何を言ってる! お前は立派に戦った! 今は逃げるぞ!」
左大腿部から血を流し、苦しげに喘ぐ関本を島が励ます。
「急いで、島さん! 早く行って下さい。僕が援護します! ヤツを近づけさせはしません!」
二人に駆け寄った伸田が背後に立ち、怪物に対峙した。
「す、すまん… 伸田君。」
「急いで下さい!」
島の謝罪を聞き流し、伸田が二人を急かす。
ズバッ!
「ぐっ!」
またもやヒッチハイカーは、『式神弾』で焼かれ始めた右足首を斬り落とした。
じゅぼっ! ぐじゅるるるっ!
またしても胸の悪くなる音を発し、右足先の再生が始まる。
これでは繰り返しだ。
その時だった――!
バリバリッ! ギュイィィーンッ! ブイィーンッ!
突然、けたたましい爆音が鳴り響いた。
ギュイィィーンッ! ズババババッ! ブジュブジュブジュッ!
鳴り響く爆音に肉を切り裂く音が続く――
「な、何? ぐわああっ!」
ヒッチハイカーが喚き声を上げる。
伸田は見た――
再生が完了し切っていない怪物の右脚を、背後から何者かがチェーンソーでぶった切っている――。
けたたましいエンジン音を発して回転するチェーンが、すでに怪物の右大腿部の半分以上を切断していた。
細切れと化した肉と血が四方に飛び散り、雪面を真っ赤に染めていく。
「みんなのカタキだ! 化け物め、思い知ったか!」
狂ったように叫びながらチェーンソーを振るっているのは――
「安田さん! 安田巡査っ!」
伸田の呼びかけにニヤッと笑顔を返したのは、重傷を負った山村巡査部長を長谷川と共に臨時作戦本部まで運んで行った安田巡査その人だった。
伸田に笑いかけはしたが、安田はチェーンソーを振るう両腕の力を緩めなかった。
安田の考えはこうだ――
いくらチェーンソーで手足を切断したところで怪物は死にはしないだろう…
だが、負傷した関本を抱えて離脱する島を逃がすための時間稼ぎにはなるはずだ。
「ここは、俺が防波堤になってやる!」
無茶苦茶な作戦だという事は安田自身にも分かっていた。
だが、長谷川と共に山村を救護班の元まで送り届けた安田は、製材所に置かれていたチェーンソーを見かけた時点で、いてもたってもいられずに飛び出して来たのだ。
「何とかこいつで、命を落とした仲間達のカタキを… あのバケモノに一矢だけでも報いてやりたい!」
そう考えた安田は、自分の行動を絶対に許可しないであろう隊長の長谷川には黙ったまま、一人チェーンソーを肩に担ぎ戦いの場に戻って来たのだった。
「くっ!」
ブンッ!
背後の自分に向けてヒッチハイカーが振り回した山刀を、安田はチェーンソーを引き抜いてかろうじて躱した!
ブイィーンッ! バリバリバリッ! ガッキィーンッ! ガリガリガリッ!
ヒッチハイカーの山刀と安田のチェーンソーが接触し、凄まじい音と火花を散らした。
衝撃を受けた安田が後方へ吹っ飛んだ。その拍子にチェーンソーが安田の手から離れ、数m離れた地面に突き刺さる。
突き刺さったチェーンソーは、安全機構が働いたのか、そのまま回転を止めた。
後方に吹っ飛んだ安田は柔道の受け身を取り、雪面も衝撃を吸収したためダメージを負わなかった。
頑健な安田は、すぐに起き上がると肩から吊っていたSMGをヒッチハイカーに向けて構えた。
「くそ! もう少しだったのに!」
安田が悔しそうに吐き捨てる。
ヒッチハイカーの左大腿は、8割がた切断された状態だった。残った筋肉でブラブラと垂れ下がっている。
さすがの怪物でも、当分は動けないだろうと安田は思った。
「少しは足止め出来たか……」
********
所変わって――
製材所内にあるSITの臨時作戦指揮所である。
長谷川と安田によって担ぎ込まれた山村が応急手当を受けていた。
だが、山村の受けた傷はひどく、一刻も早く緊急手術を受けさせねばならない状態だった。
長谷川が電話をしている。
「――こちらSIT隊長の長谷川です。
濱田本部長、増援部隊と救急隊の派遣はどうなっていますか?
