Chapter3-1 推し活ができない戒め
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
翌日。狩桶世奈を警護する仕事の二日目。
本日の狩桶のスケジュールはシークレット物件を取り扱っている不動産屋との相談。次にスタジオでのボイストレーニングだった。
そして、すべてのスケジュールが終わり、スタジオの駐車場に停めていた警護車両に狩桶を乗せる。狩桶は昨日と同じような体にピッタリとフィットする腹出しコーデをしていた。
三人が乗った警護車両は仕事終わりのサラリーマンで賑わうオフィス街を抜けていく。
「絵理佳さん」
後部座席に座っている狩桶が隣の絵理佳にしゃべりかける。
「いかがなされましたか?」
「服を買いに行きたい。店に寄ってもいい?」
「いいですよ、どちらの洋服店をご希望でしょうか?」
「ニパーラでお願い」
「かしこまりました。笹川、よろしく!」
「了解」
明良はスマホスタンドにはさんであるスマホに店名を入れて案内を開始させる。
(うっ……まただ……ニパーラ、この音の響き、なんでこんなにも俺の胸を締めつけるんだ)
明良はハンドルを握ったまま記憶の断片を頭から掘り返していく。
どこかの商業用ファッションショーでモデルを護衛した際に耳にしたアパレルブランドだろうか。いや、もっと大切な意味を持つブランド名であるような気がしてならない。
(くっそ、狩桶世奈、お前は一体何者なんだ!)
狩桶を守る仕事を始めてから、連日明良の調子はぐちゃぐちゃに狂わされている。
やはり、誰かの推しのアイドルを初めて抱き締めてしまったからなのだろうか。これまで守ってきた三〇〇人以上のどのアイドルよりも狩桶は特別な存在で……守りたくなってしまう衝動に駆られる。
(俺が……俺でなくなる……)
ボディーガードとして一〇年間見失わなかった揺るぎない信念が、足元から崩れていくような感覚。
早くこの仕事を降りたい。そう願う境地にまで至っている。
しかし、引き受けた仕事は遂行しなければならない使命感が意識をつなぎ止め、カーナビアプリの道しるべに従って都会の商業ビルが立ち並ぶ繁華街に入っていく。
平日の午後一八時。
労働基準をしっかり守っている企業に勤めているスーツ姿のサラリーマンや、平日休みの若者たちで道が溢れ返っている。
ビル街特有の道幅が狭い車道を通り、横断歩道を行き交う大量の人々に気をつけ、近場の立体駐車場のコインパーキングに入って警護車両を停める。
立体駐車場でも辺りを警戒しながら三人は車から降りた。
キッキアン・ケーキに行った時と同じフォーメーションで歩いていき、無事、目的のアパレルショップが入っている商業ビルに到着することができた。
三人はエレベーターに乗って目的のフロアで降りる。明良は遅れてエレベーターを出て、ワンテンポ遅れて狩桶たちの集団を追いかけていく。
女性をメインターゲットにしたブランドが並んでいて、かつ、商品の値段が少々高めに設定されている。
すれ違う女性たちの身なりは淑女のようで、店内は治安がよさそうだ。
男性の明良、それも背が高く、スーツを着た一〇〇キロ越えの巨体がこの中にまぎれていると、お付き合いしている女性にプレゼントを買いにきた男性のように見える。
(んっ?)
