Chapter1-3
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
なんとか立ち上がるまで回復した明良は、シャワーを浴びて気持ち悪い汗を洗い流し、社内用の紺色のジャージに着替えた。
まだ絵理佳から受けたダメージは体の芯にまで響いている。腹部に渦巻く鈍い痛みをかばいながら、おぼつかない足取りでオフィスの廊下を進んでいく。
「ったく、勘弁してくれよなぁ。なに食ったらあんな馬鹿力が出せるんだよ……」
ぐちぐちと感心の文句を垂らしながら歩くこと、数十秒。明良が所属する、第四種女性要人警護課のプレートが掲げられている部屋の前に到着した。ドアノブをガチャリと回し、ゆっくりと扉を開く。
「おはようございます」
「「おはようございます」」
明良が息苦しそうに挨拶すると、ふたりの女性の元気な挨拶が重なって返ってきた。
第四種女性要人警護課の部屋は学校の教室の半分ほどの広さがある。しかし、壁際には書類が入った棚や護身用具、応急手術キット、防具が入った棚、そして、中央には五つの机とパソコンが並んでいるため、非常に窮屈に感じる。
「おやおや? 絵理佳君が挨拶を無視したってことは、まーたケンカしたのかな?」
部屋の出入口に一番近い席でキーボードをカタカタと鳴らしていた女性が、そっと顔を上げて、丸眼鏡の奥の素朴な目を明良に向けた。
その女性は、この部屋にいるメンバーの中で唯一スーツを着ていた。それもレディースのスーツではなく、メンズのスーツだ。
小笠原華倫。二六歳。
第四種女性要人警護課で営業の仕事をしていて、現場で働く隊員でもある。
華倫は茶色いボブヘアーに眼鏡をかけている。そして、おっとりとした物腰やわらかなしゃべり方は、愛想がとてつもなくよさそうだ。
しかし、その柔和な雰囲気とは裏腹に、依頼人との交渉や仕事内容を説明するときはやり手のビジネスマンへと豹変する。
時には女優のように表情豊かに、時には有無を言わせない迫力で訴え、顧客の心を掌握。その磨き上げた演技力と、詐欺師も顔負けと揶揄されるような巧みな話術で口説き落とした顧客は数知れない。
また、超有名大学出身の頭脳は伊達ではなく、計画書の作成においても素早い思考力は群を抜いている。
華倫は第四種女性要人警護課の参謀として欠かせない存在だ。
そして、現場で走り回って戦う隊員でもあるので、体は普通に仕上がっている。
「そうなんだよ、自主トレしてたら、絵理佳にボコボコにされたんだよ。イテテテテ」
竹刀で抉られた腹部をさする。
「絵理佳ちゃんの胸をいじった明良が悪いんだよっ?」
華倫の対面の席でモニターを眺めている絵理佳の声に亀裂が走っている。
事情を把握した華倫が、うんうんと静かにうなずいて口を開いた。
「ダメだよ~、明良君。無意識なセクハラが許されるのは、エロゲの中の鈍感系主人公だけだからね。リアルの世界でやると、明良君捕まっちゃうよ?」
「はい、以後気をつけます」
リアルの世界ではナイフで刺されたら命を落とすように、セクハラをすると罰が下されてしまうことを忘れてはならない。
「それで明良君、ダメージを受けた所は大丈夫かな?」
華倫は立ち上がり、明良の前に立つ。
