第31話 龍興の留守をいただく
斎藤龍興が西へ兵を出したと聞くと、義信は、修繕を終えたばかりの具足を持ってこさせた。
関を押さえ、大垣まで味方となった。だが、武田の東の軍と、西美濃の軍との間には、まだ斎藤の支配が残っている。龍興は、その隙間へ楔を打つつもりだった。
目指す先は北方。
安藤守就を討ち、稲葉良通と氏家直元に、自分の城へ兵を戻させる。東の義信が援けに動けば、関から離れたところを迎え撃つ。
捕らえた使いの書状と、甚六の配下が見た軍勢の動きは合っていた。
「こちらが三家を得た途端に、合わせて働かせぬ手を打ってきたか。城へ籠もるだけの相手なら楽だったが、そうはいかぬな」
義信は胴を身に当て、紐を締めた。
半兵衛は脇に立ち、龍興の出した兵と、稲葉山へ残した兵の報告を分けていた。
「北方を攻められれば、守就は城を守らねばなりません。良通殿にも、後ろを見ずに攻め続けるほどの余裕はないでしょう。龍興殿は、こちらが得た城を、そのまま足枷にするおつもりです」
「ならば、援軍を曳いて西へ追いかけては、相手の望みどおりになる」
義信は立ち上がり、外で兵を改めている信房を呼んだ。
「関を守る人数を残し、動ける者を集めてくれ。俺たちは稲葉山へ向かう。龍興殿には、留守を案じながら北方を攻めてもらおう」
信房は義信の顔を見たあと、半兵衛へ目を移した。
「山へ取り付く攻めとなれば、今の人数では足りませぬ。城下を押さえ、龍興殿を引き戻すところまでを狙われますか」
「まずは、そこまでだ。取れると分からぬ山へ、兵を捨てには行かぬ」
義信の口元に笑みが浮かんだ。
「だが、家を空けて出歩くには、少々厄介な客が来たと思わせるぞ」
◇
西へ送る使いには、良通への軍令を持たせた。
義信は稲葉山へ向かう。北方を守るために無理な野戦へ出ず、龍興が兵を返す際には、その退き口を脅かすこと。ただし、深追いして三家の兵を散らしてはならない。
使いを出すと、義信は歩いて兵の列を見た。
関の戦で傷ついた者は残す。城下の番と、東へ戻る荷の護衛も要る。連れていけるのは九百ほどだった。
三郎兵衛は、列から外れた兵を一人ずつ確かめていた。
「槍を持てるだけでは、連れていけぬぞ。途中で歩けなくなれば、そなたを運ぶ者まで戦列を離れる。ここで関を守ってもらう」
不服そうだった男も、赤備えの将に正面から告げられると、唇を噛んで頭を下げた。
義信はその脇を通り、声をかけた。
「戻ったときに、この町まで取り返されておったら困る。信房の下で守り切ってくれ。そなたらを残しても進めると分かっているから、俺たちも出られる」
馬場信房が関に残り、義信と三郎兵衛が軍を率いることになった。
半兵衛は先行する甚六へ、稲葉山の登り口だけを調べるなと申し付けた。町へ入る道、斎藤の兵が泊まる場所、荷を収める所。城下に兵を置くために必要なことを、先に確かめさせる。
義信は馬へ乗り、列の先へ出た。
前世で何度も地図を見た土地だった。だが、その記憶だけで九百人を歩かせる気にはなれない。川を渡る場所と舟は先に手配し、現地の案内を付けた。
先に進む兵の足音が揃うと、関の砦から見送る者たちの声が上がった。
◇
稲葉山を見たのは、関を出て三日目だった。
長良川を越え、山裾へ回る道を進む。舟を待つ間も、先に渡った組を不用意に先へ出さず、荷と後続が着くごとにまとまりを取り戻させた。
山の上には、斎藤の旗が見えた。
半兵衛は馬を止め、しばらく黙って眺めていた。
かつて、わずかな人数で奪った城である。
義信は、その横顔へ声をかけた。
「あの折の入り方を、もう一度使えとは言わぬ。守る者も、同じ失敗を待ってはおらぬだろう」
「はい。門番を増やしただけでなく、途中で兵を止めて改めるようになったと聞いております。私の顔を知る者も多い。近づけば、それだけで騒ぎになりましょう」
「ならば、今日は隠れる必要がないな。堂々と、俺の隣で働いてくれ」
半兵衛が義信を見た。
やがて一礼すると、甚六から届いた報告を示した。
「町の東寄りに、兵と荷を集める囲いがございます。山上へ運ぶ前の米や矢を置く所です。そこを守る兵が、町へ入る道も押さえております」
