フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの慟哭・前
今回、人が死ぬ描写があります。苦手な方はご注意ください。
フランシーヌの前には包装されたままの箱がある。クラストロ領から戻った彼女に届けられていたものだ。
贈り主はクラーラ。贈られた時期は届いた日にちからしてフランシーヌがクラストロを出立した直後だろう。大仰ともいえる護衛付きの馬車に揺られたフランシーヌより、馬を乗り継いで走る早便のほうが王都に到着するのが早いのは当然だ。届けたのはクラーラでもメイドのレオノーラでもなく普通の郵便屋であった。
箱には手紙が添えられていた。
『大事が起きた時に開けなさい。 ――クラーラ』
クラーラは何を思ってこれを届けたのだろう。大事とは何のことだろう。この国では、王都ではすでに大事が起きている。今なのかもしれない。そう思いつつ、フランシーヌは胸騒ぎに伸びる手を何度も止めていた。もしもクラーラがフランシーヌの予想している人物ならば、なぜ自分に贈り物をしたのかを考えなければならなかった。
アルベールの率いる反乱軍は、すでに王都の目と鼻の先に展開している。近衛将軍である父、アントワーヌは家に帰らず王宮の守りを固めていた。物々しい守備兵が王都のそこここを哨戒し、ジョルジュ伯爵家も騎士団を集めて備えている。これが大事でないのなら、何を大事とすればよいのだろう。
フランシーヌは考え続けている。クラーラから自分へ向けて贈られた意味を正確に摑まなければならなかった。別れの時にクラーラが言った言葉を何度も反芻する。友情、クラーラのフランシーヌへの友情。これがフランシーヌ個人に宛てた物ならば、フランシーヌの身に大事が起きることをクラーラは予感していることになる。
「……姉様」
控えめなノックが響き、幼い声がフランシーヌを呼んだ。箱を睨みつけていたフランシーヌはハッと振り返る。反射的に微笑みを浮かべた。
「リアン、どうしたの?」
いまだ幼い弟、アドリアン・ドゥ・オットー・ジョルジュが不安そうに立っていた。
「母様が、姉様のところに行っておいでって」
アドリアンは8歳。当然のことながら成人しておらず、遅くにできた子というのもあって可愛がられていた。そのせいかなかなか幼さが抜けずにいたが、ここへきて急激に大人びた態度をとるようになった。彼なりに姉たちを守ろうとしているのだ。背伸びをしている姿は可愛らしく、また憐れでもあった。
「そう……」
フランシーヌは弟の目線までしゃがみこむと、そっとやわらかな頬を撫でた。
「ごめんなさい、心配してくれたのね」
「姉様。僕には言えないことですか? 何かお役に立てるのなら言ってください」
「リアン」
弟の心配は嬉しかったが、誰かと分かち合うには曖昧すぎてフランシーヌ自身も上手く説明できる自信がなかった。
「リアン、あなたも今この国で起きていることは知っているでしょう」
「はい。あのアルベールが反乱軍を率いて謀反を起こしたのですよね」
アドリアンはアルベールに『王子』や『殿下』という敬称をつけなかった。フランシーヌは笑みを消してうなずく。もはや王が庇うこともできないほどの罪を彼が犯しているのが悲しかった。
「ええ。そのことがわたくしやジョルジュ家にどう影響するのか、この国がどうなってしまうのか……。それを考えるとどうしても不安なのです」
なんといってもフランシーヌはアルベールの婚約者だったのだ。破談になったとはいえ疑惑がフランシーヌに向けられてもおかしくない。王都中の貴族がフランシーヌとジョルジュ家を注視しているだろう。彼女の恋心を知っていればなおさらだ。
それがわかるだけにフランシーヌは家から出ない日々を送っていた。友人も訪れず、時折もたらされる情報に胸を痛めて気鬱にため息を吐く。クラーラの贈り物がどんな意味を持ち、そしてどのような効果をもたらすのか、いくつもの懸念の中で唯一の救いであるかのように考え続けている。
「姉様。姉様は僕がお守りします。母様やみんなも、我がジョルジュ家は僕が守ります」
「ありがとう、心強いわ」
「当然です! 父様と約束したのですから!」
