第6話 会議と不信感
「だから、危険だと言っているんです。ジャクター先生!」
死霊術科の教授レクシャ・ガルトが言った。四十を越えた歳の女で、灰色の髪を後ろで一つにまとめている。大きな声ではないが、議場の端まで届いていた。
教員が使う議場には円形の卓が中央に据えられ、その周囲を記録簿を収めた書棚が囲んでいる。天井からは魔導灯が下がり、卓の上だけを白く照らしていた。
召喚術科、死霊術科、錬金術科など、各学科の代表の教員が、それぞれの席に着いていた。
「目録に載らない召喚獣です。分類も階位も判定できていない。そんなものを学園の中に置いて、何かあってからでは遅いでしょう」
「様子を見る」
召喚術科の教師であるナヤリス・ジャクターは記録簿を閉じずに答えた。
「主の言うことは聞いている」
「まだ一年の生徒ですよ」
ガルトは卓の上で指を組んだ。
「危険だというのは、生徒の身を案じてのことです。契約を切って還すのが、あの子のためでもあると思うのですが」
「還せば、あの生徒の合格が消える。あの子のためになるとは思えんが」
「合格と身の安全を並べるのですか」
「並べてはいない」
ジャクターは記録簿の頁に指を置いたまま言った。
「合格を取り消す理由が、今のところ無いと言っている」
ガルトが息を吸う音がした。
「まあまあ、お二人とも」
卓の反対側から、錬金術科の教員が手を上げた。年嵩の男だ。
「ガルト先生の仰ることも分かりますが、還すというのはいささか早計ではありませんか。あれは人型でしょう」
「人型だから危険なのです」
「人型だから、価値があるでしょう」
男は指を一本立てた。
「召喚術科の大命題はご存じでしょう。人型の魔獣を喚び出して従えること。あれは学園創立以来達成されていない」
卓の何人かが頷いた。
人型の召喚獣を喚ぶこと自体は、稀にある。ただし契約が続かない。早ければその日のうちに、長くても一月を過ぎることなく破棄される。理由は諸説あるが、確かめようがなかった。契約が切れれば送り返されるだけで、記録に残っているのは破棄された日付だけだ。召喚主は契約破棄の理由までは書き残していなかった。
そして、この大命題は、生徒には伏せられている。
伝えれば無茶をする者が出るからだった。実力に見合わない人型を無理に喚ぼうとして魔力を使い果たす。獣型が応じても契約を結ばず、人型が来るまで何度でも喚び直す。過去にそれで身体を壊したり、疲弊して辞めていったりした生徒もいる。
以来、大命題については教員の間だけで語り継ぐことになっていた。
「あの召喚獣は、召喚から丸一日が経っています」
「まだ一日でしょう」
「一日経っても契約が続いている、と申し上げているのです」
男は身を乗り出した。
「これを還してしまうのは、どうかと思いますがね。大命題を解決する絶好の機会をみすみす手放すことになります」
「機会とは……まるで実験台ではないですか」
「そうは申しておりません」
「とにかく、わたくしは認めません」
ガルトは一息ついて、手元の杯の水を一口飲んだ。
卓の空気が一度緩んだ。
「そういえば」
歴史科の教員が記録簿から顔を上げた。
「死霊術科のほうは、いかがですか」
ガルトの指が止まった。
「……何のことでしょう」
「大命題ですよ。彷徨える英雄の浄化」
その言葉に、卓の視線がガルトへ集まった。
死霊術科にも大命題がある。偉大な先人のうち、悔いを残したまま死霊となって現世を彷徨う者が幾人かいる。偉大な魔術師、魔獣百匹殺しの英雄。名の残る者ほど、果たせなかったものも大きい。彼らを降ろし、魂を慰めて送ること。それが死霊術師の到達点とされている。
最近、それが上手くいっていなかった。新たな彷徨える英雄の死霊を降ろすことができていない。
「あの、メイミア・リスタースが、新しい術式を組んでいると聞きましたが」
「……そうですね」
ガルトは短く答えた。
「あの子は優秀です。死霊を降ろす効率は、従来の術式より二割ほど上がっている」
「それは結構なことで」
「ただ」
