11 付喪神
奇妙な客は一方的な約束を取り付けて帰っていった。祝いの品として押し付けられた品も奇妙だった。つづらの中には雛人形の女雛が収められていた。地方によっては嫁入り道具として用意されるので、特別おかしい品でもない。だがそれは新しい品であった場合だ。先祖代々の品が受け継がれるという例外はあるものの、そもそも雛人形は身代わりとしての厄払いが起源であるから、基本は一人一飾り、つまり新しい品を用意するのが普通だ。
その雛人形は、やけに古めかしい品だった。しかも女雛だけ。手にとった一華は、年季が入っていながらも、ひどく立派なソレに、不思議な既視感を覚えた。
もっとよく見ようと人形に顔を近づける。人形が持つ扇が鼻の頭を掠めた。それを見た千紘は、強制的に自分の方へ向き直らせた。
「さっきの話だけど、思い切って転校してみるのはどうかな? 隣県に君が興味を示していた美術学校があったね。学生寮もあったし……そうだね、そこがいい。荷物は後で送るから先に行ってて。学校には僕が話を通しておくから」
まるで今すぐ逃げろ、と言っているようだ。一華は目を丸めた。
「急にどうしたんです? さっきの変な人なら気にしなければいいじゃないですか。また来ても取り合わなければ……」
千紘は一華の左目にそっと手を寄せた。
「痛むかい?」
「え、いえ……大丈夫です」
目が痛んだのは少しの間だけで、痛みが消えると何でもないように思われた。病院へ行こうと言う千紘を説き伏せたのはついさっきだ。しかし千紘は、難しい顔をして、問題が無い右目の上に手を置いた。
「兄さん?」
途端、世界が霞んだ。輪郭がぼやける千紘に向かって手を伸ばすと、陶器のように滑らかな手に掴まれた。
「それじゃ危なっかしいね。少し待ってて」
席を立った千紘は、修司の部屋から取ってきた眼鏡を弄って差し出した。
「これでどうだい?」
眼鏡をかけた一華は、眼前で心配げな顔をしている千紘に微笑んだ。
「兄さんは、いつ見ても美人ですね」
軽口を叩くと「それはどうも」と気安い返事が帰って来た。兄が心配してくれ、父が守ってくれる。嬉しくて……でもやっぱり、寂しい。だけど、これ以上心配をかけたくない。涙を見せないように、鼻の奥の痺れを紛らわせようと奥歯を噛み締めた。
そんな一華を見た千紘は、痛みを我慢していると思ったのだろうか、酷く悲しげな顔をした。
「僕はね、君が家業を継ぐ必要はないと思っているんだ。君はまだ高校生じゃないか。無理に十和子ちゃんの跡を継がなくても、他の道を探してもいいんだよ? あの事は、君にとってそんなに忌まわしいことかい?」
一華は顔を伏せた。
「違います。わたしはお母さんが好きで……この仕事も、好きだから……」
「スランプだからって、学校を止めようとしている時点で無理をしているんだよ。そうやって、これからもずっと自分を犠牲にしていくのかい? キツイ言い方をするとね、義務感や罪悪感が原動力の半端な気持ちじゃ大した仕事は出来ないんだよ。そんな状態で続けられたら、仕事仲間の方も、君が手掛ける人形だって迷惑だ」
千紘は震え始めた一華の肩に手を置いた。
「修司くんの死は悲しいけれど、君の将来を考えるいい機会だと思うよ。君の言う通り、僕もそろそろ定職につこうと思う。もしかしたらこの町を出る事になるかもしれない」
だから一華も新しい場所で、他に目を向けてみたらいい、と締めくくった。
一華は呆然と千紘を見た。父、叔父、仕事、学校……今まで彼女を形作っていた当たり前のモノたちが、唐突に姿を変えようとしている。いや、姿を消そうとしているのだ。
だが一華には、それらを引き止めらる力などなかった。父の死は覆りもしない。千紘の将来にしたって、自分が定職に就けと言っていたくらいだ。自身の仕事に対する姿勢も、全く反論できなかった。