どれほどフランシーヌが優秀でも、ジョルジュ家を継ぐのは男子のアドリアンだ。アントワーヌは家を出る前にアドリアンと話をし、愛する家族を守るように告げていた。後継としての教育はされていても成人前のアドリアンにジョルジュ家としての責任を負う義務はない。8歳の息子に託さねばならない父の心を思うとフランシーヌの胸はきりりと痛んだ。なぜ、わたくしは男に生まれてこなかったのだろう。男でさえあれば剣を取り父と共に戦うこともできたのに。
「頼りにしていますよ、リアン。ジョルジュ家の男子としてしっかり努めてください」
「はいっ」
頬を染め、背をぴんと伸ばして部屋を出ていく弟を見つめ、フランシーヌは眩しげに目を細めた。
***
アルベールの作戦は単純だった。後世の歴史研究家は彼にしては考えたのではないかとやや好意的な評価を下す者もいるが、幼少の頃からよく知っているアルベールを甘く見た近衛将軍アントワーヌの失態というのが大半の意見である。
円形を描く王都にはいくつもの川が流れている。上流のオーヴ川から支流を作り氾濫に備えて貯水池も整備されていた。それらはまるで蜘蛛の糸のように張り巡らされ、水路は王家がいざという時に逃亡するための抜け道にもなっている。アルベールはそれを使った。
「はじまったようです」
側近のひとりが言った。
水路の入り口で待機していたアルベールとリョート、そして側近の貴族5名が耳を澄ます。上からは慌ただしい怒号が響いてきた。
アルベールの作戦は集めた野盗どもを15人で一部隊として組ませ、まずは王都の門前で通過待ちしている商人を襲わせるというものだった。すぐに守備隊が応戦してくるだろうが、民間人を守りながら戦うのは容易ではない。商人が逃げるのは外ではなく中、つまり王都に入ろうとする。殺到した人の群れに紛れ込んでアルベールの部隊が突入し、そのまま乱戦に持ち込もうというのだ。
もちろん彼らが命令通りに動くとは思っていない。元が野盗くずれの男たちは目についた金目の物に飛びつくだろう。それでいい、彼らはあくまで陽動なのだ。王都を混乱させ、アルベールが王宮に着くまで暴れてくれれば充分だった。
「行くぞ」
アルベールが選んだ通路は汚水道だった。飲料水や漁業用の川とは造りからして違い、汚物を落とすための穴がそこかしこにあるためそれなりに明るかった。ただし臭いは凄まじく、鼠などの生き物も徘徊している。壁に手をつくこともできないほど汚れていた。
それでもアルベールがここにしたのは、王宮にもっとも早く着く道だからだ。いくつかある逃走ルートの中でも緊急時を想定されたこの通路は、王宮のトイレではなく身分の低い使用人の住む地下に繋がっている。彼らはそれこそトイレ掃除や厩舎の掃除などの、表に出ない仕事をしている使用人であった。王族と顔を合わせることはもちろんなく、貴族とはいえ王宮役人としては最下層といえる。そんなところに逃げないだろうという敵の意表をつく抜け道だ。
王宮に近づくにつれ汚物投下用の穴は少なくなり空気が籠って悪臭が強くなった。ハンカチで口元を覆っても強烈な臭いで目が染みる。アルベールは息を止めようか迷った。数秒この空気を吸わずにすむ代わりに思い切り吸い込まなくてはならず、迷ったあげくに諦めた。深く吸いこめばそのぶん体に染み込んでいくような気がした。
最終地点は地下の風呂場だ。排水のための穴があり、そこに繋がっている。レンガでできた足場を昇り、まずはリョートが顔を出した。
「誰もいないようです」
暗く狭い風呂場には誰もいなかった。リョートが上がり、アルベールに手を貸す。他の側近も続いた。
「…………」
なぜアントワーヌがいないのか。アルベールはドアを睨みつけた。リョートたちも緊張して喉を鳴らす。
そっとドアノブに手をかけて開ける。隙間から覗くと思った通りアントワーヌが難しい顔をして待っていた。彼の後ろには武装した近衛騎士が3人、槍を構えていた。
「アルベール王子」
「アントワーヌ、やはりお前か」
「このような事になりまことに残念です。大人しく投降してください」
風呂場も廊下も狭く、剣を振り回すのに適さない。代わりに役に立つのが槍である。剣と同じく振り回せないが、その長さで威嚇しいざとなれば突き刺すだけで良かった。アルベールはため息を吐き、両手を上げた。すかさずアントワーヌが彼の腰から剣をとった。リョートと側近も剣を外した。
