第11話「どうしても南へ行きたいんだ…⑨『囚われの静香… 吹雪の中、死闘の幕が上がる!』」
ここは、今回の『ヒッチハイカー捕獲作戦』のために〇✕県警が借り受けた製材所だった。
敷地内の事務所には、臨時のSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)作戦指揮所が設置されている。
すぐ外には林業の現場や原木市場から購入し、運び入れられた木材が積まれている。
数千本もあるだろうか。いかにも製材所という名前にふさわしく、吹雪の中でも木の香りが漂っていた。
この製材所が所有する広い敷地の片隅に、商品の木材で組み立てられたログハウスが建っていた。
このログハウス自体も系列会社が人気商品として扱っており、客の要望に応じて住居や別荘用として販売されている。
ここに建てられているログハウスは、内部や全体の造りを見学できるモデルハウスとして公開されていた。住み心地を体験したいという希望があれば、予約にて宿泊する事も可能だった。
快適に宿泊するためのオール電化設備や上下水道も完備されている。
春から秋にかけては、ログハウスに興味のある家族連れやカップルが数多く訪れていたが、積雪の多い地帯の山中のため冬場に訪れる客は皆無に近かった。
春になるまでは一般公開されない。
今、そのログハウス内部に明かりが灯り、暖房も付けられているらしく、中には人の気配があった。
その人物達こそ、SITが追跡中のヒッチハイカー自身と彼に拉致されてきた皆元静香の二人だった。
静香は乗っていた移動現場指揮車が巨岩に衝突した際に意識を失ったまま捕らえられ、ここまで運ばれて来たのだった。襲撃から一時間弱が経過していたが、彼女はまだ意識を失っていた。
普段から、このログハウスを住みかとしているのか、あるいは拉致した静香を凌辱する場所として使用するつもりなのかは、本人しか知る由は無かった。
ログハウス内は火事を出し難くするため、オール電化対応の設備が整っていた。今もエアコン等の電気による暖房が使用され、温められた屋内は快適で、吹雪が吹き荒れる屋外の気温とは雲泥の差だった。
意識を失ったままの静香の傍に立つヒッチハイカーは全裸だった。ここに来るまで彼が上半身に纏っていたのはSIT隊員達の銃撃によりボロ切れ同然の衣服だけだったが、今は損傷の少なかったズボンや下着も全て脱ぎ去っていた。
そして、自身で手にかけた犠牲者達の血に塗れていた男の身体は、浴室に備えられたシャワーで綺麗に洗い流されていた。
2mに達する身長の大男は、全身が無駄な贅肉など一切無い鋼の様な筋肉に覆われていた。男はギリシャ彫刻を思わせる肉体と彫りの深い顔立ちをしている。
ボサボサで荒れ放題の上に汚れた頭も綺麗に洗い流し、濡れた髪を後ろに撫で付けた今は別人のようだ。まるでファッション雑誌から抜け出したかの様に見事な男ぶりである。
彼が重ねてきた凶行が強姦と猟奇的な殺戮だという事実を知らなければ、女性が溜め息を吐いて潤んだ目で見つめるような伊達男である。
しかし、これは一体どういう事なのだろうか……?
ヒッチハイカーの見事な肉体のどこを見ても、あれだけSITの隊員達からSMGで撃ちまくられた傷跡などは一つも見当たらなかった。
至近距離からの銃撃は彼の身体に夥しい数の弾痕を穿ったはずだ。それが……意外にも体毛の少ない彼の浅黒く滑らかな濡れた肌は、照明を受けて美しく光り輝いていた。
少なくとも、彼が伸田を含めたAチームとの交戦をした際には上半身に申し訳程度のボロ切れが纏わり付いていただけだった。
身体に数十発の銃弾を喰らって血しぶきを上げるのを、交戦した全員が目撃したのだ。
それが、今露わになった彼の裸体のどこにも傷痕一つ見当たらない。この男は異常なほどの治癒能力を持っているのだろうか?
