第29話 関の砦を叩け
先手が止められたと聞いたとき、義信は馬を急がせなかった。道を塞ぐ荷を脇へ寄せさせ、後ろから来る兵を先に通した。
織田との休戦が始まって四日。木曽川沿いの陣を出た武田勢は、美濃の内へ進み、関へ通じる道で斎藤勢と向き合っていた。
関の南に設けられた砦には、長井道利が入っている。
先の戦で押し返された道利は、残った兵をまとめ直し、街道を押さえた。稲葉山へ戻って門を閉ざすより、ここで武田を止めることを選んだのである。
義信が前へ着くと、馬場信房は馬を下り、具足に付いた土を払っていた。
「柵を破ろうとしたところで、横から槍が出ました。先の兵は退かせております。死者は出ておりませぬが、手傷を負った者が七人。敵は追わず、すぐ砦へ戻りました」
畑の向こうに、新しい土の色が見えた。
街道脇の高まりに堀を掘り、柵を巡らせている。背後は関の方へ通じていた。武田が大きく迂回すれば、その間に荷を襲える位置である。
「こちらの足を止めるための砦だな。取らずに先へ進めば、兵糧を運ぶ者が困る」
「はい。しかも、正面を攻めさせたうえで、こちらの横を突く備えがあります。長井殿は、先の陣で崩されたところを、そのままにはしておりませぬ」
信房は砦を眺め、落ち着いた声で続けた。
「少し時間をいただきたい。兵を休ませながら、敵がどこから出たかを確かめます。夕刻までに攻め口を定めましょう」
「頼む。俺は後ろの兵を揃える。道を塞いでおれば、敵に攻める手間まで省いてやることになるからな」
義信が戻ると、兵たちは狭い道の両側に腰を下ろしていた。水を飲む者の間を、替えの槍を抱えた者が歩いている。
義信は、その一本を受け取って重みを確かめた。胸の打ち身はまだ薄く残っていたが、深く息を吸っても、以前のような痛みはない。
後方に残した虎昌には、砦の様子と、今日の荷を進める場所だけを知らせた。川辺の守りまで動かすつもりはなかった。
◇
昼過ぎ、源五郎が畑の縁から戻ってきた。
袖に付いた枯れ草を払いながら、地面へ細い枝を置く。
「敵が出たのは、砦の脇にある低い柵からです。門へ回らず、柵を外して出ています。退いたあとは、内側から丸太を当て直しておりました」
半兵衛が、その枝の横へ石を置いた。
「正面へ人数を向けたところで、横から出る。追ってきた者が乱れれば、そのまま押し返すつもりでしょう。砦の中だけで守るより、少ない兵で持ちこたえられます」
信房は頷いたが、すぐには兵を動かさなかった。
「出てくる者を待ち伏せても、長井殿が出さねば終わりですな。脇の柵が開くことを当てにして、攻めを組むわけには参らぬ」
「ええ。ですから、出なければ正面を破られるところまで、こちらが進まねばなりません」
半兵衛は、正面を示す石を指で押した。
堀を越える道具を揃え、弓で柵際を押さえる。正面の兵が堀へ寄ったところで、横から出る敵を別の組で受け止める。ただし、初めから脇へ大勢を置けば、道利も備えを変えるだろう。
信房が兵の並びを考えている間に、義信は源五郎へ尋ねた。
「砦の背後を行き来する者は、兵ばかりだったか。町から荷を運ぶ者が混じっておれば、攻める前に離れさせたい」
「荷を下ろして戻る者を見ました。甚六殿の者が道を見ておりますから、こちらの弓が届く所へ来ぬよう伝えられます」
「それを頼む。荷を捨てさせる必要はない。明日もあの者らの手を借りねば、関で兵を養えぬ」
信房が顔を上げた。
「明日には、関へ入るおつもりですな」
「砦一つの前で三十日を使うわけにはいかぬ。だが、急ぐために兵を無駄に減らすのも御免だ。信房の攻めで取ろう。俺の組は、敵が出たところへ入れるよう後ろに置いてくれ」
信房は少し考え、義信の左右へ付ける者を指名した。
当主が前へ出る以上、その働きを止めるだけでは軍は組めない。出す場所と、支える兵を決めたのである。
