第六十一帖 姫様、恋を成就させる!
正月三日。
この日は、卑弥埜家において、毎年恒例の新年祝賀の儀が行われる日であった。
日本で古来から伝承されている神術だけに、年に一度、新年の祝賀を述べるため卑弥埜家に集うことは、神術使いの家では欠かすことのできない重要行事であった。
今年は、事前に当主交替の儀式も同時に行うことが通知されていたことから、日和の次期当主襲名披露宴の時よりも更に多くの神術使いの家の当主が集っていた。
卑弥埜家の正面玄関前には、黒塗り高級車が次から次に到着して、見渡す限り広い空き地に臨時に作られた駐車場は満杯になっていた。
また、遠くから来る者や富豪の家などでは、自家用ヘリコプターでやって来る者も多くいて、クリスマスパーティの時に使用した臨時ヘリポートがフル回転していた。
振り袖姿の日和は、自分の部屋の鏡台の前の椅子に座っていた。
その後ろには巫女装束姿の真夜が立って、日和の髪をアップに結い終わったところであった。
「綺麗な簪じゃな」
日和は、鏡に映っている自分の髪に刺された簪に見入った。
可憐な桜の花びらを模した珊瑚の飾りが、日和の金髪の中で淡い薄桃色に輝いていた。
「はい。これは百々様からお預かりしていた物でございます」
「お母様から? 初めて見たのじゃ」
「拙者も、今朝、伊与様から渡されました。おひい様が当主となった時のためにと、百々様が準備されていたようです」
「お母様は、そんな先のことまで考えておったのか?」
「ええ、この晴れの日を百々様もさぞかしご覧になりたかったでしょう」
真夜の言葉で、日和は涙ぐんでしまったが、一生懸命にこらえた。
「そ、そうじゃの」
「おひい様」
真夜は正座すると、三つ指を着き深々と座礼をした。
「このたびはおめでとうございます」
「何じゃ? 真夜とは堅苦しい挨拶など抜きじゃ」
「けじめでございます。おひい様の新しい人生が今日から始まるのですからな」
「……そうじゃな」
「春水殿、夏火殿、秋土殿、冬木殿も到着しております。ただ、当主クラスではないので、大広間でも最後尾に席を構えております」
「そうか。分かったのじゃ」
「おひい様」
真夜は正座したまま、厳しい目をして日和を見た。
「もう迷いはございませんね?」
「ない」
日和も目をそらすことなく、真夜を真っ直ぐに見た。
正殿の中にある五十畳の大広間に日本の神術使いの名だたる家の当主が、男性は羽織袴姿、女性は黒留袖姿で正座をして正面を向いていた。
その最前列には、四人の男性が等間隔で横に並んで正座していた。
卑弥埜家に次ぐ家格である四臣家の当主であった。
その当主達が見つめる大広間の正面には、上段の間が設けられ、背後には絢爛豪華な松の日本画が大きく描かれていた。
列席者達は、それぞれの場所でおしゃべりをしていたが、和太鼓がドンッと一回鳴り響くと、全員、上段の間を向き姿勢を正した。
まず、巫女装束の真夜が横の襖を開けて出て来て、上段の間の下で出入り口に近い場所に正座した。
「卑弥埜家当主卑弥埜日和様! 前当主卑弥埜伊与様! 御出座なさいます!」
真夜のよく通る声が大広間に響くと、杖をついた伊与の手を取った晴れ着姿の日和が出て来て、上段の間に上がった。
上段の間の少し奥まった所に置かれていた椅子に伊与を座らせると、日和は一人正面に進み出て、上段の間の真ん中に置かれていた豪華な座布団に正座した。
そのタイミングで真夜が手を付いて座礼をすると、列席者も一斉に座礼をした。
そして、顔を上げた列席者を日和はゆっくりと眺めた。
大広間を埋め尽くすように座っている当主達の前に、まるで振り袖を着たフランス人形のような日和がちょこんと座っているのは、ある意味、不思議な風景であった。
