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『武田信玄の嫡男に転生した歴史教師、謀反を成功させて父を家臣にする ~武田義信、最強の父子で天下を取る~』  作者: あちゅ和尚


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第33話 稲葉山の喉元を押さえろ

 稲葉山から最初の使者が下りてきたのは、朝の兵が飯を食い終える頃だった。


 具足の上に陣羽織を着た侍が、供を二人連れている。武田の見張りへ名を告げると、昨夜決めた山裾の辻まで案内されてきた。


 義信は床几から立ち、その侍を迎えた。背後の町では、槍を持った兵と、水桶を担ぐ町人が行き交っている。


「龍興殿の使いと聞いた。城から下りる道で、こちらの兵が無礼を働かなかったか」


「滞りなく通していただきました。まずは、そのお取り計らいに礼を申し上げます」


 侍は頭を下げたが、座るよう勧められても、すぐには腰を下ろさなかった。


「我が主は、武田殿と御談合を望んでおります。双方の兵を休め、三日の間、山と町の争いを止めていただきたい」


 義信の隣で、稲葉良通が使者を見た。


 龍興が欲しいのは、話す刻だけではない。昨日戻した兵を休ませ、持ち場を改め、南へ近づく織田とも交渉する余地だろう。


 半兵衛は口を挟まず、侍の続きを待っていた。


「織田が美濃へ兵を進めております。武田と斎藤が争い続ければ、喜ぶのは信長殿。主は、互いに兵を引く道もあると申しております」


「信長殿の動きを案じるのは、もっともだ。だが、こちらが町を去れば、良通殿や守就殿への攻めを、また始められる。昨日まで戦った者に、言葉だけで安心せよとは言えぬ」


 義信は使者に座るよう、もう一度手を向けた。


「談合は受ける。龍興殿の命を取るために、話し合いを求めておるのではない。家名を残すことも含め、条件を聞こう。ただし、その間も城攻めは止めぬ」


 侍が、初めて眉を動かした。


「それでは、主が使いを出した甲斐がございませぬ」


「三日の猶予を得られぬと分かっただけでも、持ち帰るべき返答にはなる。曖昧な約束をしてから兵を動かすより、互いの腹も決めやすかろう」


 義信は声を荒らげずに言った。


 使者は町の奥へ目を向けた。兵が盾を運び、別の者が縄で束ねた材木を担いでいる。脅しのために並べた道具ではなかった。


「御返答は、そのまま伝えます。話を続けるための使いは、通していただけるものと考えてよろしいか」


「ここへ来れば迎える。戦の最中に下りるなら、城から先に合図を出されよ。使いと攻め手を見分ける手順は、そちらの番と、こちらの番で決めさせる」


 侍が山へ戻っていくのを見送り、義信は半兵衛へ向き直った。


「待たせたな。見張りの交代は、予定どおりか」


「はい。三郎兵衛殿から、敵が持ち場を替え始めたとの報せが来ております。今ならば、昨夜確かめた人数で戦えます」


 義信は槍を受け取り、山裾へ歩き出した。


     ◇


 狙うのは、山上の城ではなかった。


 三郎兵衛が押さえている登り道の、少し先にある柵囲いである。山へ入る兵や荷をいったん集める場所らしく、道に面して木戸があり、脇には小屋が二つ建っていた。


 町から退いた斎藤の兵は、そこへも入っている。昨日は赤備えが山から下りる敵を止めたが、この柵までは取っていなかった。


 今は逆に、その柵から出る兵が、武田の動きを窺っていた。


「ここを敵に残せば、町へ兵を下ろすたびに、足を揃える場所を与えることになります」


 半兵衛は、家の陰から柵を示した。


「ただし、追って登れば、こちらが上から射られます。取るのは囲いと、その裏の道の曲がり角まで。山上へ続く道は、そこで切ります」


「柵を破った兵ほど、先へ行きたがる。止める者も要るな」


「その役は、私が引き受けます」


 良通が進み出た。


「裏へ回る細道はありますが、敵も承知しているはずです。忍んで城へ入る道には使えませぬ。それでも、柵を捨てる敵を脇から射ることはできます。兵を伏せ、逃げ道へ手をかけたところで姿を見せましょう」


