19 家族
「巫女よ、いつまでも泣くのはおよしなさい。貴女はあの時のように、笑っている方が素敵です。結婚式はとても楽しゅうございましたわね。五人囃子が楽を奏で、わたくしと三人官女で舞って、貴方も楽しそうに踊ってらして……」
「………………」
「あの男も言っていたではありませんか。逃げるのは簡単ですが、逃げるだけでは何も解決しないと」
「……わたしは神様が嫌いです。仕える気も無い。だから巫女じゃありませんし、何の力もない……。助けてと言う以外に、何も出来ないんです。……ああ、色々あって、ちょっと疲れているんですね。幻聴が聞こえて、幻聴と話をするだなんて……。人形は無機物です。喋るはずがないし、動いてはいけないんです」
「なぜわたくし達を否定されるのです? 貴方は人形師なのに、人形がお嫌いなのですか?」
「嫌いだと、思うはずが、思える訳ないじゃないですか。人形はわたしの…………でも、人形が動く事を認めてしまえば、わたしの家族は、もう誰もいなくなってしまうんです」
「貴女はご存知でいらっしゃるのですか? その上で見えない振りをなさるのですね? しかしそれでは、大切なご家族が居なくなってしまいますわよ」
「どういう、意味ですか?」
「あの蛙男からしたら邪魔な存在でございましょう。きっと」
――バラバラにされてしまいますわよ。
一華は安曇の去った部屋の中央――バラバラにされた千紘の前に居た。無残な肉塊を繋ぎ合わせるように元の形に置いたあと、力なくうなだれた。
良と再会した雨の日、夢だと思っていた相手からではあったが、既に忠告を受けていたのだ。だからこれは、いつまでも我が身可愛さで父と千紘に甘え続けた結果だろう。
――わたしも歳だから覚悟はしていたが、こんなに早くきみを置いていくことになるとは思わなかった。まだ成人すらしていないきみを子供でいられなくしてしまうのが一番の気掛かりなんだ。友達を大事に。くれぐれも意固地にならず、頼るべき所は、きちんと頼るんだよ?
――嫌です。わたしが頼れるのはお父さんだけです。だからそんな事言わないでください。
――おやおや、泣き虫さんだね。わたしの可愛い一華、笑ってくれないのかい? それに、千紘さんはどうなるんだ?
――兄さんは、頼りになりません。
――一華! 僕のどこが頼りにならないって言うのさ!
――兄さん、酷いです! 盗み聞きしてたんですね!
「ごめんなさい。いくらでも謝ります。だから、……起きて、ください」
後ろからその様子を見ていた良は、無残な殺され方をした千紘もだが、小さく震える彼女を痛ましく思った。彼を起こそうとする彼女を止めるべきだと思ったが、この光景に、付喪神たちが言っていた状況が思い出された。
――十和子が死んで動かなくなった時、一華はいつも人形たちを起こしていたように、無邪気に「起きて」と言い続けたの。
「起きてください」
――いつもはすぐに動き出す人形と違って、十和子は横たわったままだった。一華は死が分からなかった。人と人形の違いが、理解できていなかったのだ。修司は悲しい顔をしていたが、止めはしなかった。
「起きてください」
――なつのあついじきでしたから……すうじつで、くずれてしまったんでしゅ。
――昔と違って今は死が隠される時代だからな。遺体も綺麗なまま埋葬される。一華はむごたらしい母だったモノを前に、ようやく死を理解したのだ。
――それ以来、一華は十和子への罪悪感を義務感にすり替えて、必至で人形師の腕を磨いたわ。でも……アタシ達を見なくなった。
「起きてください、…………兄さん」
千紘の遺体が淡い光に包まれた。ただ、元の場所に置いただけの不格好な様子であったのに、光が消えた後は、傷一つない滑らかな肌になっていた。身体を起こし、俯く頭が持ち上がると、淡い髪がさらりと流れた。
「…………知ってたのかい? その上で、まだ僕を、兄さんって呼んでくれるの?」
「はい……ずっと、目を背けて、すみませんでした。でもわたし、兄さんが人形で良かったって、今、すごくそう思います」
そのお陰で助かったのだ。千紘が何者であろうと――例え御神体と呼ばれる人形であろうと、血の繋がりが無くても関係ない。もう家族を失くしたくない、と言って千紘に縋り付いた一華の目は潤んでいたが、目じりに溜まった雫はこぼれなかった。千紘は意地っ張りな姪を抱きしめて、こんな時くらい自分の腕の中で素直に泣けばいいのに、と苦笑した。
――十和子さんには、わたしが謝っておくから、もう気にするな。わたし達は、ずっときみを愛しているよ。