「これより新年祝賀の儀を執り行います! なお、その前に、列席者の方々にお知らせすべきことがございます!」
真夜が列席者に告げたが、もちろん、もう全員知っていることだ。
「本年元日、卑弥埜家第百二十二代当主卑弥埜伊与は健康面に不安があることから隠居をし、その孫娘である卑弥埜日和が卑弥埜家第百二十三代当主として就任いたしました。皆様方には度重なる出席はご負担になると思われること、そして、昨年の次期当主襲名披露宴で、卑弥埜日和のお披露目はさせていただいているとの判断のもと、この新年祝賀の儀の機会をとらえまして、新当主への正式襲名披露をさせていただくことをお許しください」
真夜がよく通る声で口上を述べた。
「前当主卑弥埜伊与より挨拶がございます」
真夜のアナウンスを受けて、伊与が座ったまま話し出した。
「まずは新年の祝賀を申し述べる。今年一年がご列席されておる当主及び家族にとって幸多い一年となられるよう祈念いたす」
列席者が揃って軽く頭を下げた。
「さて、さきほど案内があったとおり、元日をもって、儂は卑弥埜家当主の座を降ろさせてもらった。見てのとおり、足を怪我して一人で歩くこともままならぬ。それに、この歳じゃ。皆に迷惑を掛ける前に身を引くことにした」
伊与は、目をギロつかせて、大広間を見渡した。
「皆もご存じのとおり、新当主は、儂など比較にならぬほどの力を持っておる。そして、その力によって、長年、敵対関係にあった欧州魔法協会との和解をもぎ取った。日本の神術と欧州の魔法が融合するかもしれぬ時代となった」
伊与の声が、シーンと静まりかえったままの大広間に響いた。
「時代はどんどんと変わってきておる。古い考えに凝り固まった年寄りは早々に引退をした方が、世の中、上手くいくはずじゃ」
伊与は自嘲気味な微笑みを浮かべたが、すぐに真顔になった。
「しかし、新当主は、まだ年端もいかぬ小娘じゃ。当主としてふさわしくない行動を取ったり、皆に迷惑を掛けるやもしれぬ。そんな時はぜひ叱ってほしい。そして助けてほしい。皆で盛り上げてほしい。それが、最後に儂が皆に頼みたいことじゃ。よろしく頼む!」
伊与は椅子に座ったまま、頭を下げた。
列席者も一斉に頭を下げた。
「新当主の御挨拶は最後に申し述べることとして、これより、新年の賀詞交歓を執り行います」
真夜が最前列の四臣家の当主達に目で合図を送ると、四人は一斉に立ち上がり、上段の間のすぐ前に歩み寄り、また四人が横に並んで正座をした。
「新年おめでとうございます! 卑弥埜家の健やかな御発展をお祈りしております」
今の当主では一番年長の大伴家当主が代表して口上を述べると、四人が一斉に深く日和に座礼した。
その後、二列目以降に座っている列席者が、四、五人ずつ日和の前に進み出て正座をして、「新年おめでとうございます!」との挨拶とともに、深く座礼をする儀式が続いた。
その間、日和は、一点を見つめるように正面を向いたままであり、小柄ではあるが、威厳に満ちた存在感を放っていた。
次期当主襲名パーティの時に襲撃されても、それを難なく撃退し、欧州魔法協会に乗り込んでは、その理事長を一方的に打ち負かせた上、協会と和平を結んできた日和の実力は、神術使いの家の津々浦々に知れ渡っており、その事実だけでも、日和を大きく見せていたのだろう。
全員の挨拶が終わるのに二十分ほど掛かった。
春水、夏火、秋土、冬木の四人は最後尾に座っていたが、当主ではない身分で新年の祝賀を述べる資格はなかった。
最後に挨拶をした当主が席に戻るのを確認して、真夜が再び口を開いた。
「それでは続きまして、卑弥埜家当主卑弥埜日和から新年の挨拶をさせていただきます」
真夜が斜め後ろに首を回して、日和を見た。
日和は座ったまま、口を開いた。
