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11,魔術の徒

 地底で天体観測を堪能した二人は、バックパック一杯に薬草――と思われる草花――を詰め込んで、その場を後にした。

 フィリンは思わぬ情景に上機嫌だったし、ジークも上々の収穫量に満足していた。これで収穫物にそこそこの値が付けば言う事はない。

「一泊分の宿代ぐらいになればいいけどな」

 草花を詰め込んでもこもこと膨れたバックパックを後ろ手に叩いてジークが言うと、フィリンがちょっと肩をすくめた。

「でも、これって探索者って言うより、農家みたいじゃない? ほら、市場なんかで採れた野菜とか、売りに来てる人みたいな」

「それは言うな」

「うん。……自分で言ってて、ちょっと悲しくなった。そう言えば、ジークは何か記憶とか戻ったりしてないの?」

「いや、何もないな。もしかすると、テウスには来た事がないのかも――」

 と、雑談交じりに帰路を辿っていた時だった。不意に通路の向こうから灯りが近付いて来るのが見えた。上下に激しく揺れるカンテラの灯りは、相手が走っていることが窺える。

 ジークは少し高めにカンテラを掲げて、前方に呼びかけた。

「おい! どうした?」

 答えられないほど息が上がっているのか、返事はない。相手は速度を落としながら、ジークたちの所までやってくると、膝を折って肩で喘いだ。二十歳そこそこの男の後ろには、彼よりも幾つか年下の少年が二人、付いて来ていた。

 軽装ながら武装した三人は、標準的な探索者に見えた。かなりの距離を走ってきたと見え、光る汗をしたたらせながら、荒い呼吸を繰り返している。

「何かあったの?」

「ま、魔物が……上への道を、塞いでて……」

 おそらくリーダーなのだろう青年が、激しい息遣いの下から答えた。

「強力な奴なのか?」

 ジークの質問には、三人揃って頭を縦に振った。

「仲間が二人、殺された。ほ、他にも手を組んだチームが居たんだが……」

「手に負えなくて、逃げてきたってわけか。迂回して戻る道はないのか?」

 青年は首を横に振って、ない、と答えた。話を聞くと、魔物の群れが陣取っているのは、地下三階層から降りて来て、最初に行き当たる広間だと言う。地図上でも、ジークの記憶でも、確かにそこまでは一本道で、上に戻るには避けて通れない場所だった。

 立ち往生を余儀なくされた探索者たちは、何組かが集まって強行突破を計ったのだが、返り討ちにあったらしい。

「そんなに強力な奴がいるなんて話は聞いたことがないぞ」

「俺だって、半年ほど通ってるけど、あんなのは見たことがねえよ」

 ジークはちらりと二人の少年に視線を送った。彼らはすっかり怯えきっていて、顔が青ざめている。そうとう怖い目に遭ったようだ。

 詳細を尋ねると、青年はゴブリンの群れが、見たことのない魔物を引き連れていたと答えた。ゴブリンそのものは、ある程度の技量を持つ探索者にとって問題ではないのだが、未知の魔物によって合同チームは壊滅的な打撃を被ったのだと言う。

「とは言え、行くしかないよな」

「そうよね」

 ジークの表情を見たフィリンは、溜め息交じりに応じた。



 ジークが「強さ」を誇示することはない。と言うより、フィリンから見ると、優れた戦士だという自覚が薄いように見えた。だと言うのに、彼は必要だと判断すれば果敢に危険の中へと飛び込んでいく。

 隊商を襲っていた野盗に挑みかかった時など、その傾向が顕著に現れている。

 それが直情的というなら話は簡単なのだが、フィリンの見る限り、ジークは常に冷静だった。むしろ、命のやり取りをしながらも、まったく平静に戦闘をこなすというのは、少し異常だった。

 呪いのために自身が死なないと、高を括っているというわけでもないらしかった。でなければ、手助けしたフィリンに「ありがとう」などと言わない。

 その辺りが、よく分からない。

 今も「帰るため」と言いつつ、小走りに先を急ぐジークは、おそらく逃げ遅れた者がいないかどうかが心配だからなのだろう。フィリンとしては面識のない相手がどうなろうと、知ったことではない。冷たいようだが、手の届く範囲を弁えているとも言える。

