17 夢
「そろそろ起きたらどうだ? 珍獣くん」
「誰が珍獣だ!」
意識を飛ばしていた良はつい条件反射で飛び起きた。それに今の自分は、悲しいかな再び両生類になっているというのに。と、落ち込みたい事実と、先程までの青柳との交戦を瞬間的に思い出した。
青柳は? 卯槌はどうなった? 現状を確認するために辺りを見回そうとして――四足ではなく二本の足で立っている事に気が付いた。恐る恐る自身の身体を見下ろして、珍獣と言われた理由を理解した。再びパンダのぬいぐるみになっていたのだ。目眩を起こしそうになったが、それどころではない。
驚くべきことに、世界まで変わっている。先程までのジメジメとした陰気な世界ではない。風を受けて穂を揺らすススキが一面に広がる、朝焼けの朱で染められた世界だった。
目の前には、長い金の髪と金の目を持つ、美しい女が居た。その他は誰も見当たらない。
「誰だ?」
と尋ねると、
「通りすがりの女神だよ」
と返された。まともに答える気がないのか。はたまた本当に神で、いつの間にか別の領域に飛ばされたのか。単純に、夢かもしれないとも考えた。
「というのは冗談で、吾がお前を招いたんだ。坊やの初めてで唯一の友達だからな。一度話してみたいと思っていた。なのに、これまで会わせてくれなかったんだよ」
と、嬉しそうに良の手を取ってブンブンと振った。
「坊やというのは?」
「卯槌だ。アレはお坊ちゃん育ちゆえか、少々偏屈で、やや凝り固まった選民思想を持っていてなぁ。はじめは中々認めて貰えず、随分反発されたものだ。それが急に、人が変わったように成長した。他の者から聞いた話では、お前と派手にケンカして負けたらしいな。やはり経験からの学びは大きいらしい。よくやってくれた」
女は満面の笑顔だ。
「はぁ、それはどうも」
いつかのケンカを思い出す。初めて会った卯槌は確かに偏屈で、やたら矜持が高かった。そして、なぜか戦う羽目になってしまった。その時は運よく勝てたが、自分が元・人間だという事にかなり驚いていたように思う。それでも認めてくれたのか、それ以降も関係が続き、現在に至る。
「その坊やが、嫁を貰って子まで成すのだから驚くばかりだよ」
「子!?」
初めて聞く事柄に目を丸めた。
「そうだ、アレも本当に大きくなったものだ。まぁ、未だに言葉が足りなかったり、人の話を聞かなかったり、自分で始末を付けると譲らない頑固なところはあるが、情の厚いいい子だ。とはいえ、蟠桃として生まれたアレこそが本来の主なのだから、もっと成長して貰いたいと思っている。これからも宜しくしてやってくれ」
「おれでよければ……」
まるで母親のようだと思った。瞬間、良の頭に仮説が立った。
「まさか貴女は……では、おれが元の世界へ戻る方法をご存知でしょうか?」
「知っているよ。それどころか、お前の呪いを解く方法まで知っている。聞きたいか?」
「是非もない!」
「戻る方法は簡単だ。ここは人の世である陽の世界とも、対となる陰の世界とも違う、吾の私的な空間だ。お前からしたら夢のようなものだから、ただ目を開ければいい。呪いを解く方法は……」
「方法は?」
卯槌はどうなったのか。最後に見た光景を思い出すと、焦燥の念に駆られる。戻れたとしても、この姿では本当に役立たずだ。
良の真剣な様子に、女はニヤリと笑った。
「巫女の少女と契ればよい。たっぷりしっぽりねんごろに契れば間違いなく解けるが、今はそんな時間も無かろう。甚だ不本意だが、口づけで許してやる」
少女と聞いて一番に浮かんだのは一華だ。良は頬に集まりかけた熱を振り払うように頭を振った。女は巫女と言った。ならばあの、真琴という名の少女だろうか。昔、共に迷子になった、あの。
「何を仰るか! 第一許して貰ってどうなると!?」
「吾は縁結びの神でもあるから、お前と巫女の縁を繋いでやろうと言っている。お前はあの子の夫として、眷属に、家族になればよい。ならばたちどころにそんな呪いなど解けてしまうだろうよ」
その姿に変わったのが何よりの証だと女神は笑った。死に追い込む程の穢れが呪いとして中和され、更に薄められた今の姿を指し、十年前、あの子が移した魂の一部がよく馴染んでいる――と。
――もし、どうしようもならなくなったら……
たゆたう意識の中で、ボンヤリと卯槌が評していた言葉を思い出す。彼は偏屈や頑固だと言っていたが、良からしたら突飛で風変わりな方だと思った。最も神を名乗り、神を背負っているのだ。癖のある豪胆な者にしか務まらないだろうと結論を付けつつも、結局自分の抱える問題は解決しないままだった。そもそも無茶を言う。仮に提案された方法で呪いを解こうとしても真琴は人の世だ。もちろん、一華もだ。
――わたしも連れて行ってください。
