Chapter2-5
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
ゼルテクサプロダクション事務所内。世奈はどこかの部屋に入り、なにかしらの仕事をしていた。
絵理佳は首から下げたゲストパスを大きな胸と共に揺らしながら事務所内を巡回している。廊下を見回ったり、エレベーターや階段周りで突っ立ったりして、不法侵入者がいないか警戒を続ける。
その際、すれ違うイケメン男性やかわいい女性は所属タレントだろうか。顔面最強ビジュアルの人間しかいない。
数時間待っていると、世奈がある一室から出てきて絵理佳を発見する。長い黒髪をなびかせ、軽い駆け足で歩み寄ってきた。黒いプリーツマスクがモサモサと動く勢いでしゃべりかける。
「仕事終わった、待たせてゴメン」
「いえいえ、お疲れ様でした。予定では午後からオフとなっていますが、狩桶様はどこか行きたい所はございますか?」
「お昼の時間が過ぎてお腹空いた。どこか食べに行きたい」
「どちらで食事を取りますか?」
「相葉さんは行きたい所ある?」
まさか食事に誘われるようなことを尋ねられ、一瞬脈が乱れる。
「私は身辺警護の仕事をいたしますので、気になさらないでください。狩桶様がお望みの所でかまいません」
言葉とは裏腹に胸の奥がキュンとする。
「じゃあ、お気に入りのケーキ屋さんに……でも、相葉さんの体だとケーキだけじゃ足りないか」
「ですから、私は仕事をいたしますので、私のことは気になさらず狩桶様の好きなものを食べてください」
「それは申し訳ない。どうにかして食べる方法はないの?」
「そうですね……飲食店に入れば、料理を注文しないとお店に失礼になるので、一緒に食事ができます。簡単な料理しか食べられませんが」
「なら、やっぱりケーキ屋さんにしよ。そこで高カロリーなもの食べて」
「かしこまりました。それではどちらのケーキ屋さんに行きますか?」
「ちょっと遠いけど、キッキアン・ケーキ。私のお気に入り」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
スーツの襟にクリップで留めていた、無線機のマイクのボタンをポチっと押す。
「相葉から笹川へ、どうぞ」
小声ながらも、タンギングを効かせた声でハキハキとしゃべる。
「どうぞ」
「ただいま狩桶様のお仕事が終了しました。昼食を取りたいそうで、キッキアン・ケーキでの昼食をご所望です」
「了解。地下駐車場の見回りをしてるから、出てきていいぞ」
「了解」
明良から返事が返ってきたところで音声は途切れ、世奈に顔を戻す。
「それではお昼ご飯を食べに行きましょう」
「よろしく」
ふたりはエレベーターに乗り、地下駐車場に降りた。明良が安全な空間を作っていてくれたため襲われることはなかった。警護車両に乗る。
明良がスマホのナビアプリを開いてキッキアン・ケーキを検索し、スマホスタンドに固定してナビを開始させた。
ナビに従って車を走らせていく。
数十分でキッキアン・ケーキ近くのコインパーキングに到着し、警護車両を停める。三人は降りて、明良が先頭を歩き、そのあとに世奈、絵理佳と隊列を作って進んでいく。
そして、キッキアン・ケーキの看板を掲げる店に到着。静かな裏道にある、木の温かみが感じられる外装の小さな店だ。
明良が先に入って店内の安全を確認すると、無線で入っていいぞと告げられた。
ふたりは店に足を踏み入れる。
「今日も美味しそう……」
世奈は黒マスクの上から口を押さえ、茶色に煌めく目をしきりに動かしてショーケースを眺めていた。
ショーケースの中には、オーソドックスなショートケーキ、チーズケーキ、モンブランから、カットされていないホールケーキやロールケーキもある。
「私はミルクレープにする。相葉さんはなに食べる?」
「それでは……これにします」
絵理佳はホイップクリームにイチゴが乗っている、シンプルなショートケーキを選んだ。
店員は注文を受けると、皿とトングを持ち、注文を受けたケーキを皿に盛りつけていく。世奈はさらにアイスティーも注文した。
「私がおごる」
世奈はスマートフォンのキャッシュレス決済アプリを開いた。
