20 蟠桃会(最終話)
背後に現れた気配に目を向けると一匹の狐が居た。いつかの、獲物の狩りを邪魔した獣だ。その狐はみるみる姿を変えて一人の女となった。眩しい朝焼けのごとき美しさと、肌を刺す巨大なプレッシャーを持つ女だ。
二人の間に横たわる空間に、ピシリと亀裂が入った。パラパラと欠片が落ちると、開かれた穴から百瀬高校の校庭が見えた。
「なぁ、腹が減ったのかと聞いておきながら、花を差し出すボケたじじいはどうなったんだ?」
どこか呆けた様子で尋ねる安曇の前には、ただそこにあるだけの桃の巨木――御神木があった。
「力を使い果たした彼の者は、後継を吾に押しつけ、大地に還っていったよ」
安曇は女の正体を察して腹を抱えたくなったが、自嘲気味に少しだけ笑った。
「……ハン、この地を守る為にてめぇを犠牲にしたのか」
「さぁな。何を守ったかなど、本人にしか分かるまい。それでも、成り行きとはいえこの地を任された身だ。返して貰うぞ」
また、パキンとガラスが割れたような音が響いた。この世界を力づくで侵食した青柳の力は桃源郷を乗っ取ったと言えた。だが――。
「もう遅ぇだろ。青柳は、俺の分身のようなモンだ。俺の淀みをそっくり吐きだしたんだからな。その分、力も強ぇ。……あぁ、腹減ったなぁ」
安曇は飢えを訴える腹に手をやった。いくら切り離しても、元が腐っていれば変わらないらしい。
ふと、なんの変哲もない小さな青蛙が瞼に浮かんだ。自分の小屋のそばにある湖。そこに住む、小さな話し相手だった。アレはどうなったろう、確か……と記憶を探ろうとして、すぐに放棄した。どうでもいい話だ。
「お前の分魂ならば、先代にとっての卯槌と変わらんなぁ」
「息子だって言いてぇのか? ハッ、俺の息子はもう死んだ。……そうだな、思い出したよ。俺が仙人を目指したのは、誰も彼も見下したかったからだ」
道教の始祖である太上老君は、仙人であり神でもある。それを目指したワケではないが、ただ呼称が変わっただけで、誰しもが掌を返すように態度を変えたのは見ものだった。変わらなかったのは――。
「卯槌は、今もお前を信じているようだ」
「それはあいつが坊やだからさ。俺が鬼や魔を斬っていた行為が善からくるものだと、今でも本気で信じてんのか?」
目を輝かせて話をせがむ子供に、脚色付けて、面白おかしく話してやったのは、いつの頃だったか。あの頃は酒が美味かった気がする。月や花を肴に飲む酒が。
――お主が減らしているのは、腹ではあるまい。
「お前がそう言うならそれが真実だろうさ」
女神はそっけなく言い、御神木を指さした。
「吾も思い出したよ。馬鹿な友が来たら、伝えてくれと言われていたな」
* * *
「いい加減、倒れろよ! あんたの負けだ!」
真琴が青柳――正しくは、青柳だった巨大な蝦蟇に向かって叫んだ。かなりへばっているようではあるが、
「傀儡が傀儡でなくなるのは、いつか知っているか? 糸を切った時だ! あいつの支配を抜けるには蟠桃を食うしかないんだ!」
引く事も、諦める事もせずに向かってくる。
「くそっ、うざったい!」
足下に広がる配下の蝦蟇たちが、要所要所で邪魔をしてくる。足を取られた隙に、大蝦蟇から攻撃を食らっては堪らない。
「……ゼェ、立花「させるかよ!!」クッ!」
足元の蝦蟇を掴んで青柳にぶつけた。塩も、札も使い果たした。祝詞を媒体に、僅かでも神の力を降ろす余力もない。気力体力霊力全て果てる直前で、何とか名を呼ばれるのを防いでいる状態だ。
「あんたも休んでないで加勢してくれよ!」
「ああ……」
膝をつく卯槌に向かって叫んだ。だが、力を使い過ぎたようで、立ち上がる事すら難しそうだ。それだけならまだ良かったのだが、彼の横にピタリと身体を寄せる女性――彼を心配する妻――の存在のお陰で、いちゃついているように見えて仕方がない。
