第10話「どうしても南へ行きたいんだ…⑧『静香争奪戦! 陰陽師VSヒッチハイカー』」
「き、貴様! 何者だ!? その刃物を捨てろ!」
移動現場指揮車を運転していたSIT・Dチームの東尾巡査は、衝突の瞬間に握っていたハンドルと、ボディーアーマー越しに締めていたシートベルトのおかげで致命傷を免れていた。
車内にいた隊員達の中で、最も早く行動不能状態から立ち直ったのが彼だった。
突然、乗降ドアを突き破って侵入して来た巨漢に向け、東尾は右大腿部のホルスターから自動拳銃『ベレッタ90-Two』を引き抜く。
両手でしっかり構え、侵入者へ銃口を向けた。
「動くな! その右手の刃物を床に捨てろ! 従わなければ撃つ!」
東尾は安全装置を解除した。
距離は二メートルも無い。
現役警察官なら外しようのない距離だった。
しかも東尾はSITでも屈指の射撃技術を持つ男である。相手が少しでも怪しい動きを見せれば、本当に撃つつもりだった。
だが…
巨漢は東尾など眼中に無いかのように、車内後部に視線を向けたまま乗降階段を上り始めた。
「止まれっ!」
東尾は引き金を引いた。
パンッ!
9mm弾が巨漢の左肩へ命中する。
しかし、男は止まらない。
「なっ!?」
東尾が驚きの声を上げた。
男が、ゆっくりと東尾へ顔を向ける。
次の瞬間だった。
バシュッ!
湿った嫌な音が車内に響いた。
「ぎゃあああっ!?」
東尾の両手首が宙を舞った。
拳銃を握ったまま切断された両手が床へ落ちる。
「う、腕がぁぁぁっ!」
「やかましい……」
低く唸るような声。
続けざまに放たれた横薙ぎの一閃が、東尾の首を刎ね飛ばした。
ドサッ…
首を失った身体が運転席へ崩れ落ち、周囲へ大量の血が広がっていく。
静かになった車内には…
破壊された乗降扉から吹き込む風の音だけが響いていた。
巨漢は、惨殺した東尾には一瞥もくれなかった。
山刀を右手に提げたまま、静かに通路へ上がる。
鼻をヒクつかせながら、左右を見回した。
「う、うう……」
後部座席では、長谷川警部、横田警部補、鳳成治、そして皆元静香の四人が、激突の衝撃で座席へ頭を打ちつけ、意識を失うか朦朧としていた。
東尾を惨殺した怪物が接近している事に、誰も気づいていない。
巨漢は長谷川と横田の横を無関心に通り過ぎた。
そのまま静香の席の横で足を止める。
獲物の匂いを嗅ぎ当てた獣のように、男は満足そうに鼻を鳴らした。
ゆっくり屈み込み、意識を失った静香の顔を覗き込む。
どうやら最初から狙いは彼女だったらしい。
血塗れの怪物が顔を寄せ、静香の匂いを嗅ぎ始めても、彼女は微動だにしない。
「くっ……」
静香の隣席にいた鳳が意識を取り戻した。
彼は自分に背を向ける巨漢を見た瞬間、ジャケットの下から『ベレッタM92FS/エリートⅡ』を抜き放つ。
銃口が男の背中へ向けられた。
鳳は警告しない。
躊躇もしない。
引き金を引こうとした、その瞬間…
怪物が振り返った。
同時に眩い銀光が走る。
ガキンッ!
金属を断つ鋭い音が響くと鳳の拳銃の前半分が宙を舞った。
鋼鉄製の拳銃が、一瞬で切断されたのだ。
鳳の目が見開かれる。
「やはり貴様だったか!」
理解した時には、すでに遅かった。
怪物が山刀を振り上げる。
「殺られる……!」
鳳が死を覚悟した、その時だった。
パン! パン! パン! パン!
突然、四発の銃声が車内に響き渡った。
前方座席で倒れていた横田警部補が意識を取り戻し、巨漢の左脇腹へ向けて連続発砲したのである。
至近距離からの9mm弾四連射。
人間なら即死だった。
だが…
横田は目を疑った。
怪物の脇腹に開いた弾痕から、モコモコと何かが押し出されてきたのだ。
それは潰れた拳銃弾だった。
弾頭は皮膚と脂肪層こそ貫いたものの、その下の異常な筋肉に阻まれて止まっていた。
筋肉が収縮し、銃弾を血と共に体外へ押し戻していた。
コン…コン…コツン…コン…
四発の弾頭が床へ落ちる。
その光景が、横田の見た最後だった。
ガシュッ!