「いえ、私の分は私が支払います」
「いい、おごらせて」
絵理佳が内ポケットからスマホを取り出す前に、世奈がキャッシュレスアプリを表示したスマホで支払いを終えていた。
(まあ、いいか……)
好意で押し切られ、代金を改めて支払う流れではなくなってしまった。
その注文したケーキとドリンクが載せられたトレイを受け取り、席へ移動する。
五割ほどの席が埋まっている店内。
明良はすでに店内全体を見渡せる端のテーブル席に座って、ケーキをぱくぱくと食べていた。
図体がデカい明良がフォークを持つと、フォークが爪楊枝に見える。ケーキも豆粒のようで、巨大な熊が小さなドングリを一粒ずつ味わっているようだ。
そして、明良からの無線の指示で窓際のカウンター席に世奈を案内して、隣同士で座った。少し離れた背後では明良が守ってくれている。
世奈はキャップを取って机に置いた。
「いただきます」
静かに手を合わせた世奈は長い髪をかき上げて、耳にかかっているマスクの紐を引っ張った。
世奈と出会ってから、大半が隠れている顔しか見ていなかったが……世奈がマスクを剥がして、素顔を晒す。
(うわっ……キレイ……)
心の中でセクハラオヤジのように素直に驚く。
カウンター席に降り注ぐ淡い太陽光が、世奈の黒髪と白い素肌をキラキラと照らしている。自然の力までも味方につけることができるのか。
肌荒れしていない雪のように透ける手でフォークを持ち、ミルクレープを一口サイズに切り分けてリップを塗った薄い唇へと運ぶ。
さすが狩桶世奈だ。ただケーキを食べている姿さえ、映画のワンシーンを見ているように感じる。
「う~ん、美味しい~」
世奈の横顔をうっとりと眺めていると、フニャっととろける笑顔になる。
凛とした顔だけではなく、緩む顔も絵になるのはズルい。
その見惚れている美しい顔が絵理佳に向く。
「相葉さんも食べよ。美味しいよ」
「はっ、はい!」
絵理佳は慌ててショートケーキを一口サイズにフォークで切り分けて口に含んだ。
たぶん美味しいが……今は味を楽しんでいられなかった。
(あのMONEちゃんと一緒にスイーツを食べてるんだよね)
仕事が本格的に始まってからはエスコートすることに必死で、狩桶世奈の存在を特別意識していなかった。しかし、静かに考えられる場面になって、ドクンドクンっと胸が高鳴っている。
狩桶世奈は単純に認知しているアイドルではなく、インターネットでは数多のファンから崇められている超大物アイドルだ。
他のファンたちを差し置いて、その有名人を独り占めできているシチュエーションに心が躍らないわけがない。
愉悦感に溺れて仕事していることを忘れてしまいそうだ。
「ねぇ、相葉さん」
「はい、いかがなさいましたか?」
「このケーキ屋さん、どう?」
ボディーガードの鉄の掟が解放される瞬間。
――業務連絡や緊急事態以外でも、要人に話しかけられた場合は会話をしてもよい――
ここで愛想なく会話を断ち切ったら印象が悪くなってしまう。
あくまでも仕事の立場として会話を続ける。
「他のケーキ屋さんと比べて、味が優しくて美味しいと思いますよ」
「よかった、相葉さんの口に合って。もしよかったら、もう一個、二個おごる」
「いえ、そんな気を遣わなくてもいいですよ。それに、元々私は昼食を取るつもりはありませんでしたので、ケーキ一個食べられただけで十分満足ですよ」
「お昼食べるつもりがなかったって、ボディーガードはご飯もゆっくり食べられないの?」
「はい。人間は食べてる瞬間と寝てる瞬間は隙を見せてる瞬間ですので、食事を取るときは隠れて素早く食べないといけないんです」
「ボディーガードの仕事って大変。ホントに厄介なファンかアンチか知らないけど、手間かけさせて申し訳ない」
「私は仕事でやっていますし、悪いのはすべて殺害予告犯ですから気になさらないでください。むしろ弊社をご利用いただき、誠にありがとうございます」
表では平静を装って、ゆったりとした口調で定型文をしゃべっている。が、裏では心臓がバクバクと暴れ回っていた。
ネットやアニメで見かける超有名人だと認識している相手と話す瞬間は、グツグツと煮えたぎった血液が全身を駆け巡る。
(MONEちゃん、すっごく謙虚で優しいいいいいいい!)
