18 解呪
屋敷の中には誰も居なかった。外から見たらボロボロの幽霊屋敷も同然だったのに、中は新築のようで、木の香りすらした。
玄関を抜け、次の間も抜け、一華は次々に襖を開け、迷い家のような屋敷を奥へ奥へと進んでいく。何度目かの襖を開けたとき、廊下に出た。広大な中庭をぐるりと取り囲んでいる。中庭を挟んで、反対側に位置する部屋の襖が開いているのが見えた。
そこへ向かおうと廊下進んでいた一華が、ふいに足を止めた。
「どうした?」
「呼ばれた気がしたんですが……、今はそんな場合ではありませんね」
と、再び歩き始めた。
「……ねぇ、良さん。神様って何でしょうか」
「そうだなぁ、凄い力を持った存在なのは確かだが、案外苦労してそうだな」
「何だか、人と変わらないみたいですね」
「以前も言っただろう? どんな存在も万能じゃない。神も人も、おれのような物の怪もままならない事はあるもんだ」
「良さんにもままならない事ってあるんですか?」
「……今がその状態じゃないか」
「フフッ、そうでしたね」
「それじゃあ……、神様に縋るしか出来ない人の願いは、一体どこにいくんでしょうね」
悲しげに言う一華に、良は口ごもった。なんと返せば良いか分からなかったし、彼女の望む答えも見えなかった。
「願いなんて、ただの逃げだ」
小さくも、ハッキリとした声が二人の耳に届いた。やるせなさを孕んだ切ない声だ。
だが一華は、それを発した安曇の心情に構うどころではなかった。彼の足元に転がる物体が視界に入った途端、鈍器で頭を殴られたようなショックが全身を貫いた。
「そんな……兄さん!! 兄さん!!」
安曇の目の前――部屋の中央に、胴から頭も手も足も落とされ、バラバラになった千紘が――いや、千紘のなれの果てがあった。
「安曇、何があった!?」
「何もねぇよ、ただもう、ここに大神実はいない。それだけだ。だから俺は、綺麗に幕をひいてやろうと思っただけさ」
その口ぶりから、彼こそが加害者だと知れた。
「なぜそれが、この子の叔父の殺害に繋がる!?」
「それはこの馬鹿が、大神実の御魂を呼び寄せると言い出したからだ。てめぇらも、本体である御神木は見ただろう? すでに百年以上も花や実はおろか、葉の一つも付けやがらない。朽ちる寸前だ。もう、そっとしてやってくれや」
身体も力も失った神は、静かに大地に還っていく。還してやってくれと安曇は言った。
「だからって、兄さんを手にかけていい理由にはなりません! そもそも、神が力を失った原因である百年前の病は、あなたが引き起こしたんじゃないんですか!?」
一華は燃えるような目で安曇を睨みつけた。
「どういう意味だ?」と、良が聞いた。
「百年前、御神木が伐採されようとしたそうです。それが取り止めになったのは、圧力を掛けていた政府の役人が病に倒れたから。祟りだと恐れられ、話が流れたそうです。兄さんは大神実の神が病を収めたと言っていました。だからわたしは、病を広めたのは、神の友人を名乗った安曇さんだと考えました」
当時の政府が行った神社合祀は、神社整理ともいい、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀させる事によって数を減らそうとした政策だ。それによって多くの神社が廃された。だが、話はこれで終わりではなく、廃された後は、これまで聖域として手出しできなかった場――森や木の伐採が可能となるのだ。御神木は珍しい桃の巨木だった。当時としても、破格の値が付けられたらしい。
安曇は冷めた目で一華を見た。
「大神実の眷属って可能性はねぇのか?」
「可能性はあります。ただその病というのが、元気だった者が、ある日急に床から起き上がれなくなり、そのまま眠るように息を引き取るという不可解な病だったそうです。まるで今回青柳さんが行ったように、魂を抜かれた状態と似ていると思いませんか?」
「まさかっ!!」
今回同様、青柳の可能性もある。良は可能性を否定して欲しくて安曇を見た。
「……昔はもっと可愛げがあったのに、すっかり可愛くなくなっちまったんだなぁ」
「よく言われますので自覚はあります。それに、あなたの視線は昔から不快でした」
人喰い魔女の住む、お菓子の家に来てしまったのではないかと錯覚する程に。
「ほんっと、可愛くねぇ……やっぱあの時、喰っちまえばよかったな」
安曇の影がどんどん伸びてゆく。その影から、巨大な蝦蟇が這い出してきた。
