第2話 処遇と夕食
シィミアへの質問が途切れたのは、誰かが夕食の時間を口にしたときだった。
生徒たちは名残惜しそうに何度も振り返りながら、少しずつ講堂を出ていった。その視線は明らかにシィミアではなくゼッドのほうを向いていた。
シィミアはようやく息をついた。制服の袖口が皺になっている。
「終わったな」
ゼッドがシィミアの半歩前に立ったまま言った。あれから一度も離れていない。
「近い」
「召喚獣は主とこれくらいの距離でいるものだろう」
シィミアは他の生徒の召喚獣との距離を思い出した。光の精霊は主の頭上を回っていたし、炎の獣は足元に伏せていた。どれも触れる距離だ。否定する材料が出てこないまま黙っていると、講堂の扉が開いた。
教師が戻ってきた。息が上がっている。手には新しい書類の束を持っていた。
「リスタース。まだいたか」
「はい」
「上と話をつけてきた」
教師は教壇に書類を置いて、一度ゼッドを見た。それからすぐ目を逸らした。
「その召喚獣だが、正式に登録することになった。分類も等級も判定できんが、契約が成立している以上、記録に残さんわけにはいかん。前例のない召喚獣として扱う。等級は追って審議する」
「合格ということですか」
「そうなる」
教師はもう一度ゼッドを見て、それから書類に目を落とした。
「目録にない召喚獣が、君のところに来た。召喚の神の采配というやつかもしれん」
ゼッドが鼻で笑った。
「神など知らん。オレ様が選んだ」
教師は書類から顔を上げなかった。
シィミアはすぐには理解できなかった。合格という言葉を、入学してから一度も聞いたことがなかった。
「今日はもう帰りなさい。召喚獣は寮の自室へ出入りさせて構わん。学則にそう定めがある」
「はい……えっ」
声が出た。
「待ってください。わたしの部屋、二人部屋です」
「そうだろうな」
「同じ部屋に、その」
シィミアはゼッドを見上げた。ゼッドは見下ろした。
教師も見た。
黒い装束の、背の高い、どう見ても成人の男だ。
「……ああ」
教師の顔から表情が抜けた。
「そうか。人型か」
「はい」
「学則には、召喚獣を自室へ入れてよいとしか書いておらん。それが大人の男の姿をしている場合までは書いておらん」
教師はしばらく黙っていた。それから書類を掴んで立ち上がった。
「もう一度、行ってくる」
扉が閉まった。
講堂に二人だけが残った。シィミアは椅子に座ったまま、膝の上で自分の手を握っている。ゼッドはその横に立っている。
「面倒な連中だな」
「先生は悪くないよ」
また扉が開いた。
「シィミア!」
入ってきたのは同室のリシャだった。走ってきたらしく、髪が乱れていた。
「よかった、まだいた。夕食の時間になっても帰ってこないから」
そこまで言って、リシャの足が止まった。
リシャの視線がゼッドで固まっている。
「……えっと」
「わたしの召喚獣……」
「召喚獣って、その……人……ですよね」
「魔人だ」
ゼッドが答えた。リシャが一歩下がった。
「あっ、ごめんなさい、失礼な言い方して」
「構わん」
リシャはシィミアの隣まで来て、小声になった。
「死霊術科まで噂になってたよ。召喚術科で誰かがとんでもないの出したって……シィミアだったんだ」
「うん」
「大丈夫なの、その、危なくない?」
シィミアは自分の手の甲の印に目を落とした。
「契約はできてるし、危なくはないと思う。……たぶん」
リシャは目を丸くした。
「返せないの?」
「わたしが喚んだのに応えてくれたから、返したくない」
言い切ってから、シィミアは自分自身の言葉に驚いた。喉に引っかかるものがなかったのが自分でも意外だった。
「……ただ、部屋のことで困ってて」
「部屋?」
「召喚獣は自室に入れていいって、学則で決まってるんだって。でも、うちは二人部屋だし」
リシャが理解するまでに数秒かかった。それからゼッドをもう一度見た。見上げた。
「……三人になるってこと?」
「このままだとそうなる」
「お、男の人と?」
「……他の者は普通に召喚獣と暮らすのだろう」
ゼッドが口を挟んだ。
「他の召喚獣は雌雄の区別をつけていないのではないか」
「それは、その……犬とか、鳥とか……ですし」
リシャは今まで見たことのある召喚獣を思い出しながら言った。
「オレ様が犬や鳥の召喚獣にも劣るということか?」
「そういう意味じゃないです!」
そんなやりとりをしていると、扉が開いて教師が戻ってきた。今度は書類を持っていない。
「話がついた」
「ジャクター先生、お手数をおかけしました」
「いや、生徒のためだからね、これくらい、は……」
教師は息が上がっていた。
「召喚獣は主に危害を加えん。これは召喚術の原則だ。契約が成立している以上、その原則は働く。したがって同室であっても問題はない、という結論になった」
「安全……いや、でも、男の人ですよ!? 安全だからって、そんな」
「召喚獣だ」
「着替えとか、どうしたらいいんですか」
「君がちゃんと管理をしていれば問題なかろう」
部屋の外に出てもらうなり、向こうを向いてもらうなりすればいい、と教師は言った。
「管理って……」
シィミアはゼッドを見上げてから教師へ視線を戻した。自分の頭の上を軽く越えていく背丈の相手を管理しろと、この教師は言っている。
「寮生を害しないと誓約させなさい。それで足りる」
「誓約するまでもない」
ゼッドが口を挟んだ。
「そんなことはしない。弱い者をいたぶって何になる。そんな趣味はない。ただ……」
