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『武田信玄の嫡男に転生した歴史教師、謀反を成功させて父を家臣にする ~武田義信、最強の父子で天下を取る~』  作者: あちゅ和尚


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第21話 信長の目の前で渡せ

 夜明け前、鵜沼の舟着きに並べられた米俵へ、義信は手を置いた。


 甲斐から担いできた米ではない。自軍の当座の糧を残したうえで、大沢家から買い受けた二十俵である。これに矢束と替えの弓弦を添え、三艘に分けて犬山へ渡す。


 城一つを長く養える量ではなかった。しかし、封鎖されても荷が届くと分かれば、城内の者が明日を見る目は変わる。


「御館様、船頭たちが申しております。向こう岸へ真っ直ぐ漕がせるような下知だけは、お控えいただきたいと」


 大沢次郎左衛門の言葉に、義信は川面から目を戻した。


「俺が船を操れるなら、とっくに竿を握っておる。舟のことは任せる。兵をどこへ置けば働きやすいか、そちらを教えてくれ」


 大沢は船頭の頭を呼び寄せた。


 男は川上を指し、そこから流れを横切って犬山側へ寄せる道筋を説明した。岸を離れた後で追い立てられれば、予定した場所へ着けなくなる。舟を出す岸だけでなく、流れ着く先も味方が押さえていなければならない。