 全てを救えないなら、手を差し伸べられる範囲を見極めるしかない。それが大人の判断というものだ。各々が自立して生きていく『梢の氏族』出身のフィリンにとって、それはごく当たり前のことだった。実力もないのにあちこちに手を出していては、相手を救うどころか自滅しかねない。

 とは言え、こうして付き合っているフィリンも、明瞭に線引きができるほど大人ではなかった。そうでもなければ野盗に囲まれたジークに手を貸したりしない。あれはあれで危険な賭けだったのだ。

 ジークが歩調を緩める。件の広間の手前まで戻って来ていた。通路の向こうには、幾つかの人工的な灯りが見えた。照明は五つ、いずれも戦闘の邪魔にならないように地面に置かれたものだろう。その光が魔物の姿を浮かび上がらせていた。

「なに、あれ?」

 さきほどの青年に話は聞いていたが、フィリンは驚かずにいられなかった。

 二、三体のゴブリンの向こうには、鈍色(にびいろ)の輝きを放つ塊があった。金属光沢を放つ甲殻に守られたそれは、前方に構えた一対の大鋏(おおばさみ)によってカニのようにも見えたが、反り返って上方に掲げられた尾の形状から、巨大なサソリなのだと分かった。

 だが、フィリンが驚いたのはその威容だけではなかった。周囲に倒れている遺体から目が離せない。大サソリに挑んだ探索者の成れの果てと思われる遺体は、いずれも肌がどす黒く変色し、奇妙に膨らんでいた。

「あれが毒……」

 青年の話では、大サソリの毒液は肌に触れただけでも死に至る、常識外れの猛毒らしい。皮膚から直接浸透するのだろう。刺されて体内に送り込まれれば二、三秒で、皮膚に触れても数分で、それぞれ急速に肌がどす黒く染まり、体中から真っ黒な出血とともに死に絶えるのだと言う。

 一方でジークが驚いたのは、そうした被害ではなく、いまだに戦闘を続けている者がいたことだった。

 全身鎧を身にまとった戦士が、盾と剣を構えて、ゴブリンと大サソリに対峙していた。体格からして男だろうと思える。背中に負傷した仲間を庇って、戦士は一人で戦っていた。奮戦を物語るように、戦士の前には数体のゴブリンの死体が転がっている。

「あっ、ちょっと、ジーク!?」

 惨たらしい死に様に臆したフィリンを置いて、ジークは荷物を捨てて抜刀するとともに駆け出していた。

「助太刀する!」

 一気に駆け抜けたジークは、飛び出しざま、戦士の隙を窺っていた左側のゴブリンを一刀で斬り伏せた。

 突然のことに、魔物も戦士も一瞬だけジークに気を取られた。すぐさま戦士が気を取り直して答えた。

「感謝する。だが、貴公は下がっていろ。あのサソリの猛毒は――」

「知っている」

 応じながら、ジークは飛びかかってきたゴブリンの棍棒を斬り払い、蹴りつけた。無防備によろめいたゴブリンの首を半ばほど切り裂いて仕留める。それから戦士が背後に庇っていた探索者の様子を見る。

 重傷者は二人。それぞれ腹と足に深手を負って、移動もままならない様子だった。もう一人、土気色の顔をした青年が、装飾された樫の杖にすがって膝立ちになり、荒い呼吸を繰り返している。

「撤退は無理か」

「御覧の通りだ。倒すしかない、が……あのサソリの甲殻は鋼並でな、刃が通らん」

「だろうな。が、やってみるさ」

 駆け出したジークの行く手を阻もうとしたゴブリン二体を、全身鎧の戦士が牽制する。前線を抜けたジークに、大鋏が振り下ろされる。強力だが大ぶりな一撃だ。動作を読んで、ジークは大鋏をかわし、サソリの懐に飛び込んだ。