素直に応じたアルベールにアントワーヌはわずかに眉を寄せたものの、短く「お連れしろ」と命じて王宮へと彼らを連行した。ひとまず沙汰が下るまで、彼らは王宮内の牢へと収容された。
アルベールはこうなることを読んでいた。アントワーヌは生粋の軍人だ、アルベールが集めた賊が軍隊とは呼べぬ烏合の衆であることをとっくに摑んでいるだろう。アルベールの目的はアントワーヌに捕まることによって王宮に入ることであった。王宮には彼にとって最大の味方がいた。
王ではない。エドゥアールはアルベールの処置に頭を悩ませており、議会と貴族が納得しない限りアルベールにつくはずがなかった。弟妹でもない。第二王子マルセルは自分の立場をわきまえて派手に立ち回ることはできず、なにより周囲が止める。妹と、いまだ幼い第三、第四の王子は政治に関与していなかった。アルベールにとっての最大の味方はこの国にとっては最悪の癌でもあった。
王妃フローラである。
優雅で嫋やかでこの世は善でできていると信仰しているこの女性は、我が子が牢に入れられたと知るや取り乱してアントワーヌに縋った。
「アントワーヌ、アルベールを牢に入れるとは何事です。せめて部屋に」
「なりません。王妃よ、アルベール王子の問題はもはや我が国だけで済むものではないのです」
「それでも、アルベールは王子です。王子にふさわしい扱いをしてください」
涙さえ浮かべて懇願するフローラに、アントワーヌは首を横に振った。フランシーヌと婚約破棄した騒動とはわけがちがう。アルベールはもはや明確な罪人、反逆者なのだ。牢から出し、王子として遇するなど許されるはずがなかった。
「王妃……。アルベール王子のことはお諦めください。王宮の外では王子が連れてきた反乱軍が王都に攻め込み大混乱に陥っています。アルベール王子は王籍から廃されるだけではなく、その存在を抹消されるでしょう。議会の決定次第ですが、彼はいなかったものとお思いください」
王籍から廃されれば一般庶民として新たな戸籍が与えられるが、抹消処分となると存在自体がなかったことになる。アントワーヌはアルベールの処刑をそう告げた。フローラはあきらかに狼狽え、何度も首を振った。
どんなに懇願されてもアルベールの処分はアントワーヌだけが決めることではないのだ。議会が決定したことを国王が覆すことはまずない。よほど強権を握っている王ならやりかねないが、エドゥアールにそこまでする勇気はなかった。せいぜいマクラウドになんとかしてくれと泣きつくくらいだろう。アルベールの生誕を祝いもしなかった彼が庇うはずがないことは王と王妃以外の者は知っている。
この人たちはいつまで愚かなままなのだろう――アントワーヌは憐憫すら感じながらフローラを宥めた。
「王妃よ、お辛いでしょうが国のためです。お覚悟だけはしておいてください」
「アントワーヌ! ……ならば、それならば一目アルベールに会わせてください。王妃ではなく母としての願いです」
去ろうとしていたアントワーヌは困惑を浮かべてフローラを振り返った。フローラの瞳に一歩も引かぬ決意を感じ取り、ため息を吐く。母か。それならば死にゆく我が子に会いたいと思うのも無理のないことだ。アントワーヌとてフランシーヌに万が一のことがあれば何があろうと駆けつけるだろう。そう思ったアントワーヌは「少しだけですよ」と言った。
アントワーヌはもう少し深く考えるべきであった。我が子を喪おうとしている母であれば何としても救おうとするだろう、その暗い激情に気づくべきであった。しかし牢に入れられた罪人と王妃を堂々と面会させるわけにもいかなかった彼は牢番を遠ざけた。護衛すらも連れてこなかった。自分の一存でしたことだと、責任感の強い彼は王妃に対する敬愛でもって責めを負うつもりであった。親として憐憫に流されるのではなく、近衛将軍として考えるべきだった。
アルベールが入れられた牢とリョートたち側近の牢は当然別であった。王宮内の牢は狭いためアルベールが一部屋、他の側近たちに二部屋というお粗末な対応であったが、そもそもめったに使われることがないためリョートたちの牢は一部屋を区切っただけの措置である。王宮にあり入るのは高位貴族を想定されているため、牢とはいえ広く調度品も揃っていた。