「卑弥埜家第百二十三代当主を襲名した卑弥埜日和じゃ。本日は、新年を皆さんとともに祝うことができて喜ばしい限りじゃ」
日和の声は大きな声ではなかったが、会場が静まりかえっていることから、会場の隅から隅までその声がしっかりと聞こえた。
日和は、人前で話すことがあれだけ苦手であったにもかかわらず、自分でもびっくりするほど冷静であった。クラスや部活、そして四人との付き合いでいろんな経験をしてきて、日和がもともと持っていた当主としての資質が磨かれた結果であろう。
「皆の今年一年が幸多い一年になることを祈念する。本日は参集ごくろうじゃった!」
列席者が一斉に座礼をした。
もう押しも押されもせぬ卑弥埜家当主であった。
「では、新年祝賀の儀はこれにて終了いたしました。皆様、お疲れ様でした」
ここで卑弥埜家当主が退出するはずなのに、日和と伊与が座ったままであったので、列席者も何事かと訝しんだ。
「続きまして、新当主から同級生である大伴春水殿、蘇我夏火殿、葛城秋土殿、物部冬木殿にお話がございます。列席の皆様方にも関係のある話ですので、そのまま席で待機願います」
そんな話を聞いてなかった列席者達から低いどよめきが起きた。
最前列に座っていた四臣家の当主達は息子から話は聞いていただろうが、まさか、この席で話があるとは思っていなかったのであろう、明らかに動揺していた。
「大伴春水殿! 蘇我夏火殿! 葛城秋土殿! 物部冬木殿! 前に!」
真夜は座ったまま背伸びをするようにして大広間の後ろを見た。
大広間の最後尾に座っていた四人がすくっと立ち上がった。
四人とも耶麻臺学園神術学科の制服姿であった。
四人は、列席者の間を真っ直ぐに前に歩いて行き、それぞれの父親の前、日和のすぐに前に並んで正座した。
四人の父親も神妙な顔付きをしていた。
自分の息子が、もしかしたら卑弥埜家に婿として入ることになるかもしれないのだ。名誉なことであるとともに大変なことなのだ。
「列席者の皆さんにお伝えします! 今、当主の前に進み出てきた男子は、自ら当主の許嫁候補として名乗り出た者でございます」
真夜は列席者を見渡しながら言葉を続けた。
「四人とも当主と同じ耶麻臺学園高等部二年壱組の同級生であり、直ちに婚姻の議が執り行われることはございませんが、跡取りが現当主しかいないという卑弥埜家の将来をご心配されている方もいらっしゃると思いますゆえ、当主襲名披露の本日、皆様もいらっしゃる前で、当主自らが誰を許嫁にするのかを発表することに相成りました」
真夜は、列席者から最前列に横一列に正座している四人に視線を移した。
「それでは、皆さんから当主に伝えたいことがあれば、どうぞ」
四人が左右を見渡してからうなづきあうと、春水が深々と座礼をしてから、日和をまっすぐに仰ぎ見た。
「日和さんのお気持ちが決まったと真夜さんからお聞きしました。私達、四人とも覚悟はできています。日和さんが誰を選ばれようと、そのお気持ちを尊重して従います。そしてお約束します! 私達はみんな、これからも友人同士であると!」
父親も大伴家が四臣家を代表して挨拶したことと、春水の話し方がこの場面に一番向いていると判断されたから、春水が代表して口上を述べたのであろう。
それまでの威厳に満ちた表情から笑顔に変えて春水を見ていた日和は、夏火、秋土、冬木と順番に視線を移した。
四人とも日和の視線を一瞬たりとも見逃すまいと、真っ直ぐに日和を見つめていた。
いったん目を伏せた日和は、大きく肩を揺らして深呼吸をすると、前を向き、四人を見渡しながら口を開いた。
「まずは、そなたら四人にお礼を申し述べる」
穏やかな声であった。
「初めて学校に行き、慣れていないわらわを優しく導いてくれて、話し掛けてくれた。席が隣り合っていたからということもあるじゃろうが、四人の話は面白くて、わらわもその話の輪の中に入りたいと思った。本当にそう思った」