「そこを取れば、城へ籠もる兵は困る。だが、町の者まで一緒に閉じ込めてはならぬぞ」
「囲いの外へ逃れる道を一つ残します。兵は追わず、まず米と矢を運び出させぬよう押さえましょう」
義信は、山から町へ続く道を見た。
守り手を城へ押し込め、城下に陣を置く。それならば、山を駆け上がって櫓を奪わずとも、龍興を急がせられる。
三郎兵衛が、周囲の地形を確かめて戻ってきた。
「先手をお預かりしたい。町へ入る道を押さえたあと、山から下りてくる兵を受けます。御館様は、その間に荷の囲いを」
「任せる。俺が中へ入っても、無理に追いつこうとするな。お前が山との間を押さえてくれるから、こちらも前へ進める」
義信は槍を受け取り、馬を下りた。
◇
武田の旗が見えると、町の入口で拍子木が鳴った。
斎藤の兵は、道に置いた障害を動かしていた。荷を積んだ者を奥へ入れ、入れ違いに槍を持つ者が出てくる。
三郎兵衛は、先頭を走らせなかった。
弓を持つ者を脇へ回し、相手が道を塞ぐ前に矢を向ける。その下で槍の組が進み、狭い道の入口を奪い合った。
義信は後ろから、兵が町の家へ入り込まぬよう命じた。
戸を破れば早く抜けられる所もあった。だが、ばらばらに家の中へ入れば、角を曲がった先に味方がいるかどうかも分からなくなる。
「道を揃えて進め。先へ抜ける者は、角で後ろを待て!」
伝令が声を繋いだ。
斎藤勢が三郎兵衛の組へ向かう間に、義信は別の道へ入った。甚六の配下が先に立ち、半兵衛が分かれ道で兵を止めては、進む組と残す組を指し分ける。
荷の囲いが見えたときには、敵も気づいていた。
入口に槍が並び、その奥で米俵を担ぐ者が走っている。山へ逃がそうとしているのだった。
義信はすぐに弓を止めさせた。
「荷を担ぐ者を射るな。槍の者はこちらで受ける。米を置いて退く者には手を出さぬと伝えろ!」
呼びかける声が飛ぶと、米俵を下ろす者が出た。
守りの侍がそれを叱ったが、運ぶ者は脇の空きから逃れ始めた。槍を捨てて紛れようとした兵もいたが、義信はそちらへ人数を割かなかった。
なお入口に留まる兵へ、武田の槍が迫った。
義信は穂先を低く据え、突いてきた槍を下から押し上げた。相手の手元へ柄を滑らせ、そのまま肩から押し込む。
隣の兵が前へ出たので、半歩下がって別の槍を受けた。
囲いの内では、退く者と踏みとどまる者がぶつかっていた。義信は左右を見て、味方の組頭へ声をかける。
「入口を広げろ。中へ入る人数を増やせ。俺の前だけ空けても、囲まれるぞ!」
味方が両脇の柵へ取り付き、結び目を切った。倒された柵の向こうから兵が入り、守り手は背後を気にして槍を引いた。
義信はそこで足を止めず、兵とともに囲いへ踏み込んだ。
◇
山からは、すでに斎藤の兵が下り始めていた。
三郎兵衛は、町の家並みが途切れる所へ兵を据えた。駆け下りてくる相手を追い上げず、槍の届く場所で待ち受ける。
先頭がぶつかると、赤備えの列が大きく揺れた。
上から来る勢いは強かった。だが、その後ろには狭い道が続き、後続が前へ出ようとすれば、倒れた者を越えねばならない。
三郎兵衛は弓の組を横へ動かした。
山から来た兵は足を止め、盾をそちらへ向けた。その間に赤備えの槍が押し返し、下りきった一団と後ろの兵との間が開く。
「深く入るな。この場を明け渡さねばよい!」
三郎兵衛は声を張り、自らも槍を突いた。
斎藤方も無理に全兵を下ろしはしなかった。上の組頭が退く合図を出し、傷者を引き上げながら道を戻る。
その動きを見届けると、三郎兵衛は義信へ伝令を走らせた。
敵を追い上げれば、山へ取り込まれる。ここを押さえる限り、義信のいる囲いへ兵は入れさせないと伝えた。
◇
昼を過ぎるころ、荷の囲いには武田の番が立った。
義信は、積まれた米俵を開かせる前に、町の者を呼ばせた。斎藤の蔵へ納めた米と、商人が預けていた荷とが、同じ所に置かれていたからである。
持ち主の申し出を聞き、分からぬものは勝手に分けない。半兵衛へその仕分けを任せると、義信は囲いの外へ出た。