「では、犬山の迎えが整うまでは出さぬ。こちらから急かす者がいても、川の具合が悪ければ止めてよい」


 義信が言うと、船頭は深く頭を下げた。


 その向こうで、竹中半兵衛が城下から戻ってきた。


「信清殿は、東へ兵を出す支度を進めておられます。こちらが荷を渡す間、織田方を引きつけるお考えです」


「城へ帰る道を失っては困る。深追いせぬよう伝えられたか」


「そこは信清殿も心得ておられます。むしろ、我らに川ばかり見ておらぬようにと」


 半兵衛は振り返り、西の道を見た。


「昨夕退いた織田勢に、兵が加わっております。川下の渡しを使い、尾張から北岸へ入れたようです」


 義信は米俵から手を離した。


 信長は、もう動いていた。


     ◇


 犬山の南に置かれた陣で、信長は鵜沼の旗を見ていた。


 大沢が武田へ従ったとの知らせは、昨夜のうちに届いている。甲斐から来た兵は五百ほど。だが、城と舟着きが加われば、その五百を簡単には追い払えなくなる。


 丹羽長秀が、北岸から戻った使いの報告を取り次いだ。


「武田は舟へ荷を積んでおります。犬山へ渡すものと思われます」


「信清も、それに合わせて出るだろう。城の東で騒いでも、全軍を向けるな。退き口を押さえ、遠くへ出さぬだけでよい」


 信長は鵜沼から東へ続く山際へ視線を移した。


「北岸の兵には舟着きを攻めさせよ。武田が守りを寄せたところで、別手を東へ回す。荷駄を見つければ奪え。難しければ道を塞ぐだけでもよい」


「川と後ろを同時に脅かすのでございますな」


「五百しかおらぬなら、五百で全部を守らせる。義信が犬山へ渡れば、帰る岸を失わせよ」


 さらに信長は、川下に待たせた舟にも指図を出した。


 荷舟が流れへ出たら近づき、犬山側の迎えが整う前に追い立てる。米を奪えるなら奪い、無理なら舟を使えなくする。


 城を落とすために集めた兵を、すべて鵜沼へ向けるつもりはなかった。


 武田が守る場所を増やす。その間も犬山への圧力は緩めず、遠くから来た義信の兵と糧を削る。


「甲斐へ戻る道を気にしながら、いつまで川辺に立っておれるか。まずは見せてもらおう」


     ◇


 日が山の端を離れた頃、西の物見から知らせが入った。


 織田勢が進んでくる。昨夕より数が多く、先頭の兵は槍だけでなく盾と弓を備えていた。


 舟着きでは荷を積む手が止まりかけたが、飯富虎昌の声が飛んだ。


「持ち場を離れるな。西はわしが受ける。荷を扱う者は、その仕事を続けよ!」


 虎昌は二百を率いて、夜の間に据えた柵へ向かった。


 敵は正面から駆け込んでこなかった。弓を前へ出し、柵の陰から姿を見せた者を狙う。槍勢も広がり、川辺へ回り込める場所を探り始めた。


 義信は川上の高みに立ち、その動きを見ていた。


「半兵衛、虎昌へ兵を足せば、舟着きは薄くなるな」


「はい。それを待っているのでしょう。今朝の敵は、柵を一息に抜くより、こちらの兵を動かそうとしております」


 川下にも舟が見えた。


 荷を積んだ様子はなく、漕ぎ手のほかに数人ずつが乗っている。犬山へ寄るでも鵜沼へ着けるでもなく、流れの緩いところで待っていた。


 義信は大沢を呼んだ。


「川下の舟が出てきても、こちらの荷舟は向こう岸へ着けるか」


「船頭は嫌がりましょう。途中で進路を変えさせられれば、犬山の城兵が守る岸から外されます」


 そこへ甚六が駆け上がってきた。


「御館様、東へ回った敵がおります。数は五、六十。城下へ入る道を避け、山裾を進んでおります」


 半兵衛が細く息を吐いた。


「やはり、後ろも狙っておりましたか。源五郎殿を東の見張りへ置いて正解でした」


「荷駄の場所まで見つかったか」


「まだにございます。源五郎様が荷を城下へ戻し、案内の者に別の道を見張らせております。ただ、このまま道を塞がれては、後から来る者が危のうございます」


 義信はすぐに決めた。


「半兵衛はここを頼む。大沢殿、舟と城を守る兵は動かさずにいてくれ。東は俺が押し返す」


「御館様が出られるのであれば、八十を。敵を追って山へ入らず、道を取り返したところで止めてくだされ」


 半兵衛の言葉に、義信は頷いた。


「荷を抱えて逃げる戦にはせぬ。川を渡すまで、帰り道もこちらで持つ」


     ◇


 源五郎は荷駄の最後尾を城下へ入れると、空いた道へ兵を伏せた。


 敵を待ち受けるには数が足りない。それでも、先頭の者だけを見せて逃げれば、織田勢を城下の方へ誘い込んでしまう。村の家々へ入られる前に、どこかで止める必要があった。


 義信が着いたとき、源五郎は十人ほどとともに、小さな切通しの上にいた。


「道を守ろうとして、敵と一緒に潰されるな。よく荷を戻した」


 義信が声をかけると、源五郎は険しかった顔を僅かに緩めた。


「この先で敵が二つに分かれました。一方が道へ出て、残りは林沿いに進んでおります。こちらの兵を挟むつもりかと」


「ならば、林の方へ先に当たる。道にいる者には、こちらがまだ少ないと思わせておけ」


 大沢の案内役が、畑の脇を抜ける細道を示した。


 義信は兵を二組に分けた。半数を道の備えへ回し、自らは残りとともに林の端へ入る。


 枝の間に、槍を横たえて進む敵兵が見えた。


 向こうもこちらに気づき、先頭の侍が声を張る。義信は立ち止まらず、味方が横へ広がれるところまで踏み込んだ。


「武田義信である! この先の荷は、もう城へ入れた。欲しければ、俺たちを越えて来い!」


 敵の槍が繰り出された。


 義信は柄を合わせて外へ押し、隣へ出た味方の槍に相手を追わせた。自分で一人を倒すより先に、後続が並ぶ幅を取る。


 足元で落ち葉が滑った。踏ん張り直したところへ、別の侍が槍を短く持って詰めてきた。


 枝の多い場所で長槍は使いにくい。相手はそれを見て、柄を掴みに来たのである。


 義信は引き合わなかった。


 槍を手放し、伸びた腕の肘を押し上げながら懐へ入る。腰を寄せ、相手の進む勢いを足元から崩すと、侍は斜面へ横倒しになった。


 起き上がろうとした喉元へ、後ろの近習が槍を突きつける。


「その者は生かせ。残りを道から離すぞ!」


 義信は味方から予備の槍を受け取った。


