4話…男爵家の落ちこぼれ三男、教育のススメ
「いや、婚約者はさすがに話が飛躍しすぎだろ」
クラウス家からの帰り道、馬車の手綱を握る兄、ヒナミの横に座り、ノエルは先程のリリアーナとのやりとりを報告する。
話しやすいから御者席にいるヒナミの横に座ったが、掴まる場所が少ないため、馬車が揺れる度にノエルは体勢を崩しそうになる。
真正面を向いているから、ヒナミの表情までは分からないが、多分ニヤけ半分、呆れ半分だろう。
「……やっぱりそう思う?」
リリアーナの言葉を急だと思ったノエルに間違いはなかった。
しかし即座に言葉を紡げなかったせいで、リリアーナを泣かせそうになってしまい、承諾してしまった。
でも、お付き合いからで……と言い直した方がいいだろうか。
けど、そのために今から戻るのか?
ノエルが悩んでいると、ヒナミは楽観的な口調で言う。
「んー、でもリリアーナにとっては12年越しの恋の進展か。そりゃ先走りたくなるか」
「……重い」
「ははっ、重いか。間違ってもリリアーナには言うなよ」
12年越し。そんなに人を好きなままでいられるものなのか。
リリアーナ以外に好きだと思った令嬢がいないノエルには分からなかった。
「しかし、お似合いだとは思うぞ」
「どこが?」
「お互い内面を好きになっているところが。リリアーナはお前の優しいところ。ノエルの好きなタイプは『年下の素直な方』だったか。リリアーナが素直だからこそ、いまお前は婚約者を手に入れてるわけだ」
「……」
社交場のノエルと全くと言っていいほど話していないヒナミが、どうしてノエルの失言を知っているのだろうか。
これも社交界の噂というやつなのか。
ノエルは話題を変えたくて、ヒナミに尋ねる。
「ところで何で帰ってきたの?王都で勉強中のはずじゃ」
ヒナミは「今更か」とぼそっと呟いた後に続けた。
「『ヒナミ・リヒターは優秀なので、後は実践あるのみです』とお墨付きを貰ったんだ。本来なら帰ってすぐお前にも説明をしていたし、今頃は実践3日目になっていたはずだ」
「それは……ごめん」
「いいよ。おかげで気が変わった」
「……どういうこと?」
何だ?ヒナミは何を考えているんだ?
考えても分からない。
「お前がいまクラウス家の跡継ぎで二の足を踏んでいるのは、充分な男爵家当主としての教養が身についていないからだろ?俺が父上のそばで仕事の実践しようと思っていた。けど」
「けど?」
「ノエル、俺と一緒に来い。クラウス家とは勝手が違うかもしれないが、リヒター家のやりかたを伝授してやる」
「……は?」
ヒナミが教える?
確かに今のままじゃ駄目だとも思っているが、そんな突然?
何もノエルが言えずにいると、ヒナミは続けて言う。
「父上は稀に見る天才肌タイプだ。自分が見て覚えたタイプだから、周りも当然そうだと思い込む。だが俺たちは違う。俺がその都度出来ていないところを指摘してやるから繰り返し学べ。さもないといつまで経っても『無能な婚約者』のままだ。リリアーナは許しても、お前がお前を許せないだろ?」
……確かに。
逃げてばかりで教養が身につくはずが無い。
それに、ヒナミが一緒にいるならなんとかなるはずだ。
ノエルの答えは決まった。
「……やる」
*
「……ノエルです。よろしく」
隣りにいるヒナミが固まる。
だがそれはほんの一瞬の出来事だった。すぐにヒナミは取り繕う。
……俺、変なこと言った?
ヒナミと共に付き合いのある男爵家へと挨拶に伺う。リヒター家の仕事の一部をヒナミが担うことになった、その挨拶だ。
ついでにノエルも男爵家として、恥ずかしくない挨拶を学ぶというのが、ヒナミの思惑だった。
挨拶なんて簡単だろ?と思っていたノエルだったが、ヒナミの反応を見て内心驚いてしまう。
「失礼致しました、フェルナー男爵。三男ですから、私もつい甘えさせてしまったのです」
「構わないよ。ヒナミ様と私の仲じゃないか」
「ありがとうございます」
フェルナー男爵が歩き出すと、ヒナミはノエルに耳打ちする。
「馬鹿。さっきのは『リヒター家の三男、ノエル・リヒターと申します。よろしくお願い致します』だ。平民が近所に挨拶したのかと思ったぞ」
「……ごめん」
「名乗りも敬称も省略するな。親しき仲にも『様』をつけていけ」
「……じゃあ、『男爵様』?」
「……あまり言わない言い方だな」
ヒナミが少し首を傾げる。
なんだ、そっちもあまり理解してないじゃないか。
「あと兄弟間の喋り方も気をつけろ。俺もだが、よそでやると粗野だと思われる」
「……じゃあ、この会話も?」
「……今から直しましょうか、ノエル」
「……はい」
ヒナミの圧のある笑顔を見て、ノエルは頷く。
しかし、兄弟同士なんだから口調ぐらい良いじゃないか、って思ってしまう。
でも失敗したら悪くないヒナミも謝ることになってしまう。
とりあえず今は言うことを聞いておこう。
*
フェルナー家を始め、様々な男爵家へと挨拶に伺った。
最初は言葉、次に目線の動き、声の出し方、表情――。
1つ注意されたら改善し、また次の注意点を言われ、改善する。その繰り返しだ。
そのおかげで挨拶回りが終わる頃には、ヒナミから合格が出された。
ひとまずよそいきの口調を止めて、いつもの兄弟の口調に戻る。
「お前、ダンスはさすがに出来るよな?」
「だ、だだだ、ダンス?」
さすがに出来るって何?