 素早く振り抜いた一閃で甲殻の上から斬りつけてみるが、見た目通りの硬度を誇る鎧には、わずかの傷も付けられなかった。サソリは何事もなかったかのように、もう片方の大鋏でジークを捉えに来る。

 寸でのところで跳躍して、捕獲をかわしたジークは、鋏の付け根に飛び乗ると、関節部――甲殻の隙間に切っ先を滑らせた。

「こいつは……?」

 切り裂く感触は浅く、ほとんどが分厚いゴムのような手応えで、刃をそれ以上は進ませなかった。刃を絡め取られる危険を感じたジークは、素早く剣を引いて、退避した。

「甲殻の隙間でも無理か」

 おそらく刃を止めたのは筋繊維だろう。あんなものが下に詰まっているのでは、強力な打撃による衝撃も意味を成さないだろう。理不尽なほど物理攻撃に耐性を持つ大サソリが相手では、いくら徒党を組んでも敵わないのは道理だ。加えて、あの毒液の滴る尾だ。

「無茶をするな。が、分かったろう。剣も鎚も通らん。燃やすなりする他ない」

「そんなに大量の油なんか持ってないぞ」

「てめえらは……」

 と、絶え絶えの声を上げたのは、それまで杖に寄りかかっていた青年だった。

「てめえらは、ザコの掃除してろ。あのデカブツは、うぷっ……俺がやってやる」

「セドリック、やれるのか?」

「……るせえ、てめえの心配してやがれ」

 吐き気を堪えながら答えた男は、戦えるような状態には見えなかった。何よりも、鎧はおろか寸鉄すら身に帯びていないように見える。だが、戦士はセドリックという青年の言葉を受けて、ジークに言った。

「ここはセドリックに頼るのが確実だ。すまないが、時間を稼いでくれ」

「……分かった」

 ジークは剣を構え直す。残るゴブリンは五体。おそらく、後方でふんぞり返ってる羽飾り付きが指揮官だろう。うまく仕留められれば、敵を混乱させられるかもしれない。

 セドリックや戦士の言葉を完全に信用したというわけではない。だが、現状では大サソリに対抗する手段がない事も認識している。状況を見極めて、最善と思われる選択をしたジークに迷いはない。



 セドリックは舌打ちして、震える足を叱咤しながら立ち上がった。

 やはり寄せ集めの寄り合い所帯はダメだ。どいつもこいつも、恐れをなしてさっさと逃げちまいやがった。が、思わぬ援軍があった。見た目は少女のように華奢な少年だが、どうして中々の腕前だ。

 ヨシュアと同等の腕かもな。全身鎧の各所に激戦の痕跡を見せて立つ親友に、セドリックは目を向けた。バカな所も似てる。

 合同チームは早々に壊滅。死者六名、重傷二名という大損害だ。結束など端からない探索者たちは、我先にと逃げ出した。そんな中で踏みとどまり、身動きのできない者を守っていたのがヨシュアだった。

 逃げても文句を言われるような状況ではないし、他の者はそうした。それでも仲間を守ろうとするヨシュアの行動は、度の過ぎたお人好しと言うしかない。一方で危地に飛び込んで助太刀する少年も、どっこいのお人好しだった。数少ない会話から、セドリックはこの少年が大サソリの脅威を事前に知っていながら飛び出して来たのだと察していた。

 そういうバカは長生きできない。抜け目なく、他人の不幸を自分のチャンスに変えるぐらいの図々しさを持つ者が、この『魔窟』には相応しい。

 が、バカと言えば、セドリック自身も大差はない。ここまで消耗してしまったのも、被害を減らそうと無駄な足掻きをしたせいだった。

「が、ここで踏ん張らなきゃ、意味がねえ」

 無理やりに呼吸を整えて、セドリックは朗々たる詠唱を始めた。司祭が唱える祈りの聖句に似たそれは、音の高低で空間を震わせ、振動によって織り上げた鳥かごを作り出す。捕えるのは鳥ではなく、大気に遍く満ちるエーテル――万物の循環を司る、無色無味無臭の不可知のエネルギーだ。