 半兵衛が頷いた。


「先に塞ぎ切らず、敵が退こうとしたときに押さえてください。最後まで柵に籠もられるより、外へ出たところを降した方が、双方の死傷を抑えられます」


 義信は、良通が連れてきた兵を見た。昨夜、西の道を守った者に代わり、休みを取った組が出てきている。


 甲斐から来た兵だけでは、町の警固を薄くせずに、ここへ手を伸ばすことはできなかった。


「良通殿の働きで、今日は攻める兵を出せる。守就殿の後続も着くまでは、町へ残す者をこれ以上減らさぬ。山のほかの口を見ている者も、呼び集めるな」


 源五郎が、伝令の行き先を確かめて走った。


 義信は三郎兵衛のところへ進んだ。赤備えの前には、大盾と、戸板に横木を添えた盾が並べられている。


 三郎兵衛は、それを押す兵の足元を見ていた。


「御館様、道の真ん中に水が流れております。盾を急がせると、後ろの者から滑ります。先頭が矢を受けても、後ろは押し込ませませぬ」


「分かった。俺は木戸へ寄せる組と進む。山から増援が来たら、柵へ取りついていても知らせよ」


「そのときは、取った所を守る兵を先に入れます。御館様も、空いた道へ一人でお入りにならぬよう」


 義信は笑い、槍の握りを確かめた。


「昨日もよく言われた。今日は、お前の目の届く所で働こう」


     ◇


 斎藤方の弓が鳴った。


 矢が大盾に当たり、乾いた音を立てる。盾の陰の兵は肩を寄せ、足元を確かめながら進んだ。


 敵は柵越しに射るだけでなく、木戸の脇から槍を突き出していた。道が狭いため、武田も人数を一度には使えない。


 三郎兵衛は先頭を止め、後ろから弓を出した。


 柵の上へ矢が返る。斎藤の兵が身を伏せたところで、盾がまた動いた。


 義信は、その後ろを進んだ。


 頭の上で矢が木に刺さった。落ちてきた小枝が兜を打つ。柵の向こうに敵の顔が見えたが、槍を伸ばすには、まだ間があった。


 前の兵が盾を据えると、材木を担いだ者たちが出た。


 削った丸太の端を木戸へ当て、声を揃えて押し込む。最初の一打では、戸が大きく震えただけだった。


 敵の槍が上から出て、丸太を持つ兵の肩を狙った。義信は穂先を払ったが、その隣から来た一本までは届かない。


 兵が呻いて膝をついた。


「丸太を放せ。後ろの者、その男を引け!」


 義信は槍を柵際へ寄せ、身を出しかけた敵を突き戻した。脇から三郎兵衛の兵が入り、空いた場所を埋める。


 傷者が盾の後ろへ運ばれると、丸太が再び持ち上がった。


 二度、三度と木戸が鳴る。


 内側で支えている者がいた。戸が少し開いても、すぐに押し戻される。義信は丸太を振るう兵を替えさせ、自分も盾へ肩を寄せた。


 四度目の衝撃で、横木の折れる音がした。


 隙間へ槍が突き出る。義信は柄を外へ押しつけ、木戸と挟んだ。敵が引き抜こうとする力を感じたところで、一歩踏み込む。


「今だ、戸を押し開けろ!」


 兵が盾ごと寄せると、木戸が内側へ倒れた。


 義信は先頭の兵と並んで入った。左右へ目を配るより早く、正面の槍が迫る。短く受けて外へ流すと、脇から太刀を振りかぶった侍が飛び出してきた。


 振り下ろされる腕へ柄を当て、身体を寄せる。相手の肩を崩しながら足を掛けると、侍は土へ倒れた。


 義信はその場を後続へ譲り、槍を持ち直した。


 敵の声は、まだ揃っていた。


「小屋へ入るな! 裏の道へ続け!」


 柵を守っていた組頭が、兵を退かせ始めていたのである。囲いの奥へ追い込まれる前に、山へ戻すつもりだった。


 だが、裏手で新しい鬨が上がった。


     ◇


 良通は、細道から姿を見せると、槍を道いっぱいに並べさせた。


 柵の兵が足を止める。山へ上がるには、良通の槍を押し退けねばならない。その間に、背後から赤備えが来る。


 組頭は残った兵を小屋の脇へ寄せ、なおも槍を構えた。


 良通は弓を引かせたまま、前へ出すのを止めた。


「そこの組は、もう山へ戻れぬ。武具を置けば命は取らぬ。傷者を抱えている者まで、ここで討たせるな!」


「こちらの主は、まだ城で戦っておられる。守る所を失ったからと、勝手に降るわけには参らぬ!」


 返ってきた声は、息を切らしていた。


 義信は兵の間を抜け、組頭が見える所まで進んだ。三郎兵衛がすぐ後ろにつき、赤備えの槍が両脇を固める。


「その返答は立派だ。だが、主が戦える城を残しておるなら、お前たちまでここで死ぬことはない」


 組頭は義信の顔を見た。若い兵が一人、彼の足元に座り込み、血のついた腿を押さえていた。


「降れば、武田の旗を持たされるのであろう。昨日までの味方へ槍を向けよと命じられては、死んだ者に顔が立ちませぬ」