ヒッチハイカーは、意識を失ったままの静香を見下ろした。
屈み込んだ彼は静香の濡れた衣服を丁寧に脱がせていく。
その手つきは、獲物を扱う捕食者のものとは思えないほど慎重だった。
静香の身体を観察していたヒッチハイカーは、彼女の下腹部へ顔を近づける。
そして、獣が狩った獲物の匂いを確かめるように鼻先を動かした。
その瞬間……
ヒッチハイカーの眉が、わずかに動いた。
それまで欲望に支配されていたような目つきが消え、代わりに困惑とも警戒ともつかない色が浮かび上がる。
彼は静香の下腹部に耳を当て、何かを確かめるように目を閉じた。
しばらく沈黙が続く。
やがて彼は静かに身を起こすと、床に置いてあった毛布を拾い上げると静香へ掛けた。
その行動は、これまでの残虐な犯行からは考えられないほど奇妙なものだった。
その時だった。
コツコツ……
天井付近で微かな物音が響いた。ヒッチハイカーは即座に顔を上げた。
次の瞬間、彼は暖炉脇の薪を掴むと、二階の明り取り窓へ向かって投げつけた。
バリーンッ!
激しい破砕音と共に窓ガラスが砕け散り、吹雪が室内へ流れ込む。
バサッ! バサッバサッ!
窓の外の闇に潜んでいた黒い影が夜空へ飛び立った。
カアッ! カアーッ!
聞こえたのはカラスの鳴き声だった。どうやらヒッチハイカーは明り取り窓の外に潜んでいたカラスに向けて薪を投げつけたらしい。
カアァーッ!
命中こそしなかったが、突然飛んで来た薪に驚いたカラスは飛び去って行った。
********
「ちっ! 気付かれたか……」
製材所へ向かう道中、ずっと黙ったまま歩いていた鳳 成治が突然舌打ちをしてつぶやいた。
横に並んで歩いていた長谷川警部は、そんな鳳の横顔を盗み見ながら思った。
『この男……さっきから目を瞑ったままで危なげもなく歩いていたかと思ったら、いきなり舌打ちして悔しそうな表情をしている。一体、この男は何なんだ?』
目を開けた鳳が一同に向けて言った。
「現在、ヒッチハイカーは製材所敷地内の南寄りの林に面して建てられた一軒のログハウスの中に潜んでいる。
そこに人質の皆元さんも一緒だ。」
「鳳指揮官、どうしてそんな事が分かるのですか?」
長谷川の後ろを歩いていた島が、不審そうな顔で鳳に尋ねる。
彼は新しく自分達の指揮官となった鳳に対して不信感を持っていた。
「さっき言っただろう。私が放った追跡用デバイスがヤツを追って居場所を突き止めたんだ。中の様子を撮影した映像が、こちらへ送られて来る。」
そう鳳は答えたが、横を歩きながらチラチラと様子を盗み見ていた長谷川は、彼が自分のスマホなど見もしなかったのを知っている。
どう考えても、口から出まかせにしか思えなかった。
長谷川は鳳が何かの術で作り出した『八咫烏』を空に放つのを目撃したのだ。鳳の言った『追跡用デバイス』というのは、おそらくあの『八咫烏』の事だろう。
鳳が『八咫烏』と視界を共有しているとでも言うのだろうか。
そうでも考えなければ、ログハウス内部の様子まで把握している説明がつかなかった。
「シズちゃん……いや、静香は無事なんですか? 彼女は生きてるんでしょうか?」
少し離れて後ろを歩いていた伸田が、鳳の傍に駆け寄り、心配そうに尋ねた。
「ああ、生きてはいるようだ。それ以上は私にも分からない……」
相変わらず無表情だったが、その口調から鳳が答え難そうにしているのが伸田にも分かった。その事が伸田をさらに不安にさせた。
「まあまあ、伸田君。皆元さんが生きていて、彼女の居場所も分かったんだ。
だから、元気を出してよ。一刻も早く、我々で彼女を救出してあげようよ。
そのために僕達はここに来たんじゃないか。そうだろ?」
安田巡査が持ち前の明るさと気さくさを発揮して何とか励まそうと、伸田の肩を叩きながら優しい口調で言った。
安田は静香に同行し、徒歩で作戦指揮所まで彼女を送り届けたのだ。
静香の素直で優しい人柄に触れた彼は、他の隊員達よりも彼女に対して好印象を持っている。彼が静香を助け出したいと言う気持ちが強いのは、警察官と言う立場だけでは無かった。
誰に対しても優しい安田は、静香の婚約者である伸田を不安な気持ちのままにしておけなかったのだ。そんな安田の性格を、Aチームの仲間達は知り尽くしている。