世奈と初めて顔を合わせたときから、落ち着いた大人のような雰囲気だと思っていた。事務所を去るときはスタッフの心配をしていた。そして、ケーキ屋で一緒に食事を取り、本物の聖人だと確信した。
アイドルとボディーガードの関係。下手をしたら明日には担当が変わっているかもしれない一期一会の仕事相手に対して、小さな気配りができている優しさに胸の奥から込み上げる感動があった。
ボディーガードという仕事上、多くの要人は同じ空間に何十時間も一緒にいたとしても、顔を合わせたときの挨拶と、別れの挨拶の二言で終わることが多い。
その経験を何度もしているからこそ、世奈の優しさはより一層温かく感じた。
「ボディーガードの仕事って体を張るだけじゃなくて先回りして安全を確認したり、ご飯を食べなかったり、たくさんやらないといけないことがあって大変」
「大変ですが、アドリブ力が求められて楽しい仕事だと思いますよ」
「そう! 大変そうだけど楽しそう。ボディーガードって悪の組織と戦ってるみたいで、カッコイイ!」
マスクがない状態で初めて見る世奈の驚いた顔。アイドル業をしているだけあって、表情が豊かだ。
「でも、女性がなるのは珍しいと思う。相葉さんはなんでボディーガードになろうと思ったの?」
「幼稚園の頃から戦うアニメや漫画が大好きで、いつかは戦う仕事に就きたいなって思っていてボディーガードになったんです」
「子供の頃の夢を叶えるなんて、素敵」
「ありがとうございます」
憧れの人にいきなりほめられるとは思ってもおらず、顔がカーッと熱くなる。
「子供の頃好きだったアニメとかある?」
「好きだったのはバンブー・ザ・ハンドストーリーや、コールド・エリアとかですかね」
「その時代のアニメ私も見てた。てか、幼稚園のときに見てたって相葉さん何歳?」
「二〇歳です」
「私と同じ歳なんだ。その歳で働いてるのすごい」
世奈は長いまつ毛を何度もパチパチと上下させている。
「いえいえ、中学生からインターネットでご活躍されている狩桶様には敵いませんよ。社会人としては大先輩で、その年齢から働いている狩桶様は本当に尊敬します」
「いや、私なんて同じ事務所のアイドルに憧れて、茨の道でもワガママに始めて、よくわからないけど人気が出た運がよかっただけの存在」
謙遜しているが、活躍した翌年には名前が消えている、入れ替わりが激しいアイドル戦国時代と言われる昨今の業界で、何年間も生き残っているのは素直に強い存在だと思う。
「運も実力のうちって言うじゃないですか。アイドルになるために行動に出て、そして、活動を続けるために努力しているのは立派な実力だと思いますよ」
「ありがと。でも、憧れの世界に飛び込んだら、いろいろと面倒なことがあって、最近よく悩んでる。なんで小さな言動まで気を遣うのかって」
椅子に深くもたれかかり、体がしぼむ勢いでため息をついている。
その世奈の姿を前に、明良の発言を思い出す。
今の世奈はメンタルにダメージが入っている状況だ。
相談が飛んできた場合、上手く答えられるように身構える……が、明良が言っていたように、トップアイドル様の相談に実際に乗るのは恐れ多い。
とりあえず今は世奈に共感しておく。
「気を遣うのは大変ですよね。私はまだ新人の身で、守ったアイドルの方々は少ないですが、過去には配信が急遽できなくなって視聴者を冷めさせて炎上した方や、案件で男性アイドルとコラボして炎上した女性アイドルの方がいました。この仕事を始めてから、この界隈はホントにくだらないことで燃えることが多く、人前に立つ方々は本当に大変だなって思いました」
世の中には人と人のつながりと、世間の流れがわからない、想像を絶する面倒くさい人間がたくさんいることをボディーガードになってから理解した。
そして、危害を加える厄介な人間から守る仕事を引き受けるたび、加害者は実社会の中でどう過ごしているのか毎回気になっている。
「アイドルになるまでこんな面倒なことするなんて思ってもなかった。しかも、今はストーカー被害と殺害予告も受けているし」
「ストーカー被害はホントに多いですよね。私は二年間で、もう何件ストーカー被害から守る仕事を受けたのか覚えていませんし、殺害予告を含んだ誹謗中傷は日常茶飯事ですよ」
「誹謗中傷はもうあきらめてる。この業界の有名税なんだなって。今回の殺害予告は家のポストに動物の死骸が入れられてて、さすがに怖かったけど」
「それは本当に辛いと思います。しかし、狩桶様の精神的苦痛をすべて緩和することはできませんが、その気持ちを少しでも和らげるために物理的な脅威はすべて排除いたしますので、どうぞご安心ください」
「うん、ありがと、よろしく!」
「っ――」
強烈なビームを放つような、ウインクを交えた眩い笑顔。そして、はずんでいる世奈の声は、ギャルのようなボイスに変わっていた。
そのビームに胸を焼かれ、言葉が出ないままでいると失礼だ。テンプレートの言葉を喉から絞り出す。
「はい、しっかりと承りました」
興奮冷めやらぬ中、話は一度区切られ、ふたりはケーキを食べていく。
甘いケーキを食べて気持ちを落ち着かせ、やらなければならない仕事を思い出し、店内を見渡して不審者がいないか警戒を再開する。
「ねぇ、絵理佳さん」
「はい、いかがなされましたか?」
店内の警戒を始めたのもつかの間、世奈はスマートフォンを片手に絵理佳に振り返っていた。
互いの自己紹介をしたわずかな時間で親睦が深まったのか、「相葉」から「絵理佳」の名前呼びになっている。
(えっ、えっ、えっ、えっ、MONEちゃんに絵理佳さんって、名前で呼んでもらっちゃった、ちょっと待って、きゃあああああああ!)