「……ま、今からでも遅くねぇか」
不利を悟った一華は良を抱えたまま踵を返した。中庭――広い場所に出ては不味いと、大蝦蟇には狭く、進み辛い屋敷内を邪魔になる裾を持ち上げて走った。大蝦蟇は案の定、巨体が仇となって襖や鴨居に身体をぶつけながら追いかけてくる。少しは時間をロスさせられそうではあるが、逃げきれる保証も、倒す当てもない。
「おい、下ろせ! おれが時間を稼ぐから、きみだけでも逃げろ!」
「そんな小さな身体で何言ってるんですか! 今度こそ死んじゃうかもしれないんですよ!? あなたは私が守ります、大丈夫、まだ手は……ッ!!」
敷居で足を取られて躓いた。その拍子に投げ出された良はコロコロと転がってゆく。今がチャンスとばかりに大蝦蟇はどんどん距離を詰めて来る。
「一華!! 逃げろ!!」
良は叫んだ。叫ぶしか出来ない自分が情けなくて仕方が無い。
「いえ、逃げません。逃げないって、言ったじゃないですか……」
「意地を張っている場合か! いいから逃げろ!」
「意地じゃないんです。もう意地を張らないって、決めたんです。ちゃんと向き合おうって……だから、お願いします。起きて、くだ、さい……」
一華は転んだ格好のまま、肩を震わせ、俯いている。だから良は、恐怖のあまりおかしなことを言い出したのかと思ったが、
「やれ……ありがたい。感謝致しますぞ」
男の低い声が応えた。良は辺りを見回したが誰もいない。ただ人形があるだけだ。彼は知らなかったが、ここは人形の間と呼ばれる部屋だった。朝霧の、歴代の人形師達が、人知れず神を慰めるために納めてきた、おびただしい数の人形が並べられていた。
(そうか、付喪神だな)
動く人形といえば朝霧の家で会った付喪神だ。良の推測が証明されたかのように、一体の人形が立ち上がった。男雛だったソレは、徐々に人の姿に転じてゆく。
「付喪神に成れなかった我らも、これで姫の元へ向かえまする」
しかし、推測を否定する発言に首を傾げた。
「すみません……あなたたちは、静かに愛されるべき存在ですのに」
「なんの。人が我らに願いを寄せるように、我らにも願いがあるのです」
だからと、一華の手を取り、起き上がらせた男雛は、もう一度謝意を述べた。
「……お願いします、力を貸してください」
「勿論でございます」「ええ」「お任せ下さい」
次に返事をしたのは三人官女だ。続いて五人囃子、随身、仕丁の雛人形たちのみならず、数多の人形が腰を上げた。様々な種類の人形がいた。同じ種類でも製作者が異なるのか、みな違う顔をしている。
「まずは邪魔なあやつを片付けましょうか」
* * *
バラバラになった千紘を眺めながら、安曇は一服していた。口内のタールを味わいながら、疼きを訴える左目に手を置いた。
「いてぇな……」
思い出したように不具合を訴えてくるのは、何百年か前に他者から拝借したモノだからだろうか。生来のモノは、ただの人だった頃、同じ人に奪われた。
神犠に選ばれた目印として。
それでも、海から渡ってきた自分達を、一時的にとはいえ受け入れてくれた彼らが、もし、自分以外の者達――妻や息子に、約束通り居場所を与えてくれたなら、自分は神の供物というバカバカしい運命ですら黙って受け入れたのかもしれない。
だが結局、神と呼ばれた化物も、自分を捧げた人も、そして自分すら殺して安曇は鬼となった。そんな自分が仙人を目指した理由はなぜだったか――。
鬼は不死ではない。人の成れの果てである鬼は、人を超えた生き物であるにも関わらず短命だった。すぐに気狂いを起こし、自滅してしまう者が殆どだからだ。鬼となる手助けをした強い感情――恨みは、自由を与えるどころか、彼らの中で肥大化し、彼らを支配し始める。自我を失った者の末路は決まっていた。自分で殺すか、人に退治されるか、神や妖怪といった高位の存在に潰されて終わりだ。
「くそっ」
こみ上げてくる吐き気に、先程まで旨いと感じていたタバコを投げ捨てた。
――惑わされる事なく此処まで来たのか、珍しいのう。
かつて二度目の死を恐れた安曇は、生き延びる方法を探し続けた。そしてある日、夢のような美しい場所で、おとぎ話に出てくる仙人のような、白く、長い髭を蓄えた老人に出会った。
――お主が人も鬼も、神すら殺す鬼か。その手にあるモノが噂に聞こえた鬼切の刀か?
――うるせぇ、てめぇの命も寄越せ。この飢えを何とかすれば……俺はっ!!
――ほほほ、悪食じゃのう。そんなに腹が減ったのか?