安田の気持ちを理解した隊員達が伸田の肩を叩いたり、励ましの言葉をかけてやった。
SITの隊員達は、凶悪犯には容赦なく立ち向かう。
だが彼らは、本来は市民を守るための警察官だった。
そんな自分の部下達を、隊長である長谷川は誇らしく思った。
その一方で、鳳が首を傾げている姿に長谷川は気付いた。
「どうかされましたか、鳳指揮官?」
「いや、何でもない……」
鳳は長谷川の方を見向きもせず、ぶっきらぼうな口調で答えた。
「あの『八咫烏』に関係があるのでは……?」
自分に対し皮肉的な物言いをした長谷川を、鳳がジロリと睨みつけた。
「なぜ、君がそれを知っている?」
自分の秘密を指摘した長谷川に向けた鳳の視線は厳しく、仲間を見る目とは思われなかった。
「私は、あなたが鳥形をした黒い折り紙から、あの『八咫烏』を作り出して空に放つのを見ていたんですよ。」
長谷川は種明かしをするように聞かせた。
「ふっ、ふふふ……そうか。
あの時は、逃がしたヒッチハイカーを追跡するのに夢中だったので気が付かなかった。
まさか、警部に見られていたとはな。」
疑問が解けた鳳は安心したのか、長谷川に対する緊張を解いたようだ。
「ですが、いったい……あのカラスは何なんですか?」
隣りを歩きながら、長谷川が気になっていた事を鳳に尋ねた。
「ふっ……現場を見られたのなら、今更とぼけても仕方がないな。
君が見たのは、陰陽術を使って私が折り紙に念を込めて作り出した擬人式神だよ。」
「陰陽術に式神?
聞いた事はあるが、そんなモノが実在するんですか……?
しかも、どうしてあなたのような人が、そんな術を?」
胡散臭そうな表情のまま長谷川が鳳に問う。
「現実に警部も自分の目で見たんだろう?
信じる信じないは君の勝手だ。そんな事より、もうすぐ到着のようだぞ……」
鳳はそれ以上説明する気は無いらしく、歩く速度を速めた。
前方に目的地である製材所が見えて来た。彼らが今いる小高い丘から見渡すと、かなり広大な面積に渡って土地を所有している事が分かる。
「目標は、あの南側にあるログハウスだ。ヒッチハイカーと皆元さんは、現在あそこにいる。」
鳳が指し示した先に、なるほど一軒のログハウスが建っていた。そこは、製材所に隣接する林の手前に建てられていた。
「目標まであと1kmという所ですね、よし、全員装備を確認しておけ!」
島がAチームの隊員達と伸田に対して命じた。
ガシャッ!
ガシャ、ガシャ!
ガシャン!
隊員達が自分の装備をチェックする音が響く。
伸田も自分用の自動拳銃ベレッタを二丁とも点検した。
死亡した隊員が装備していたグローブを自分の手にはめていても、寒さで指先がかじかんでいる。
敵との戦闘時に指が動かなくてはシャレにならない。
伸田は右手をポケットに入れ、所持していた使い捨てカイロを握りしめて温めておくようにした。
一行がログハウスまであと100mという地点に近付いた所で、一同に向けて長谷川が言った。
「よし、ここからは各員5mの距離を取りながら横隊で前進する。
最終的には、ゆるい扇方に展開した隊形でログハウスを中心として取り囲むぞ。
互いが見通せなくなる林には絶対に入るな。
先のB、Cチームの例から見ても、林の中ではこちらが不利になる。
私からの命令は以上だ。
これでよろしいでしょうか? 鳳指揮官。」
SIT隊長の長谷川が、指揮官である鳳に伺いを立てる。
「大変結構だ。賢明な判断だと思う。
現指揮官は私だが、戦術的なチームへの指示は君に任せる。
何といっても君はSITの隊長なのだからな……」
長谷川の方を振り返りもせず、鳳は前方を見つめながら答えた。
「了解しました。
それでは各員、装備を構えつつ前進を開始する!」
鳳を含めた全員が長谷川の命令通りの横隊で、ログハウスへ向けて今まで以上の慎重な行軍を開始した。
********
ログハウスの中では、ヒッチハイカーがズボンと登山靴を身に着け終わっていた。
彼が上半身に着用していた衣服はズタズタのボロ切れ同然だったので使い物にはならない。
エアコンが効いているとはいえ、半裸のままでも彼は身震い一つしなかった。
ヒッチハイカーは腕組みをしたまま目をつぶっている。
左右の耳だけがピクピク動いている。何かの音を探っているらしい。
静香はどうしたのか……?