今回の作戦に参加した者の内、確認されているだけで19名もの警察官が殉職しているんです! 生き残っている者の中にも重症者がいます! 急いで救急入院させないと命を失います!」
長谷川は〇X県警本部長である濱田警視長への現状報告を行っていた。立ち上がったまま話す長谷川は興奮し、拳を振り回して唾をまき散らしていた。
多くの部下達を失った隊長としては、本部長に対して言いたい事も聞きたい事もいっぱいあった。
『――きみの報告で現場の状況はよく分かった。気持ちは分かるが、少し落ち着きたまえ。
すぐにでも増援及び救急隊を現場へ送りたい気持ちは君と同じだ。
だが、雪の影響で県道が崖崩れを起こし、塞がれているんだ。
つまり、君達のいる製材所へ通じる道は現在遮断されてしまった。
ヘリは猛吹雪の中では飛ばせない。
現在、県道を塞いだ土砂を除去すべく、特殊車両が災害地点に向かっている。
君達の現状を十分に理解した上で、本部としても精一杯やっている。
分かってくれ、長谷川君……』
長谷川は以前に濱田県警本部長に会った事がある。
濱田はキャリア組としては珍しい事に、現場の警察官の事を思いやる温厚で人望のある人物だった。
電話を通した声にも、彼の心底からの苦渋の響きが明らかなのを長谷川は聞き取った。
「分かりました、本部長――
一刻も早い増援と救急隊の派遣をお願い致します。」
長谷川としては、こう言う他は無かった。辛いのは現場も本部も同様なのだ。
『――もちろんだよ、長谷川君。
本部としては知事や県庁とも連絡を取り合い、精一杯の努力を続けている。もう少し辛抱してくれ。
それから――鳳 成治指揮官はどうしておられる? 彼はご無事なのか?』
「――ええ、あの人は無事です。しかし、本部長の紹介状を持って来たあの人物はいったい何者なんですか?
彼が言っている内調(内閣情報調査室)の課長というのは本当なのですか? そんな政府の官僚がなぜ?」
長谷川は一番疑問に思っていた事を、本部長にぶつけた。
『――いいか、長谷川君。あの人物の命令には、決して逆らうんじゃない。これは至上命令だ。
県警本部長の私でさえ、鳳氏には反対意見を口に出来ない……』
長谷川の質問は最も痛い所を突いたらしく、濱田としても答えたくても答えられない様子だった。
「――そんな事が……
県警トップの本部長でさえもですか?」
『――いいか、今から君に話す事はオフレコだ。絶対に他言は無用だぞ。君は聞かなかった事にするんだ――いいな。』
濱田が長谷川に対し、念を入れて厳命した。
「――はっ、承知しました。私の職と名誉にかけて誓います。」
ただならぬ濱田の口調に、長谷川は生唾を飲み込みながら了解の旨を伝える。
『――よろしい。君は信頼出来る男だと承知している。それに君は、この事件の現場における当事者であり、大勢の部下を失っている。君には知る権利がある。
あの鳳氏に本部長の私ですら逆らえんというのは、彼が警視総監どころか警察庁長官よりさらに上の権限を持っている人物だからだ。
今回の我々の県内で起きた「ヒッチハイカー」事件は、鳳氏が全権を担っている。
国の中枢が決定した事項だ。
県警も県知事も、本件では鳳氏の指揮下に入っている。
彼の命令は最優先事項となる。
私が知らされているのは、例の「ヒッチハイカー」という怪物の誕生に某国が開発した危険な薬物が関係しているという事と、県内で行方不明となった該当薬物の捜索及び、薬物摂取によって誕生したと思われる「ヒッチハイカー」の身柄の確保もしくは処分を鳳氏の率いる機関が一任されているという事だけだ。
悪いが、私の知っている事は以上だ。それ以外に関しては、この私でさえ知らされていない。』
濱田は長い説明を一気に、だが苦しそうに話した。
自分を信頼して機密事項を打ち明けてくれた本部長をこれ以上苦しませる訳にはいかない――長谷川はそう思った。
「――分かりました、本部長。
私の様な者を信頼して打ち明けて下さった事を感謝致します。
今お聞きした話を誰にも漏らさない事を誓います。
そして、鳳指揮官の命令には絶対服従する事もお約束します。」
不本意ではあったが濱田を安心させるためには、そう答えざるを得なかった。
『――分かってくれてありがとう、長谷川君。
