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『武田信玄の嫡男に転生した歴史教師、謀反を成功させて父を家臣にする ~武田義信、最強の父子で天下を取る~』  作者: あちゅ和尚


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第28話 信長と、三十日の勝負

 織田の使者が来たと知らされたとき、義信は、陣の外で槍を合わせる音を聞いていた。


 新着の兵と、先に美濃へ入った兵が、組ごとに動きを確かめている。馬場信房は、その脇を歩き、踏み込む者と支える者の間が開けば、その場で止めていた。


 義信は稽古を続けさせ、使者を迎えた。


 書状を差し出した侍は、型どおりの挨拶を済ませると、信長の言葉を伝えた。


「犬山を巡る戦について、両家の主が直接話したいとの仰せにございます。お会いする場所と供の人数は、こちらと御相談のうえで定めたいと」


 虎昌の目が細くなった。


 於久地を手に入れ、犬山の足場を削ったばかりの相手である。斎藤勢が敗れたからといって、信長まで兵を下げねばならぬ事情はなかった。


 義信は書状を読み終え、使者へ顔を上げた。


「信長殿は、犬山から手を引く話をしたいのか。それとも、こちらに手を引かせたいのか。その辺りまで聞いてきておれば、先に教えてもらいたい」


「城を明け渡せという申し出ではございませぬ。互いに、同じ川辺へ兵を置き続けることを望むのか、まずお考えを確かめたいと申しております」


 義信は、口元を緩めた。


 信長は、武田が増援を得たことも、西美濃へ手を伸ばしたことも知っているのだろう。犬山だけに兵を使わせておけば、別の場所で先を越される。


 こちらが困ることを並べるだけの使いではなかった。


「会おう。場所は見通しの利くところを選ぶ。こちらからも人を出すゆえ、そなたと一緒に確かめさせてくれ」


 使者が下がると、虎昌がすぐに口を開いた。


「御館様。信長殿が兵を休めれば、その分を美濃へ向けられますぞ。犬山のために得た暇が、別の戦の苦労へ変わるやもしれませぬ」


「分かっておる。だが、こちらも犬山と川の北を守りながら、美濃の奥へ進むのは骨が折れる。信清殿の意向も確かめよう。俺たちだけで、あの城のことを決めてはならぬ」


 半兵衛は使者の去った方を見ていた。


「信長殿には、西美濃の動きも気になるのでしょう。安藤殿と稲葉殿が武田へ従った以上、城攻めだけで取り返せる遅れではありません」


「ならば、戦を止めるとしても、何を止めるかは細かく決める。美濃から出ていけと言われて、頷きに行くのではないからな」


     ◇


 会見に先立ち、犬山から信清の返答が届いた。


 城を守るための取り決めならば応じる。ただし、於久地を失ったことまで、永久に認める約束にはしないでほしいという。


 義信は、その願いを受け入れた。


 城を渡さずに済んだというだけで、信清が喜ぶとは限らない。外の所領を削られ、去った家臣もいる。その無念を、新しい主の都合で押し潰してはならなかった。


 両家の使いは、川岸に近い開けた場所を選んだ。


 囲いを作れば外から中が見えなくなる。屋根だけを掛け、双方の供が相手の動きを確かめられるようにした。舟を着ける場所も、供を止める位置も先に定める。


 会見の日、義信は信房へ前線の軍を預けた。


 胸の痛みは薄れ始めていたが、具足を締めるとまだ鈍く響く。虎昌がその手元を見ていたので、義信は自分から言った。


「今日は槍を振り回さぬつもりだ。帰ったら、傷を診る者にも見せよう」


「そのお言葉、覚えておきますぞ。話が熱くなったからと、腕比べを始められては困ります」


 義信は笑い、馬へ足を掛けた。


 同道する半兵衛は、念のための書付を改めている。信清との連絡を受け持つ大沢の家臣も加わった。


 会見の場へ着くと、川から上がってくる一団が見えた。


 その先頭に、信長がいた。