◇
攻めは、翌朝となった。
夜のうちに束ねた柴と、堀へ掛ける木が運ばれてくる。関へ向かう道には斥候を出し、砦へ入る新たな兵がないかを確かめていた。
義信の率いる一手は、前の兵に隠れるように控えていた。三郎兵衛は別の組を預かり、砦の脇を見ている。
太鼓が鳴ると、信房の兵が進んだ。
矢が柵へ向かい、守り手を下がらせる。その下で、柴を抱えた兵が堀へ走った。土を蹴り落とし、木を渡し、次の者へ場所を譲る。
砦からも矢が来た。
盾に一本が立ち、その隣で兵が膝をつく。後ろの者が襟をつかんで引き戻し、空いた場所へ別の盾が入った。
義信は槍を持ったまま、信房の旗を見ていた。
まだ動かない。
正面の兵が堀を越え始めると、砦の脇で柵が開いた。
出てきた斎藤勢は、すぐには走らなかった。槍の穂を揃えて広がり、武田の先頭が柵へ取り付くのを待っている。
信房の旗が傾いた。
義信は槍を上げた。
「俺たちは横へ入る。先の組を追い越すな、隣の者と揃えて進め!」
兵の間に、道が開いた。
義信の一手が抜け出し、砦から出た敵へ向きを変える。三郎兵衛の組も前へ出たが、そこで斎藤勢の動きが変わった。
先頭は三郎兵衛の方へ向かい、その後ろが義信の側へ折れた。
出てきた兵の後ろから、さらに槍が現れる。
半兵衛が本陣の脇で立ち上がった。
「後ろにも備えておりました。御館様の組を押し戻して、正面の兵を取り残すつもりです!」
道利もまた、武田が同じ横槍を二度は受けまいと読んでいたのである。
信房は、残していた兵へ直ちに命じた。
「御館様の右を支えよ。正面は止めるな、柵を破る兵を残して進ませろ!」
伝令が走ったときには、義信の前で槍がぶつかっていた。
◇
最初の突きを、義信は穂先の下で受けた。
力任せに跳ね上げず、柄を滑らせて脇へ流す。空いたところへ一歩入り、相手の胸へ自分の槍を押し込んだ。
手応えがあった。
引き抜く前に別の穂先が迫り、義信は柄を立てて受けた。すぐ左から味方の槍が伸び、敵の肩を突く。
「前を見て進め。倒れた者を追うな、立っている槍を崩すぞ!」
義信は足を踏み替え、斜めに柄を打ち下ろした。
敵の槍が地へ落ちる。踏み込んで石突を顔へ入れると、相手は仰向けに倒れた。その向こうで、具足を着た侍が兵を叱咤している。
「押し返せ! そこを割られれば、柵へ戻れぬぞ!」
声とともに、斎藤勢が寄せてきた。
義信の右にいた兵が足を取られ、肩が下がる。その隙間へ敵の槍が入った。
義信は柄を横にして受け止めた。胸に鈍い痛みが走ったが、足は止めなかった。押してくる力を片側へ逃がし、相手の槍を隣の穂先へ絡ませる。
乱れた二本の間へ、後ろから味方が突いた。
義信も続いた。
侍の太刀が槍の柄を叩く。切り落とそうとした腕が戻る前に間を詰め、柄の中央を胸へ押し当てた。踏ん張られたところへ腰を入れ、相手の足を払う。
倒れた侍を後続が押さえ、その上を越えて武田の槍が前へ出た。
右から、味方の声が近づいた。
信房の送った兵だった。
受け止めるだけで精いっぱいだった右側に厚みが生まれ、斎藤勢の足が止まった。義信は息を吐き、槍を持ち直した。
追い払えば済む相手ではなかった。ここで崩れれば、自分たちの背後にいる兵まで斬られる。敵もそれを承知で、退かずに突いてくる。
義信は声を張った。
「よく支えた! 馬場の兵が来たぞ、もうひと押しだ!」
左右の槍が一緒に進んだ。
◇
道利は、砦の内から戦を見ていた。
武田の旗の下にいる若い武者が、味方を押し戻している。横から突くために出した兵が、外で足を止められた。
その間にも、正面では柵が軋んでいた。
道利は内側の兵を回し、取り付いた武田勢を槍で払わせた。柵の一本が折れても、その向こうに槍があれば容易には入れない。
だが、外の兵を戻せば、武田も続いて押し寄せる。