頭がふたつ下の位置にあり、見上げられる形になった。
「致命傷を負わない程度には手加減してくれたから、なんとか動けてる」
「ホントに大丈夫なのかな~? ……えい!」
「うほっ!」
ジャージをベローンっとめくり上げられ、明良はまぬけな悲鳴を上げた。
「うんうん、少し赤くなってるけど、目立った外傷はなさそうだね。それにしても……」
華倫はほっそりした指で明良の腹筋をそろりとなぞる。
「すっご~い。いつ見てもほれぼれする腹筋だね~。無駄な肉がなくて、キレイに八つに割れてるよ~。この硬い筋肉を貫くダメージを与えるなんて、絵理佳君どんな怪力なの」
「おい! なにやってんだ! やめろよ!」
バッとジャージを下げ、一歩遠ざかる。
「なにしてるって、明良君が痛めてる場所を治そうとしてあげてるんだよ?」
「治癒魔法じゃねえんだから、撫でただけじゃ治らねえよ。それに、さっきセクハラに気をつけろって言ったよな? 華倫が今やってるのは思いっきりセクハラだぞ、ブーメランぶっ刺さってるぞ?」
「いいじゃ~ん。異世界のパーティにひとりはいるよね? こういうお色気セクハラキャラ。私みたいなキャラがパーティにいると楽しいと思わな~い?」
華倫は悪役女幹部のようにニヤっと口角を上げ、含みがある薄ら笑いを漏らしている。そして、明良の手首をギュッと握り、その取った手を華倫のやや膨らんでいる胸へと押し当てた。
「うわ、ちょっ……」
手を退けようとする、が、ハプニングで強張っている明良の腕では、華倫の筋トレで鍛えた手を簡単に振り払えない。
「どうかな? 僕の胸。絵理佳君と比べるとものすごく小さいけど、僕の胸はいくらでもさわってもいいし、いじってもいいよ?」
華倫の胸はそれほど大きくない上に、スーツの厚い生地越しだ。しかし、女性特有のやわらかさを感じるぐらいには十分にふくらみがあった。
「あれ~、なになに? 明良君、鈍感系主人公じゃなかったの? んふふ、三〇歳近くにもなってもウブでかわいい坊やさん。お姉さんがいろんなこと教えてあげよっか?」
「おっ、おい……絵理佳、助けてくれよ」
油が切れた関節のように顔をギィギィと動かし、パソコンのモニターを眺めている絵理佳に助けを求める。
「絵理佳の胸をいじったパラディン様のことなんて、しーらない。淫夢サキュバスに食われるエロ同人ゲームの主人公になってれば?」
吐き捨てた絵理佳は大きい音を立ててキーボードを叩いていく。
「それじゃあ、パーティのメンバーから許しをもらったところで、いただきまーす」
「って、ここ職場だぞ! みんな見てるんだぞ!」
「気にしない気にしない、エロゲなら場所を選ばずにやってるって」
発言通り、華倫はエロゲオタクで、家に何千本もエロゲを並べているらしい。
「この世界は常識が改変されたエロゲの世界じゃないぞ! って、待ってって!」
華倫は胸に当てていた明良の腕を思いっきり手繰り寄せ、体を密着させる。
「待ちたくないよ~。第四種女性要人警護課に配属されてから、男の子とふれ合う機会めっきり減っちゃったんだもん。僕もいろいろ溜まってるんだよ~?」
華倫は明良を抱き寄せ、そっと目をつぶり、顔をゆっくりと近づけてくる。
「だから! やめろって!」
ドゴンッ!