 義信は歩み寄りながら、男の顔を見た。後世の肖像から思い描いていた姿よりも、生身の相手はずっと落ち着きなく周囲へ目を配っている。


 供の足、岸へ戻る道、こちらの旗。


 順に確かめてから、その目が義信に止まった。


「義信殿。遠く甲斐から来られて、随分と美濃で働いておられる」


「信長殿も、俺が東を向いている間に於久地へ入られた。おかげで、信清殿から難しい頼みを預かってきたところだ」


 二人は互いに礼を取り、用意された席へ進んだ。


     ◇


 信長は、先に犬山の話を出した。


「信清を攻め、鵜沼へ兵を渡し、義信殿がそれを迎える。今の戦を続ければ、双方とも川辺へ兵を置かねばならぬ。そこで三十日、互いの持ち場を攻めぬことを提案したい」


 義信は、すぐには答えなかった。


「犬山だけを止めても、伊木山や鵜沼へ兵を向けられては、こちらの手は空かぬ。北岸の備えも含めた話でよいのだな」


「そのつもりで来ておる。こちらも於久地など、今押さえている場所へ攻め込まれては困る」


 半兵衛が、両家の使いで整えた書付を広げた。


 対象となる城と陣、渡しを一つずつ挙げる。攻め寄せぬことだけでなく、舟を襲わぬこと、城へ入る兵糧を奪わぬことまで確かめた。


 信長は聞き終えると、犬山へ向かう道を指した。


「荷を通すというなら、番の者が確かめることは認めてもらう。兵を荷運びに紛れ込ませ、城へ増やされては、三十日が終わった後の戦が変わる」


「それは双方同じだ。だが、改めるという名目で荷を何日も止められては、通す約束が役に立たぬ。通す日と場所を決め、両家の者を立ち会わせよう」


 信長は半兵衛へ目を向けた。


「竹中殿であるな。伊木山で、旗を持たぬ者を率いたのは、そなたか」


 半兵衛は目を伏せずに一礼した。


「はい。あの折は、木下殿に山を明けていただきました」


「藤吉郎は、敵が首も荷も欲しがらなかったと申しておった。帰らせるつもりの相手を追うなと、よく言い含めたものだ」


「追えば、こちらも兵を失います。取った山を守る者まで減らすわけには参りませんでした」


 信長は、それ以上を尋ねなかった。


 義信には、その短いやり取りの方が、敵の策を罵る言葉より重く感じられた。信長は失った山のことを覚え、何をした相手なのかを確かめに来ている。


 やがて、於久地の扱いへ話が及んだ。


「この取り決めによって、城や領地の帰属まで永久に定まったことにはせぬ。信清殿には、そう約束してきた」


 義信が告げると、信長は頷いた。


「異存はない。三十日を買うための話だ。信清の願いまで、ここで残らず片づけようとは思っておらぬ」


 その言葉に、大沢の家臣が小さく息を吐いた。


     ◇


 次に、美濃での戦をどう扱うかが残った。


 信長は膝へ手を置き、義信を見た。


「武田も織田も、斎藤の城へ兵を向けることはある。そのたびに、休戦を破ったと言われては戦えぬ」


「斎藤方への働きまで止める約束にはしない。ただし、すでに互いに従っている者を、斎藤方だと言って攻めるのは認めぬ」


「安藤と稲葉のことを申しておるのだな」


「両名とも、俺の下知を受ける者だ。あの城へ兵を向ければ、犬山で戦を止めても、西で武田と戦うことになる」


 信長は、しばらく義信を見ていた。


 義信も、そこで目を逸らさなかった。


 会うことを承知したときから、譲れぬところだった。新たに従った者を、この三十日だけは守れぬなどと言えば、交わした約束が空になる。


「ならば、互いに今従えている者を明らかにする。知らぬ間に味方となっていた城を攻めたと、後から責められても困る」


「その取り決めでよい。これから従う者が出たときも、使いを出して知らせる。戦場で負けかけてから、別の旗を掲げただけで間に合ったことにはさせぬ」


 半兵衛が筆を取り、言葉を整えた。


 使いが到着するまでに起きた戦まで、全てなかったことにはできない。帰属を争う事柄が生じれば、まず現場の兵を止め、双方へ確かめる。


 信長は書かれた文言を読み、指先を止めた。