声を大にして叫びたいが、スース―っと歯の隙間から漏れ出る息でこらえる。
「絵理佳さんは昔からアニメ見てるって言ってたし、私が中学生のときからインターネット活動してるの知ってるけど、私の今の活動って見てる?」
「インターネット活動は存じ上げておりませんが、アニメ声優初挑戦のマステのマスク姫はつぎはぎの天使に登場するメインヒロイン、砂姫有栖から見ていましたよ」
「あれね。あれは運がよかった。いきなりメインヒロインの役で、原作者が仕立て上げた奇抜なキャラクターで目立つことができた。あそこでロケットスタートが切れたから声優としての立ち位置がある」
細い腕を組んでデビュー秘話をしみじみと語ってくれている。
アイドル、および著名人の裏話が聞き出せるのはラッキーで、裏方の役得だ。
本人の口から直接語ってくれた音声を脳内ハードディスクに必死に刻み込んでいく。
「最近のアニメで見てるやつはある?」
「ピケールは最強のド変態スライム娘に登場するメインヒロイン、スライム娘のピケールは狩桶様の声が想像と一致していて、とても魅力的なキャラクターになっていると思いますよ」
「絵理佳さん、よくわかってる」
世奈は照れ笑いする赤い顔を伏せ、絵理佳のゴリっとした肩をポンポンっと何度も叩く。
唐突なスキンシップをされ、何事かと体がカチコチに凍りついた。
「ピケールが戦うキャラクターの初演技だったんだけど、これがすっごくハマった。私、戦闘シーンの演技が得意だってわかって、ものすごく手応えがある」
「その手応えは狩桶様の演技を聞いていて耳で鮮明に感じ取れました。主人公の松本輝也と共鳴しているときの声、すっごくイキイキしてるなって感じます」
「これから戦闘シーンがあるアニメの仕事、もっと欲しい。バトルアニメならいっぱいやりたい……絵理佳さん、ありがと」
「はい? 私、なにかいたしました?」
唐突に感謝され、ポカーンとする。
「実は私、声優やりたくなかった。歌に力を入れて、次にファンサービスの配信に力を入れたかったけど、事務所の意向で無理やり声優をやってた」
「私は狩桶様の声と演技に惹かれて、そこから狩桶様を知ったのですが、やりたくなかったのですか?」
「うん、やりたくなかったから絵理佳さんみたいにアニメ声優の私をほめてくれたのが嬉しかった。嫌な仕事でも引き受けた甲斐があった」
「狩桶様のためになれたのであればなによりです」
「うん、ホントにありがと。あっ、ピケールは最強のド変態スライム娘の体験談はまだインタビューを受けてないから、このことは秘密」
世奈はピンクのリップを塗った唇に人差し指を当て、パチッとウインクを飛ばす。
「あっ……わぁ……はい、今日の出来事は絶対に漏らしません」
連続で襲いかかる、絵理佳のためだけのファンサービスに脳がショートして「あっ……わぁ……」と呻くことしかできない。
数日間、憧れの狩桶世奈と過ごし、心身共に無事に仕事を終えることができるだろうか。
嬉しい不安を胸にアニメの話を続けていると、ケーキを食べ終えて昼食の時間が終わりを告げる。
絵理佳は世奈と交わした会話を頭の中で鬼リピートさせながら、店を出て警護車両に乗った。
そして、マンションでも絵理佳と明良が先にロータリー内の安全の確認をし、世奈が警護車両から降りる。
三人並んでマンションに入り、エレベーターに乗り、廊下を歩いて世奈の部屋の前に到着した。
部屋の前で明良と絵理佳は気をつけの姿勢になり、明良は深々と頭を下げて挨拶をする。
「本日もありがとうございました。また、明日もよろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いします!」
明良のあとに続いて、絵理佳も頭を下げる。
「今日もありがと。そういえば明良君、今朝ゆっくり見せられなかったけど、この服どう?」
世奈はもじもじしながら水色のカーディガンをはだけさせ、剥けるように白い艶やかな肩を晒す。そして、マスク越しにとびっきりに咲き誇る笑顔を明良へと向けた。
(ん? え?)