強く拒否した瞬間、重低音の衝撃音が部屋に響き渡った……
ドレインキスをしようとしていた華倫は目を見開き、音の発生源に顔を向けている。明良と絵理佳も振り返っていた。
この隙を逃さない。
驚いて力が抜けている華倫の腕を振り払い、音が鳴った場所へと駆け寄っていく。
机と棚の間の狭い通路で、女性が頭を抱えてゴロンっと倒れ込んでいた。
「うわーん、痛いです……」
泣きわめく女性は頭をわしゃわしゃとさすっている。おそらく屈んで棚の中の書類を整理していて、天井に頭をぶつけたのだろう。
「まーた萌絵かよ。大丈夫か?」
「大丈夫です。ご心配おかけしました……」
へなへなと様態を告げる女性は立膝をつき、のっそりと立ち上がる。
細い眉毛をハの字にしたしょんぼり顔は徐々に位置が上がっていき……明良の顔の前を通り過ぎ……やがて、見上げるほどに高い所に到達した。
女性から見下ろされる形になる。
逆に、明良は首を最大限まで曲げなければ背が高い女性の顔を見ることができない。子供の頃、父親を見上げていたときのような気分だ。
明良の身長は一八〇センチを少し超えるぐらいで、一般的に言えば高い部類だが、それを超えるさらに背が高い女性。
日高萌絵二二歳。高卒で入社して、今年で五年目になる。
そして、身長が……驚異の二〇五センチもある。普段生活していて、滅多に見かけない身長だ。
高身長の萌絵には主に最終防衛ラインで体を張って要人を守る役割を任せている。無論、降り注ぐ幾多の火の粉から守れるように厳しいトレーニングを積んでいた。
背が高い体格を持った人間が徹底した訓練を積んだら、横にも大きくなるのは当然の摂理。萌絵が歩くと壁が動いているように感じる。
その体の大きさから、萌絵は「のイージス」と呼ばれていた。
会社が用意する最も大きなLLLサイズのジャージでも、体を完全に覆い隠せていない。ジャージの上下の隙間から白いインナーが見えている。
癖がついた長い黒髪に隠れる顔のパーツすべてが凛々しく整っていて、まるで女子スポーツ選手にいそうな容貌だ。
実際、萌絵はスポーツ漫画が好きでバレーボールの漫画を読み、バレーボールを高校卒業まで続けていたらしい。
しかし、厳つい体からは想像できない、ドジで天然な性格から、本当に体育会系の部活に所属していたのか甚だ疑問を持つ。
本人談では、女性として体がデカいコンプレックスを払拭するためにスポーツを始めたそうだが、続けた結果、体がデカいだけで技術的な才能がなかったらしい。
そして、体がデカいコンプレックスをもう一度払拭するためにボディーガードという体を使う仕事に挑戦したそうだ。
「ドジか知らねえけど、萌絵には最後の砦を任せてんだ。油断して大切な要人を守れなかったら困る。日頃から気を引き締めとけよ」
「気をつけてるつもりなんですけどね~」
「まあ、萌絵は立ってるだけで威圧感があって、襲うことをあきらめたやつはたくさんいるだろうからな。ドジは治してほしいけど、せめて堂々とした態度で警備してくれよ」
「は~い。それが私にできる唯一の仕事ですからね~」
泣き出しそうだった萌絵はニンマリ顔に戻った。
「やはり、こんな私でもほめてくれる明良さんはお優しい方ですね~。だーい好きでーす」
「おいっ、やめろって!」
明良はネコのような反射神経で飛び退こうとする……が、萌絵は背が高いので当然腕のリーチも長く、瞬時に伸ばされた手から逃れられない。
その触手のような腕は明良の首の裏に回り、強力な抱き締め技を仕かける。
ジャージの下に隠れた体は筋肉でガチガチに硬く、女性特有の脂肪がついた感触が伝わってこなかった……が、身長差から顔に押し当たる胸のやわらかさは存分に伝わってくる。
萌絵は体がデカい上にアスリート並みの訓練をしているのだ。そんな巨漢、いや、巨女に締めつけられたら、男の明良でも逃れられない。