一華の耳に、父の言葉が蘇る。涙を堪えようとキュッと唇を噛み締めた。
「我が神を疑った罰かな。全ては僕の自業自得だから、君は泣かなくていいよ」
千紘が彼女の顔を覗き込んで茶化すように言うと、一華はムッと眉を寄せた。
「泣いてません! それに私のせいです!」
「僕なんかの為に泣くのは嫌?」
「そんな訳ないじゃないですか!」
「それじゃあ、泣いてくれるんだね! 嬉しいなぁ!」
と、一華の頬に唇を寄せた。一華は慌てたが、構うことなくもう一度、と唇を寄せる千紘に待ったをかける者がいた。
「……何? 君、居たの?」
「さっきからずっとな」
猫の子よろしく、襟首を掴まれてブランと持ち上げられた千紘は、不機嫌そうに笑顔の良を睨みつけた。
「今は緊急事態だろう?」
「分かってるよ。今から頑張らなきゃいけないから、可愛い姪から力を貰っていたんじゃないか……痛ッ」
千紘が顔を歪めた。やはり平気なはずが無かったのだと、一華は彼の手を取ろうとしたが、千紘は安心させるように笑いかけた。
「平気だよ。これでも境界を越えた存在……付喪神だから、これ以上君の力はいらないさ。でも、全てが終わったら、みてくれるかい?」
千紘が人形だという事は知っていたが、付喪神だと初めて聞かされた一華は目を丸めた。それに、彼の言う自分の力というモノもよく分からない。
分からないが、力強く頷いた。
「任せてください。わたしは人形師です。ちゃんと直して見せますから」
人形としての自分を、人形師である一華に預けると言ってくれた彼の信頼に応えたいと思った。
千紘は一華にかつての十和子を見た気がした。今気づいたが、彼女が纏っている着物は、十年前の結婚式で十和子が着たものだ。一華がそれを選んだ理由を考えながら、彼らから距離を取った。
風が吹いた。屋敷の中であるにも関わらず。
そよ風だったソレは、じきに目を開けていられない程の暴風となった。その中心で、千紘はジワジワと形を変えてゆく。急激に髪が伸び、身体は一回り小さくなった。
彼だった者が、ゆっくり顔を上げた。良は静かに問いかけた。
「貴女は、なぜ依代を必要となさるのですか?」
そこには金の髪と目を持つ、良が夢で会った女神がいた。人と神の距離が近かった時代から、今に至るまで、人が神を崇め続けるのは天災に等しい力ゆえだ。時には恩恵を受けようと、時には鎮めて貰おうと、恐れ、敬い、必要とあらば贄を差し出した。
神が人から遠くなりつつある今でも、本質は変わらないはずだ。神が神足り得るのは巨大な力ゆえだ。身体という檻に囚われ、守られる人とは違い、力を持つ者は身体(本体)から抜け出した魂のみで行動出来ると聞いた事がある。その気になれば、本体とは別の実体を作ることが可能なのだとも。普段は本体を隠し、人型で過ごしていた卯槌を思い出した。部下である彼が出来るのだから、この女神も出来そうなものなのに、と思って問いかけだ。
ピシッとガラスが割れるような音がした。家鳴りだろうか。
「吾は力が無くてな。コレがいないとこの世界で満足に力を奮えないのだよ」
何とも頼りないことをいう女神に、良はどうしたものかと考えた。桃源郷の主を呼べたからといって、問題を解決するなど出来はしないのではないか、と。
「あの……、あなたは?」
事情を飲み込めない一華が問いかけた。御神体人形だった千紘が降ろすとしたら、一柱しかいない筈であるのに。
「分からないか? お前は昔、結婚式で吾を見ただろう?」
「では、あなたが大神実の神様ですか? あれは見間違いで、御老人とばかり……」
「それは先代だ。まぁ、心配するな。確かに依代を要する脆弱な身ではあるが、神としての勤めくらいは果たせるさ」
そう言って、女神はまた姿を変えた。その姿は――。
「狐? 稲荷神であられたか」
「これはただの昔の名残だよ。だが、移動するにはこの姿が便利でなぁ」
一華は、狐に化けた女神に合わせて膝を付いた。女神は避けることなく、そろそろと触れてくる少女の好きにさせた。
――このままじゃ死んじゃう! 神様、良を助けて!
「あの時、良さんを助けてくれたのは、あなただったんですね……。神様は、人の願いなんて聞いてくれないとばかり思ってました。でもそれなら、母は……」
――神様、お母さんを助けてください。
「十和子は、いい人形師だった。誇っていい」
一華はくしゃりと顔を歪ませて俯いた。一華の肩を抱く良に向かって女神は、
「あとは吾が何とかしよう。壊せ」
と言って、軽やかに駆けて行った。
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