山刀が振り下ろされる。
横田の頭部は、頭頂から顎まで真っ二つに割られた。
ドタッ…
血を撒き散らしながら横田の身体が崩れ落ちる。
痛みを感じる暇もない即死だった。
ヒッチハイカーは再び静香へ向き直った。
彼女の細い腰へ左腕を回し、軽々と抱え上げる。
全身血塗れの怪物の股間部が、不気味に膨れ上がっていた。
荒い鼻息が、静香の首筋へ吹きかかる。
男は静香を抱えたまま、乗降口へ向き直る。
その行く手を、一人の男が塞いだ。
鳳成治だった。
彼は素手だった。
切断された拳銃は、すでに役に立たない。
しかし鳳は怯まない。
右手を突き出し、人差し指と中指を伸ばして刀印を結ぶ。
そして空中へ格子を描き始めた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!」
格子を描きながら呪文を唱える。
その瞬間、怪物の様子が変わった。
「う……ううう……」
ヒッチハイカーの視線が、鳳の描いた見えない格子へ吸い寄せられる。
左右へ、上下へと…
まるで格子の目を数えずにはいられないかのように。
鳳が使ったのは陰陽道の秘術…『早九字護身法』だった。
術に囚われた妖異は、格子の数を追わずにはいられなくなる。
「こ、これは……」
その時ようやく長谷川警部が意識を取り戻した。
目の前には、静香を抱えた怪物と、それに対峙する鳳の姿。
さらに床には、惨殺された部下の横たわった姿…
「横田……!」
長谷川の顔が引きつる。
彼はすぐさまホルスターから『ベレッタ90-Two』を抜いた。
「その女性を放せ!」
だが怪物は反応しない。
格子に視線を縫い止められたままだ。
異様な光景だった。
長谷川には何が起きているのか理解出来ない。
だが、今はとにかく人質を助けねばならなかった。
彼は窓を開け、拳銃を外へ向ける。
狭い車内で発砲すれば、静香や鳳に当たる危険があった。
「撃つな!」
鳳が叫んだ。
しかし間に合わない。
パーンッ!
威嚇射撃の音が吹雪の山中へ響き渡った。
その瞬間…
ヒッチハイカーの目が正気を取り戻す。
怪物は忌々しげに鳳を睨みつけた。
「ちっ……!」
鳳の額に汗が滲んだ。彼の指先が震えている。
じりじり…
ヒッチハイカーが再び歩き始める。
鳳はコートの内側から銀色の両刃剣を抜き放つ。
刃が車内灯を反射し、神々しく輝いた。
怪物が初めて怯んだ。
右手で目を庇い、獣のような唸り声を上げる。
「うがああああっ!」
野獣の様な咆哮…
ヒッチハイカーは静香を盾のように抱え直し、じりじり前進した。
鳳は剣を構えながら後退する。
そこへ…
ドッカァァァーンッ!!
凄まじい爆発音が山中を揺らした。
崖下へ転落した人員輸送車が炎上したのだ。
一瞬、鳳の意識が逸れる。
その隙を怪物は逃さなかった。
前蹴りを放つと同時に、山刀を横薙ぎに振るった。
鳳は後方へ跳躍し、剣を縦に構える。
カイィィーンッ!!
眩い火花が散る。
金属音が車内に響く。
鳳の横を駆け抜けた怪物は、そのまま乗降口から吹雪の外へ跳躍した。
「待て!」
鳳は東尾の切断された手から『ベレッタ90-Two』を奪い取ると、怪物を追って外へ飛び出した。
パン! パン! パン! パン!