「わたし、せめて、もう一回だけでも、今の学校に行きたいです……」
それでも、打ち上げられ、空気の中で溺れる魚のようにパクパクと口を動かした結果、出てきたのは現状への未練だった。
「分かった。じゃあ、君が退学届けを出しておいで。新しい学校へは僕が手続きをしておくよ。……悪いけど、急用ができたから今から出かけてくる。明後日の夕方、隣県のホテルで待ち合わせよう。ホテルの場所は後からメールする。当面の荷造りをしておいで」
「………………はい」
だが結局、一華はこの町を離れなかった。学校へ出したのも、退学届ではなく休学届だ。
ずっと迷っていた。このまま何もかも放って、逃げ出していいのか、と。本心では仕事も学校も辞めたくなかったし、この町を去りたくなかったのだ。
それを証明するかのように、用意したボストンバッグには、生活用品ではなく、祝いの品として押し付けられた女雛を入れて学校へ行った。なぜそのようなことをしたのか自分でも不思議だ。あまりに見事な品だったからかもしれない。人形師の性か、女雛の痛んだ着物を取り換えたくなり、手持ちの裂地を一緒に詰めて登校したのだ。少しでも時間が出来たら、この子に合う柄を選びたい、と。
「結局、あなたに合いそうな裂地はみんなダメにしちゃいました。とっておきの金襴もあったのに……でも、あなたが無事で良かったです」
無意識に自身の身体で庇ったお蔭だろう。腕の中の女雛は優雅な笑みを称えている。良くやった、と言われた気がした。
「雨の中に出すなんて、本当にすみませんでした」
人形に向かって頭を下げるなんて滑稽だと感じながらも、一華は丁寧に謝った。この雛人形は、昔ながらの伝統技法で作られた桐塑人形だ。桐の木粉や生麩糊等で練りあげた物を固めた素材――天然の素材で作られている。日本人形は水気が厳禁というのは、一般常識であるというのに。一華は自分を恥じた。
「あなたは祖先の作なんですね」
頭を支える竹の首ぐしに、朝霧の銘が入っていた。
「わたしの元へやってくるなんて、どんな奇縁でしょうか…………あ、これは?」
じっくり人形を検分していた一華が見つけたのは、人形の懐に隠された、小さな卵だった。
* * *
薄暗い部屋の中で目を覚ました良は布団から跳ね起きた。夢だったのかと安堵の息を吐く。なぜか自分が蝦蟇になってしまう悪夢を見たからだ。
「まったく変な夢を見たもんだ……」
蛙は害虫を補食する益獣とされているが、自分が成るのは御免こうむりたい。虫しか食べられない人生は辛すぎる。と、自分の身体を見下ろしてホッとした。緑でも褐色でもない、ちゃんと真っ白な身体で――。
「ん? 真っ白?」
所々に黒い縁があるものの、やはり真っ白だ。少し汚れてはいるが、ものすごく手触りのいい身体。首を傾げた。やたら重く感じる頭を持ち上げ、近くにあった鏡を覗き込む。
「なんっだ、これはーーーー!!!」
そこには、目の周り、耳、四肢、両肩の毛は黒いが、他の部分は白くて尻尾が短い、笹を主食とする珍獣――もとい、パンダがいた。正しくはパンダのヌイグルミが。
「うるさいでしゅ、このしんいり! いちかのしごとのじゃまになるでしゅ!」
ポカリと殴られた。
「うおっ!」
声がした方に顔を向けたら、なぜか赤ん坊がいた。三頭身のふっくらとした赤ん坊で、良に負けない真っ白な肌をしている。もっとも、こちらは艶やかに磨き上げられた陶器のような肌だ。それを惜しげもなく晒し、赤い前掛けを身に付けている。
赤ん坊の存在にも驚いたが、声を上げた理由はその背後だ。沢山の顔がジッとこちらを見ている。と思ったらそれは人形だった。壁一面に作られた棚に、所狭しと人形が並べられている。ケースに入った古い日本人形もあれば、比較的新しいビニール製の人形もあったし、マトリョーシカのような、土産と推測されるものまであった。
(……?)