喉が焼けるように乾く。あまりの空腹に目眩がした。
「……あぁ、腹が減ったんだ」
安曇はのそりと立ち上がった。
* * *
人形達によって大蝦蟇は片付けられたが、一華の表情は晴れなかった。
「全てが終わったらきちんと直します。直してみせますから……」
沈痛な面持ちで、ただの人形に戻った者の汚れを拭っている。男雛たちは卯槌の援護に――一華が持ち主へ返した奥方の形代人形であり、守護である女雛の元へ向かった。彼らの一人が、屋敷から安曇が姿を消していたというので、先に向かって貰ったのだ。
良は座る一華に歩み寄り、膝の上に登った。慰めてやろうと彼女の頭に手を伸ばすが、届かず、逆に頭を撫でられてしまった。
「わたし、小さな頃から人形が好きでした。人によっては怖いと感じるそうですが、わたしには可愛い、美しいと感じる事しか出来ませんでした。人とより、彼らと遊ぶ方が好きで、そうやってずっと一緒にいるうちに、人形たちが動き出したんです。幼いわたしは不思議に思う事はありませんでした。でも、人形たちと距離を置こうと思った時期があって……一緒に遊ばなくなったら、二度と人形たちが動くことはありませんでした。だから全ては幼い頃に見た夢か幻だったのかな、って思っていたんですけど……」
幻を見るメカニズムを自分なりに解釈しようとしたのもその為だった。
気持ちを整理するかのように言葉を並べていた一華は、目を閉じて深く息を吐いた。心なしか顔色が悪い。
「良さん、もう一度兄さんの元へ行きます。一緒に行ってくれますか?」
「ああ」
一華が良を抱き上げ、立ち上がった。その時だ。バリバリと大きな音を立てて天井から大蝦蟇が降ってきた。
「!!」「もう一匹いたのか!?」
一華はすぐに駆け出したが、蝦蟇の舌が彼女を捉えた。飲み込もうと口を開けて迫ってくる。いや、引き寄せられているのだ。
バランスを崩した一華が倒れた。ギョロギョロと忙しなく動いていた蝦蟇の目が、ゆっくり細められた。開かれたままの大きな口と相まって、まるで嗤っているようだ。
一華は目を見開いた。
眼前に迫る大きな口。テラテラと光るピンクの口内の、喉より更に奥――真っ暗な闇を、大きく開いた目で見続けた。
まるでトンネルのようだ。昏くて深い闇。奥に何があるのか、全く見えない。もし呑み込まれてあそこへ放り込まれたら、何があるのだろう? きっと何もないに違いない。あるのは孤独と絶望のみだ。
身が竦んだ。全てを奪われる恐怖から。
(でも、もう兄さんは……)
唐突に思い至った。もう既に、自分は孤独と絶望に絡め取られいるではないか。
先程は怒りに突き動かされたが、千紘はもういない。自分は一人っきりだ。母も、父も、兄も――大事な存在は、もう居ないのだ。
「ッ……い、いや、やめて、助けて……」
それなのに、生に対する執着が、口から勝手に飛び出してゆく。
「一華! 大丈夫だ、おれが!」
良が声を上げた。途端、一華は今、自分の腕の中に良がいることを思い出した。小さくて温かな感触。夢ではない。彼は夢ではなかった。それはとても嬉しくて、とても苦しかった。良も、動く人形も、神も、全て夢ではなかったのだと一華に突き付けたからだ。
(……良さん)
だけど、やっぱり。どんなに認めたくないと頭が拒否しても、心が求めた。彼らも、また大事な――。
(そう、大事なの。みんな、わたしの大事な、大好きなひとたち……)
何をこだわっていたのだろう。意地を張らないと決めたはずなのにと、クスリと笑った。溢れてくるのは、涙だけではない。絶望的な状況であるにも関わらず、一華は自身を満たしてゆく想いに心から安堵した。
腕の中の良をギュッと抱きしめる。
「ありがとうございます。あなたが生きていてくれて、よかった……」
今ならあそこへ行っても、孤独を感じはしないと確信があった。パンダの腕を掴もうと手を伸ばす。放り投げるくらいなら今の一華でも可能だ。
しかしその前に、良は自力で飛び出した。
「すまないが、これしかなさそうでな。文句は後で聞くから」
「え?」
口元にモフモフの感触がした。と、思ったらダンッと何かを踏みしめる音がし、引っ張られる力が止まった。
「んんっ!!」
フワリと身体を持ち上げられ、大きな手が腰を、頭の後ろを掴んでいる。今、唇に感じているのは、ぬぐるみの毛ではなく、温かく、弾力のある感触だ。
「んー! んんんーーー!!!」
現状を理解した途端、エスカレートしてゆく行為に頭が真っ白になった。よりにもよって、口内に侵入したソレは、逃げる一華の舌を捉えて執拗に――。
「もう、止めて、ください……」
すっかり息が上がって力が抜けた彼女を抱えた良は、向かってくる蝦蟇に拳を振った。軽く振りぬいたように見えたが、蝦蟇はいくつもの襖を破りながら飛んで行った。
「きみはよく頑張った。今度は、おれが守るよ」
少しは頼ってくれ、と頬を撫でられた一華は、赤い顔を隠すように彼の――人の姿に戻った良の胸に顔を埋めた。「はい」と返す以外に、今の自分に何が出来るというのか。
* * *