「ならば拙者らが助太刀いたそう」
「そうね、此処まで来たらバレちゃダメとか言ってられないわ」
「でしゅ」
突如湧き出た援軍に、真琴は目を丸めた。彼らは密かに後をつけて来たが、一華を追う蝦蟇を退治していたら、すっかり置いてけぼりを食らってしまった朝霧家の付喪神だ。置いてけぼりを食らったものの、青柳は一華に危害を加えた相手で元凶だ。落とし前を付けてやると息巻いた。
武者とオカッパ少女と赤ん坊。どんな組み合わせだ、と真琴がつっこむ前に、弓を引いた武者が青柳の目を射抜いた。青柳は悲鳴を上げて倒れそうになったが、何とか踏みとどまった。その間、風船のように膨らんだ赤ん坊は、足元に広がる蝦蟇たちにボディ・プレスを仕掛け、少女は伸ばした髪を鞭のように打ちつけた。
妖怪大戦争さながらの光景だ。
「なんだお前たちは! 妖怪か!?」
「ようかいじゃなくてつくもがみでしゅ! おそれうやまいひざまづくでしゅ! あがめるでしゅ! たてまつれでしゅ!」
「付喪神は立派な妖怪だろ!」
「なんですってぇえええ!?」
「失礼しちゃいますわ」「ほんとほんと」「ねぇ」
「姫よ、我らも馳せ参じたぞ!」
「まぁ、殿! みなまで!」
「……………………は?」
唖然とした。いつの間にかゾロゾロと増えてゆく援軍。彼らの口ぶりからすると、全員が付喪神なのか? 桃源郷ってそんな所だっけ? と、混乱する真琴の元へ、
「遅くなりました。みなさん、お願いします」
聞き慣れた声がした。すぐに一華の声だと気づき、説明を求めるべく顔を向けて――頬を引きつらせた。
「おい、その男はなんだ?」
卯槌ではないが、なぜ彼女までイチャイチャ――もとい、見知らぬ男に横抱きにされて頬を染めているのだろう。人が必死で戦っている間に。
「変な目で見ないでください! 足が遅いわたしを運んで貰っただけです!」
降ろしてくれと言われた良は、肩をすくめて一華を降ろした。一華は蝦蟇退治に散ってゆく人形達の中で、呆然と自分を見ている三体に目を見張った。
「たろちゃん、菊ちゃん、義経も……どうしてここに!?」
そこにはかつて一緒に遊んだ人形達。家に居る筈の彼らが、しかも他の人形と同じように動いている。だが、自分は何もしていない。困惑する一華に、坊と菊は勢いよく飛びついた。
坊は太郎と名付けられていたが、一華以外に呼ばせるつもりはないとずっと名を伏せていた。その名を呼ばれたのだ。感極まり、普通の人形でいなければいけないと、これまで自身に言い聞かせてきた我慢など吹き飛んでしまった。菊もそうだ。
自分の腕の中で泣きじゃくる二体に一華は戸惑ったが、
「またそやつらと一緒に遊んでやってくれ。たまには拙者ともな」
と、義経が言うので、彼らも付喪神だったのかもしれないとの考えに至り、「はい」と微笑み、抱きしめた。
「ワケがわかんないんだけど……」
一人置き去りにされた真琴が不平を述べた。
「わたし、ちゃんと言いましたよ。起き上がった人形が動いて一緒に遊んでくれるって」
「そんなの子供の作り話だろ?」
「本当の話です。でもあなたはわたしを嘘つき呼ばわりしました」
「そっちだって、おれが話した女神の話を嘘だって言ったじゃないか!」
「「……………………」」
睨み合った二人は、同時に溜息を吐いた。
「今はそれどころじゃありませんね」
「だな……」
良は、彼らの戯れに笑みを浮かべながら、卯槌の元へ向かった。
「大丈夫か?」
「ああ、問題ない」
問題ないと言うが、青い顔で満身創痍だ。しかし、心配げな顔をする妻の手前、なけなしの意地を張っているのだろうと苦笑した。
「神から壊せと言われた。いいか?」
パキンとヒビの入る音がして、空間に小さな穴が空いた。そこから覗くのは、真っ暗な闇だ。
「………………頼む」