視線を感じた気がした。沢山の人形の一つ、オカッパ頭の市松人形が微笑んだ。気がした。おっとりした優しい顔で、下から二段目の棚にお行儀よく座っている。たまたま角度的に微笑んでいるように見えたのだろう。
「坊、暴力はよくないわ。新しい仲間なんだから仲良くしましょうよ」
人形が喋った。驚きのあまり、良の目は飛び出さんばかりだ。――実際は、パンダのつぶらな瞳がクリッと輝いただけであるが。
「うむ、拙者も同意見だ」
ガシャンと音を立てて、隅に座っていた、古めかしく、厳つい武者人形が立ち上がった。
「落ち着こう。こういう時は落ち着いたほうがいい。おれはまだ夢を見ているんだ。蝦蟇になった夢を見たり、白黒熊になる夢を見るなんて随分メルヘンな夢だ。そういえば、カンカンとランランはどうしているかな。物珍しさから一度だけ見に行ったが、行列が凄すぎて殆ど見れず終いだったなぁ……あんな大勢に見られて、珍獣も大変だ」
「ちんじゅうはおまえでしゅ」
「おれは珍獣じゃない!」
「あなた、最近になって目覚めた子? アタシ達は仲間よ。怖くないわ、どうどう」
「菊よ、それは馬の扱いだ。相手は熊だぞ」
「熊……」
「義経、かえって落ち込んじゃったわよ」
「ほっといたらいいでしゅ、しんいりだからってめんどうをみるひつようはないでしゅ」
「坊ったら、冷たいわね。もしかしてパンダだから焼いてるの? 一華がテレビの特集を熱心に見てた時、焼いてたもんね」
「パンダで、しかもぬいぐるみだ。こやつは坊の敵のようなものよ」
「ち、ちがいましゅ! べつにきゃらがかぶるなんておもってないでしゅよ! ボクはこうきなごしょにんぎょうでしゅからね!」
「また始まった……。坊の自慢は、御所人形の名のとおり、御所から下賜されて、公家のお姫様たちと遊んだことだもんね」
「そうでしゅ! だからいちかとあそぶのはボクのやくめでしゅ! たいりょうせいさんされた、やすものパンダのでるまくはないんでしゅよ!!」
「それなら、アタシだってそうよ。一緒に遊んだのはアタシの方が多いんだからね!」
「のびたかみでこわがられるといいでしゅ」
「髪が伸びるのは仕方ないのよ! 人毛を使ってるんだもの! 高級品なのよ!?」
「ふるくさいだけでしゅ」
「アンタだって十分古いくせにー!!」
いつの間にか、赤ん坊――よくよく見れば人形で、御所人形というらしい――と、市松人形とで、遊び相手ナンバーワンは自分だとの言い合いが始まった。
良は呆気にとられていた。人形たちが、動き、話し、感情をぶつけ合っている。まるで生きているようだと、驚きを隠せないでいた。
義経公をモデルとした武者人形が、手に持った太刀をカツンと床にぶつけた。
「お前たち、声が漏れるぞ。静かにせい」
二体はたちどころに動きを止た。どことなく落ち込んでいる様子に良は首を傾げたが、これ幸いと話しかけた。
「お前たちは、物の怪か?」
「物の怪なんて失礼ね。こんな可愛らしい物の怪がいるわけないわよ」
「そうでしゅ。ボクたちは、みたものがおもわずだきしめずにはいられない、ぷりちーぞくでしゅ。だからといってもののけじゃありましぇんから、めだるをわたしたりしょうかんされたりもしましぇんが」
「メダル? 召喚? なんの話だ?」
意味がわからなかったので聞き返してみると、坊は「こっちのはなしでしゅ」と誤魔化した。
「……ふむ、拙者らが何かと問われれば、見た通り、人形だと答える。だが、お主が欲しい回答は、拙者らの本質だろう?」
含みを持たせて義経人形はフフフと笑った。
「聞いたことはないか? 作られて百年経った道具には魂が宿る、と。拙者らは年経た人形の……付喪神さ」




