10 花嫁
時は少し遡る。
その日は雨だった。慌ただしくも始まってしまえば一つの強引な流れとなり、父の葬儀はあっけなく押し流されて終いを迎えた。
喪主を務め終えた一人娘の一華は、こわばっていた肩から力を抜き、縁側でぼんやりと降り続く雨を見ていた。制服のスカートから行儀悪く足が投げ出されている。しかしソレを嗜める父は、もういない。
「一華」
最後の客を送り終えた叔父が声を掛けた。
「弔問客はみんな帰ったよ」
「……はい、兄さん、どうもありがとうございました」
のろのろと姿勢を正して深く頭を下げた。彼がいなければ、満足に父を送り出すことが出来なかった。
「ううん……僕も修司くんには随分お世話になったからね」
二人の間に沈黙が落ちた。叔父である千紘は、亡くなった一華の母の弟だ。以来、父と、娘の一華、そして叔父の三人で暮らしてきた。母を亡くして気落ちする一家を、たんたんと流れる時が癒してゆき、かつての明るさを取り戻しつつあった。
その矢先、再び家族が一人減った。しかも一華にとっては、二親とも亡くしてしまった事になる。
千紘は魂が抜けてしまったかのような一華に、そっと羽織をかけた。
「僕は少し出てくるよ。暗くなる前には帰るつもりだから」
「はい……」
千紘が玄関を出ると、すすり泣く小さな声が聞こえた。ようやく泣いたかと溜息を吐いた。雨の日は関節が軋む。自分も年だなと、古びた身体を自嘲しながら、雨の中をゆっくり歩き始めた。
雨を受ける傘が、ひどく重く感じた。
「こんにちはー!」
ひとしきり泣いて重くなった瞼のまま、ぼうっと雨を見ていた一華を呼ぶ声があった。
「こんにちは! こんにちは! こんにちはー!!!」
大声で何度も連呼し続けている。これにはさすがに、自分の殻に閉じこもっていた一華も顔を上げ――驚きのあまり後ずさった。すぐ目の前には、笑顔の女性。長谷川静枝がいた。生前の父とも、一華とも交流のある、骨董屋の店主だ。
「一華ちゃん、こんにちは!」
「こ、こんにちは」
「ごめんね、遅れたわ。お焼香上げさせて貰ってもいい?」
「はい、父も喜ぶと思います。よろしくお願いします」
「ありがとね」
焼香のあと、一華が出したお茶を含んだ静枝は大きく息を吐いた。
「聞いてよ、一華ちゃん。今日は大変だったのよ……」
と、静枝はベラベラと葬儀に遅れた理由を話し始めた。揉めた商談に始まり、電車の遅延、乗り換えたタクシーを降りた途端、後ろから衝突されてしまったので放っておけず、救急車を呼んで付き添ったのだと事細かに話され、一華はその度に相槌をうった。
彼女は名前に静という字が入っている癖に、いつも賑やかだ。ハッキリした年齢は知らないものの、一華は亡くなった母の少し下あたりだろうと踏んでいる。女性にしては少し短い短髪がトレードマークの元気な女性だ。元気が過ぎるのが彼女の長所であり、短所でもあるのだが、父が亡くなったと一緒に滅入るでもなく話が出来るのは気が楽だった。
「それは大変でしたね」
「そうでしょう? 運転手さんは大丈夫だったんだけど、その後に病院で……」
喋り続けていた静枝が動きを止めた。一華もすぐに気がついた。
「今、揺れましたね」
「震度三くらい? 最近、多いわね」
「そうですね。これ位なら揺れていると分かりますが、分からない程小さな揺れを入れると、もっと頻繁に起きているそうです。……何かの前触れでしょうか」
「このあたりは断層なんて無かったハズよね。まさか桃瀬山が噴火するワケでもないでしょうし」
この頃ちょっと変よね、と静枝は外を見た。つられて一華も外を見ると、相変わらず雨が降り続いていた。
「春の長雨にしても長過ぎだわ。たまに止んでもお日様が顔を出さないから洗濯物が片付かなくて困ってるのよ。変な病気が流行ってるのも、この長雨のせいじゃない?」
「変な病気、ですか?」
「一華ちゃんは知らない? 学校では流行ってないんだ」
静江の話によると、ここ最近、同じ症例を訴える患者が増えたと病院で聞いたらしい。
「しばらく学校を休んでいたので……」