ピタッと足が止まった。
(違和感はこれだったか……)
テナントの上部。ブランドのロゴが書いてある看板を目にしてすべてを思い出した。
黒い下地にピンクとパープルの色で『NIPPERLA』っと、看板に書いてある。奇抜な色と丸々とした凝ったレタリングで、印象に残りやすいブランドロゴ。
そっとブランド名をささやく。
「NIPPERLA」
口に出して読み上げるのは何年ぶりだろうか。
懐かしのブランド名ニパーラは、今でも愛して止まない最高のアイドル……ルルエラのお気に入りのブランドだ。
ルルエラが雑談配信の端々やSNSのつぶやきで、時折ニパーラの商品の紹介をしていたのが記憶に残っている。
そして、明良は推しが普段使いしている商品に興味が湧き、公式ホームページや他のインフルエンサーが紹介している記事を調べたこともあった。
しかし、高校生のお小遣いという収入源では推しと同じレディースの商品を買う余裕がなかった。
お金の使い方を考える余地もなく、公式グッズを買うのに精一杯で渋々あきらめた覚えがある。
(ダメだ、勤務中にスマホを取り出して、仕事と関係がないことをしたら)
っと、頭ではわかっているが、内ポケットからスマートフォンを取り出す。
普通の社会人ならできる我慢も今の明良にはできなかった。
本社と連絡を取っていることを装って、素早くスマートフォンの画面を操作していく。
何十年も前からサービスが続いている老舗SNSアプリを開く。
そして、一〇年間更新されていない、時が止まっているルルエラの遺産アカウントを表示した。
アカウントトップには忌々しい表明文が残っている。が、嫌な思い出が蘇る間もなく、ルルエラのアカウントの検索欄に『NIPPERLA』と入れて検索する。
すると、キラキラと光る細かい星のエフェクトで装飾され、彩度と明度を上げた写真が大量に表示された。
ニパーラの服を着て全身鏡の前で自撮りをしている、宇宙一かわいいルルエラの写真もある。
そのルルエラは丈が短いデニムのホットパンツに、肩を大きく露出したダボダボの白いトップスを着ていた。
(ルルエラ……俺、ようやくルルエラが好きだったブランドの商品を買えるぐらい稼げるようになったぞ)
写真の中で生きているルルエラへ社会人になった報告をする。
(これも……これも……これも、プレゼントで渡したかったやつだ)
画面を下から上へスクロールさせると、ひとつひとつの商品すべてに思い出が詰まっている。
(あっ、これはほしかったやつだ)
次から次へと写真を流していると、ある商品が目に留まった。
平行六面体の少し凝った形をしている、真っ白なビン。コメントに「私のお気に入りの香水! 白色は石鹸とミントを混ぜたような優しい香り! 私の匂いを嗅ぎたかったら、これを使ってね!」っと、書いてある。
レディースの商品をメインに扱っているブランドで、唯一使えると思った商品だ。
ただ、香水はいつでも買えると思い、高校生のときはタイミングが限られているルルエラのグッズを優先させていた。
スマートフォンに目を落としたまま足が動き出してしまう。
ついには危険行為の歩きスマホに手を染めてしまった。
顔を上げ、店内をキョロキョロと見渡す……あった。
レジ横から伸びる、壁一面のガラス棚。
単色のガラスビンが虹のように並べられている。
ルルエラが商品の紹介をしてから一〇年の歳月が経った。ビンの形がモデルチェンジしている。
もしかしたら中身の匂いも変わっているかもしれない。
それでも、高校生のとき喉から手が出るほど切望した推しのアイテムだ。そしてなにより、チェキを撮ったときにほんのりと漂ってきたあの忘れられない推しの香りをまた嗅げるのだ。
その期待は抑えられない……抑えようとすら思わなかった。
外見はなにも思っていないような堂々とした態度で店内に入る。
「いらっしゃませ~」
レジに立っている女性に機械的な挨拶をされるが、明良の耳には届かない。
明良は商品棚の前に立った。
奥行きが浅いガラス棚には等間隔で香水のビンが並べられている。
値札には一一五〇〇円と書いてあった。高校生という身分なら手軽に購入できない価格だ。
激しく震えるゴツゴツした太い手で、お試しで香りを嗅ぐことができる、テスターのスプレーを手に取った。
左手の手首にワンプッシュ、シュッと吹きかけて鼻に近づける……石鹸とミントの香りが混ざった爽やかな香りが鼻腔を刺激した。
「ル……ルルエラ……」
心の奥底に眠っていた記憶がドバーっと溢れ出した。
高校三年生のゴールデンウィーク。初めて参戦したライラックプリンセスのライブ。ライブ終わりの握手会で確かに漂ってきたあの香りだ。
