6話…教育完了……?
「…………何書いてるのかさっぱり分からない」
「嘘だろ、お前」
ノエルはヒナミから本を数冊渡され、ページをパラパラとめくっていくが、何を書かれているのか分からない。
以前からノエルの部屋にある公用語の本とは違い、1文1文が短いのは分かる。
絵も描いてある。
明らかに、難易度が違う。
しかし分かるのはそれだけだ。
何を書いてあるのか、さっぱり分からない。
「……公用語の本を見たことは?」
「ある。部屋にあるから」
「読めるか?」
「……読めない」
「1文字も?」
「……ごめん」
ヒナミは頭を抱える。
「リリアーナから本の難易度まで聞いておくんだったな……」
「えっ?リリアーナ嬢?」
どうしてここでリリアーナ嬢の名前が出るんだ?
ノエルが不思議に思っているのを察したのか、ヒナミが言う。
「公用語の勉強法をリリアーナに聞きに行ってたんだよ。児童書を読んで学んだと言っていたから、その方法を試そうとしたんだが……」
「……」
……気まずい。いや、分からないノエルが悪いとは理解しているが、この状況は気まずい。
気まずい空気の中、ヒナミは立ち上がる。
「まずは読むか」
「だから読めないって」
「分かってる。だから、読むから聞け」
「え?」
ヒナミはノエルに渡した公用語の本のうちの1冊を手に取り、ノエルの隣りに行き、ページを開く。
「……何これ。小さい子じゃないんだけど」
まるで親が幼子に本の読み聞かせをするような体勢になった。
「文字をいきなり読めと言われて読めない。だから、まずは聞くところから始めろ。どこを読んでいるのか指でなぞるから、目で追え。寝るなよ」
「わ、分かった」
聞いたことがない言葉をヒナミが口にする。
……意味が分からない。
どこを読んでいるのかは指でなぞられていくから分かるが、言葉の意味が分からなかった。
見開き1ページを読み終え、ヒナミが本から視線をはずす。
「聞いてたか?」
「聞いてた」
「意味は?」
「……分からない」
「意味はこうだ。『たくさんの荷物を持ち、大佐の元へ向かう。きっと時間に厳しい人だ。遅刻は許されない。鳴き声が聞こえ、橋の下を見る。猫が1匹、川に流されそうになっていた』」
「大変な状況だ」
「そう書いていたんだ」
「……」
ヒナミが読んだときは意味が分からなかったのに、意味を知ると簡単な内容だと理解した。
きっと文字を習い始めた人にとっては、読みやすい文章なんだろう。
「意味は分かったな。同じところをもう一度読むから、きちんと聞け。今度はお前にも読ますぞ」
*
「だいぶ読めるようになったな」
ヒナミが伸びをしながら言う。
朝から読み始めたものなのに、外を見ると辺りは暗くなっていた。
食事を忘れるほど、本を読んだのは初めてだ。
ヒナミが文字を指でなぞりながら読み、それを聞く。意味を想像して答える。正しい訳を教えてもらう。そして同じところをもう一度ヒナミに読んでもらう。ノエルがたどたどしく繰り返し言う。
普通なら嫌になってもおかしくない反復練習だが、本の内容がおもしろく、気にならなかった。
でも。
「俺、言葉を覚えて言ってるだけで、読んでないと思うんだけど意味あるの?」
「ある」
「……どうしてそう言いきれるの?」
「誰しも最初から言葉を全部理解してるわけじゃない。母国語だってそうだろ。幼子も最初は言葉の意味を知らない。親の言葉を真似て、少しずつ意味を知る。そして同じ言葉に再び出会う。自然に覚えていくんだ」
「……」
「それに、本を半分くらい読んだところで、意味を推測できるようになっていただろう。さっきも同じ単語が出た。そう思ったんじゃないか?」
……そうか。
実感は無かったけど、思い返せば確かに次のページへ進む速度が上がっていた。
「まだやる気があるなら、寝る前にでも新しい本か、今日読んだ本をお前1人で読んでおくんだな。明日は午前中で切り上げて、ダンスするからな」
そういえばダンスの練習していなかったな。
本を読んで、身体が凝り固まってしまったし、寝る前に少しぐらい踊っておこう。
ノエルは教えてもらったリズムを口ずさみながら、1人ステップを踏んだ。
*
「ある程度ダンスにも慣れたよな。今日はダンスをしながら昨日の本の内容を話せ」
「……難しい」
ヒナミはため息をついて言う。
「お前な、1、2、3、1、2、3と言いながらダンスをするのか?リリアーナとも?ダンスの間、全く喋らないのか?」
「……確かに」
「俺がリズムをとるから、1人で話せ。返事を聞かなくてもいい。反応も気にしなくてもいい。ただ、リズムを意識しながら話をすればいいだけだ」
簡単に言ってくれる。
「えーと、……」
足が止まる。
「口も足も動かせ」
どうしてもリズムを意識してしまう。
「荷物を、持って、大佐の、家へ」
「おもしろいが言葉でリズムを刻むな」
反応を気にしなくてもいいと言ったくせに、文句ばかりだ。
正直、イラッとしてしまう。
いろいろ教えてもらっている立場だとは分かっているけど……。
ノエルは足を止める。
「どうした?」
ヒナミは首を傾げ、ノエルの言葉を待つ。
「……手本を見せて」
「は?」
「簡単そうに言うじゃん。簡単にできること証明してよ」
「……なるほど。一理ある」
ノエルの不満げな態度が言葉に出ていたんだろう。
ピリッと空気が変わったのを感じる。
もしかして、怒らせた……?