「ギブギブ! 離せって……」
ジャージのメッシュ素材でふさがれる口で、くぐもったピンチの声を張り上げた。
厄介なことに、萌絵は力加減がわからないモンスターのようで、窒息しかねない。
萌絵の太い腰をパンパンと叩いて降伏の意を伝える。
「嫌でーす。こんなオークみたいな女性の私を受け入れてくれる男性は明良さんしかいませんから、絶対に離しませーん」
「ダメだよ~、明良君は僕のものなんだから~」
そこへ華倫が慌てて加勢する。明良のどっしりとした胴体に腕を回し、筋肉繊維を太くして思いっきり引き剥がそうとする。
「うほう! 華倫、苦しいって!」
暴れる悪者を何人も押さえつけてきた、華倫の丸太のような屈強な腕で腹部を引っ張られると、内臓が押しつぶされて胃液が込み上げる。
「うぐぅ……なぁ! 絵理佳、頼むから助けてくれって!」
ギリギリ動かせる手を絵理佳へと向けて最後の望みをかける。
「絵理佳ちゃん、おっぱいが重たくて動きたくないし、暴力バーサーカー女だから人の心なんて持ってなーい」
「ううっ……胸をバカにして悪かったって、暴力バーサーカー女って言って悪かったって、助けてください女勇者様」
明良の哀願は届かず、ふたりの女性に揉まれ続ける。
ひとりの男性をふたりの女性が取り合っているシチュエーション。
ハーレム物のストーリーなら歓喜するような状況だが、相手の女性が悪すぎる。日頃から筋トレをしているゴリラのような女性ふたりに襲われたら、ただただ痛みしか感じない。
そのような筋肉ダルマの女性しかいない第四種女性要人警護課の部隊は、いい意味で男女隔たりなく和気あいあいとしているアットホームな雰囲気の職場だ。
なぜ、これほどまでに人間関係が良好で、冗談を飛ばしたり気軽にスキンシップができたりするのか。
それは、四人全員、アニメ、漫画、ゲーム……等々、二次元文化が好きだからだ。
同じような趣味を持った隊員が同じ部署に集結できたのは奇跡……ではなく、必然だった。その理由は……
「今日もお前たちは元気だな。だが、今から人の命を預かるクエストを受けるんだ。気を緩めるのもほどほどにしておけよ」
キャピキャピと騒いでいるところに、ピリッとした空気が走る――
瞬間、明良を奪い合うふたりの腕の力が緩まった。
気道が開き、頭に酸素が行き渡って生きた心地が戻っていく。
意識が鮮明に戻り、ゼエゼエと息を整えながら声がした部屋の出入口に顔を向ける。
三人の女性隊員も黙って顔を向けていた。
扉の縁にもたれかかり、腕を組んで立っている女性はメンズのスーツを着て……科学実験をするわけでもないが、なぜか白衣を着ていた。
マッドサイエンティストのような出で立ちで、毅然と隊員を針のように睨みつけている女性。
その女性の名前は、久保田陽子。三五歳。
第四種女性要人警護課の課長であり……一〇年前、明良の人生をドン底から救った命の恩人だ。
陽子は明良をアルバイト時代から引きずり回し、先輩として現場で引っ張ってきた。
また、一〇年前の陽子は二五歳で、スポーツ選手なら一番脂が乗った年齢だ。その陽子から身の毛もよだつしごきを受け、当時軟弱だった明良は何度気絶したかわからない。
しかし、明良はアイドルを守りたい一心で陽子の拷問のようなトレーニングメニューを淡々とこなしていった。
昔は防具の上に振り下ろされる、陽子の本気の竹刀や拳で何度も気を失い、ピクピクと痙攣していた。だが、全身の筋肉が悲鳴を上げ、疲労で何回ぶっ倒れても「こんなのもできないのか!」と煽られれば煽られるほど、倒れた分だけ不屈の闘志で立ち上がり、確実に体を強くしていった。
その甲斐もあって、今では山盛綜合警備保障全体で一線級の活躍ができ、アイドルを守る理想の仕事ができている。