卯槌は、ギリっと歯を噛み締めて俯いた。もうこれしかないのだと、彼もわかっているのだ。先程までは、腐敗した世界ながらも安定していると言えた。それが今では、至る所に亀裂が入り、穴があき始めている。
桃源郷は、かつての大神実の力の残滓によって成り立つ儚い世界だった。そこに、相反する穢れた力を急激に流し込まれた。染みわたった毒によって、世界は書き換えられたように見えた。が、それも元の世界あってこそだ。唯でさえ脆くなっていた世界は弱り、卯槌が払い落そうとすればするほど青柳は圧力を掛けた。このままでは崩壊すると、元凶を叩くべく動いたが既に遅く――悲鳴を上げた世界は、壊れ始めてしまった。
そもそも、安曇の言う結界など無かった。安曇と青柳が桃園に入れなかったのは、今の彼らが邪を祓う桃の――桃園の性質と相反していたからだ。
――もし、どうしようもならなくなったら、この世界を壊してくれ。
良は、夢から醒める前に神に言われた言葉を思い出していた。壊れる世界を壊してくれとは、随分不合理な事を言う女神だ。
――こちらがおかしな事になれば、人の世にも影響が出るだろう。吾ら神の役目は……
「コレを使え」
卯槌は自分の腕をもいで、良に渡した。奥方は悲しそうな顔をしたが、卯槌は「すぐに生える」と彼女を慰めた。
腕だったモノは、パキパキと音を立てて姿を変えた。
「木の刀、か……」
それは卯槌の本性である、桃の木で出来た――どこか見覚えのある――刀だった。一度振ると、空気を切る小気味好い音がした。
――神の役目は、守ることだよ。
(守る、か……)
あの目を信じてみようと思った。何より、迷いなく腕を差し出した友を。
「あの……、これを」
やり取りがひと段落したのを見計らって、一華が奥方へ話しかけた。差し出された小さな卵に、彼女は涙を浮かべた。
奥方が受け取ろうとした、その時。
「そいつが蟠桃か!?」
大蝦蟇となった青柳の巨体が、一足飛びで彼らの前に降り立った。寄越せと大口を開けて迫ってくる。
「…………カッ……?」
だが次の瞬間、巨体は大きな音を立てて倒れた。
一華も奥方も、少し離れた場所に居た周りの者すら、何が起きたか見えた者は居なかった。裂かれた腹から解放されてゆく魂の白い靄を見ながら、卯槌は大きく嘆息した。
「相変わらずの馬鹿力だな……」
一瞬の内に間合いを詰めた良が、青柳を下から斬り上げた。ただそれだけなのだが、鞘も刃もない木刀の、鞘をレールとして加速させる居合より遅いにも係わらず、一閃はおろか、身体の動きすら追えた者は居なかった。
更には、青柳の背後には斬撃が――空間に、大きな切れ目を作っていた。邪気にまみれた世界を斬ったのは、卯槌の木刀――邪を払う桃の力も大いにあっただろう。だが、卯槌が指したのは、良の手の中でパッキリ折れた刀を指してだ。
当の本人は、このような状況であるにも関わらず、呑気に一華の頭を撫でている。一華はきょとんとした顔で良を見上げた。
バキンッ
ひときわ大きな音がして、空が割れた。そこから無数のヒビが広がってゆく。
「え、これってヤバイんじゃないの?」
ガラスのような空間の欠片が、バラバラと雨のように降り始めた。真琴は降ってくるモノから頭を庇ったが、徐々に、穴の向こうにあった暗闇が全てを包み込んでゆく。逃げる場所も時間もない。今度はドンッと大きく地面が揺れ、竜巻を思わせる暴風が吹き荒れた。終わりだ――と身をかがませていると……
「……え?」
鼻腔をくすぐる甘い匂い。顔を上げると、天には煌々と輝く大きな満月と、桃色に染まった無数の花びらが舞っている。あたり一面、満開の桃のピンクで覆い尽くされ、まるで夢のような光景だ。
奥方が卵を月の光にかざした。彼女の女雛が守り通した小さな生命だ。満月の光を浴びた卵は、桃色に色付きながら花開き、一輪の花になった。その中に、小さな女の子が座っている。
