10.地底の星空
地下四階層は探索者の死亡率が最も高い階層として知られている。
ベテランの探索者からすれば、地形や魔物の危険度が高いわけではない。それでも地下四は事実として死亡率の高い階層である。
原因は至って明快で、経験の足りない迂闊な探索者が安易に踏み込めるほど易しい環境ではないと言う事だ。補足するなら、それ以前の階層が資源の枯渇と探索者の過密によって稼ぎが難しく、しかもほとんど完全制圧されているために実力に関わらず降りて来ることが可能だというのが大きい。
「こんな浅い階層でチマチマやってても稼げないし、地下四からは稼ぎがいいって言うし」
と言った認識で迂闊に飛び込んだ新人の三割前後が未帰還となるのが恒例である。そもそも地下三階層までにまともな戦闘能力を持った魔物は存在しない。
耐久力は高いが動きが鈍い、大型犬ぐらいの大きさのワームだとか、対人捕食には無理のある大きさのカエルだとか、そういった類のものしかいない。徒手空拳ならともかく、武装している探索者が捕食されることは考えにくい。
一階層しか違わないなら大差ないだろう、などと甘く考えていると、痛い目に遭うのは必定だった。
たとえば、そう……今まさに意気揚々と地下四に降り立った人間の少年――に見える――と、エルフの少女のコンビのように。
「さてと、これからが本領発揮だな」
「本領発揮って言うかさァ……これで手ぶらで帰ったら、もう役立たず決定でしょ?」
意気込みを見せるジークに対して、フィリンがツッコミを入れた。
「リサから貰ったお小遣いでコンパスと地図まで用意したんだから」
「投資だ。お小遣いじゃない。ちゃんと儲けた分から利子をつけて返すんだから、問題ない」
「稼げれば、でしょ? タヌキが笑うよ?」
「何だそれ?」
「取らぬ狸の皮算用」
ジークは黙り込んで、コンパスと地図で確認した。フィリンがその手元をカンテラで照らす。ギルドで販売されている地図には、採取資源の一覧と、その場所まで記されているが、どの程度まで当てになる情報かは分からない。
「上よりマシでも、取り尽くされてる可能性もあるしな」
と言う訳で、二人は出発前に薬草の群生地に向かうことにしていた。自然に再生するものだし、鉱物資源よりは取り尽くされている可能性が低いという判断だ。他の場所の状況も確認したいが、今の彼らに必要なのは二束三文でも持って帰るという実績である。
このままではリサというパトロンに寄生する趣味的探検家という構図になってしまう。
「そもそも年下に養われてるようじゃ、沽券に関わるし」
その点に関してはフィリンも意欲を見せていたが、そんな彼女を見て、ジークはそういえばフィリンもリサよりも年上だったな、と久しぶりに思い出した。もっとも、リサから見れば五十歩百歩で、どちらも年上という気はしないのだが。
「こっちを抜けた先に広間があって、そこから右に抜けて……ややこしいな。とりあえず先に進むか」
通路の立体交差などもあって、地図を完全に頭に入れることを諦めたジークは、前進しつつ確認することに決めた。
「大丈夫なんでしょうね?」
「文句を言うなよ。だれかさんが地図を読めないから、俺がやってるんだろうが」
「地図ぐらい読めるわよ、あたしだって。ただ、そのコンパスが感覚に合わないだけで」
「それ読めるって言わないから」
いつも通りの会話をしながらジークとフィリンは先に進んだ。
地下三階層までの混雑ぶりが嘘のように、他の探索者を見かけることがない。
軽々に飛び込んで来る新人はさほど多くなかったし、この階層を切り抜けられる熟練者なら、より効率のいい地下五階層へ向かうのが定番だった。要するに、死亡率に反して人気のない階層なのだ。
「そりゃ、新人ばっかりうろついてるようじゃ、死亡率は上がるよな」
まるで自分たちは新人ではないと言わんばかりのジークだが、それを気にするような相棒はいない。フィリンも基本的には、機会さえあれば問題なく稼げると根拠のない自信を持っている。