香水の匂いだけで、ルルエラと手をつないだ微かな温もり、身を寄せ合って写真を撮ったときに感じた体温さえも、素肌にじんじんっと蘇ってくる。
一〇年ぶりにルルエラと会えたような気がして、グッと目頭が熱くなってくる……
「えっ! 明良君、なんで私の香水を嗅いでるの⁉」
「⁉」
ドクドクッ! と、心臓の鼓動が乱れる。
狩桶世奈の肉声で呼びかけられ、たらりとした不快な冷たい汗が防刃チョッキの下で流れる。
(マズい……)
ルルエラとの大切な思い出が泡のようにはじけ飛び、正気に戻る。
恐る恐るぎこちなく顔を向けた。
絵理佳は立哨姿勢で「なにしてんだ、こいつ」と、湿り気を帯びた薄い目で無言の圧力をかけてくる……それは同僚だから、あとで尋問されるだけで取るに足らない些細な問題でしかない。
今一番の問題は、血管が浮き出るほど眼球を大きく見開き、明良を凝視している狩桶の存在だ。
いくら気を許してくれた狩桶と言えど、お客様の前で、普通にショッピングを楽しんでしまった。
(なんで、こんなことになったんだ……)
陽子から仕事の資料をもらい、MONEというイラストを目にしたときから歯車が狂い始めていた。そして、ついにその歯車が噛み合わず、パーンっとはじけ飛んでしまった。
ボディーガードの仕事を始めて一〇年。初めてお客様の前で失礼な行動を取っただろう。猛烈に反省する。
「ねぇ、明良君、聞きたいことがある……」
狩桶の声が微かに震えている。
その声が明良の耳を冷たく突き刺す。
「はい、狩桶様。いかがなされましたか?」
馬鹿力を込めた、最高級の営業スマイルを作り上げて撫でるような声で答える。
「明良君、ルルエラって……言った?」
心臓が口から飛び出そうなのを必死に飲み込む。
ささやき声で言ったつもりだが、狩桶の耳に届いていたようだ。
誤魔化せない。ここは後ろめたさを隠すために正直に話を合わせにいく。
「そうですね、ゼルテクサプロダクションに所属していらっしゃったアイドルのルルエラです。確かルルエラは、このアパレルブランドがお気に入りでしたね」
「ルルエラがニパーラ好きなの知ってて、ルルエラが使ってた香水を知ってて……この前相談に乗ってもらった時、昔アイドルが辞めて悲しんでたって明良君言ってた。まさか明良君ってルルエラのファン?」
「はい、ルルエラのファンです。それで、ルルエラが愛用していた香水が置いてあって、思わず手に取ってしまいました。仕事中ですが軽率な行動を取ってしまい、大変申し訳ございません。アハハハハ」
「ええええええええええええええええ! 明良君、ルルエラのファンだったんだ!」
「ん?」
狩桶の元々澄み渡っている声が、さらに透明感を増してボリュームが上がっている。
そのリアクションに流れていた脂汗が一気に乾く。
狩桶は薄いピンクのネイルが塗られたほっそりとした小さな両手で、明良の皮が厚い大きな右手をギュッと握った。
「えっ! すごい! すごい! 待って! まさかこんな所でルルエラファンに出会えるなんて思ってもなかった! すごい! すごい! 私もルルエラのファン!」
狩桶は明良の極太の腕をブンブンと振り回している。
「私、ルルエラと同じ事務所なのに、ルルエラを知ってる人が全然いなくてすっごく寂しかった。でも、ひさしぶりにルルエラのファンの人に会えてうれしいいいいいいいいいいいいいいいい!」
はしゃいでいる狩桶を前に、明良は素直に聞き返す。
「狩桶様もルルエラのことがお好きなのですか?」
「それはもう、小学生のときにたまたま見つけたライラックプリンセスのMVでルルエラがかわいくて、私はアイドルになろうと思った。ゼルテクサプロダクションに入ったのも、ルルエラと同じ事務所に入りたかったから!」
「そうだったのか!」
店に迷惑をかけそうな大声で返してしまう。
何年ぶりだろうか。久方ぶりの真のルルエラファンに出会えた事実に、体がふわふわと浮くような感覚に見舞われる。実際、狩桶が仕事相手であることなど忘れて、昔からの親友と再会したときのような言葉遣いに砕けている。
「明良君はなんでルルエラのことが好きになったの⁉」
「俺は高校生のとき、ルルエラがプレイしてたオンラインゲームのベドレクで知ったんだ」
「そう。ベドレク。私はルルエラを見つけたときは小学生で、母親がスマホでゲームさせてくれなかったからプレイできなかった。でも、私が今使ってるMONEのキャラクターはルルエラがベドレクで使ってたアバターに似せたの」
「だからMONEのイラストを見たとき懐かしかったんだな」
狩桶の答え合わせで、引っかかっていた謎がすべて解けて頭の中が晴天になる。
「明良君はルルエラのどこが好きになったの?」