使える兵を見回し、道利は背後の道へ目を向けた。ここを閉ざされるまで戦えば、関を守る兵そのものを失う。
「外の者を収める。正面には弓を集めよ。柵を持ちこたえさせている間に、負傷者から後ろへ出せ」
命じた直後、正面から大きな音がした。
柵が内へ倒れ、丸太に巻き付けた縄を手放して、武田の兵が身を伏せる。その上を、槍を構えた一団が越えてきた。
信房が、最後まで残していた組だった。
道利は太刀を抜き、そちらへ向かった。
逃げ出そうとする兵を斬って止める余裕はない。退く道を残すため、入ってきた敵を押さえねばならなかった。
砦の内で、両軍の槍がぶつかった。
◇
義信が柵の内へ入れたのは、それからしばらくしてのことだった。
道利はすでに退いていた。
兵を幾つかに分け、後ろの組に敵を受けさせながら、順に下げたという。砦を失いながらも、追う者に楽な戦はさせなかった。
三郎兵衛が追撃の兵をまとめていたが、義信は関へ通じる道を確かめさせると、先へ出す人数を絞らせた。
「道利殿は、まだ戦える兵を持っておる。町の中へ誘い込まれるな。まず道を押さえ、こちらの組を揃えてから入れ」
砦の内には、折れた槍と盾が重なっていた。
負傷した兵を運ぶ者の横で、義信は槍を地へ置いた。手を開くと、柄を握っていた指がすぐには伸びない。
信房が歩み寄り、兜の紐を解いた。
「御館様の右へ送るのが、少し遅れました。敵がもう一手出すところまで、読み切れませなんだ」
「間に合ったから、俺たちはここにおる。それに、こちらへ全て寄せておれば、柵は破れなかった。最後の組を残してくれたのが利いた」
義信は信房の腕へ手を置いた。
「この砦を取った働きは、お前のものだ。兵の前でも、そう申し渡す」
信房は一礼し、すぐ負傷者を集めている方へ向かった。
義信も後を追った。脛を傷つけた兵が自分で立とうとしていたので、その肩を押さえ、運ぶ者を呼んだ。
勝ったあとまで歩かせて、失う足を増やすつもりはなかった。
◇
夕刻、武田勢は関の町へ入った。
道利は町を戦場にせず、残った兵を連れて退いていた。義信は源五郎に追う道を見張らせ、町の入口と砦へ兵を分けて置いた。
閉ざされた戸の隙間から、人の目が覗いている。
義信は馬を下り、町の者が集まってきたところで、信房と並んで話を聞いた。
斎藤の兵へ渡した米のこと。明日、外から来る荷のこと。砦に取られたまま戻らぬ人足のこと。
義信は一つずつ確かめ、その場で返せる人足を帰らせた。兵の食う米は、残っている量を調べてから買い上げる。町の者が蓄えた分まで、勝った勢いで運び出させはしなかった。
「武田の兵が置かれれば、これからは斎藤の兵が来ます。商いの道まで塞がれては、私どもは立ち行きませぬ」
年嵩の男が、言葉を選びながら訴えた。
義信は、町の入口へ運ばれていく槍を見た。
「そのために、道と砦を押さえた。荷を動かす日は、番の者へ知らせてくれ。危うい所は兵を付ける。今日から何もかも元どおりとは言えぬが、戸を開けた者から損をする仕置にはせぬ」
半兵衛が男の名を聞き、町の者と兵の間を取り持つ役を決めた。
やがて、一軒の戸が開いた。
中から水の入った桶を抱えた女が出てきて、道端に座る負傷兵の前へ置く。兵が礼を言うと、女はまだ怖そうな顔のまま、隣の者にも水を分けた。
義信はそれを見届け、砦へ戻った。
関へ通じる道には、後ろから追いついた荷駄が入ってくる。朝まで敵の柵へ向かっていた兵が、今はその脇で米俵を受け取っていた。
義信は自ら俵の端へ手を掛け、荷台から下ろすのを手伝った。
「今夜は、先に戦った組から飯を食わせよう。番を替えたら、俺も兵と一緒に食う」
釜を据える場所へ、兵たちが薪を運び始めた。砦の上では信房の命を受けた者が、関へ向けて武田の旗を立てていた。
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