ジークが先頭に立ってカンテラで行く手を照らし、その後ろをフィリンが弓を手に進んでいく。
しばらくは何事もなく進むことが出来た。留まる者が少ないと言っても、多数の探索者が出入りする階層には違いがない。魔物も相当数が間引きされているせいで、遭遇頻度は高くないようだ。
「もしかして、あたしたちを見てビビってんじゃない?」
「そうかなあ? まあ、よく狩られるとなると、人を警戒してるのはあるかもな」
相変わらず無駄口を叩いていた二人だが、先を行くジークが唐突に足を止めた。通路から広間に抜けようとしていた所で、広間の入口付近に何かが潜んでいる気配を感じ取っていた。が、灯りが届かず、暗がりの向こうに何がいるのかは分からない。
「待て、何かが――」
警告とともに、反射的に手を横に出して制止しようとしたジークは、ブンッと至近距離をかすめた矢羽の音を聞いた。それも一発ではなく、二発だ。
ジークをかすめて飛んだ矢は、闇にすっと滑り込み、突き立つ鈍い音とともに「ギッ」という潰れた悲鳴を響かせた。
「アホか! 人だったらどうするんだ!?」
「灯りも付けずに徘徊してるわけないじゃない、バカ!」
ジークは剣を片手で抜きながら、広間の入口まで詰め寄った。そこには眉間と喉を貫かれて即死している緑の肌をした矮人が二体、転がっていた。それぞれ手には血錆のついた短刀を握っている。これが噂で聞いたゴブリンなのだろう。
「と言うか、どうやって当てたんだよ」
鮮やかな速射というだけではなく、暗がりに潜んでいた二体を精確に撃ち貫く技というのが、ジークには不可解だった。
「そんなの簡単よ。こっちを窺って顔を丸出しにしてたもん」
「どういう目をしてるんだ。俺にはぜんぜん見えなかった――」
言葉の途中で、通路に突入して来た第三のゴブリンが、手にしていた手槍を突き込んで来た。ジークは難なくそれをかわし、勢い余ってつんのめっているゴブリンの延髄を斬りつけた。三匹目は事態を理解できないまま死んだだろう。
「残りは逃げたか」
暗闇を遠ざかる足音を聞きつけて、ジークは呟いた。他に残っている気配もない。
「追わなくていいの? 仲間を呼ばれると面倒かも」
「やめとく。第一、こいつらを狩りに来たわけじゃないしな。本当は攻撃して来なければ、殺すつもりもなかったし」
「お金にもならないもんね。立派な毛皮があるわけじゃないし」
「干し首にすると魔除けだか、商売繁盛だかのお守りで売れるらしいぞ」
「うえ、気持ち悪っ! そういうのパス。持って帰るまでにリュックが血みどろになりそうだし」
「歯だけでも売れるらしい。こう、口の中に刃先を入れてねじると……」
「やだやだ、聞きたくないし! もう! やっぱり人間は野蛮よね」
「問答無用で撃ち殺した奴に言われてもな……」
装備品を剥ぎ取るにしても、痛みの激しい武器と、草を編んで作ったと思われる服を着ているだけで、価値がありそうな物は何もない。
二人は無視して先に進んだ。
ギルド謹製とは言っても、やはり地図の精度は怪しいもので、分かりにくい部分で少し迷ったり口論したりしながら、二人は何とか目的地に到着した。体感では二、三時間ほどで、おそらく昼時ぐらいだろうと思えた。
「うわあ……すごい」
薬草の群生地に踏み入れたフィリンが、思わず声を上げた。ジークも驚きを隠せなかった。
今まで、岩肌に多少の苔が生えているぐらいの植生しかなかったのに、この広間には腰の高さほどある草が生い茂っていた。
水は多少の湧水があるのかもしれないが、陽の光も届かない洞窟の中で、この大きさの植物が茂っているというのは、想像できなかった。
幾つかの種類の草花が密集しているようだったが、全体的に葉は青みがかっていて、青紫に近い色合いだった。
「見てよ、花も咲いてる!」
草むらをかき分けたフィリンに言われるまでもなく、草むらの中にはぽつぽつと白い花が見えた。
「ちょうどいいし、ここでお昼ご飯にしようよ」
「そうだな。食べたら採集しよう」