「ルルエラは高校生の辛い時を救ってくれた天使みたいなアイドルで、初めて応援したいと思ったアイドルだ。今の俺がいるのは、まぎれもなくルルエラのおかげだ」
偶然にもルルエラの配信を発見できた、あの奇跡の日は今でも鮮明に覚えている。
「ホントだよね。ルルエラはかわいいだけじゃなくて、面白くて、優しくて、見てるだけで笑顔になれる。私が好きになったときは小学生でできなかったけど、リアルライブに参戦してみたかった。グッズもほしかった。それこそベドレクもやりたかった」
「俺は行けるライブには行ったし、グッズもいっぱい買ったぞ」
「羨ましい。ルルエラが現役で活動しているときに、いっぱい追いかけたかった。今はルルエラが好きだったアパレルブランドで散財するぐらいしかできなくて、悲しい」
後悔の念をしんみりと語る狩桶とは歳が一〇年ほど離れていて、世間一般に言えば別世代を生きている。
しかし、世代を飛び越えて同じ推しの人と思わぬ所で出会うことができた。
あまりの感動に、明良は熱がこもった声で語りかける。
「いや、どんな形だろうとルルエラを応援してたなら、狩桶様の愛は本物だ。それで本気でルルエラに憧れて、ルルエラと同じ道を目指したなら、他のどのファンにもマネできねえ、もっとデカい愛だって思うぞ!」
「ありがと、そう言ってくれて」
狩桶の声が感動で潤んでいるのがわかった。
「本当は俺が言うんじゃなくて、ルルエラ本人の口から言って、狩桶様に聞かせてやりたかったんだけどな」
「ホントにそう。あの超絶かわいくて、笑顔が絶えない話を届けてくれたルルエラが殺されたのは悔しかった。いつかルルエラみたいにみんなに希望を与えるようなアイドルになって、ルルエラと共演して、同じステージに立ちたかった」
歯を食いしばるような言い草で気持ちがひしひしと伝わってくる。
明良も曇った強い声で返す。
「あの事件は、ひとりの夢追い人の人生と多くのファンの生き甲斐を奪った凶悪事件で、今でも犯人を許してねえ。だから俺はこれ以上ルルエラと同じように悲しむアイドルやファンたちを出さないようにするためにボディーガードになったんだ」
「そうだったの⁉ 明良君もルルエラへの愛からボディーガードになったんだね。それは他のファンにはできない、大きな愛で素敵」
「ありがとな。今でも俺を突き動かす原動力はルルエラへの愛だって思ってる」
自分語りをしていると少し恥ずかしいが、ファン同士であるので誇りを持って語ることができる。
「なんか私たち似てるね。同じルルエラ推しで、ルルエラへの愛で今の仕事に就いて」
就いた職業は違えど、同じ推しの下、人生を導かれた者同士が邂逅できたのはルルエラの運命の置き土産だ。
一〇年の時を経て、改めてルルエラに感謝するとは思ってもいなかった。
「本当にこんな境遇が同じ、ルルエラの無念を背負って生きてる人と出会えるなんて思ってもなかったな」
「ルルエラの無念……そう! この前は少しの気の迷いでアイドルを辞めたいって言ったけど、私、ルルエラが果たせなかった五大ドームツアーを叶えたいって思ってる!」
狩桶の声が野望を秘めたものになる。
その大きな夢に、同じく野望を秘めた者として全力で応えなければならない。
「最高の夢だな。狩桶様がその最高の夢を叶えられるように、ボディーガードとして、そして、ルルエラのファン同士、必ず守り抜くからな」
「私もいっぱい練習して、全力で歌って踊って、ルルエラの夢を叶えるからよろしく頼んだ」
「もちろんだ、狩桶様……いや、トップアイドルなるMONEの夢は、この命に代えても、必ず守る!」
アイドルに対して、ゲームのキャラクターのようにカッコつけるとは思ってもいなかった。
しかし、守る意思は本物だ。
今までは漠然とルルエラのような悲劇を二度と起こさない使命感で、数多のアイドルを守ってきた。
しかし、狩桶世奈は違う。ぼやけていた目標にくっきりとした輪郭を与えてくれた。
狩桶はルルエラが叶えられなかった夢を叶えようとしてくれている。
ルルエラが叶えたかった夢が叶うことが明良の夢だ。
ボディーガード歴一〇年目にして、ハッキリと形が見えた夢。明良は新たな夢を胸に、狩桶を完璧に守っていくことを深く魂に刻み込んだ。
「ねぇ、明良君。ルルエラが着てたファッションで、お気に入りのファッションとかある?」
「これとかいいと思うぞ」
スマホの電源をつけ、先ほどのホットパンツに肩を出している写真を見せる。
「これ、いいね。それじゃあ、これに似てるの買おうかな」
「今度着てるの見せてくれよ。それじゃあ俺はこの香水でも買うか」
そして、一〇年来の夢だった、ルルエラが使用していた香水を購入して、その日の仕事は終わったのだった。