ゼッドはシィミアに目をやった。
「主を侮辱されれば話は別だ」
「それは別にするな」
シィミアがすぐに返した。
ゼッドが眉を動かす。
「講堂でも言ったでしょ。侮辱されたからって、人を消していいことにはならない」
「面倒だな」
「面倒でもだめ」
教師は二人を見比べた。
「では、リスタース。君がちゃんと止めなさい」
「わたしが?」
「君の言葉なら聞くのだろう」
シィミアはゼッドを見上げた。
ゼッドは不満そうな顔をしていたが、否定はしなかった。
「……分かりました」
「それでいい」
教師は息をついた。
「それではよろしく頼むよ。以上だ」
教師はそれだけ言って、また出ていった。今度は振り返らなかった。
残されたシィミアは、リシャのほうを向いた。
「……大変なことになった気がする」
「主思いなのはよく分かったよ……」
二人は顔を見合わせて、同時にため息をついた。
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寮の食堂は、扉を開けた瞬間に静かになった。
シィミアは足を止めかけて、リシャに背中を押された。
「ほら、堂々としてればいいの」
「してる」
「足、止まってたけど」
「気のせい!」
リシャが先に配膳の列へ並ぶ。シィミアも続いたが、前の生徒が振り返って目を見開き、慌てて前を向いた。その隣の生徒に何か囁いている。囁かれたほうも振り返った。
シィミアはその後頭部を見た。
声を落とす気がないなら、振り返らなければいいのに。
ゼッドはシィミアの半歩後ろに立っている。座っている生徒たちより頭ひとつ分高い。
「主よ、なぜ全員が同じものを食っている」
「決まった献立だから」
「主も同じものか」
「そうだけど」
「納得がいかん!」
ゼッドの声に、周囲の生徒が一斉にこちらを見た。
シィミアはゼッドの脇腹を肘で押した。硬くて手応えがなかった。
席についてからも視線は減らなかった。
シィミアは気にしないように食べ続けたが、味はほとんど分からない。
「それだけか」
後ろから声がした。
「量が足りん。もう一皿取ってこい」
「いつもこれくらいだから」
「いつもが間違っている。魔力が少ないのもうなずける」
ゼッドはシィミアの皿を覗き込んだ。
上体を倒したので、ゼッドの顔がシィミアの肩の横まで来た。
黒髪が首筋に触れる。
息が耳のあたりにかかった。
シィミアの手が止まった。
匙が皿に当たり、音を立てる。
「近い」
「これがか」
ゼッドがさらに顔を寄せた。
金属が床を打つ音がした。
隣の席の女生徒が匙を落としている。
シィミアは動けなかった。首から上が熱い。
ゼッドはそんなことに構わず、皿の中身を見ている。
「昼は何を食った」
「パンを一つ」
「話にならんな」
ゼッドは配膳台へ向かい、皿を一枚持って戻ってきた。
肉と芋が乗った皿を、シィミアの前へ置く。
「食え」
「そんなに食べられないって」
「食えるところまででいい」
シィミアが匙を取ろうとして、手を止めた。
ゼッドが先に取っていた。
肉を一切れすくい、そのままシィミアの口元へ差し出す。
「ほら、口を開けろ」
「……はあ!? 自分で食べられるから!」
「手が震えている」
震えていた。
否定できない。
食べさせるという行為は、恋仲の男女がやることだ。
シィミアは、そういう場面が出てくる恋物語を何冊も読んでいた。
だが、ゼッドにそんな意図がないことも分かっている。
手が震えている。
だから代わりに持った。
それだけだ。
分かっていても、顔が熱い。
「ここ食堂だけど」
「関係ないだろう」
匙は動かない。
シィミアの唇の前で止まったままだった。
周囲の音が消えていた。
シィミアは目を閉じて、口を開けた。
肉が入ってくる。
噛んで、飲み込む。
「よし」
どこかで小さな悲鳴が上がった。
ゼッドは気にせず、もう一切れすくった。
「まだやるの?」
「一口で足りるわけがないだろう」
「自分で食べる」
「手が止まっている」
シィミアは言い返せなかった。
二口目も、そのまま食べた。
向かいのリシャは口元を押さえている。目だけが笑っていた。
「リシャ」
「何も言ってないよ」
「顔が言ってる」
三匙目まで進んだところで、ゼッドの手が止まった。
「じっとしていろ」
「今度はなに」
布がシィミアの頬に触れた。
口の端についていたものを、ゼッドが拭っている。
指先で布を押さえ、丁寧に拭く。
シィミアは固まった。
食堂も固まった。
「よし」
布が離れた。
後方で、椅子が大きな音を立てた。
誰かが立ち上がろうとして失敗したらしい。
「むり……」
「それは反則……」
「私もやってほしい……」
そこから一気にざわめきが戻った。
リシャはとうとう机に突っ伏した。
「……ちょっと待って。整理する時間ちょうだい」
「整理って」
「こんなにイチャイチャするとは思わなかった」
「違う。イチャイチャじゃない、これは」
「してたよ」
シィミアは助けを諦めた。
自分の皿へ視線を落とし、両手で顔を覆う。
顔の熱が引かない。
その視線の外で、食堂の入り口に近い柱の陰にメイミア・リスタースが立っていた。
死霊術科の首席は、妹のいる席を見ていた。
正確には、その後ろに立つ黒い装束の男を見ていた。
「……噂は本当だったのね」
メイミアはそれだけ呟き、長い黒髪を翻して食堂を出ていった。
シィミアは無心で皿の底に残ったスープをすくっていた。
姉がそこにいたことには、最後まで気づかなかった。




