12 御神体
付喪神は九十九神とも書き、語源は九十九髪に由来する。九十九は百から一を取った白となる事から、白髪を転じて年経た古いものを意味する言葉となった。
「でしゅから、ボクらはかみしゃまなんでしゅよ? おそれうやまいひざまづくでしゅ。あがめるでしゅ。たてまつれでしゅ」
「一体どこの皇帝様よ。それにこの子だって同じ付喪神なんだから立場は同じでしょ」
市松人形は御所人形にメッと可愛らしい注意をしたあと、良に向き直った。
「それにしても、ぬいぐるみのお仲間なんて初めて見たわ。新しそうに見えるけど……。ねぇ、あなたの生まれはいつ? アタシは明治の初期よ」
と、市松人形が生まれを振ると、
「拙者は元治の生まれだ。源氏だけにな」
「ボクはてんぽうでしゅ!」
他の二体も次々に自分の生まれを言い始めた。付喪神ならではの自己紹介なのかもしれない。途中、義経人形が自信満々にダジャレを披露したが、取り合う者はいなかった。
「おれは元禄だ」
「「「元禄!?」」」
三体は揃って目を丸めた。江戸時代末期の天保と元治の品が現存しているだけでも博物館行きだというのに、元禄ともなると江戸時代中期の品だ。
余談であるが、朝霧家は代々続く人形師の家系ゆえか、当時のまま扱われる彼らは実に贅沢な遊び相手といえた。
「うそでしゅ!」
坊は直ちに否定した。パンダのぬいぐるみが江戸時代にあるはずがない。
「あ、そうだな。おれは昭和二十年生まれになっていたんだ」
慌てて訂正したパンダに、三体はいぶかしみの視線を向けた。思考はカチリと一致した。
(ほらふきでしゅ……)
(もしくは覚醒したばかりで記憶があやふやなのだろう、不憫よの)
(昭和二十年っていったら、修司の生まれた年だったわね)
どちらにせよ、天寿を全うしたと言っていい修司と同じ年であるのなら、それなりに年経たぬいぐるみなのだろう。
「入りますよ」
「ん?」
スっと障子が開かれる音がした。良がそちらを見れば、雨の中で泣いていた少女がいた。
「君は……」
彼女が人形たちが話していた一華という少女なのだろうか。確認を取るため振り返ると、
「あれ?」
先程まで騒いでいた彼らは、普通の人形となんら変わりなく元の場所に収まっている。もしや、パンダになったことも、人形が動き出したことも夢だったのでは――。
「お目覚めになったんですね」
「え、あ?」
と思ったが、ヒョイっと簡単に、大柄な自分が持ち上げられてしまった。残念ながら、夢ではなかった。自分の身体は未だモフモフのパンダのぬいぐるみだ。
「君は、その、なぜおれがこんな姿になっているのか、分かるか?」
身体のあちこちを調べ始めた少女に尋ねた。少女は少し考え込む仕草を見せた。
「見たままを言いますと、戻ってきたあなたは蝦蟇の姿でした。驚いたわたしは少し……いえ、思いきり平手打ちにしてしまったんです。すみません、蝦蟇は苦手なもので……。そのあと一瞬だけ人の姿に戻ったんですが、暫くして今度はその姿になりました」
「……どういう原理だ?」
良が首をひねると、少女もひねった。
「原理はよく分かりません。でも、わたしにも責任があると思いましたから、家に連れ帰りました。意識を失ってましたので身体を拭いて、この客間でお休み頂いていたんです。縫い目が裂けたり、破れたりなどはなさそうですが、どこか痛むところはありますか?」
「それは大丈夫だ。ありがとう、お嬢さん」
このような姿になった原因は分からないが、介抱して貰ったのなら礼を言うべきだろう。そういえば、布団に寝かされていたようだしと、良は自分を抱き上げる少女に礼を言った。
「わたし、朝霧一華といいます。年はもうすぐ十六で、人形師をしています」
お嬢さんと呼ばれたのが気に食わなかったのか、少女は自己紹介を始めた。そういえば、自分も名乗っていない。
「そうか、おれの事は良と呼んでくれ」
パチリと瞬きをした少女は、少し間を置いて、
「良さんとお呼びしてもいいですか?」
呼び方の許可を求めてきた。
「ああ」
「良さん、痛みはないんですね?」
「ああ」
「では、お風呂に入って貰いますね」
「ああ…………あ?」
良を抱いて立ち上がった少女は、縁側へ移動した。そこには湯の張られた洗面器と、いくつかの洗剤が用意されていた。
「お腹のこの部分、シミになってしまいましたね。綺麗にしましょう」
「いや、これは……おおっ、くすぐったい!」
一華の指したシミは、斬られた時に出来た傷跡だ。ぬいぐるみになった為にシミのように見えるが、落ちるはずがない。だが、断りを入れる間もなく、一華は良の腹に洗剤を染み込ませたタオルを押し付けた。ポンポンと叩かれる。場所が脇腹だけに、くすぐったくて仕様がない。
「ジッとしてください。すぐに済みますから」
身をよじる良を強引に押さえつけた一華は、今度は洗面器の湯に浸けた。
「や、やめてくれ! は、ははははは!」
腹をくすぐられたパンダは大いに悶えた。彼女が触れるどこもかしこもがムズムズとした感覚を呼び、たまらず大声で笑い続けた。
「お疲れ様でした。綺麗になりましたよ」
そうこうしているうちに、丁寧にタオルドライされ、ドライヤーまで掛けてもらった良はすっかり綺麗になっていた。消えないと思っていたシミまで消えている。
「ああ……ありがとう」
だがそれは、笑いすぎてぐったりしたパンダの一丁上がり、でもあった。
「……良さんって、何者なんですか?」