一華は修司が亡くなる数日前から休んでいた。静枝は自分の迂闊な発言に気が付いて「その病気だけどね」と慌てて話を戻した。
「心の病気みたいでさ。看護師さんに聞いたら、鬱病の一種だそうよ。何に対しても無気力になっちゃうんだって。やっぱり人間、お日様の光を浴びないと病気になっちゃうのね。だからね、今度晴れたら一緒に日光浴しようよ。お弁当持ってパーッとさ!」
「いいですね」と、一華は少し笑った。
「……あ、そういえば」
変なこと思い出した、と静枝はチラリと一華を見た。一華がどうしたのかと問うと、以前、修司に聞いた話を思い出したという。父の話だから遠慮しているのか、と静枝の配慮を感じながらも、素直に聞いてみたいと思ったので、教えてほしいと頼んだ。
「修司さんって、すごく博識だったじゃない? 一般的な事から、この町の歴史とか郷土の細かい話まで」
「父は社会科の教師でしたから。それに、史学を専攻していましたので、この町の歴史にも自然と興味が湧いたんでしょうね」
「実家は立花神社で、先々代の宮司もやってたって言ってたっけ。それも関係あったのかもね、あそこの神社も古臭い……じゃくて、歴史ある神社みたいだし」
「そうかもしれません。実家を出たと言っても全く交流が無くなった訳じゃなかったので」
一華の父は婿養子だった。家を継ぐ母と添い遂げるため、両親の反対を押し切って婿に入ったと聞いている。宮司は弟が引き継いだらしい。
「当時の婿養子って大恋愛だったんでしょうねぇ。落ち着いた人だったけど、人は見かけによらないわね。ご両親は一華ちゃんの前でもラブラブだったの?」
いくら故人とはいえ、自分の両親をからかわれると恥ずかしいらしい。薄ら顔を赤らめる一華を見た静枝は、ラブラブだったんだろうなぁ、と当たりを付けながら茶を啜った。
「その修司さんがね、以前この町の歴史を教えてくれたのよ。百年くらい前の話だったかな。それが今と同じじゃないかと思ってね」
「百年前も地震が多発してたんですか?」
「そうそう、でもそれだけじゃなくてね。長雨もそうだし、その時も病気が流行して沢山の人が倒れたらしいのよ。この地方だけの風土病として扱われたって言ってたかな?」
「地震と雨と、病気の流行ですか……」
「当時はけっこう人が亡くなったみたいだけど今回はそんな話は聞かないし、ただの偶然だと思うんだけどね」
「あれ、話声がすると思ったら静枝さん来てたんだ。いらっしゃい」
散歩から戻ってきた千紘が顔を見せた。
「お邪魔してるよ。今日は遅れてごめんね」
「気にしなくていいよ、来てくれただけで修司くんも喜んでるさ」
静枝は二人を見て、ンフフと独特の笑い方をした。一華と千紘が笑われた理由が分からずに首を傾げていると、
「あんた達、同じこと言ってる。やっぱり叔父と姪だね。そっくり!」
と笑った。
騒がしい嵐――静枝が帰ってから、一華と千紘は揃って大福を頬張っていた。千紘のお土産だ。出かけてくると言った手前、手ぶらで帰る訳もいかず、少し足を伸ばして一華の好物を買い求めてきたのだ。
「どうしたの?」
チラチラとこちらを見てくる一華に、千紘はお茶を啜りながら尋ねた。
「そっくり、って言われましたね」
「言われたねぇ。もしかして、はじめて言われたのかな?」
二人は叔父と姪の関係だが、外見は全く似ていない。千紘は一華の母・十和子の弟で、一華は父親似であったこともあり、少なくとも外見上で似ていると言われた事は無かった。
「一緒に住んでいると似てくるんでしょうか?」
「そうかもね、僕たち、家族だし?」
「……はい」
どこか嬉しそうな一華に千紘は笑みを浮かべた。
「ね、一華。これからの事だけど、君はどうするつもり?」
「わたし、これから仕事に専念したいと思っています。その為に学校を「ダメだよ」」
辞めたい、と言いかけたが、千紘が遮った。
「せめて高校は卒業しなくちゃ。一華が学校を辞めるなんて修司くんも十和子ちゃんも望んでないと思うよ。逆に仕事の方をちょっと休んだら? スランプなんでしょ?」
「清水さんに伺ったんですか?」