「……」
「四人がいてくれたからこそ、わらわは学校を楽しいと思えるようになった。教室では四人に、放課後は手芸部のみんなに、わらわは癒やされて、ここまで来ることができた。本当にありがとうなのじゃ」
「……」
「今、春水さんがみんなを代表して約束をしてくれたが、わらわもその約束を守る! わらわが選ばなかった人も、ずっと、わらわの大切な友達でいてほしい」
「御意!」
四人が一斉に座礼をした。
「……ありがとう……なのじゃ」
日和の頬に一筋の涙が流れた。
すかさず立ち上がった真夜が日和の隣にひざまづき、懐から出したハンカチで優しく日和の涙を拭いた。
そして、日和の顔をのぞき込むようにして「大丈夫ですか?」と声に出さず、表情のみで尋ねたが、日和には真夜の気持ちが伝わってきて、真夜の顔を見ながら、ゆっくりとうなづいた。
穏やかに微笑んだ真夜がもともと座っていた場所まで下がると、日和はしっかりと前を向いた。
迷いも気負いもない、その日和の表情を確認した真夜が大広間を見渡しながら告げた。
「皆様、頭を下げられよ!」
春水、夏火、秋土、冬木のみならず、列席者全員が手を畳に着いて頭を下げた。
日和は、ゆっくりと立ち上がり、上段の間を降りて、四人の前に立った。
「先ほども言ったとおり、そなたら四人は、わらわの大切な友人じゃ。しかし、この四人の中で、もっともっと仲良くなりたい人が一人おる」
「……」
頭を下げたままの四人は無言で日和の話を聞いていた。
「自分ではすごく悩むと思っておったのじゃが、答えは意外とすんなりと出た。なぜなら、その人の顔がいつも頭に浮かぶのじゃ。その人と友達のままで良いのかと自問したら胸が痛くなったのじゃ。このまま友達のままでは嫌じゃと心が叫んでいたのじゃ」
「……」
「学校だけでなく、いつもその人の側にいたいと思ったのじゃ」
真夜も穏やかな顔で四人を見つめていた。日和が出した結論に反対することなどあろうはずもなかった。
「わらわがいつも一緒にいたいのは」
日和はゆっくりと足を進めて、並んで座礼をしている四人のうち一人の前に、膝を突き合わすように正座した。
そして、「その人」が畳に着いている手に自分の手を重ねた。
「そなたじゃ」
「その人」はゆっくりと顔を上げた。
驚いた顔は、すぐに笑顔に変わった。
後の三人もすぐに顔を上げて、日和を見た。
悔しさがまったく出ていないというと嘘になる顔をしていたが、日和の出した結論に自分なりに納得をしたようで、三人から日和と「その人」に対して祝福の拍手が起きた。
大広間にパチパチと響いていた三人の拍手は、すぐに列席者全員の拍手となった。
日和は、自分が選んだ人を改めて見た。
嬉しそうなその笑顔は日和を幸せにしてくれた。
告白されて二か月ほどで出した結論であったが、間違っていないと言い切れた。
正座をし直して、日和の顔をしっかりと見た「その人」に、日和は三つ指を着いて深く座礼をした。
卑弥埜家当主が頭を下げたことで大広間にどよめきが起こった。
頭を上げた日和は、満面の笑みを「その人」にプレゼントした。
「これからもよろしくお願いするのじゃ」
「その人」も日和がいつも見たいと思っていた微笑みを返してくれた。
「わらわ達はまだ高校生じゃ。時間はある。これから、いっぱい恋をしようぞ!」
姫様だけど、普通の女子高生だし!
人見知りだけど、「その人」にはもう言いたいことが言えるし!
身長は伸びないけど、もう十六歳で幼女じゃないから!
わらわだって恋ができたのじゃ!
(完)
あなたは、日和ちゃんが誰を選んだと思いますか?
あなたが選んだ人、それが、日和ちゃんの選んだ人です!