吹雪の中を走る怪物へ四発。
全弾命中。
しかしヒッチハイカーは止まらない。
静香を抱えたまま闇の中へ消えていった。
「何をしてるんですか、鳳さん!」
後から飛び出して来た長谷川が、鳳の腕を掴む。
「皆元さんに当たったらどうするんだ!」
「そんな事を言ってる場合か!」
鳳が怒鳴り返した。
「俺達はまた怪物を野に放ったんだぞ!」
長谷川は唇を噛み締める。
「……すみません。私がもっと早く意識を取り戻していれば…」
彼の肩が震える。
「部下達まで…!」
鳳は短く息を吐いた。
「済んだ事を悔やんでも仕方がない。」
吹雪の中、彼は静かに続ける。
「だが信じ難いな…
『最強』で、あれほど怪物化してなお知性を維持しているとは…」
「ツィ・チャン…?」
長谷川が眉をひそめた。
「何なんです、それは?」
「中国で軍事目的に作られた薬だ。それ以上は言えん。」
冷たく言い放つ鳳。
「地方公務員レベルが関わる話じゃない。」
その言葉で長谷川の怒りが爆発した。
「何だと貴様!」
長谷川は鳳の胸ぐらを掴み上げる。
「俺はまた部下を失ったんだぞ!
死んだ連中の前で、もう一度今の言葉を言ってみろ!」
だが鳳は、長谷川の腕をあっさり捻り上げた。
「ぐっ!? 痛たたたっ!」
「興奮するんじゃない。」
鳳は抵抗する意欲を失った長谷川をすぐに解放した。
「うっ、ううう…
横田っ! 東尾っ! おおお…」
逝った部下達の名を叫び、長谷川は嗚咽を漏らしながらその場に立ち尽くした。
吹き荒れる吹雪が長谷川の嗚咽をかき消す。
長谷川を解放した鳳は、そのまま歩き出した。
十数メートル先で立ち止まる。
彼は内ポケットから、黒い折り紙を取り出した。
鳥の形をした、小さな紙細工だった。
鳳は刀印を結び、九字を切る。
すると――
折り紙が動いた。
ムクムクと巨大化し、本物のカラスへ変貌していく。
ただ一つ違うのは、その足が三本ある事だった。
「八咫烏……!?」
長谷川が呆然と呟く。
「行け」
鳳が命じる。
「カアアーッ!」
三本足の巨大なカラスは翼を広げ、猛吹雪の夜空へ飛び立った。
ヒッチハイカーを追うために。
********
ドォーンッ!!
山中へ轟いた爆発音は、炎上するガソリンスタンド跡地で待機していたSIT・Aチームの隊員達の耳にも届いた。
「何や、今の爆発……!」
山村巡査部長が顔を上げる。
吹雪の向こう、山道の方角から黒煙が立ち昇っていた。
「近いぞ……」
Aチームリーダーの島警部補が険しい表情で呟く。
「まさか、隊長達の車両じゃ……」
誰も答えなかった。
嫌な沈黙だけが流れる。
隊員達の脳裏には、長谷川達が乗った移動現場指揮車の姿が浮かんでいた。
「どっちにしろ確認するぞ」
島が短く命じた。
「ここで待ってても始まらん。全員、出発や!」
山村が応じる。
他の隊員達も頷く。
警官達が歩き始めると、伸田伸也も無言で後に続いた。
彼らは吹雪の山道を慎重に進み始める。
周囲を警戒しながら、一本道を下っていく。
やがて最初のカーブを曲がった瞬間…
「あっ……!」
安田巡査が息を呑んだ。
崖下で大型車両が炎上していた。
横転し、原形を留めないほど大破した県警の人員輸送車。
激しい炎が吹雪の中でもなお燃え盛っている。
「あれって… 俺達が乗って来た車だ!」
誰かが震える声で言った。
隊員達の顔が青ざめる。
もしあの車両に仲間達が乗っていたなら、生存は絶望的だった。
「最悪や……」
山村が唇を噛む。
その時だった。
「見て下さい!」
伸田が山道の先を指差した。
吹雪の中を、二つの人影がこちらへ歩いて来る。
一人はSIT装備の男。
もう一人は、軍用コートを羽織った長身の男だった。
「隊長!」
安田が叫ぶ。
「あれ、長谷川隊長だぞ!