 林へ入っていた織田兵が後退する。その背後で、道の方からも武田の鬨が上がった。


 荷駄を狙うはずが、逆に退く道を脅かされている。


 敵の頭は素早く兵をまとめ、西へ抜けるよう命じた。義信は追撃を切通しの手前で止め、源五郎へ告げた。


「ここに兵を残す。後続の荷は、敵が退いたからと気を緩めず、城まで案内をつけよ」


「承知しました。御館様は川へお戻りください。こちらの道は、私が守ります」


 源五郎は捕らえた侍を見下ろした。


 縄をかける前に傷を確かめ、水を飲ませるよう命じている。義信はその働きを一度だけ見届け、舟着きへ引き返した。


     ◇


 川辺では、まだ一艘も出ていなかった。


 西からは弓弦の音と怒号が聞こえ、川下の織田舟は次第に間合いを詰めている。


 大沢が義信を迎えた。


「船頭を止めております。犬山の迎えがまだ揃いませぬ」


「それでよい。無事に着けるかどうかは、俺よりそなたたちの方が分かる」


 義信が答えたとき、対岸から鬨が響いた。


 犬山の東へ出た信清の兵が、織田方と当たったのである。城から離れすぎぬように進み、敵が寄せれば下がり、足を止めれば矢を射かける。


 同時に、城に近い川岸へ盾を持った兵が現れた。


 迎えの者たちだった。


 大沢が手を上げる。


「今なら出せます。ただし、川下の舟が追ってきますぞ」


 半兵衛は、舟着きに残した弓衆を岸沿いへ進めていた。


「近づけばこちらから射ます。犬山側も迎えを出しました。敵が荷舟を追うには、両岸から矢を受けるところまで入らねばなりません」


 義信は三艘の船頭を順に見た。


「渡り方と出す間は任せる。向こうへ着いたら、帰りを急ぐな。犬山に怪我人がおれば、戻る折に乗せてやってくれ」


 船頭の頭が頷き、岸を蹴った。


 最初の舟が流れへ出る。


 川下の織田舟も動いた。だが、こちらへ寄れば鵜沼の弓が届き、犬山へ近づけば城兵が待っている。


 敵は二艘を前へ出し、残りを川下へ広げた。荷舟の行く先を狭め、守りの薄い岸へ押し流そうとしている。


 大沢の船頭は、すぐには犬山へ寄せなかった。


 先の舟に十分な間を取り、二艘目、三艘目が同じ流れへ乗る。敵が先頭を追えば、後ろの舟は上手側から犬山へ向きを変えた。


 弓が鳴った。


 一艘目の舷へ矢が刺さり、櫓を握る男が身を沈める。それでも手を離さず、舟の向きを保った。


 義信は岸を走った。敵舟を追って、自軍の弓衆が射る場所を移していく。その先で大沢の家臣が矢束を配り、射手が交代して弦を引く。


 対岸でも矢が飛び始めた。


 織田舟の一艘が向きを変える。深く入れば、帰りは流れに逆らいながら犬山の矢を受けることになる。敵の船頭が退くよう叫び、追っていた舟も川下へ離れた。


 やがて、犬山の岸で盾が動いた。


 城兵が舟を受け、米俵を肩へ担ぎ上げる。二艘目が着き、最後に一艘目が岸へ寄った。


 三艘とも、渡りきった。


 舟着きで見守っていた兵たちから声が上がる。義信も胸いっぱいに息を吸い、川向こうへ届くほど大きく笑った。


「よくやった! 帰ってきた船頭には、働きに見合う礼を出すぞ!」


 西では、虎昌がなお柵を守っていた。


 義信は伝令を呼び、短く命じた。


「米は届いたと伝えよ。虎昌の兵にも聞かせてやれ。あそこで踏ん張った二百が、渡した米だ」


     ◇


 信長は、犬山の岸へ上がる米俵を最後まで見ていた。


 長秀が戻り、北岸の別手が追い返されたことを報告する。


「荷駄は城下へ移されておりました。義信自身が兵を率いて現れ、道を取り返したとのことにございます」


「川を前にしても、後ろへ目が届いたか」


 信長は陣の兵へ、北岸への攻めを切り上げるよう命じた。


 荷舟を止められなかった以上、柵に当たり続けて兵を失う必要はない。犬山の兵も城へ戻り始めている。引き際を誤れば、退くところを狙われる。


「長秀、北岸の兵を立て直せ。小人数ずつ使っても、あれは動かせぬ。鵜沼を攻めるなら、城と舟着きをまとめて押さえる仕度が要る」


「犬山への備えは、いかがいたします」


「緩めるな。今日渡った米で、いつまでも持つわけではない」


 信長は鵜沼の岸へ目を戻した。


 武田の兵が柵の前へ出て、負傷者を運んでいる。勝ちに乗じて西へ追ってくる気配はなかった。


 義信は舟着きを守り、東の道も残した。そのうえで犬山へ荷を入れている。


 信長は使いを呼び寄せ、増援を集めるための指図を与えた。


     ◇


 日が傾く頃、犬山から一艘が戻ってきた。


 米俵を積んでいたところには、筵に横たわる負傷者が二人。その傍らに、信清の使者が膝をついていた。


 義信は先に怪我人を上げさせた。濡れた衣を替え、風を避けられる家へ運ぶ。使者はその様子を見届けてから、書状を差し出した。


「殿より、御礼とお返事にございます」


 文には、荷が無事に届いたことが記されていた。


 そして信清は、所領と家臣の扱いを改めて取り決めたうえで、武田の旗の下で戦う意向を示していた。義信のもとへ当主自ら来るには、まだ川が危うい。まずはこの使者を通じ、双方の軍勢の動かし方を定めたいという。


 義信は読み終え、大沢と虎昌にも文を渡した。


「返事には、城を守りきってくれた礼を書こう。今日の荷は、信清殿が迎えの岸を守らねば届かなかった」


 使者が頭を下げる。


 義信はその顔を覗き込み、声を和らげた。


「犬山の兵は、米を見て何と申していた」


「俵を数える者より先に、炊ぎの支度を始める者がおりました。殿が笑われて、今夜は少し多めに食わせよと」


「それはよい。腹を減らしたまま勝ち鬨だけ上げても、明日の槍は重いからな」


 川辺では、戻った船頭が矢の刺さった板を叩き、明日までに直せると話していた。大沢の家臣が材を運び、武田の兵も手を貸している。


 義信は袖をたくし上げ、その輪へ入った。


 船頭が慌てて止めようとすると、義信は取り替える板の端を持ち上げた。


「俺が押さえる。そなたは釘を打て。次も向こうへ着けてもらわねばならぬから、丈夫に頼むぞ」




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