稲葉山は、まだ斎藤のものだった。
町の全てを押さえたわけでもない。山へ近い所には敵が残り、弓の届く道へは兵を寄せられなかった。
それでも、武田は城下へ入り、兵と荷を集める場所を奪った。
義信は三郎兵衛と合流し、山との間に番を置かせた。今夜は兵を家々へ散らさず、取った囲いと、その周囲へまとめて泊める。
源五郎が町の外から戻り、息を整えて報告した。
「西へ向かう使いを二人見ました。追わせましたが、まだ捕らえておりませぬ」
「追うのは止めてよい。龍興殿へ、この旗を見たと伝えてもらおう」
義信は、囲いの高い所へ旗を立てさせた。
山からも見える位置だった。
「町へ火を掛ける者は、味方でも捕らえよ。兵糧を押さえたあとに、泊まる場所まで焼いては大損だ。今夜は、ここで飯を炊くぞ」
兵たちの間から、笑いと返事が上がった。
義信はその声を聞き、ようやく槍を脇へ預けた。
◇
北方へ迫っていた龍興に報せが届いたのは、その翌朝だった。
使いは、稲葉山が落ちたとは言わなかった。山の門は守られている。ただし、武田が城下へ入り、米と矢を置く囲いを取ったという。
龍興は、使いに道筋を繰り返し語らせた。
九百ほどの軍が関を離れた。義信自身が率い、半兵衛もいる。山へ総攻めを仕掛けず、城下へ陣を置いた。
聞き終えると、龍興は北方を見るのをやめた。
城を守るために戻るだけなら、武田の思いどおりになる。だが、北方を攻め続けて本拠の城下を失えば、兵を出している者たちが先に帰りたがるだろう。
「稲葉山へ戻す兵と、ここに残す兵を分ける。荷を先に返すな。退くと知れたところへ、稲葉が来る」
そばにいた侍が、北方の方へ目を向けた。
「安藤殿も、城から兵を出しましょう。道を押さえられる前に、急いで退かねばなりませぬ」
「急ぐ。だからこそ、組を崩さず下げる。追う者を受ける兵には、替わる時を先に知らせておけ」
龍興は馬を寄せさせ、自分はまだ乗らなかった。
殿が先に逃げたと見られれば、命じた順で兵を退かせられなくなる。最後まで残る組が支度を終えるまで、そこに立って待った。
◇
稲葉良通は、その退き方を見ていた。
北方を援けるために集めた軍へ、義信の命はすでに届いている。敵の荷が動き出したと聞くと、良通は城へ入れていた使いを走らせた。
守就の兵が城から出る。
良通はそれに合わせ、敵の進む道へ弓を向けた。正面から退路を塞ぎ、全軍を相手にするつもりはない。龍興に、後ろへ兵を置き続けさせればよかった。
斎藤勢は向きを変えて応じた。
その間に前の組が止まり、荷の列まで歩みが鈍る。良通は追いすぎる者を呼び戻し、別の組を先へ回した。
守就の使いが来ると、良通は短く命じた。
「こちらが道へ出る間、安藤殿には敵の後ろを見せてもらう。追い崩そうとせず、敵が振り向くたびに止まればよい。義信殿のところへ、一息に戻らせぬぞ」
◇
城下の囲いで、義信は夕飯を受け取った。
見上げれば、暗くなり始めた山に火が見える。守りの兵がいる証だった。今夜にも城を取れるなどと考えて、眠りを削るつもりはなかった。
半兵衛が戻り、兵糧と矢の数を告げた。持ち主の分からぬ荷は脇へ分け、番を付けてある。
「龍興殿が戻れば、ここへ攻め寄せるでしょう。山の兵と合わせられぬよう、明日は囲いの守りを外へ延ばさねばなりません」
「働いてもらうぞ。そなたには一度取った城だが、俺には、これから取る城だからな」
義信は飯を口へ運び、よく噛んで飲み込んだ。
前世で教えていた歴史より、ずっと早くここまで来た。そこから先は、知っている勝ち方をなぞれば済む道ではなかった。
空になった椀を返し、義信は近くの兵を手招いた。
「番を替えた者から休ませろ。明日は龍興殿を迎える支度だ。山を見張る者と、西の道を見る者を、混ぜずに置いてくれ」
兵が走っていくと、義信も立ち上がった。
三郎兵衛の組が守る所まで歩き、山へ向けた槍の列を確かめる。帰ってくる斎藤の主を待つ武田の旗が、その背後で夜風を受けていた。
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