「アルベール!」
「母上」
フローラは牢に駆け寄ると親子を隔てる鉄製の柵を握りしめた。薄暗く湿った牢内には蝋燭の灯りしかなく、フローラの起こした風でゆらりと影が揺れた。
「アルベール。かわいそうに」
我が子を慈しみ愛するまっすぐな瞳を潤ませて、フローラはアルベールに手を伸ばした。アルベールは一瞬この女は何を言っているのかと思った。すぐにそうだったと思い直す。
フローラはこういう女なのだ。母として我が子を愛し、王妃として国民に微笑む。それこそ完璧に。だが、誰かの苦しみを我が身に置き換えて考える、相手の気持ちを思いやる、人として当然の何かが決定的に欠けているのだ。だから彼女にはわからない。アルベールがなぜこのような事を起こしたのか、その理由が思い当らず、ただ困惑するだけ。フローラの完璧な愛情の前にあらゆる苦悩は無意味なのだ。
「母上……」
「かわいそうに。きっと出してあげますからね。それまでの辛抱です」
アルベールは限界まで伸ばされたフローラの手にそっと身を寄せた。ちらりとアントワーヌを見て、恥じ入るように体を捻る。いい歳をした男が母に慰められている様は滑稽だろう。アントワーヌは目をそらした。
アルベールは手早く自分のズボンを寛げると、隠し持っていた武器を取り出した。もっとも安全と思われた下着の中から出てきたのは留学先で入手した短銃であった。息を飲み怯んだフローラに握らせる。
「母上、では……」
これで、アントワーヌを撃ってください。息子の股間で温められた短銃を握るフローラの手にアルベールが手を重ねた。
燧石式の利点はなんといっても火縄を用いないで発砲できることにある。火薬を詰めた装薬と弾丸を銃口から入れるのは火縄銃と同じだが、今のように火種のない場合は非常に役に立つ。アルベールはフローラに添えた手で撃鉄を起こした。これで引き金を引けば撃鉄が落ち、フリントと当たり金がぶつかって火花が起こり点火する。装薬が爆発すれば弾丸がアントワーヌを殺すだろう。
「アルベール……」
「私のためではなく、国のために撃ってください」
顔色を無くしたフローラにアルベールは憐れみを請うように言った。フローラは震えながらうなずいた。アルベールの正しさを証明すれば、フローラの息子が帰ってくる。そう強調したアルベールにフローラは呑まれていた。
「王妃、そろそろ」
母と息子の愁嘆場にしては静かなやりとりにアントワーヌが声をかける。弾かれたようにフローラがアントワーヌに飛び込んだ。彼女より背の高いアントワーヌの左胸、心臓に銃口を当てる。軍服の上からもわかる男の筋肉の弾みに押し付けた。自分の胸に当たっているものが短銃であることに気づいたアントワーヌの目が驚愕に見開かれ、次いでアルベールを見た。母に殺人を示唆したアルベールはうっすらと笑っていた。
アントワーヌはフローラの母心とアルベールの狡猾さを見抜くべきだった。一時の情に流された彼は自分の肉体によってくぐもった銃声を聞いた。衝撃で体が跳ね、屈強な男から力が抜ける。膝から崩れ落ちたアントワーヌはまだ息があった。握りしめていた手からフローラが牢の鍵を奪うのを感じる。全身に走る痛みとも熱ともいえない感覚に息が詰まった。彼の唇が娘の名を呼んだ。
「フランシーヌ……」
フローラは全身を瘧のように震わせ涙と汗を流しながら牢を開けようとしていた。小さな鍵穴に鍵が上手く入らず、アルベールが彼女から鍵を奪う。素早く牢を開いた彼はリョートたちの牢も開けた。
「アルベール」
「母上、助かりました」
「これからどうなるのです」
フローラは真剣に訊ねた。人を殺した衝撃と罪悪感からなんとか逃れようと、彼女の思考は逃避をはじめている。アルベールはそんなフローラの肩を摑んだ。
「今頃は王が議会と私の処分を決定しているでしょう。そこに乗りこみます。母上、手伝ってもらいますよ」
「わたくしは何をすればよいのです?」
「来てくださるだけでいいのです。母上は、こんなことを言って申し訳ありません――人質として、私の隣にいてください」
リョートがアントワーヌの腰から剣を取り上げてアルベールの腰に佩かせた。他に武器はないかと探り、彼の懐からジョルジュ家の紋が入った匕首を見つける。これもアルベールに渡す。アントワーヌの血で紋章が赤く滲んでいた。