「わたくしの可愛い子……」
奥方は産まれたばかりの我が子を抱きしめて涙を流した。
「折角の蟠桃会であるのに、いささか淋しいですな」
と、男雛が言うと「では、我らが」と、五人囃子が進み出た。
* * *
「すげぇもんだ」
世界が――桃源郷であった場が壊れた瞬間、瞬く間に創造してみせた女神に、安曇は感嘆の声を上げた。
自分はせいぜい人の世と対を成すこの世界に、自分の領域を切り取るくらいしか出来ない。この世界で領域を持つ殆どの者がそうだろう。切り取った領域内で自分の力を浸透させ、住みよい環境を整えるのだ。だというのにこの神は、崩れた空間そのものを創造し、桃源郷を再構築して見せた。それは違和感もなく馴染んでいる。途方もない力だ。まるで原始の、創造の神を思わせた。
「誰しも、自分にないモノには、特別な思いを抱くものさ」
ソレに向けられる感情は様々だ。羨望、嫉妬、畏怖、尊敬、信頼、憎悪……全て紙一重の感情だ。
「あんたのようにすげぇ奴にも、そんなもんがあるのか?」
対となる世界には、様々なモノが自分の領域を成していた。陽の気が集まる裏には陰の気が集まる。百瀬町と桃源郷がその関係と言えるが、時たま、その気が噴出さんばかりに溢れる場があった。陣取り合戦ではないが、そのような場には、昔から高位の存在が、錘のように自分の領域――世界を成し、裏を、表を守ってきた。桃源郷もその一つだ。太古から存在し、対の世界の一部と化していた桃源郷の崩壊は、世界に穴を穿つ。その穴はジワジワと対の世界全てを呑み込み、引いては人の世にも影響を及ぼしただろう。
両界は破滅を迎える筈だった。
「あるさ、吾にも願いがな。お前もだろう?」
女神は御神木を指さした。そこには美しく咲き誇る桃の群生と、なんら遜色なく咲き誇る、一本の桃の木があった。
――お主が減らしているのは、腹ではあるまい。
安曇はあの時、頭を上げるように言われ、ようやく花の色に気が付いた。花が咲いているという認識はあったが、種類までは――もっというなら色すら認識していなかった。
あの時と同じように、鮮やかなピンクの桃の花が視界いっぱいに広がっている。木々の隙間からは大きな満月の黄色が見えた。
「美しい花を見て、変な顔をしたそうだな」
――ワシは、今一度花を咲かそう。それを友人に届けてやって欲しい。
「……変な顔じゃねぇよ」
視界が滲む。おそらく、あの時と同じように。
良と名乗った年若い鬼に、なぜ自分は鬼切を手渡したのだろう。彼を哀れんだか、恩人の息子を祝いたかったのか、それとも、少女を助けたかったのか――。
「馬鹿だよな……なぁ、くそジジイ」
* * *
「ねぇ、一華はどこ行っちゃったの?」
五人囃子が奏でる音色をバックに、新しい生命の誕生を祝う宴は大いに盛り上がった。三体はすっかり宴を楽しんでいた。大神実に匿われていた桃の精たち、山の物の怪たち、人形たちとともに。
菊に問われた坊と義経はキョロキョロと辺りを見回したが、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
「……まぁ、野暮なことはしてやるなよ」
良の姿も消えている事に気づいた義経が二体に釘を指した。
――あのね、あたし、好きな人が出来たの。
まだ幼い一華が、内緒話を教えてくれた事があった。自分を助けてくれ、会いに来てくれる約束をした、良という名の鬼のお嫁さんになりたいのだと、頬を染め、嬉しそうに話していた彼女は大変可愛らしかったのだが――。
「「だめ(でしゅ)ーーーー!!!」」
二体は血相を変えて叫んだ。彼らを笑うかのように、ざぁっと吹きぬけた風が、桃の花びらをあでやかに舞い踊らせた。
(了)
最後までご覧頂き、ありがとうございました!