今日一日世奈と過ごした、ぽわぽわと温まる思い出がスーッーっと音も立てずに消えた。
代わりに、女らしい仕草をしてファッションをアピールしている世奈に対して、無数のハテナマークが浮かぶ。
「はい、とてもお似合いですよ」
明良はどの要人に対しても変わらない、テンプレートスマイルを作っている。
「どんな感じで似合ってる?」
「狩桶様の美しさがより際立つ衣装だと思いますよ」
「そういう抽象的な感想じゃなくて、もっと具体的にほめて」
「アハハハハ、露出度が高くて、セクシーだと思いますよ」
笑顔を解いていないが、苦笑いを浮かべて棒読みになっている。
「ありがと。普段こんな大胆な服着ないから明良君にほめてもらえてよかった。私の自慢の腹筋はどう? 明良君には及ばない腹筋だと思うけど」
「無駄な肉がない、引き締まった腹筋で素晴らしいと思いますよ。我々はただ腹筋を強くすればいいだけですのでご飯をたくさん食べられます。しかし、狩桶様の腹筋は食事制限もしなければならないので、とても厳しいトレーニングをしたことが伺えます」
「さすが明良君。筋トレのことよくわかってる。私、パーソナルジムと契約を結んでて、私の紹介ならひとり連れていけるから、今度明良君も一緒に筋トレする? それか、スポーツアクション施設に遊びに行こ?」
マスクの中でこもっている口ぶりは……スキップでもするかのようにはずんでいる。
(え? ……なんでこんなに仲良くなってんの?)
絵理佳も世奈と昼食のときに仲を深めた。
そして、世奈の明るく開けた性格から明良とも仲良くなったのだろう。
しかし、数日間仕事を共にした相手をパーソナルジムやスポーツアクション施設に誘う距離の詰め方は明らかに異常だ。
(グギギギギ……なにそれ! ズルすぎる! 絵理佳ちゃんだって明良とスポーツアクション施設に行ったことないのに!)
二年間どれだけ明良を誘っても、明良は一度たりとも一緒に遊びに行ってくれたことがなかった。
絵理佳を差し置いて、たった数日の仕事相手が明良と遊んでしまうかもしれない事実に、大きな胸の内が怒りでムカムカと煮えたぎってきた。
さあ、明良はどう答えるのだろうか。お客様を接待するのだろうか。
「狩桶様個人で楽しむ分にはご案内しますが、ご一緒に楽しむのは仕事上難しいお話ですね」
「仕事上難しい熱い抱擁をしてくれたのに?」
世奈がそっとつぶやいた瞬間、明良の体がビクッビクッと震えて明らかに動揺していた。そして、チラっと明良と目が合った。
(熱い抱擁を……してくれた?)
絵理佳にとって抱き締めるという行為は、明良にイタズラをしかけるときに繰り出す技だ。
数日間しかつき合いがないふたりが、イタズラを仕かけ合う間柄になったというのか。
(いっつもアイドルと仲良くなるなって言ってるのになにしてんの!)