 しかし、千人、万人に一人と言われる先天的な才を持つ者だけが、この不可知のエーテルを視覚的に捉えることができる。

 繊細な音の高低を操って、捕えたエーテルを圧縮し、超常的事象を操る秘術を指して魔術と呼び、それを操る者を魔術師と呼ぶ。

 セドリックは若くしてすでに実力者と見なされる天才魔術師であった。

 神経を研ぎ澄まして、セドリックは魔術の準備を進めていたが、思うようには行かなかった。潰走する探索者を助けるために、幾度となく魔術を行使したせいで、すでに疲労困憊しているせいだ。

 魔術じたいは体系化されていても、あまりに繊細な調整を要する作業は、最終的に勘と経験による補整を必要とする。温度、湿度など気象条件から、周囲の動きによって発するエーテルの流れによる干渉を排するための逆算が必要になる。本来、こうした至近距離の乱戦下で、恒常的に運用できるような術ではなかった。

 特に大サソリを仕留められるレベルの術となれば、なおさら圧縮の手順は複雑にならざるを得ない。だが、悠長に時間をかけられる状況でもなかった。

 前衛を務める二人は苦戦している。ゴブリンに遅れを取る彼らではなかったが、暴れる大サソリが邪魔をしている。毒は論外にしても、強靭な筋組織が繰り出す大鋏の一撃も侮れない。直撃すれば即座に戦闘不能に陥ることは目に見えている。

 どうやら、その連携を生み出しているのは、後方でギーギーとうるさく叫んでいる羽飾りのゴブリンらしかった。ヨシュアとジークを左右に孤立させ、大サソリの援護のもとで、ゴブリンに波状攻撃をさせている。

 まずい、間に合わねえぞ。セドリックは焦ったが、術の完成は想定よりも大幅に遅れている。前衛は大サソリのプレッシャーに押される形で、じりじりと後退を余儀なくされて、どちらかが脱落すれば一気に形勢が決まってしまう。

 せめて羽飾りのゴブリンを仕留められれば、時間を稼げるのだが、二人にその余裕はない。左右からの攻撃をさばくのが精一杯で、反撃を加える隙がなかった。

 もう少し、もう少しだ。焦る気持ちを抑えるように、自分に言い聞かせるセドリックの眼前で、ヨシュアの鎧を大サソリの鋏がかすめた。恐ろしい威力は、かすめただけでヨシュアを数歩分もよろめかせた。そこへゴブリン三体が殺到する。

 棍棒や手斧、短剣をそれぞれがしゃにむに振り下ろして来る。ヨシュアは剣と盾で巧みに捌くが、完全に動きを止められていた。大サソリが尻尾を高く掲げて、狙いを定めている。羽飾りゴブリンが身を乗り出して、何かをわめいているのが目障りだった。

 ヤバい! そう思いながらも、セドリックには何もできない。術はまだ完成せず、身動きが取れなかった。

 と、そのセドリックをかすめて、一本の矢が飛び去った。鏃に光を受けて軌跡を描いた矢は、一直線に飛んで、何かの冗談のように羽飾りゴブリンの口に吸い込まれた。ゲヘッ、と異様な音を吐いたゴブリンの喉を貫通した矢は、後頭部に貫通して延髄を破壊していた。

 それが後方で機を窺っていたフィリンの射撃だと理解したのは、その場ではジークだけだった。

 どっと仰向けに倒れた羽飾りゴブリンに、敵は瞬時に混乱に陥った。その一瞬を逃さず、ヨシュアとジークが攻勢に出て、瞬く間に二匹を血祭りにあげ、残るゴブリンを追い立てはじめた。

 我に返ったのか、サソリが再び尾を構えたところで、ようやくセドリックの魔術が完成した。

「燃え尽きろ!」

 叫んだセドリックの声が最後のトリガーとなって、高純度に圧縮されたエーテルが、蓄えた力を解放する。それは燃え上がる青い炎となって飛び、着弾したサソリの全身を瞬く間に包み込んだ。

 キシュー、チチチッ――サソリの中身が焼ける音が、断末魔のように響いた。

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