ヒナミはだいぶノエルを過大評価していると思う。
……いや、出来て当たり前だと思っているのか?
ノエルの反応を見ても、ヒナミは何も言わない。
その無言が怖い。
しかし、ヒナミの言葉はノエルの想像とは違っていた。
「ダンスを見て覚えろ、は難しいか。えーと、男の反対が女だから……。まぁ、なんとかなるか。よし、俺が女役するから、お前男役で踊れ」
「え?」
ダンス……。って確か、男と女が手を繋ぐんだよな……。
ヒナミと向き合うような形で、手を繋ぐ。
……その後は?
音楽に合わせて踊るのは分かる。
けど、音楽が無い今は?
分からなくて手を繋いだ状態で固まってしまった。
ヒナミが落ち着いた口調で言う。
「ダンスは男がリードしなきゃいけないだろ。それは分かるな?」
「……分かる」
「社交場に出るのなら、最低限挨拶とダンスは覚えておけ。断るのは……、いや、お前を誘う令嬢はリリアーナくらいだろう」
「断ることってあるの?」
「あるよ。好意を寄せている令嬢がいるのに、他の令嬢と踊ったら気を悪くさせることだってあるだろう?だが、上手く断らないと角が立つ」
なるほど。まぁ、でもヒナミの言う通りだ。
誘ってくる令嬢がいないのに、断り文句を覚えても仕方ないだろう。
「話を元に戻すぞ。いくらリリアーナが社交場に滅多に現れないとしても、だ。今後俺だって結婚するかもしれない。そうしたらお前の婚約者であるリリアーナは呼ぶことになる。そのとき、ダンスが出来なかったら……分かるな?女であるリリアーナにリードされて踊るのは、男の恥だぞ」
「……肝に銘じておきます」
さすが社交界命のヒナミだ。
挨拶よりも教え方に熱がこもっているように感じた。
ダンスとは、そんなに重要なものなのか。
「それと、握るのは両手じゃない。男は左手、女は右手だ。反対側の手は相手の肩や腰に添える。親密な関係なら腰かな。いったんステップ踏んでみるか」
「え、え、え?」
「あー、えーと。1、2、3、1、2、3だ」
ステップ。分からない。
足を動かすのは分かる。むしろ足が動かないと始まらない。
動けずにいると、ヒナミが「とりあえず右足から1歩踏み出すか」と言ってくれた。
「でかい」
「え?」
「1歩がでかい。相手が俺だからついていけてるが、普通の女の歩幅はもっと小さいだろ」
なるほど。じゃあ、1歩をさっきの半分くらいにしてみる。
「狭い」
「さっきでかいって」
「幼子と踊る気か?前のと今の中間くらいでいい」
中間……?つまりどのくらいだ?
感覚を目でも理解しようと、足元を見る。
「下を見るな」
「歩幅が分からない」
「……いつもの歩幅より、ほんの少し小さくすればいいだけだ」
「うーん?」
「あと姿勢が崩れやすくなる。相手の足も踏みやすくなるし、視線は前。もしくは周りだ」
視線は前?周り?どっちだ……?
とりあえず、周りを見ることにする。
……周りってどこからどこのことだ?
「きょろきょろするな」
「周りってどこ」
「ぶつからないように、周りを見ろってことだ。会場は広く使っていい。けど、花瓶や壁、他の踊ってる人達にぶつかっては危ないだろう」
「……なるほど」
じゃあ、とりあえず周りはいいか。踊っているのは俺たちしかいないし。
踊っている相手、ヒナミを見る。
「顔が硬い」
「えっ」
「楽しそうに踊れ。さもないと踊りたくないのかと勘違いされるぞ」
「た、楽しそうに……?」
ステップもままならない。
歩幅も分からない。
視線の先も定まらない。
表情も分からない。
分からないが盛りだくさんすぎて、頭がこんがらがったように感じる。
「……今日はここまでにしておくか」
「やっと終わった〜……!」
繋いでいた手を離し、その場に座り込んでしまう。
ヒナミは視線を合わせずに言う。
「言っておくが、不合格だからな」
「……やっぱり?」
「当たり前だろう。明日もやるからな」
「えぇ!?」
「根詰めて熱を出されても困るからな。今日は復習しなくてもいい。ゆっくり休め」
そう言ってヒナミは自室へと帰っていった。
……思ったより厳しくはなかったな。細かいけど。
今日だけで挨拶にダンス。
慣れてきたら帳簿や王族へ報告する書類の書き方も加わるのだろう。
先が長い。
まだまだ出来ているように思えない。
でも、リリアーナに少しでも近づくためだ。
「よし」
ノエルは気合を入れて、ダンスのステップを踏みながら自室に戻った。