Aチーム全員の表情が一気に明るくなった。
生きていた。
少なくとも隊長は無事だったのだ。
「隊長ーっ!」
安田が手を振る。
「おおーい!」
他の隊員達も声を上げた。
長谷川は疲労した表情のまま、小さく手を上げる。
だが、その顔色は異様なほど暗かった。
合流した瞬間、島はすぐ異変に気づく。
「隊長……Dチームは?」
長谷川は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
Aチームの空気が凍りつく。
そんな彼らを押しのけるように、長身の男…鳳成治が前へ出た。
「あなたが、皆元静香さんの婚約者ですね?」
鳳は伸田へ視線を向ける。
「私は鳳成治。この作戦の新たな指揮官です」
感情の薄い声だった。
そして、次に彼が言ったのは…
「残念ですが、皆元さんはヒッチハイカーに拉致されました」
「……え?」
伸田の顔から血の気が引いた。
一瞬、意味が理解出来ない。
「し、静香が…?」
膝から力が抜ける。
伸田の身体を、島と山村が慌てて支えた。
「そんな……嘘だろ……?」
長谷川が苦しげに目を伏せる。
その態度が、鳳の言葉が事実であると物語っていた。
「鳳さん!」
長谷川が怒気を含んだ声を上げる。
「言い方ってものがあるでしょう!」
だが鳳の態度は冷たい。
「慰めれば状況が好転するとでも?」
隊員達の視線が険しくなる。
Aチームの誰もが伸田と静香に情を抱いていた。
それだけに、鳳の態度はあまりにも非情に見えた。
しかし鳳は意に介さない。
「詳細説明は後回しだ」
淡々と告げる。
「これよりAチームは長谷川警部と共に私の指揮下に入る。命令に従えない者は作戦から外れてもらう」
強圧的な口調だった。
隊員達の顔に不満が浮かぶ。
だが、島が一歩前へ出た。
「了解しました」
島は最敬礼する。
「我々Aチームは任務を放棄しません」
その態度で、今にも噴き出しそうだった隊員達の感情を抑え込んだ。
山村も続いて敬礼する。
他の隊員達も渋々ながら従った。
「結構」
鳳は短く頷いた。
「良い部下を持っていますね、長谷川警部。」
長谷川は無言のまま敬礼だけ返した。
一方、伸田はまだ呆然としていた。
「シズちゃんが……ヒッチハイカーに……」
彼の脳裏には、これまでの惨劇が浮かぶ。
犠牲者達の末路。
血塗れの死体。
そして、不死身の怪物…
「もう駄目だ……」
伸田は雪の地面へ膝をついた。
「彼女がいない人生なんて……」
隊員達が次々に励ましの声を掛ける。
だが伸田の耳には届いていなかった。
そんな中、鳳がスマートフォンを取り出す。
「安心しろとは言わんが、まだ生きている可能性はある。」
全員の視線が彼に集まる。
「私が放った追跡用デバイスが、皆元さんの位置を捉えた。」
長谷川の脳裏に、三本足の黒いカラスが浮かんだ。
『あれの事か……』
だが口には出さない。
鳳はスマートフォン画面を見つめながら眉をひそめた。
「……何だと?」
彼の表情が変わる。
「どうしました!?」
島が問う。
鳳は低く吐き捨てた。
「ヤツの現在位置は……作戦指揮所だ!」
一瞬、誰も意味を理解出来なかった。
「製材所……?」
長谷川が目を見開く。
「まさか!」
「そうだ」
鳳が頷く。
「ヒッチハイカーは、我々を山中へ誘い出していた」
隊員達の背筋に悪寒が走る。
作戦指揮所には…
警察官、救護班、事務要員…
大勢の人間が残っている。
「急ぐぞ!」
鳳の声が鋭くなる。
「今から人質及び関係者の救出へ向かう!」
その時だった。
「あ、あの!」
伸田が顔を上げた。
「僕も行きます!」
鳳が冷たい視線を向ける。
「駄目だ。君は民間人だ」
二人のやり取りを他の者達は息を呑んで見守るだけだ。
「お願いします!」
伸田は必死だった。
「静香は僕の婚約者なんです! 一人で待ってなんかいられない!」
吹雪の中、伸田は鳳を真っ直ぐ見つめた。
鳳はしばらく無言だった。
やがて口元に薄い笑みを浮かべる。
「…いい目だ。」
その笑みは優しさではなく、値踏みするような笑みだった。
「好きにしろ。ただし自分の命は自分で守れ。」
伸田の表情が変わる。
「ありがとうございます!」
黙って見守っていた隊員達の顔にも笑みが浮かんだ。
「勘違いするな。私は君を守らん。」
鳳は踵を返した。
「全員、出発する!」
鳳の号令と共に警官達は吹雪の林へ向かって歩き出した。
伸田も拳を握り締めながら後を追った。
誰もが理解していた。
これから向かう先が、地獄になる事を…