「今、仕えよとは言っておらぬ。お前たちは捕らえ置く。龍興殿との決着がつくまで、戦へ出さぬと約束しよう」


 義信は槍を隣の兵へ預けた。


「俺は武田義信だ。この場の約束を、誰かの聞き違いにはせぬ。生き残る者の名を、お前が確かめて渡せ」


 組頭はしばらく立っていたが、やがて足元の兵を見下ろした。


 槍が土へ置かれた。


 それを見て、ほかの兵も武具を離した。義信はすぐに手当ての者を呼び、自分は裏の道へ顔を向けた。


 山から、法螺貝が響いていた。


     ◇


 長井道利が増援を連れて下りてきたとき、柵囲いには、すでに赤備えの兵が入っていた。


 道利は曲がり角の上で止まり、弓を前へ出した。ところが、狙うべき敵が見えない。武田は小屋の陰と、柵に沿って盛られた土の後ろへ兵を入れている。


 追ってきた者を坂で受けるつもりで下りてきたが、誰も登ってこなかった。


 さらに下では、壊れた木戸が兵の手で引き起こされていた。


 道利は舌打ちを呑み込み、下から退いた者を呼んだ。


「囲いの兵は、どれほど戻った」


「道へ出られた者だけにございます。組頭以下、まだ下に残っておりますが、戦の声は止みました」


 道利は柵の向こうを見た。


 槍の穂先が揃っている。奪った勢いで山へ駆け上がる兵なら叩けたが、あの柵から引き剝がすには、こちらが攻め手にならねばならなかった。


 今、山の番を減らして、それをする余裕はない。


「この曲がりの上へ盾を置け。下の者へ取り返しに行くと触れるな。武田が登らぬ限り、こちらから兵を使うな」


 道利は命じ、山上へ使いを走らせた。


 その姿を、半兵衛も下から見ていた。


「御館様、敵は戻りました。ここへ兵を残し、残りは町へ引かせます。昼のうちに盾を据え直せば、少ない人数でも守れましょう」


 義信は頷き、柵の外を見た。


 死んだ兵が運ばれてくる。木戸の前で倒れた者も、味方の手で運び出されていた。


 取れたからといって、軽い戦ではなかった。


「攻めた組を先に休ませよ。ここの番は、まだ槍を合わせておらぬ者と替える。良通殿の兵にも、水と飯を運んでくれ」


 半兵衛が伝令へ言葉を渡した。


 義信は残った小屋へ入り、山側の壁を確かめた。敵が使っていた矢束が積まれ、奥には、担いで上げる前の荷が幾つか残っている。


 もう、この登り口から斎藤の兵が町へ下りるには、武田の柵を破らねばならなかった。


     ◇


 夕刻、義信の陣へ戻った源五郎は、南で拾った報せを伝えた。


 織田勢は、斎藤方が置いていた道の番を追い、さらに山へ近づいていた。武田の持ち場には手を出さず、空いている所を選んでいる。


 義信は飯を食う手を止め、山を見上げた。


 信長との約定には、終わりがある。残る刻を、柵一つずつ奪うためだけに使い切るわけにはいかなかった。


 そこへ、山の見張りから使いが来た。


「城より、談合の使いを出したいとの合図でございます。長井道利殿が、ご自身で下りられる由」


 半兵衛が顔を上げた。


「道利殿ならば、城の守りも、残った兵の様子も知っておられます。朝の使いより、踏み込んだ話ができましょう」


「迎える場所は、そのままでよい。柵へは近づけず、朝の辻へ案内せよ」


 義信は椀を置いて立ち上がった。


 やがて現れた道利は、供を残し、義信の前へ進んできた。良通と半兵衛にも目を向けたが、責める言葉は口にしなかった。


「朝方、龍興様の家名を残すことも含め、条件を聞くと仰せになったそうにございます。そのお言葉を、主君の命と城を引き替える話にせず、伺いたい」


「龍興殿の首は求めぬ。だが、町を返して兵を引けという話も受けられぬ。ここまで従ってきた者を守り、美濃で同じ戦を繰り返させぬための条件が要る」


 道利は、義信から目を離さなかった。


「城を明けたあと、斎藤に仕えてきた者を、誰が守りまする。城を失った主には、家臣へ与える土地も、扶持も残りませぬ」


 義信は、その問いを受け止めた。


 昨日、主を逃がすために道へ残った侍たちも、同じ不安を抱いているはずだった。


「仕えることを望む者には、働く場を用意する。領地を持つ者の扱いは、名と所領を確かめて定めよう。誰も彼も同じように取り上げるつもりはない。だが、龍興殿一人の返事で、家中の全てが決まるとも考えておらぬ」


 義信は床几を指し、自分も腰を下ろした。


「まず、龍興殿が何を残したいのか、お前の口から聞かせてくれ。俺も、守れぬ約束は書かぬ」


 道利はようやく兜を脱いだ。


 その兜を脇へ置くと、懐から、折り畳んだ書付を取り出した。




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