第四章 帝国うなぎ
黒樹海での邂逅から二日。
一行は帝都へ戻る街道を、ゆっくりと進んでいた。
誰も口を開かなかった。
プロマシアの言葉が、それぞれの胸に重くのしかかっていたからだ。
――死もまた、世界を保つ秩序の一つ。
もし、それが真実なら。
調停者とは何を守り、何を捨てる存在なのだろう。
アダマンには、その答えがまだ見つからなかった。
◆
夕刻。
一行は帝都近郊の宿場町へ立ち寄った。
町は戦乱の気配を感じさせないほど賑わっている。
子どもたちは広場を駆け回り、商人は客を呼び込み、旅芸人が笛を吹く。
戦いしか知らない数日を過ごしたアダマンには、その光景がどこか懐かしく思えた。
「少し休んでいこう。」
レオルドが珍しく笑みを浮かべる。
「今夜くらいは、戦いを忘れてもいい。」
その言葉に、一行はようやく肩の力を抜いた。
◆
「いらっしゃい!」
香ばしい匂いに誘われ、アダマンは一軒の屋台の前で立ち止まった。
炭火の上では、黄金色に照り輝く蒲焼きが焼かれている。
甘辛い香りが風に乗り、空腹を刺激した。
「帝国うなぎだよ!」
店主は威勢よく声を張る。
「今日のは東部湿原産だ! 百年に一度の豊漁でね!」
アダマンは思わず笑った。
「また会ったな、帝国うなぎ。」
店主が首を傾げる。
「お客さん、初めてじゃないか?」
「いや……なんだろう。」
記憶の奥が微かに疼く。
世界が滅び始める前。
皇城へ呼ばれる朝にも、同じ香りを嗅いだ気がした。
「一本ください。」
「あいよ!」
焼き上がった蒲焼きを受け取り、一口頬張る。
皮は香ばしく、身は驚くほど柔らかい。
脂は甘く、それでいて後味は澄み切っている。
思わず頬が緩んだ。
「……へへ。」
自然と口をついて出る。
「やっぱ帝国うなぎは美味ぇや。」
レオルドが吹き出した。
「お前、その顔もできるんだな。」
「悪いか。」
「いや。」
騎士団長は肩を震わせながら笑う。
「その一言を聞いて安心した。」
「安心?」
「調停者になってから、お前はずっと難しい顔ばかりしていた。」
アダマンは黙って串を見つめた。
確かにそうだった。
世界を救う。
預言。
アビス。
セフィロス。
プロマシア。
背負うものばかり増え、自分が何者だったのか忘れかけていた。
「……世界を救う前に。」
アダマンは小さく呟く。
「腹は減るんだな。」
「当たり前だ。」
レオルドは笑う。
「英雄も王も、飯は食う。」
◆
その時だった。
店主が、ふと真面目な表情になる。
「兄さん。」
「ん?」
「帝国うなぎの話、知ってるか?」
「いや。」
店主は炭火を見つめながら語り始めた。
「神代の頃、この国には《命の河》って呼ばれる大河があったそうだ。」
「命の河?」
「世界中の魔素が流れ込む河さ。」
炭火が静かに爆ぜる。
「その河に棲むうなぎは、魔素の淀みだけを食べて育った。」
「淀みだけを?」
「だから河は決して腐らなかった。」
アダマンの表情が変わる。
「……まるで調停者みたいだ。」
「そう。」
店主は微笑む。
「古い言い伝えじゃ、調停者は帝国うなぎから世界の理を学ぶんだと。」
「そんな話が……。」
「今じゃ誰も信じちゃいないけどね。」
その言葉が終わると同時に、店主は何事もなかったかのように笑顔へ戻った。
「ほら、冷める前に食べな!」
◆
夜。
宿の窓から月を眺めながら、アダマンは一人考えていた。
プロマシアは命を喰らい、世界を守ると言った。
帝国うなぎは魔素の淀みを喰らい、河を守るという。
どちらも、自らは称賛されることなく、ただ世界の均衡を保ち続けてきた。
「調停とは……。」
その答えが見え始めた、その時。
胸元のホーリー水が、かすかに震えた。
窓の外を見る。
夜空を横切るように、一本の黒い亀裂が走っている。
アビスだ。
その裂け目の向こうから、誰かがこちらを見ている。
紅い瞳。
漆黒の片翼。
深淵の王は、まるで次の一手を楽しむ棋士のように静かに微笑んでいた。
「学びは終わったか、調停者。」
低く響く声が、夜風とともに消えていく。
その翌朝。
帝国全土へ、一つの報せが届く。
――西方の聖都陥落。
神殿を守護していた聖騎士団は壊滅。
そして、聖遺物《ヴァルキリーの涙》が奪われた。
世界は、終焉へ向けてさらに大きく動き始めていた。