ガルトは組んだ指を解いた。
「喚べる相手の格が上がったわけではありません。効率が上がっただけです」
誰も何も言わなかった。
格の高い死霊は、喚ぶ側の技量では届かない。条件が揃わなければ応じない。それは死霊術科の誰もが知っている。知っているから、誰も次の言葉を継がなかった。
「学科の研究は順調です。ご心配には及びません」
ガルトは席を立った。
「失礼します。午後の実習の準備がありますので」
扉が閉まる音は、思ったより小さかった。
卓に残った教員たちが顔を見合わせている。歴史科の男が肩をすくめた。
「……触れてはいけないところに触れましたかな」
「触れましたな」
錬金術科の教員は苦笑した。
「ガルト先生のお家は、お祖父様の代から英雄の降霊に挑んでこられた家ですからな」
歴史科の教員が、閉まった扉へ目をやりながら声を落とした。
「お父上も、一人も降ろせぬまま教授の職を退かれたと聞きます。三代目になってもまだ届かないとなれば、人前で触れられたくはないでしょう」
錬金術科の教員は苦笑を引っ込めて、手元の杯に目を落とした。
ジャクターは何も言わず、記録簿を書棚へ戻しに立った。
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シィミアが食堂の扉を開けると、近くの卓から順に話し声が途切れた。
シィミアはそれに構わず配膳の列へ並んだ。視線が集まるのは二日目だ。慣れたというより、数えるのをやめた。
席に着くと、向かいでリシャが身を乗り出してきた。
「聞いたよ。森の木、何本か倒れたって」
「もう死霊術科まで行ってるの、その話」
「行ってる。倒れた本数が増えながら回ってるから、放っておくと百本になると思う」
シィミアは匙を取った。
「寝台のことは先生に言っといた。修繕は上へ通すって」
「なんて説明したの」
「召喚獣が膝で割りましたって、そのまま」
リシャが笑いかけて、途中で顔を上げた。
シィミアの隣の椅子が引かれた。
ヒサーラ・メネトが盆を置いて座った。断りも挨拶もない。連れている獣は卓の三歩手前で足を止めて、そこから先へ来ようとしなかった。
近くの卓で、匙を持つ手がいくつか止まった。
「……あんたの獣、こっちに来ないよ」
「獣じゃないわ。ティルよ。それより、昨日あなたは言ったでしょ。文句があるなら直接言えって」
シィミアは口を閉じた。
言った。廊下で、ゼッドの袖を握ったまま。
「……何」
「あれ、なんであなたのところに来たの」
あれ、とヒサーラは言った。
あれは今、シィミアの椅子の真後ろに立っている。ヒサーラはそちらへ一度も目を向けないまま、シィミアだけを見ていた。
「どういう意味」
「そのままよ。昨日のあなたは詠唱で噛んで、陣の上で立てなくなってた。上級を喚ぶ術者の様子じゃない。それでも出てきた」
ヒサーラは自分の皿へ匙を入れた。
「私は一年かけて調べたのよ。上級獣が応じる条件を、詠唱も媒介も魔力の通し方も、順番に全部試した。それで応じさせたの。条件を揃えれば応じる。召喚はそういうものなの」
「……それで」
「あなたは何も揃えてない。それで私より上のものが出てきたなら、ただのまぐれよ。たまたま引き当てただけで、あなたの力じゃない。釣り合わないものは、いずれ噛み合わなくなるわ」
「だから何」
「理由があるなら言ってみなさいよ。あれがあなたのところに来た理由」
シィミアは答えなかった。
ゼッドからは何も聞いていない。
喚べた、で終わっていた。合格が出て、部屋の話になって、寝台に穴が開いて、今朝は森を薙ぎ倒した。なぜ自分のところへ来たのか、一度も本人に確かめていない。
シィミアの背後で、装束の裾が床を擦る音がした。
ゼッドがヒサーラの後ろを通った。裾がヒサーラの椅子の脚に触れる。
ヒサーラの匙が止まった。背筋が伸びて、そのまま動かなくなる。
「主よ。ほどけているぞ」
ゼッドの手がシィミアの右のおさげにかかった。