殉職した警官達の二階級特進はもちろんだが、生存した者達にも相応の報いをする事は私が約束しよう。』
濱田はやっと安心したのか、電話の向こうでため息を吐いた。
「――ですが本部長、この一件をマスコミが嗅ぎ付けてくればどう対処するのでありますか?」
もっともな疑問を長谷川が口にした。当然危惧される事態である。
『――それに関しては心配には及ばんよ。全ての報道機関に国からの圧力がかかっているはずだ。トップレベルの報道管制が敷かれているから、報道を通して本件が表に出る事は無い。』
「――はあ、そこまで手が回されているのでありますか……」
『――それに本件は国家規模の機密であるため、県知事から自衛隊への表立っての「災害派遣要請」は出来ない。本件の対処には鳳指揮官直属の極秘シークレット部隊が派遣される。すでに、その部隊が現場に急行中だと聞かされている。
その部隊は今回の様な案件を専門に対処するエキスパート集団らしい。「ヒッチハイカー」の処理は彼らに任せるしかない。
君達は彼らの到着まで持ちこたえ、必ず生き延びてくれ。
長谷川君――今の私には、それ以上は言ってやる事が出来ないんだ。不甲斐ない我々上層部を許してくれ……』
長谷川には電話の向こうで濱田が生真面目に頭を下げているような気がした。いや、実際そうなのに違いない。
「――了解しました、本部長。私を信じて話して下さった事に感謝します。本部長の苦しい胸の内をお察しします。
では、自分は現場において鳳指揮官に従って行動します。」
『――もう少しだ。頑張ってくれ……』
このやり取りを最後に、長谷川は本部長との通話を終えた。
「ふう… 本部長直々の命令じゃ仕方ない――。言われた通り、あの得体の知れない指揮官殿の言葉に従うか……」
ため息と共に、そうつぶやいた長谷川は電話機を元に戻した。
「安田! 安田はいるか!」
長谷川が呼んだ時には、安田の姿は作戦指揮所から消えていた。
安田が自分に断りなく、製材所に置いてあったチェーンソーを肩に担ぎ、島達の元へと向かった事を長谷川は全く知らなかった。
********
立ち上がろうとしたヒッチハイカーは、安田にチェーンソーで右大腿を8割がた切断された脚で踏ん張り切れずヨロヨロとよろめいた。
この怪物にとって現状が厳しいものであるのは間違いなかった。
「ぐうう… こんな脆弱な脚など、もう必要ない…
この俺に相応しい、もっと強い脚を寄こせえっ!」
そう叫び、目を瞑ったヒッチハイカーは全身に漲るありったけの力を両脚に集中した。
すると――
吹雪にも関わらず、怪物の全身から汗がほとばしり白い蒸気が立ち上った。
いや――それだけでは無かった。
彼の両脚から、霧ともオーラともつかぬ黒い粒子が、ゆらゆらと揺らめきながら放出されてきた。
黒い霧がヒッチハイカーの全身を包み込む――。
グジュルルルッ!
ミシッ… ビシッ! ビキビキビキッ!
黒い霧の中から様々な奇怪な音が聞こえてきた――
どの音も聞く者を本能的に不快にさせずにはいられない異様な響きだった。
いったい、黒い霧の中で何が起こりつつあるというのか……?
「な、何だ? ヤツの足を包んだあの黒い霧は…? それに、あの気味の悪い音…?」
チェーンソーを手放し、SMGを構えた安田が恐怖の表情を浮かべて呟いた。
彼は目の前で怪物の身に起きつつある得体の知れない現象に、身体中が震えずにはいられなかったのだ。
だが、伸田は違った。彼は恐怖に震えているだけではなかった。
「な、何だか分からない――
で、でも……今だ。ヤツの腹部を狙うのは、動きを止めている今しかないんだ!」
身の危険を顧みず、伸田は吹き荒れる風による弾道の乱れを計算しながら怪物との距離を詰めていく。
ヒッチハイカーまで約10m離れた地点で伸田は足を止めた。
「ここだ。ここからなら外さない――。」
両手で銃を構えた伸田は、身体を安定させるため両足を開いて腰を少し落とす姿勢を取った。
「はあ――はあ――はあ――」
伸田は射撃体勢を取ったまま呼吸を整える。
そして、ベレッタの照星と照門を一直線に重ね黒い霧に狙いを付けた。
「いい加減にくたばれ! 怪物めっ!」
伸田は動きを止めたままのヒッチハイカーに向けて引き金を引いた!
パーンッ!
【次回に続く…】