と言う訳で、二人はバックパックから藤で編まれた弁当箱を取り出した。中にはリサが宿の台所を借りて作ってくれたサンドが入っている。
昼食を片手に、ジークは小冊子を取り出した。これも探索者ギルドの発刊物である『魔窟』の博物誌だった。地上とは生態系も環境も異なる『魔窟』で、探索者たちが有用な資源を持ち帰るための手引書で、代表的な動植物や、鉱物に関するスケッチイラストと簡単な説明文が添えられていた。もちろん、これも有料であり、リサに買ってもらったものだった。
それをパラパラとめくりながら、目の前に生える草花のうち、どれが有用な薬草なのかを確かめようとするが、これが中々に難しい。
「えっと、コレがアレだよな……」
フィリンがサンドをぱくつきながら、横合いから覗き込んで、首を傾げる。
「ちょっと違うんじゃない? こっちの方が似てると思うよ?」
「いや、この棘に見えるのは、インクの滲みじゃないのか?」
二人で交互に見比べながら、ジークとフィリンは確信が持てない意見を交わす。
大量に発行するための木版印刷で作られた冊子は、そもそもの品質が良いとは言えない。加えて木版で大量に印刷されれば、当然、木製の版は摩耗する。イラストの線が欠けたり、文字が潰れたり、インクの乗りが一様ではないために滲んだりと、印刷物の質はどんどん劣化してしまうのだ。
印刷の加減でどうとでも見えてしまうイラストを前に、二人はしばらく不毛な議論を続けていたが、次第に面倒になってきたので、それっぽい物をとりあえず収穫して帰ることにした。面倒な鑑定は買取するギルドにやってもらえばいい。
「やれやれ……」
元から薬草は買取額が低いのに、手当たりしだいに持ち帰ったのでは、あまり金になりそうにない。ジークはやや期待外れと言った様子で呟いた。隣で背伸びをしていたフィリンが、ふと悪戯っぽい顔をして声をかけてきた。
「ね、ジーク。ちょっと灯り消してみてよ」
ジークの腕にぎゅっと掴まって、そんな事を言う。
「どうした?」
「ちょっと気付いたことがあるの。ほら、早く」
敵を察知したというような感じでもない。ジークは何のことか分からないまま、彼女の言う通りにカンテラの灯りを消した。
光源のない洞窟は、何一つとして見えない闇の中に沈む。地上の暗闇とはまったく質が違っていた。自分の手が見えないというような生温いものではない。寸前までそこに見えていた景色の残像が消え去ると、ただ何もない空間が広がっているだけのような錯覚に捕らわれる。視覚が失われて、地に足が付いているにも関わらず、奇妙な浮遊感を覚えた。自分の両目が瞬時に失われてしまったような恐怖さえあった。
ただ腕にしがみついているフィリンの温度だけが、やけに鮮やかに感じられていた。
だが、その真の暗闇のなかで、ぽつり、ぽつりと浮かび上がる白い燐光があった。ごくごく弱い光は、強烈なカンテラの灯りの前にかき消されて、最前までジークはその存在にすら気付かなかった。
闇の向こう、姿の見えないフィリンが楽しげに声をあげた。
「やっぱり、この花弁、自分で光るんだ」
「なんだ、それを確かめたかっただけか」
「いいじゃない。あ、ほら、壁も光ってる」
言われるまま振り仰ぐと、確かに壁や天井の岩肌には、青みを帯びた燐光がぽつぽつと見えた。鉱物の反応なのか、もっと違った現象なのか、ジークにも分からない。その岩肌をすっと移動する光の点は、昆虫だろうか。
「星の海にいるみたい」
フィリンの言葉に、ジークはその通りだと思った。人工的な光の余韻が失われるにつれて、ごくごく弱い燐光があちこちに現れて、彼らを取り巻いている。よく晴れた夜空には、無数の、そして色とりどりの星が散りばめられている。まるでそんな天空の世界に吸い上げられたような、神秘的な情景だった。
「地底の星空、か……。きれいだな。こんなものを見られるなんて――」
「ここもそう悪いばっかりの場所じゃないのかもね」
「そうだな」
それきり口を閉ざした二人は、互いの腕に相手の存在を確かめながら、その美しい情景に見とれていた。