清水は先代から付き合いのある人形師だ。経験年数の差こそあるものの、協力して一つの人形を作り上げる仕事仲間という関係でもある。余談だが娘の由佳は、将来、保母さんになりたいのだとか。
「何となくそう思っただけ。なに? 何か言われた?」
「分業の担当分を持って行ったところ、これではダメだって、言われまして……。他の方達からも、今は休んだ方がいいと……」
「そっか。なら尚更さ、今まで頑張ってきた分、ゆっくり休めばいいんじゃない?」
気落ちする一華に対して、千紘は朗らかに笑った。
「出来ない時に無理して働く必要はないよ。というわけで、僕も暫く家でゆっくりするね。あ、家事は今までどおりするから」
「……兄さん」
都合よく話をすり替えられた一華は、低い声を出した。
――働いたら負けかな、って思うんだ。
幼い頃、大人になったら働くものだと教えられた一華は、働かない千紘を不思議に思って尋ねた事がある。その時の回答がコレだ。当時は意味が分からなかったが――偶々ソレを耳にした母が、キメ顔で言い放った千紘に教育的指導を施していたが――今思えばとても情けない主張だ。
とはいえ、全く働かないワケではない。思い出したように短期間の出稼ぎに出ては、驚く程の収入を抱えて戻ってくる。それゆえ彼は姉夫婦にパラサイトしていたとは言い切れず、しかも母が亡くなってからは、主夫として家のあれこれを切り盛りしてくれたのだから本当にありがたかった。一華が人形師の修行を頑張れたのは彼のお陰でもある。
だがこれはこれ、それはそれ。
「兄さんもいい加減、定職に就いて結婚でもしたらどうですか? いい歳なんですし」
「やだ、一華ちゃんったら静枝さんそっくり!」
「茶化さないでください」
「ウチってそんなに苦しいの?」
「お父さんと兄さんのお陰で、暫く遊んで暮らせるくらいの蓄えはありますが……」
「なら遊んだっていいじゃない。苦しくなったら僕がいっぱい稼いでくるから、一華は普通の女子高生をエンジョイしなよ。結婚は、そうだなぁ……君が結婚したら考えるよ」
「いつもそうやって誤魔化すんですから……。だいたい、兄さんは何のお仕事をされているんです?」
「なーいしょ」
千紘は乙女のように人差し指を口元に寄せた。男とは思えない綺麗な顔で、綺麗な笑みを向けられた一華は溜息をついた。またかわされてしまった。おそらく今回もこれ以上聞いても無駄だろう。そもそも一華は、彼の仕事もだが、正確な年齢すら知らない。母の弟なのだから、静枝くらいの歳だと踏んでいるが……二人共、外見もやることも気性も、全てが年齢不詳もいいところだ。
「くれぐれも自分の身を安売りしたり誘拐されたり、というのだけは止めてくださいね」
「やだ、一華ちゃんったら、僕のことそんな目で見てたの!?」
あくまで茶化してくる千紘に、一華は「もう、いいです」と疲れたように言った。
「ごめんください」
玄関から声がするので、二人は顔を上げた。僕が言ってくるよ、と千紘は軽やかに――というより、逃げる様に玄関に向かった。
「帰って下さい!」
ややあって、聞こえてきた大声に一華は飛び上がった。何事かと玄関に向かうと、千紘が客と揉めてるらしかった。
その客は、静枝のように遅れて来た者でも、忘れ物をして引き返してきた弔問客でもない。全く見覚がなく――正直、奇妙な客という印象を受けた。なぜなら、なぜか着ぐるみ姿なのだ。近所でイベントでもあって、その宣伝に来たのだろうかと一華は首を傾げた。
「話だけでも聞いてくれって」
「お断りします。お引き取りください!」
声からして男のようだ。先程から同じやり取りを繰り返し、千紘は困り果てていた。
「兄さん、もしかして、わたしを訪ねていらした方ですか?」
千紘に助け船を、という理由もあったが、見ず知らずの人間が訪ねてくる場合、十中八九が一華への客だった。営業かもしれないと思いながらも声をかけると、彼女に気付いた男が、人形師を呼んでくれと言った。一華は居住まいを正して頭を下げた。
「朝霧一華と申します。家業を継いで、人形師をしております」