今朝の実習で腕を上げ下げしているうちに右の結び目が緩んで、毛先が散っている。ゼッドは結び紐を抜き取ると右のおさげを一度全部ほどいた。焦げ茶色の髪が肩から胸へ広がる。
「ちょっと、何してんの」
「結び直す。じっとしていろ」
「自分でできるって!」
「お前が編んだから、こうなったのだろう」
シィミアが振り向こうとすると、ゼッドの両手がその頭を挟んで止めた。ゼッドの指が髪を三つに分けて、順に組んでいく。
食堂から音が消えた。
ゼッドの手つきに迷いはない。昨日の講堂で片膝をついた時と同じ滑らかさで、指が動いている。途中で一度も止まらない。編み目が一つずつ揃っていく。
「動くな。曲がる」
「揺らしてない」
「首が動いている」
「だいたいなんで髪が編めるの……」
向かいでリシャが両手で口を押さえていた。どこかの席で食器が床に当たって、拾う音がしない。
ゼッドは毛先まで編み終えると、抜き取っておいた紐を二度巻いて止めた。
「済んだ」
シィミアは右のおさげを肩の前へ引き寄せて、左と見比べた。ゼッドが編んだほうが整っている。悔しいほど整っている。
首から上が熱い。周りが見ているのは分かっているし、見ているうちの一人が隣に座っていることも分かっている。
シィミアは匙を握り直して、皿へ顔を向けた。
ヒサーラはまだゼッドを見ていた。
シィミアではなく、その後ろへ戻っていく男を見ている。ゼッドは定位置に立つと、それきり動かなくなった。座った時から今まで、ゼッドはヒサーラのほうへ目を向けていない。
ヒサーラが匙を皿へ置いた。音が大きかった。
そして乱暴に盆を持って立ち上がった。
それから、シィミアの後ろに立っている男へ向き直った。
「ねえ。あなた、なんでこの子のところに来たの」
ゼッドがヒサーラを見た。
「この娘が喚んだからだ」
「そうじゃなくて。条件も揃えてないのに、なんで応じたのかを聞いてるの」
「それ以外に何がある」
ゼッドはそれだけ言うと、シィミアへ視線を戻した。ヒサーラのほうはもう見ていない。
「もういいわ、時間だし。じゃあね」
ヒサーラはそう言って食器を戻しに歩いていった。卓の三歩手前で待っていたティルが、主の後ろについた。
リシャが手を下ろした。
「今の、答えになってなかったよね」
「わたしが喚んだから来た、って言われても困る」
「でも召喚術を使ったのは確かだし」
「そうなんだけど……あいつを狙ったわけでもないのに、喚んだと言われてもさ」
シィミアは編み直されたおさげを指で撫でた。
「本人に聞いても出てこないのは分かった。だからジャクター先生のとこに行ってみる」
「なんで先生なの」
「ゼッドに興味ありそうだし、何か聞けるかも」
シィミアは残りを片付けにかかった。
ヒサーラがゼッドを見ていた時の顔を、シィミアは思い返した。
昨日、講堂で殺されかけた相手なので怖がっているのだろう。そう思うことにした。
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食堂を出たところで、ヒサーラは足を止めた。
廊下の先からメイミア・リスタースが歩いてくる。長い黒髪を背中へ流していた。
ヒサーラは急いで制服の裾を整えた。整えてから、ティルを自分の後ろへ下がらせた。
「リスタース先輩。召喚術科一年の、ヒサーラ・メネトです」
メイミアが足を止めた。
「先輩、今日の午後は降霊の実験ですよね。私、召喚術科なんですけど、ガルト先生に呼んでいただいているんです。転科の相談に伺ったときに、手伝いに来ないかと声をかけてくださって。召喚術科の目で見て気づくこともあるだろうって。先生が仰るには、先輩の術式は本当にすごいって。だから今日、間近で見られるのが楽しみで。ご一緒してもいいですか。実験室まで、道が分からないので」
メイミアは少し困ったように笑った。
「ありがとう。でもごめんなさい、その前に一つ用事があるの。実験室は死霊術科の校舎の地下よ。階段を下りればすぐに分かるわ」
メイミアはヒサーラへ軽く頭を下げて、廊下を歩いていった。
ヒサーラは下げかけた頭を戻して、その背中を見送った。