牢から出たアルベール一行を見つけた女官や使用人が悲鳴をあげて逃げ出した。フローラの信奉者と思わしき女官数名が走っていき、アルベールの外套を持って戻ってきた。どうやら同じようにフローラとアルベールに付く者たちがいるらしく、女官の後ろで嬉しそうに歓声をあげている。
「アルベール様、どうぞこれを。第一王子らしく胸を張ってお行きなさいませ」
「うむ」
「アルベール王子、我らも共に行きますぞ。この国を正すのは今しかありません」
数名の騎士が雄たけびをあげ、アルベールの前で膝をつく。アルベールは一瞬顔を輝かせたが、すぐに真剣な眼差しになった。
「その方たちの忠義、まことに大義である。……王は、議会か?」
「はっ。議会堂にて緊急会議が開かれております」
「やはりそうか。馬を用意しろ! 王に直訴し、この国を正しい方向へと導くのだ!」
アルベールの号令に騎士が動いた。近づいてきた男が周囲を見回し、アルベールに訊ねる。
「王子、ジョルジュ将軍は早めに捉えておきましょう。彼がいると議会前で再び拘束されかねません」
「ああ、あれか。あれなら殺したぞ」
そこでアルベールは冷ややかな笑みを浮かべた。
「……王妃がな」
息を飲んだ男は頭を下げた。
「遺体はどうなっておりましょう? 発見されると厄介ですな」
「それなら牢内に入れておきましたよ。鍵をかけて、その鍵も捨てたので発見されても当分は手出しができないでしょう」
リョートが自慢げに言った。なるほど、とうなずいた男が大げさに褒めると得意になったのかふふんと鼻を鳴らした。彼らを恐々と眺めていた数人の固まりの中からひとりが去って行った。
アルベールに用意されたのは王の愛馬であった。全身を白い毛に覆われ見事な体躯である。牝馬であるため気性はさほど荒くないが、フローラとアルベールが乗ると嫌がるように首を振った。彼が主ではないことを見抜いたようである。
「行くぞ! 我に続け!」
応、と男たちが叫んだ。目指す議会堂は王宮正門を出て右手にある。ちなみに左には上級裁判所があった。
アルベールが脱獄したことを聞いた貴族の馬車が正門から出ていく。それを横目で見ながらアルベールは駆けた。
***
悲報がジョルジュ家に届いたのはアルベールが王宮を出た直後のことであった。王宮を探っていたジョルジュ家の間諜がまず家宰にそれを伝えた。ジョルジュ伯爵夫人に直接言うには身分が違い、また内容が重すぎる。家宰は蒼ざめ、額を手で押さえた。
「それはまことか……いや、そうであろうな。しかしよりによって王妃とは」
「牢内に数名手の者を置いてご遺体をお守りしております。紛失した鍵も捜索しておりますから直にお戻りいただけましょう」
アントワーヌの指示があったとはいえ主人をおめおめ殺されたとあっては間諜も悔しそうな顔をした。家宰も忸怩たるものがある。フローラがアルベールを庇うことなどわかりきっていた。追い詰められた小人が時にとんでもないことをしでかすことをこの国では「兎の穴に獅子落ちる」というが、まさにそれである。アルベールを憐れんで個人的に捕らえると言ったアントワーヌを、なんとしても止めるべきであった。
「奥様には、このことは」
「黙っているわけにはいくまい。アントワーヌ様を喪った今、ジョルジュ家の当主はアドリアン様だ。……8歳のアドリアン様に出陣できるわけがない。代理として誰かを選出してもらわねばならん」
加えての不安要素はフランシーヌである。アルベールはフランシーヌを怨んでいるだろう。王妃を人質にしたアルベールが議会に乗りこんだとなれば、王に退位を迫るに違いなかった。アルベールが王になればフランシーヌの身柄を要求してくることが予想される。あるいは軍勢を率いて攻めてくるかもしれない。どちらにせよ、ろくなことにはなるまい。家宰は沈痛な面持ちになった。
「奥様には私がお伝えする。お前は引き続きアルベールの動向を探れ」
「はっ」
それから家宰は息子と妻を呼び、邸内から誰も出ないように厳命した。主が殺されたことを知れば取り乱した使用人が金品を盗んで逃亡するかもしれない。使用人たちは持ち場で待機、メイド長が各部屋に鍵をかけたのを確認して家宰は伯爵夫人の待つ部屋に向かった。
続きます。