男は舐めるように一華を見た。一華はまたか、と思いながら辛抱強く次の言葉を待った。同じような反応を返す者はこれまでもいた。年若い娘が朝霧の人形師を名乗るのが面白くないらしい。
「あんたがそうか。会えて光栄だ」
てっきり今回もガッカリして帰っていくと思っていたのに、男は握手を求めてきた。一華は高揚する気持ちを抑えてその手をとった。が、即座に払い除けた。触れられた場所から、沢山の虫が這い上がってくるような寒気を感じたのだ。すぐに謝ったのが幸いしたのか、男は気にした風もなく頷き、
「朝霧一華さん、頼みがあって来た」
と言った。一番に思い浮かんだのは人形制作の注文だ。朝霧家は代々人形制作を生業としており、それなりに名の知れた家であった。千紘はその道を選ばなかったが、一華は幼い頃からこの世界に憧れて教えを請い、望んで家業を引き継いだ。まだ若く、修行中の身ではあるが、経歴は十年を数える。先代に比べるとまだまだと言えるが、それでも他の職人達とチームを組んで行う分業制作に加えて貰えるようになったし、個人注文を受け、一から作り上げる仕事も手がけるようになった。
だが――。
「すみませんが……」
千紘に言われたからではないが、やはりしばらく仕事は控えようという気になっていた。気持ちの整理が出来ていない今、上手く作れる自信がない。おそらくこの客も、これまでの客と同様、朝霧の名を聞いて来たのだろう。申し訳ないが、つまらない品を作って、先代である母や、祖先の名を汚すより余程いい。
「今は仕事をお休みさせて頂いております。宜しければ他の職人をご紹介致しますので」
申し訳ない思いから深く頭を下げた。
男は大きく溜息を吐いて首を横に振った。
「頼みたいのはあんたの嫁入りだ」
「え?」
男はいつに間にか大きなつづらを玄関先に運び入れていた。
「祝いの品だ。納めてくれ」
「ちょっと待ってください。嫁入りって、どういうことですか?」
勝手に話を進めてゆく男に待ったを掛けた。
「この地の神を鎮めて欲しい」
「は?」
「多発する地震も、止まない雨も、神の怒りが原因だ。もはや花嫁を用意するしかないんだが……なに、あんたにもメリットはある」
「……はぁ」
しばし呆気に取られた。これは新手の、宗教の勧誘なのだろうか? 着ぐるみは、警戒を解いてもらう為の演出? そういえば駅前の教会のイベントで、風船を配るウサギの着ぐるみを見た覚えがある。花嫁、という大袈裟な言葉を使っているが、とどのつまり入信を促しているのかもしれない。
信じるものは救われる――と。
「あんたに与えられた役目は大変名誉なものだ。神の宴に招かれるんだからな。そこでは金も名誉も、不老不死さえ与えられる。あんたにとっても悪くない話だ」
男は無表情ながら滑らかな口ぶりだ。一華がどんな顔をしていようとお構いなしである。
「お話は分かりました」
一華は大きく嘆息した。よりによって父の葬儀を行った日に『神』とは。しかも不老不死? 冗談にも程がある。
「お引き取りください」
強く言い切った。一華は神を信じていない。二十一世紀の現代において時代遅れだと思われるし、神が人間に――父に、母に、何をしてくれたというのか。
「そうか。じゃあ輿入れの日にまた来るぜ」
一華はまだ言うか、と不快感を露わにしたが、男は気にするでもなく無表情な顔のまま――。
「一華!」
にゅっと手を伸ばしてきた。千紘が庇ったが一瞬遅かった。男の手が視界いっぱい広がったかと思うと、途端、左目に痛みが走った。
「神に嫁ぐ証として、目を貰おうと思ったんだがな。ククッ……」
初めて男から感情の篭った声が出た。ジクジクと痛む左目を抑えながら男を見ると、笑みを称えて一華を見下ろしている。
「これは約束の印に預かっておく。変な気は起こさない方が身のためだぞ」
男の手には紅いモノが見えたが、血ではない。煙のような、何かモヤモヤしたものだった。ソレが何だったのか、一華には分からなかった。男の正体が、果たして本当にただの宗教布教者だったのかも――。
ただ、左目が燃えるような痛みを訴えた。