そして、想像を絶するしごきを受けてから数年が経ち、陽子も歳を重ねた。
人間、どれだけ体を鍛えても老いには逆らえない。陽子は現場で動く体力が限界を迎え、現在は前線から退いている。
健康的な運動は続けているそうだが、戦闘を想定したトレーニングはしていないため、全盛期と比べると体は目に見えてしぼんでいる。また、歳を取って肌にハリがなくなり、顔から若さが消えていた。
だが、年齢が上がり、ベテランとしての貫禄が現れ、小ジワが増えた顔で作り上げる厳つい顔はスポーツ名門校の鬼コーチのようで、向けられるだけで体が氷つく。
そして、確実にキャリアを積み上げた陽子は一線を退くと、女性要人を専門で守る部署を作りたいと名乗りを上げた。その努力の結果、第四警備部の部長から許諾を得て、この課を作って現在は課長の座についている。
ボディーガードは仕事の性質上、要人と共に生活をすることがある。よって、同じ空間にいる人物は同性がいいというニーズがあった。
この部隊が創設される前は、別部隊に所属していた女性隊員を招集していたが、別部隊の女性隊員は他の仕事をしていることが多く、隊員の捻出が困難だった。
しかし、この部隊が出来てからは女性要人の仕事を積極的に受注でき、女性要人からの依頼が爆発的に増加した。
そこで疑問が湧くのが、なぜ男性隊員の明良が所属しているかだ。
部署を立ち上げる際、陽子が下に就いていた明良を持っていきたい意向もあったが、女性だけではできる仕事の範囲が限られてくるため明良を採用したのだ。
その第四種女性要人警護課を立ち上げた始祖の陽子が、赤いリップを塗った口を開く。
「だが、男に飢えてる連中のおかげで、ずいぶんと愉快なギルドになったものだな」
「全然愉快じゃないよ~、この部隊、明良君しか男の子がいないんだもん。つまらないよ~」
華倫が瑞々しい唇を尖らせる。
「私は男性というか……明良さんしか男性を知らないですし……」
萌絵は大きな体をもじもじとさせている。
「ふん、私は別に明良を木偶の坊にしてるだけだから」
絵理佳は相変わらずモニターを眺めたまま、マウスをカチカチとクリックしている。
「実に面白いギルドだな。私の思惑通り、ハーレムパーティが出来上がったようだ。フハハハハ、フハハハハ」
煽り倒すライバルキャラのように、大袈裟に笑って現状を楽しんでいる陽子。
陽子の趣味につき合った身にもなれよと、明良は心の中でため息をついた。
このような、二次元文化を愛する者ばかりが集まり、課というギルドを作り上げることができた理由。それは、課長兼、人事も行っている陽子も漫画やアニメ、ゲームが大好きだからだ。
初めて陽子と出会ったときは、カミナリを次々と落とす厳しい人だと思っていた。
しかし、仕事外、訓練終わり、プライベートの状態になると、まさか好きなことを早口で語るオタクだったのだ。
その事実を知ったときは風邪を引きそうなギャップに驚いたが、さらに仲を深めるきっかけになり、特別に訓練を過酷なメニューにしてくれた。
その陽子が人事権を握り、新入社員の中から意図的に選別すれば、自ずとこのような部隊が出来上がるのも当然だ。
おかげで、入ってくる新人たちとすぐに意気投合でき、仕事では円滑な連携を取ることができていた……ひとりの男性という肩身の狭さがあるが。
「私の理想としていたギルドに近づいていて実に嬉しい限りだ。我がギルドに栄光を」
白衣を大袈裟にバサッとなびかせ、トコトコと歩き始める。
「今期アニメの雑談もしたいところだが、さっそくミーティングを始めるぞ。ここからは仕事モードに切り替えろ。今回の仕事の説明をする。皆、席につけ」
比喩に使用していた「クエスト」というワードを、社会人が使う「仕事」に戻す。