ヒッチハイカーの足元で、全裸のまま意識を失っている静香の身体には数枚の毛布が掛けられていた。
これならば暖房と合わせて、裸のままでも凍える事はないだろう。
しかし、なぜ……静香に対して、こんな配慮を見せるのか……?
今までの彼といえば、捕獲した女性を死ぬまで凌辱し、遺体になった後も死姦し続けたのではなかったか?
静香だけが彼にとって特別な女性だとでも言うのか?
それとも……
迫り来る敵を全滅させてから、あらためて彼女を嬲るつもりなのだろうか?
閉じていた目を開き、腕組みを解いたヒッチハイカーは、床に突き刺してあった山刀を引き抜いて右手に握った。
そして、足元に横たわる静香を見下ろす。だが奇妙な事に、その目にいつもの狂暴な欲望を示す光は無かった。
ヒッチハイカーは白い毛布を一枚取り上げると、マチェーテを使って頭と腕を出すための穴を開けた。
それをポンチョの様に被ると、静かだが素早い足取りで階段を2階へ上った。
そして、先ほど薪を投げつけて壊した明り取りの窓を開け放ち、外の瓦葺の屋根へ足を踏み出した。
ただでさえ傾斜があり雪の積もった屋根は簡単に滑りそうなものだったが、ヒッチハイカーは猫の様にしなやかな動きで屋根の上に降り立つと、前に広がる真っ白な雪原を見渡した。
吹雪の向こうで、幾つかの白い影がゆっくり動いている。
白い息が闇へ溶ける。
「9人か……」
彼がつぶやいた低い声は、すぐに吹雪の音にかき消された。
その時、吹雪の吹き荒れるログハウスの上空を旋回する一羽の黒い鳥の姿があった。
それは、鳳 成治が放った擬人式神の『八咫烏』だった。
今度はヒッチハイカーも、上空を音もなく飛行する『八咫烏』に気付く事は無かった。
********
「私の放った追跡用デバイスから報告が入った。現在、ヒッチハイカーはログハウスの屋根の上にいる。
どうやら、ヤツは我々の接近に気が付いているようだ。各員、油断するな。」
展開してログハウスへと向かっている各隊員に鳳がヘッドセットで通達を下した。この通達は全隊員に無線で一斉通信された。
「了解!」
「了解しました。」
「よっしゃあ! やったるでっ!」
「了解です……」
隊長の長谷川をはじめ、島以下のAチーム隊員達からの応答が次々に入った。
SIT隊員と同じ装備を身に着けた伸田も、隊員の安田巡査から無線機の使い方をレクチャーされていた。
伸田も応答した。
「こちら伸田です、了解しました。」
通信を終えた伸田は、ポケットに入れて温めていた右手でタクティカルベスト内に着用したホルスターに収納された『ベレッタ90-Two』を抜き出した。そして、銃の安全装置を外す。
『シズちゃん……君の事は僕が必ず助けるからね』
伸田は囚われの静香を想い、愛する彼女の救出を心に誓った。
そして彼は、無念の内に死んでいった親友達の顔を胸に思い描いた。
SITの隊員達もまた、苦楽を共にしてきた仲間達に残虐な死を与えた殺戮者に対する復讐の炎を燃やしていた。
それぞれの思いを胸に、山中の製材所を舞台にした死闘の幕が今まさに開こうとしていた。
時刻は12時32分、クリスマスイブからクリスマス当日へと日は替わっても、冬の夜明けは、まだ遠かった――