自分に優しく、他人に厳しい明良に対し、お団子にまとめた髪の毛が逆立ちそうだ。
今すぐにでも死より辛い拷問で問い詰めたいが、お客様の前で怒りを爆発させて辺りを火の海にすることはできない。
「狩桶様、その話は他言無用と言いましたよね? お願いですから、外でそのお話は控えていただけたら幸いです」
「ふふっ、ゴメン。私から無理やり抱き着いたのに、外で言っちゃった。私、どちらかと言うと、イジメられるほうが好きなのに、明良君をイジメたくなっちゃった」
「そうですか。本当にその話は外でしないでくださいね。私の立場が危うくなってしまいますので」
「明良君に守ってもらいたいから言わない。それじゃあライブが終わったらスポーツアクション施設に行くから、連れていってくれる?」
「もちろん、ご案内いたしますよ」
「楽しみにしてる。また明日もよろしく。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
世奈は目元だけの笑顔を明良と絵理佳に振りまき、キレイな手を振って部屋に入っていった。ガチャりと扉が閉まる。
これで、世奈が家を出てから帰るまで護衛する、本日の業務が無事終了した。
無言で歩き出す明良の大きな背中を慌てて追いかけ、隣にピタッとついた瞬間、明良の左腕ガシッと掴み、リンゴを握り潰す勢いの握力を込める。
「ねぇ、明良? 絵理佳ちゃんに要人と仲良くするなってあれだけ言ってるのに、なんであんなにMONEちゃんと仲良くなってるの? 絵理佳ちゃんにボコボコにされたいのかなっ? 答えて!」
「痛えって、離せって!」
「離す前に答えて!」
「はぁ~、面倒なことになったなぁ~」
明良は目をギュッとつぶり、首の裏をボリボリとかいている。
「狩桶様は殺害予告を受けてから情緒が不安定な状態で、抱き締めてくれって頼まれたんだ。俺は一度断ったけど、狩桶様から抱き締めてきたんだ。俺から進んで抱き締めてねえぞ」
「ホントに~?」
じっとりとした瞳で見つめる。
「証明ができねえからやりたくなかったんだ。とりあえず、俺から抱き締めてないのだけは信じてくれ。あと、陽子さんや他の隊員には言わないでくれ」
「言わないけど……」
エレベーターに乗り、ふたりだけの密室空間になった瞬間、腹が膨らむぐらい息を大きく吸い込み――
「MONEちゃんとスポーツアクション施設行くのズルい! 絵理佳ちゃん何回も明良を誘ってるのに、ぜーんぜん一緒に行ってくれないのにっ!」
大声を張り上げる。
「いやいや、これはお客様の要望だからな? 仮に狩桶様を連れていったとしても、俺は狩桶様と遊ぶ気はないからな?」
「それも重要だけど、絵理佳ちゃんは絵理佳ちゃんと遊べって言ってるの! 遊んでくれる約束をしないと、明良がMONEちゃんに手を出したこと言うよ!」
「わかったよ、この仕事がひと段落したら、絵理佳が行きたい所に連れていってやるよ」
「約束だからねっ! あと、さっきMONEちゃんの腹筋ほめてたけど、最近絵理佳ちゃんの筋肉全然ほめてくれない! なんなの? あのふざけた薄い腹筋。絵理佳ちゃんのほうがすごいんだからっ!」
絵理佳はスーツの裾を掴み、ワイシャツと防刃チョッキとインナーごとバサッとめくって、六つに割れた分厚い腹筋を見せる。
「おい! エレベーターに監視カメラついてるんだぞ、やめろって!」
「ほめてっ!」
「女勇者様の腹筋はまさにオリハルコンの盾、最強の防御力だな」
明良は右手をグーにして、軽い正拳突きを絵理佳の腹筋に入れる。
まったく痛みを感じない。絵理佳は満足気にめくり上げた服を戻した。
「キャハッ☆ パラディン様にほめられちゃった。絵理佳ちゃん最高に嬉しいなっ!」
明良と世奈が仲良くしていた不満など、たちまちどこかへ吹き飛んだ。
そして、エレベーターから降り、ロータリーに停めている警護車両に乗った。
太陽がオレンジになりかけの昼の終わり。
絵理佳は助手席で流れゆく街並みを眺めながら思う。
(でも、なんであんなに仲良くなってるの)
世奈が陽気な声で腹筋を明良に見せていた光景が頭にこびりついて離れない。
(MONEちゃん、なんなの)
仕事が始まる前はアニメに声を当てている憧れのアイドルという認識で、守っている最中はスタッフに気遣いできる心優しい人だと思っていた。
しかし、明良を遊びに誘ってから……嫌悪感とまではいかないが、心のざわめきが芽生えている。
明日にはこの芽が枯れていることを祈りながら、その日の仕事は終わったのだった。