オフではオタクモード全開だが、しっかりとメリハリをつけるのが陽子だ。
陽子が部屋の一番奥の席に座った。向き合っている、真ん中の席に明良と萌絵が座り、出入口に近い席、萌絵の隣に華倫、明良の隣に絵理佳が座る。
「今回の仕事は、明良と絵理佳、華倫と萌絵、それぞれ別の仕事をしてもらう。まず、説明がすぐに終わる、明良と絵理佳の仕事からだ。最新の日時のPDFファイルをコピーして開け」
陽子は現在、仕事の最終的な決定を下す課長の仕事に加え、華倫と共に営業の仕事もしている。
明良は共有フォルダを開き、PDFファイルをダブルクリックして開く。
今回仕事を依頼してきた法人は……ゼルテクサプロダクション。ルルエラが所属していた芸能事務所だ。
ルルエラは絶大な人気があったわけではないが、アイドルが殺されるという世間を震撼させた事件以降、事務所は表明文通りアイドルたちの身の安全に力を入れてきた。
本気で所属しているアイドルたちを守る意思がある、信頼できる芸能事務所だ。
明良もボディーガードになってから、何度も依頼を受けている。
「そういえばそうだったな、三日前からやってる仕事の増員か」
「その通りだ。絵理佳への仕事の説明は明良がやってくれ。私は華倫と萌絵に仕事を説明する。説明が終わったら明良主導で勝手に仕事を進めてくれ」
「了解です」
明良と陽子の話を聞いていた絵理佳がしゃべりかける。
「ひとりで仕事してたんだ。珍しいね」
「緊急を要する事案で、とりあえずひとりでも隊員をよこしてくれって言われたから、空いてる俺が送迎程度の軽い仕事をしてたんだ。で、絵理佳の休暇が明けたから、今日含めて二日間で警備の計画をしっかりと詰めていくぞ」
「了解だよっ! えっと……守る人の名前は……狩桶世奈? 誰? 芸名は……MONE。えっ! MONEちゃん⁉」
名前を二回も読み上げている絵理佳に、明良は振り返って問いかける。
「なんだ絵理佳、MONEのこと知ってるのか?」
「MONEちゃんって言ったら、さっきマネしたピケールに声を当てたアイドルさんだよ! すごい、すごいよ!」
「わかった、わかったって! 落ち着けって!」
腕を引っ張って体を激しく揺らす絵理佳を軽くなだめる。
芸名MONEこと、狩桶世奈という人物は、今から五年前、一五歳という年齢でアイドルデビューを果たした超若手アイドルだ。
狩桶は現在、ゼルテクサプロダクションのエースの一角で、SNSのフォローワー一〇〇万人を超えている。
また、無料動画サイトでチャンネルにミュージックビデオを投稿したら、数時間で一〇〇万回再生される、アーティストと名乗っても遜色ない人物でもある。
加えて、生まれ持った個性的なクリスタルボイスに可能性を感じた事務所は、一年前に声優業にも挑戦させた。
結果、特徴的な声にプラスして、喜怒哀楽変幻自在な演技力を発揮し、初挑戦したアニメのキャラクターの声に見事馴染んだと評価を受けている。
その実力はすさまじく、アイドルが声優をするなというアンチを黙らせ、初見で聞いた人は狩桶が元々アイドルということを知らないぐらいだった。
まさに、次世代を担うマルチアイドルだ。
「でも、MONEちゃんって確か顔を出してなかったよね?」
興奮が鎮まった絵理佳がボソっと告げる。
「ああ、よく知らねえけど、イラストを動かしてアイドル活動する人らしい」
明良がルルエラを推していた頃のアイドルといえば、顔を出して活動するのが常識だった。
しかし、昨今のアイドルやアーティスト界隈では、イラストを動かしたり、3Dアバターを動かしたりして、自身の分身を作って活動するアイドルが増えてきたのだ。
素顔を晒さずにアイドル活動をするのは本人の身の安全がある程度確保されるので、安全保障の観点からは理に適っている。
(時代も変わったな……)
