14.騎士団文庫
頭の重さを感じて、リサは開いていた本を閉じた。通い慣れた図書館は、今日も今日とて閑散としていて、活気のある街の一画にあるとは思えない静寂に満ちていた。微かな咳払いや足音、ページを繰る音さえ聞き取れるほどだった。
この閑散とした図書館で、彼女は日々、暇を見つけては過去の資料の収集に精を出していた。元からそうした作業に適性があったものか、日常業務をこなしながらとは思えない量を扱っていたが、さすがに過去に遡るにも限度があった。
なにしろ、五百年前の大戦時に大陸規模で壊滅的な被害を受けたため、多くの古書が戦火の中で失われていたからだ。それより以前の話となると、図書館の収蔵資料も頼りない。
その中でリサが注目したのは、大戦時に流行したという『白竜信仰』であった。それこそジークに頼まれていたものと繋がるかもしれない情報だ。そこに現在は失われてしまった白竜に関する伝承が混じっている可能性はあった。リサはさっそくこれについて調べていた。と言うより、他に有益な情報がなかった。
だが、問題は山積していた。不安感から生まれた民間信仰だったのだろうが、そのために公的な資料には記録が残っていない。一部の回顧録にその痕跡が記されているのみだった。組織化されていたのか、教義と呼べるものはあったのか、と言った最低限の情報を得ることさえ困難に思われる。
「それにしても……」
軽く上体を伸ばして、手元に書きためたメモを見ながら呟く。リサには気になることがあった。
『白竜信仰』の調査が行き詰まっている以上、ここは切り口を変えるべきだった。
自分たちは白竜の存在そのものがお伽噺に過ぎないと思っていた。実在すると信じたこともない。だが、現に白竜は存在していたとジークは証言している。と言うことは、伝承が正しければ白竜は神代の大戦以降も地上に留まっていたということになる。
ここで一つの疑問が生まれる。地上の安寧を見届けるために残留したとされる彼女は、大陸の大部分が戦火に焼かれている状況で、果たして静観していたのだろうか?
ジークの話では、彼の記憶にある限り、白竜は一度たりともその場を動いた事がなかったと言う。
「だとすると、白竜様が静観を続けたか……もしくは介入したとして、ジーク様の記憶が五百年分しかないかのどちらか、ということかしら?」
ジークが年数をはっきり覚えていれば問題ないのだが、秘境も秘境、しかもその中心に居たのだから、こればかりは仕方ない。
となると、手掛かりは五百年前の大戦での逆転劇の要因にあるかもしれない。疑問点の多い大反攻の要因を神の介入に求められるかもしれない。
しかし、五百年前という焦点こそ見えてきたものの、それが答に結び付くかどうかも確証がなく、正直なところ、あまりにも茫漠とした調査だった。ジークは特に期限を定めなかったが、数年がかりで結果が出るかどうか分からないような話に思える。どちらかと言えば、求める答が確証とともに眠っているという望みはかなり低く感じられた。
なにしろ白竜シーリアの伝承は神話の時代に遡り、しかもその痕跡は長らく途絶えているし、五百年前に多くの文献が失われたことで追跡も難しくなっていた。
だんだん何を調査しているのか分からなくなってきた。根を詰め過ぎて、考えがまとまらないのだろうか。今日のところは諦めて、少し休むことにした。
リサはメモ用紙を纏めて、本を返却するために立ち上がった。そこで後ろから声をかけられた。
「おや、奇遇ですね」
振り返ると、そこには彼女を職員として採用したマーク・レイモン卿の姿があった。小脇には数冊の書を抱えている。
「閣下もなにか調べ物でしょうか? よろしければお手伝いいたしますけれど」
「いや、それには及びませんよ。過去の判例を参照しに来ただけですから、すぐに終わります。それに、ちょっとした休憩代わりの散歩ついでですから」
リサは得心したようにうなずいた。わざわざ重役みずからが来館しなくても、部下に指示すれば資料は手元に届くはずである。そうせずに足を運んだのは、気分転換をしたかった、と言った辺りなのだろうと推察できる。
「お忙しいのですね」
「まあ、組織が未熟だと、上か下のどちらかに荷重がかかるものです。あなたの方は業務、というわけでもなさそうですね。何をお調べですか?」
マークは卓上に詰まれた本の背表紙を流し見て、好奇心を隠そうともせずに尋ねた。そういうところは、どうも読書人か学者肌の男らしいとも思える。
「個人的な依頼での調べ物です。結果はあまり芳しくはありませんが」
「歴史関係……先の大戦に関しての著作が多いようですね。資料が少なくて大変でしょう。私も以前、趣味の一環で調べましたが、研究が進んでいないこともあって、概要をまとめる以上のことは断念しました。資料の少なさもあって、俗説や伝説と事実の見極めが困難ですからね」
そこまで言ってから、マーク卿は思い出したようにリサに尋ねた。
「そう言えば、騎士団文庫はご存知ですか?」
「え? ここにある物ではなくて、ということでしょうか?」
「そういうことです。ありていに言えば機密書庫の収蔵品ですね。収集したものではなく、騎士団自身が編纂した書物が保管されています。多少なりと他では見られない史料も収蔵されているので、役に立つかもしれません。閲覧許可を取り付けておきましょう」
「それは……有り難い申し出ではありますが、騎士団員でもない者が閲覧してもよろしいのですか?」
あまりに気軽に提案するマークに、リサは逆に不安を覚えたのだが、提案者の方は少しも深刻な素振りを見せなかった。
「元々は援助を受けていた頃の遺物でしてね、後援各国との軋轢を避けるために死蔵されていたものです。今となっては秘匿する理由もないですし、実際に支援が打ち切られた頃から、機密書庫の蔵書は増えていません。非合理的ですが、慣例ということで、そのままにされているだけのことです」
「つまり、当時は公にできなかったような異端の史料が所蔵されているのですね」
「概ねそのようなものです。興味はおありですか?」
行き詰まりを感じていた現状からすると、それは魅力的な申し出だった。
マークは騎士団改革という、リサにとっては厄介事でしかない大事業を志す人物であって、あまり借りを作るのは気が進まなかったが、リサはうなずかざるをえなかった。