聞けば一華は父親を亡くしたばかりだというのに、青柳――男の特徴から、安曇は青柳だと判断した――に脅されていたのだという。足手纏いとは言いたく無かったが、断った彼女は悔しそうに唇を噛み締めていた。だが、彼女を連れて来なかった一番の理由は、これ以上傷ついて欲しくなかったからだ。もう泣いて欲しくなど無かった。
雨の中で泣いている姿が今でも目に浮かぶ。やはり女が泣いている姿を見るのは好きじゃない。と、なぜか一華の事ばかり考え続ける自分を不思議に思ったが、妹と重ねたからだろうと結論づけた。
それに、自分の好みは――。
近くで苦しそうな息遣いが聞こえる。遠ざかっていた感覚が戻ってきたようで、ぬくもりと、揺れを感じた。目を開くと、再びドブ底のような世界が広がっていた。至る所に形成された水たまりと、ぬかるんで腐敗した台地からは異臭が漂っている。
「卯槌……そうだ、あいつは!?」
一番最後に見た友人の光景――彼は奥方を人質に取られ、苦戦していたハズだ。
「卯槌さんの、お嫁さん、を、守護の方が、救出、ハッ、しましたから、大丈夫、です。あの場に、良さんが、いた方が、危険ですから、お連れしまし、た」
頭上から降ってきた声に顔を上げると、見知らぬ女が息を切らせていた。自分は今、走る彼女に抱かれて運ばれているらしい。
「しかし、あいつ一人では……」
「それも、大丈夫です……ハァ」
大きな水たまりを通り過ぎたところで、女が止まった。
「卯槌さんには、彼が……わたしの父の、一番弟子がついていますから」
女は良を見ることなく、水たまりを睨み付けている。
「真琴は、成り切ったら口調まで変える完璧主義者の癖に、変なところで抜けている、どうしようもないバカなナルシストですけど、それなりに頼りになるんですよ」
(彼? ……真琴?)
事情を知らない良が首を傾げていると、目の前の、淀みきった底無し沼のような水溜まりから、ポコポコといくつもの塊が浮かび上がってきた。拳サイズのそれは、褐色や黒、緑といった色合いの――。
「蝦蟇!? 青柳の配下か!」
彼女はコレらから逃げていたのか、と理解すると共に、みるみる数を増してゆく蝦蟇たちに対抗しようと、良は身体を乗り出した。が、すぐに女の腕の中に引き戻された。
「大丈夫です、あなたはわたしが守ります。これらが一箇所に集まる機会を待ってました」
と、懐から取り出した、タバコの箱より一回り大きな黒い箱にスイッチを入れ、ポイッと水溜りに投げた。バチッと大きく弾ける音と共に水柱が立った。ぷかりと腹を出して浮かび上がる蝦蟇達。良は目を見張った。女を見ると、なぜか彼女まで驚いた顔をしている。
「防犯用のスタンガンを少し改造したとは聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした……まったくもう、兄さんったら……」
ハァ、と溜息をつく女の顔に見覚えがある気がした。
「一華、か?」
「え? 気づいてなかったんですか? ちょっと格好が変わっただけですのに」
「ちょっとっていうレベルじゃないぞ……」
唖然と彼女を見る。蝦蟇達から逃げる時に少し汚れてしまったようだが、淡いクリーム地に、四季折々の花が散りばめられた艶やかな着物を纏っている。それは彼女の黒髪に映えて、よく似合っていた。
何よりその目だ。施された化粧――漆黒のアイラインと目尻に置かれた紅が、切れ長の、凛とした目を一層引き立てている。それは強い意志を宿した瞳と相まって――。
――おれの好みは、出るところが出た、キリッとした目の、色っぽい美人だが。
かつての戯言がよぎったので、慌てて頭を振った。
「いや、守るというが、きみは女の子じゃないか」
焦りを誤魔化すかのように言葉尻を掴むと、一華はきょとんとした顔をした。
「パンダのぬいぐるみが何を言うんです?」
「ぐっ……」
図星なだけに何も言えない。今の良より、一華の方が余程役に立つのは、先程の蝦蟇退治で実証済みだ。
「良さんが役立たずなのは今更です」
――ずっと待ってたけど、役立たずの良しか来なかった!
なぜか、甲高い少女の声と重なった気がした。
――元気になる? また会える?
「それに人の顔は覚えていないし、約束も忘れちゃうし、勝手に人を守って怪我して死にかけて……ほんと最低ですよね」
一華は溜息混じりに不平不満を並べ立てた。
「それでも、まぁ、どんな形でも会いに来てくれたのでよしとします。だけど、今回は大人しく守られてくださいね」
と、腕の中の良に優しく微笑みかけた。
良は頭に響く幻聴と相まって、呆然と彼女を見上げるしか出来ないでいた。もしかしたら自分は、とんでもない勘違いをしていたのではないのか?
良が混乱を持て余して、彼女から目を離せないでいるというのに、一華の視線は良をすり抜けていった。
「わたしはここへ、嫌いな蝦蟇と遊びに来たんじゃないんです。目的の一つである納品は終わらせました。さっきのであちらの蝦蟇も多少は減ったでしょうし、あとは……」
目前に迫る屋敷を見据えた。
「兄さんを……わたしの家族を、迎えに行くだけです」