目まぐるしく移り変わるアイドル界隈の流れについていくのも、歳を重ねて息切れするようになってきた。だが、仕事上、芸能界全体を見渡して流行を把握しておかなければならない。
明良は資料のPDFファイルを下にスクロールさせ、改めて狩桶世奈がMONEという名前で使用している一枚のイラストを見つめる。
MONEのイラストは、パープルとピンクが混ざったような長い髪の毛に、深い青色のお姫様ドレスを着ていた。
ファンタジーでクールなシンデレラのような容貌だ。
(なんかこのキャラクター、どこかで見たことあるんだよな……)
初めてMONEのイラストを見たときから、胸の奥に小さなトゲが刺さったような、奇妙な違和感があった。
忘れてはいけない、大切なキャラクターのような気がしてならない。
しかし、昨今は明良が好きなゲームを含め、星の数ほどの数多の二次元キャラクターが存在している。この気持ち悪い疑問は一生晴れることがないとあきらめていた。
「なにずーっとイラスト見てるの?」
「このイラスト、どっかで見た覚えがあるんだけど思い出せねえんだよ。なんのゲームだったかな……」
「この絵柄、たぶん絵師さんが羽多仲一星先生だから、いろいろな所で見かけてるだけじゃないかな?」
「その絵師さんか……あとで調べてみるか」
二次元文化について博識な絵理佳のおかげで、謎の解明に近づいた。
「話を戻すぞ。それで、狩桶様は厄介ファンかアンチか知らねえけど、二週間前から恋愛を拗らせた犯罪者から『俺のも物にならないなら殺す』って、過激な殺害予告が送られてきたらしいんだ」
明良は学生時代にルルエラを推していたが、アイドルは別次元に生きている存在だと認識していて、恋心など一片も抱いたことがない。
しかし、この職業に就いてから、雲の上の存在のお星様と本気で恋愛ができると思っている身の程知らずのバカが多いことが痛々しいぐらいによくわかった。
「あってほしくないけど、恋愛絡みの誹謗中傷や殺害予告はよくあるよね」
「よくある犯行予告だが、今回は質が全然違う。四日前、俺が仕事を始める一日前だ。ゼルテクサプロダクション事務所の出入口にサバイバルナイフと液体が入ったペットボトル、本人の自宅のポストに動物の死骸が置かれてたらしいんだ」
「ええ……ヤバっ」
明良の報告を聞いて、絵理佳はドン引きしている……が、決して驚いていない。
むしろ、より一層気合が入っているだろう。
ボディーガードの仕事をしていると、殺害予告や爆破予告は日常茶飯事だ。仕事の内容を告げられても、危機感を感じなくなってしまう。
いわゆる、正常性バイアスだ。
危機が迫っている状況でも精神の安定を保つために、都合の悪い情報は遮断してしまう心理。
その心理を理解しているからこそ、絵理佳は油断していないだろう。
慣れたときが一番危険だと明良が口を酸っぱくして言っているからだ。
そして、今回の仕事はバイアスを振り払う必要がないぐらいに恐怖を感じる事案だ。
殺害予告は、手紙、電話、メール、SNSの書き込み、等々、言葉で行うことが多い。つまり、どれだけ距離が離れていても、現代の通信網を使えば、世界中どこからでも嫌がらせができる。
しかし、今回の事件に至っては、物理的な嫌がらせを受けている。
つまり、犯人本人が実際に現場に訪れて、見つかるリスクを恐れずに実行しているのだ。
危機感を肌で感じ取れるぐらいに加害者が目の前まで迫ってきている状況。
不適切な度胸があり、行動力がある無鉄砲な犯人が一番厄介だ。
「この悪質極まりない殺害予告はすでに警察に通報済みで、捜査も始まってて、防犯カメラにも犯人の姿がバッチリ映ってる。だが、身元がまったく掴めてないらしい」
優秀な日本の警察でも目星がつかない相手なのはかなりの曲者だ。