ノエルはおそるおそるヒナミの表情を見るが、一見分からなかった。
ヒナミがダンスの始まりのステップを踏もうと足を伸ばす。
慌ててノエルはついていく。
「正直に言う。お前がここまで頑張るとは思わなかった」
「え、えっ?」
ヒナミの言葉を一瞬、理解が出来なかった。
……そうか。手本を見せろと要求するということは、ヒナミの話を聞きながら一緒に踊るということか!
ヒナミの言葉に意識を向けながら、ノエルはステップをかろうじて踏んでいく。
「今までのお前なら、手本を見せろと言うことも無かったし、一度の挨拶の失敗でやめていただろう。教えているから分かるが、お前はえらいよ」
「……」
ずるい。
ノエルが上手く言葉が出てこないことをいいことに、言いたいことを言う。
しかも叱りではなく、褒め言葉を。
……何でこんな兄が、まだ結婚してないんだろう。
「何で結婚しないの?」
ヒナミの表情が変わる。
……言ってはいけなかった?
ノエルは不安に思ったが、ヒナミは言葉を続ける。
「相手が良い返事をくれないんだ。結婚は1人では出来ないだろう」
「当主から反対されてるとか」
「相手のお父様は……、良くは思ってくれているはずだ」
「じゃあ……何で?」
「令嬢本人から『私より大事な人がいる人とは結婚出来ない』と言われるんだ」
「浮気してんの!?」
「するか!」
ヒナミは吹き出して笑っている。
重くない事情なのか……?
「婚約もまだ?」
「令嬢が『結婚出来ない』と言ってるんだ。お父様も首を縦に振らないだろう」
「ふーん……?あれ、けど、結婚って家同士の繋がりだよね?」
「そうだな」
「じゃあ、何で?」
「結婚しても何も変わらないからな」
「つまり?」
「……恋をしてると言えば満足か?」
「へ、へー……、そ、そうなんだ……」
ヒナミの顔を見ると、ほんのりと耳が赤くなっている。
……意外だ。ヒナミは飄々と何でもこなすように見えたのに。
「……踊れているな」
「えっ」
言われて気づく。
あれ、さっき俺、喋りながら踊っていた……?
しかも、リズムを誰も刻んでいなかったのに……。
「なるほど。作戦変更だ。リリアーナの話を聞け。それに答える形で会話をするんだ」
「それでいいの?」
「踊れているからいいんだよ」
「えぇ?」
「自覚した今も、踊れてるじゃないか」
……それでいいのか。
ダンスも、一度覚えてしまえば簡単なような気がしてきた。
話も話し始めることは難しいが、相手の言葉を聞いてそれに答えることはできそうだ。
「リリアーナに触れられたくない話題は無いと思うが、会話のやりとりには気をつけろよ」
「……分かってる」
「リリアーナが喋らなくても焦るな。その時はダンスを楽しめ」
「……いつもどんな話をしてるの?」
「俺?」
「そう」
「……言えない」
「意地悪しないで」
ヒナミの言葉が続かない。
おかしい。いつもならすぐに返ってくるのに。
しばらくの無言の後、ヒナミはぽつりと言った。
「……『どうして会いに来ないの』」
「……え?」
何?何て言った?
思わず聞き返してしまう。
「『王都に行くなんて嘘。私以外に好きな人でも出来たんでしょ!』『気を遣わなくても、声を掛けてきた令嬢と踊ってくれば!?』」
「……重い」
「え?」
ノエルの言葉にいつものヒナミに戻る。
……ヒナミの恋愛事情どうなっているんだ?
「何それ、どんな話をしたらそう責められるの?というか、相手絶対好きじゃん!」
「……そうだよ」
「は?」
まさかのヒナミの肯定の言葉に、変な声が出てしまった。
「そうは言っても、結婚出来ないと言われてしまえば、結婚出来ないんだよ」
「……」
「お前の好みのタイプは『年下の素直な方』だったか。令嬢本人がただ一言、「寂しいからそばにいて」と言ってくれれば――。……まあ、言わないか」
「……」
ダンスを踊りきり、ヒナミの手が離れる。
「……どうしてその令嬢なの?」
ヒナミは、出来が良く、面倒見がいい。
口調が荒い時もあるが、何も分からなかったノエルを放り出さず、勉強を教えてくれた。
そんなヒナミなら、もっと違う人を選んでもいいんじゃ……。
そう思ってしまう。
「猫みたいで可愛いだろ」
予想外のヒナミの言葉に呆気にとられる。
「……それだけ?」
「お前の方が結婚早いかもな」
何でもないことのように言うヒナミにこれ以上何も言えなかった。