疲れ果てた良は、気づけば一華の膝の上に寝かされ、頭を撫でられていた。柔らかな感触が心地よく、ウトウトしそうになりながら、回らない頭を何とか回す。
イキナリ目の前で姿を変えたら誰だって驚くだろう。
「おれは眠り王子なんだ」
「意味が分かりません」
彼女はごく普通の少女だ。鬼だと言っても理解できないと考えての発言だったが、選択をミスったらしい。
「うーん、ちょっと事情があってな。つい先日まで眠っていたんだ」
「どれくらいですか?」
「十年かな」
「そうですか……、それは眠り王子ですね」
冗談だと思っているんだろうな、と彼女を見上げると、赤い顔を隠すように眼鏡をかけ直していた。
「あの、昼間は乱暴してしまってすみませんでした。あと、わたしが言った変な事は忘れてください」
――わたしと結婚してください。
彼女にプロポーズされた事を思い出して苦笑した。パンダの姿なのでコミカルに笑っているように見えたのか、一華は益々顔を赤くした。
――わたしも、助けて……ください。
気にするな、と言おうとして「助けて」と言われた言葉が脳裏をよぎった。一緒に、雨の中の悲痛な泣き声も耳に蘇ってくる。途端、なぜそんな事を言いだしたのか、辛抱強く聞いてやればよかったと自責の念に駆られた。
「何か困っている事があるんじゃないのか? おれでよければ……」
力になると言いかけて、ハタと気付いた。「今はパンダだが」と小声で付け加える。
「ありがとうございます。その気持ちだけで十分です。だから……逃げずにきちんと向き合ってみようと思います」
あの時、良は困難から逃げるなと彼女を説得した。それを汲み取ってくれた、と嬉しくもあったが、パンダでは当てにならないと思われたのかもしれない。そりゃそうだよな、と若干落ち込む良に少女はふわりと笑った。
「はやく元の姿に戻れるといいですね」
「…………ああ」
微笑む彼女は、昼間とは全く違って見えた。人形ではない。間違いなく人間だと、馬鹿みたいな事を思った。
相変わらず雨が降り続いていた。だがそれより気になるのが、ひっきりなしに起こる地震だ。とはいえこうも頻繁だと、程度の小さいものは気にならなくなってしまった。一華も気にした風もなく、居間でパラパラと本をめくっている。父親の本らしい。
何もする事がない良はテレビを見ていた。画面の中では最近ブレイクしている芸人がネタを披露している。客席から爆笑が聞こえるが、良はちっとも笑う気になれなかった。
頭は別事を考えていた。桃園でなら元に戻る術が見つかるかもしれない。その為には門がある神社に行かなければならないが、ぬいぐるみ姿で雨天を行くのは厳しい。雨水を吸った重い体で巫女の少女をすり抜けるには――とシュミレーションした結果、大人しく雨が上がるのを待つ事に決めた。しかし、ちっとも止まない雨にヤキモキする内に、一日を終えてしまった。
一華はいつまで居てもいいと言ってくれた。だが、若い娘一人の家に……いや、今はパンダなのだから、と良は妙な葛藤を抱える羽目になった。それに引き換え、一華は今更パンダのぬいぐるみが増えた所で気にもならないのか、昼間は仕事があると言って作業場に引き篭り、ようやく出てきたと思ったら、今度は本の山との睨めっこだ。
真剣な様子に――流石に夕飯を食べながら読んでいたのは注意したが――暇だから構ってくれとは言えず、またボーっとテレビを眺めていると、
「たのもう!!」
夜も遅いというのに客が来た。すぐに一華が玄関に向かった。
「……何の御用ですか?」
不機嫌な声を不思議に思って柱の影から覗き込むと、神社で良を祓おうとした巫女――真琴がいた。
良は目を丸めた。訪ねてきた真琴に対してもだが、一華の態度にもだ。やや感情の起伏が乏しい大人しい少女、との印象を持っていただけに、その態度に疑問を覚えた。二人はまるで不倶戴天の敵のように睨み合っている。
「ちょっといい? 仕事の話」
「分かりました。どうぞ上がってください」
しかし、仕事となると話は別らしい。
「すぐ済むからここでいいわ。半年前、定期チェックで御神体を見て貰ったわよね」
「ええ、何か問題でもありました?」
立花神社では御神体に人形を祀っている。その歴史は古くはなく、まだ百年程しかない。当時の宮司の夢枕で神が命じたからという理由で、朝霧の先祖が人形を作って奉じた。以来、朝霧の人形師が御神体をメンテナンスする役目を担っている。とはいえ、その仕事は年に一度しかない。そもそも神様の依代である御神体は、寺院の御本尊のように公開するといった概念がないものだから、ずっと仕舞っておくのだ。メンテナンスと言っても、虫干しの意味合いが強かった。
「…………無かったのよ」
「無かった? どういうことですか?」
「もうじき桃花祭だから、念入りに本殿を清めていたのよ。その時、御神体を収めた櫃を移動したんだけど軽くて……それで中を確かめたら………」
「でもあれには鍵が付いていましたよね?」
驚く一華に、真琴は眉間にシワを寄せた。
「あんたも知ってる通り、御神体を盗もうとした罰当たりがいた教訓から、厳重な鍵を付けてたわ。櫃にも本殿にもね。鍵は外されることなく掛かっていたのよ……。鍵の場所を知っているあんたなら何か知ってるんじゃないかと思ったけど、その様子なら違うみたいね」
邪魔したわね、と出ていこうとする真琴に一華が待ったを掛けた。
「あなたはこの町に何が起こっているのか知ってますか? 地震も、雨も、原因不明の病も、おかしいと思いませんか?」