そして、三日間という長い時間をかけて捕まえられていない事実が、ややこしいことになっている。
官民で分類したら、アイドルも民間の一般人だ。国民が汗水垂らして稼いだ血税を使い、警察官をマンツーマンでつけておくわけにはいかない。加えて、国民全員に警察を出動させていては人員不足になってしまう。
そこで登場するのが民間の警備会社だ。
お金を支払う者にのみ動ける民間の警備会社なら、事件が起きる前に行動に移せ、不安の芽を摘むことができる。
「ほえ~、めちゃくちゃ大変な事件なんだね。でもでも~、これぐらいヒリヒリする危険な仕事だと絵理佳ちゃんの腕が鳴るな~」
絵理佳は右手の拳を左手の手のひらに何度もパンパンっと叩きつけている。
「それで、明後日から狩桶様の仕事を再開させて、今週の日曜日のライブ終了後、引っ越しが完了するか、途中で犯人が捕まるまでの期間、家を出てから帰るまで護衛するのが俺たちの仕事だ」
「了解だよっ! このエリートボディーガードの女勇者、絵理佳ちゃんが憧れのMONEちゃんも守っちゃうよ。キャハッ☆」
右手のピースサインを目の横に当て、ふざけながらも気を引き締めた了解を告げる。
明良は大きな手でバンっと机を叩き、重たい体をグッと持ち上げて立ち上がった。
「っというわけで、絵理佳。要人の行動範囲が増えたから、今から狩桶様が行きたい場所の下見と作戦会議をするぞ。警護車両で集合だ、準備しろ!」
「了解だよっ!」
絵理佳も立ち上がり、準備に取りかかる。
明良は部屋を出て男性更衣室へと向かった。
更衣室のロッカーを開け、体重一〇〇キロを超える巨体を包み込む、オーダーメイドのスーツを取り出して丁寧に着こなしていく。
ストライプ柄のネクタイを固く結び、ポマードの缶を開け、適量を取って手の平に広げる。鏡の前でスポーツ刈りの髪をツンツンに立たせ、模範的なボディーガードの姿になった。
人前に出られる姿になると、荷物をまとめて一階の駐車場に降り、黒塗りセダン型の警護車両の前で絵理佳を待つ。
「戦闘モード、エリートボディーガードの女勇者、絵理佳ちゃん、華麗に参上だよっ!」
スマホを眺めていると、無邪気な声が駐車場に反響した。顔を上げる。
タッタと走り寄ってくる絵理佳が、無駄に一回ハンドスプリングをして、明良の前でピタッと華麗に着地を決める。
戦闘モードと称している絵理佳はメンズのスーツに着替え、長い髪をふたつのお団子にして下で結んでいた。
爆乳の絵理佳がメンズのスーツを着ると、襟の部分が大きく開いてしまう。下のワイシャツを止めているボタンが左右に強く引っ張られ、ボタンから「ギャアアアアアアア」と悲鳴が聞こえてきそうだ。
「やったー! ハンドスプリングできた! 次はバク転できるようにしよ~」
「絵理佳すっげえな。忍者かよ」
「これが忍者じゃないんだなぁ~。ただ強くなるだけじゃなくて、強さの中にも美しさを求めた、スーパースターって呼んでほしいなぁ」
「パフォーマンス系のアイドルかって思ったぞ。それじゃあスーパースター様。その流麗な武道を駆使して本物のスーパースターを守りに行くぞ」
「了解だよっ!」
ふたりは警護車両に乗り、昼の繁華街というワールドに繰り出していった。
この現場の下見は、ゲームの世界で例えると攻略サイトを見ることと同じだ。
要人が過ごす場所を把握し、危険な個所を事前に知っておくことによって、要人に降りかかる脅威を排除しやすくなる。ゲームでもマップを頭に入れておくことによって、効率的に動くことができる。
ゲームを本当に楽しむようなプレイをしたいなら、攻略サイトを先に見るのは愚行だ。しかし、本当に死んでしまうリアルの世界ではキレイ事を言っていられない。
リアルと現実は違うことを最も理解している、ボディーガードふたりの仕事が今日も始まりの幕を上げた。