「義信殿は、美濃の者を随分と早く取り込む。城と家臣をそのまま認めれば、兵は得られよう。だが、皆が自分の城を守りたいと申せば、外へ出す軍に困らぬか」


「困るから、誰にどの戦を任せるかを決めておる。城を守らせる者も要るが、外で働かねば城まで敵が来る。その話ができる者と結ぶ」


「国衆同士の間まで、義信殿が引き受けることになるぞ」


「すでに引き受けた。これから苦労するのだろうが、そなたの家中とて、苦労なく一つにまとまったわけではあるまい」


 信長の口元が、わずかに動いた。


「まこと、遠くの国から城と兵だけ取りに来た男ではなさそうだ」


 義信は笑い、脇に置かれた水へ手を伸ばした。


 喉を潤すと、胸の奥に残っていた緊張が少し解けた。目の前の男を知っているつもりだったが、実際に言葉を交わせば、返ってくるものは記憶の中の逸話とは違っていた。


 先を知ることと、この相手に勝つことは、やはり同じではなかった。


     ◇


 休戦は、使いを各地へ届けるための猶予を置き、五日後の朝から始めることになった。


 信清にも確定した条目を送り、犬山から約束を破らせぬよう下知する。織田側も城と陣へ人を走らせ、荷を通す場所には双方の立会人を置く。


 義信は書付へ名を記した。


 信長も同じように手を動かすと、文言をもう一度確かめてから立った。


「三十日あれば、取れる城も、動く者も出よう。義信殿も、そのために川辺の戦を止めたのだろう」


「そなたが空いた兵を寝かせておくとも思ってはおらぬ。こちらも、得た暇を使わせてもらう」


 二人は礼を交わした。


 信長が舟へ向かう背を見送りながら、義信は半兵衛へ声をかけた。


「城を一つ明け渡すより、よほど骨が折れる話だったな」


「御館様が、安藤殿と稲葉殿のところで譲られなかったので、こちらも文言を定められました。あそこを曖昧にすれば、西の軍が動けなくなるところでした」


「だが、信長殿も得をした。厄介な相手に、兵を使う暇を渡したぞ」


 半兵衛は川面へ目を向けた。


「はい。ですから、私どもも急がねばなりません。氏家殿の使いには、この取り決めまで見て帰っていただきましょう」


     ◇


 休戦の始まった朝、犬山へ向かう舟に、米俵が積まれた。


 岸には武田と織田の者が立ち、荷と乗る者を確かめていた。舟頭が棹を持ち直し、合図を待つ。矢を避けるために伏せる必要がないと分かっていても、川を渡る者の顔には、まだ強張りが残っていた。


 義信は出立を見届けた。


 信清からは、取り決めを守るとの返答が来ている。於久地から犬山へ移った者たちも城へ収め、警固を組み直したという。


 舟が岸を離れると、後ろで兵の一人が大きく息を吐いた。


 その様子を、氏家直元の使いも見ていた。


「義信殿は、犬山を守るために織田と戦われた。その織田と話をつけ、城を保ったまま兵を動かせるようになされたのですな」


「こちらの兵だけで、この先も全てを守れるわけではない。信清殿が城を持ちこたえてくれたから、話をする余地が残った」


 義信は使いへ向き直った。


「直元殿には、見たままを伝えてくれ。信長殿は兵を動かせるようになった。俺も動く。大垣の門を閉じておれば、戦まで通り過ぎてくれるとは限らぬぞ」


 使いが深く頭を下げた。


 陣へ戻ると、馬場信房が、出せる兵と残す兵をまとめて待っていた。三郎兵衛は川辺の番を交代させ、虎昌は先へ運ぶ荷を改めている。


 義信はその間を歩き、半兵衛から西美濃の報告を受け取った。


 胸の痛みは、まだ消えていない。だからこそ、槍を振れる者も、軍を率いられる者も揃っていることが頼もしかった。


「信房、先へ出る兵を頼む。俺は半兵衛と、稲葉殿へ求める働きを決める。別々に動いても、同じ敵を受け持てるようにするぞ」


 信房が一礼し、兵の方へ向き直った。


 ほどなく、川辺とは反対の道へ武田の先手が出た。義信は続いて運ばれる槍と荷を見送り、陣幕の内へ戻った。




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