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『武田信玄の嫡男に転生した歴史教師、謀反を成功させて父を家臣にする ~武田義信、最強の父子で天下を取る~』  作者: あちゅ和尚


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第18話 犬山城に先手を打つ

「御館様。尾張の犬山城が、間もなく危うくなるかもしれませぬ」


 甚六がそう告げると、武田義信は手にしていた書状を置いた。


 躑躅ヶ崎館の庭では、落ち葉を掃く小姓たちの姿が見える。秋も終わりに近づき、甲府の朝はすっかり冷え込むようになっていた。


 義信は先ほどまで、竹中半兵衛から届いた美濃の報告を読んでいた。安藤守就との密かな協力が始まり、西美濃の国衆へも少しずつ働きかけが進んでいる。


 その矢先に、今度は尾張からの知らせである。


「犬山城主の織田信清殿か。あの男の周囲で何か起きたのだな」


「はい。信長方の者が、犬山の支城を預かる武将たちへ接触しているようにございます」


 甚六が差し出した書付には、於久地城の中嶋豊後守、黒田城の和田新介という二人の名が記されていた。


 義信はそれを見て、静かに頷いた。


 織田信清は信長の従兄弟に当たり、かつては協力関係にあった。しかし今では対立し、犬山城を拠点として抵抗を続けている。


 前世で学んだ歴史では、信清はやがて犬山城を失い、甲斐へ落ち延びて信玄を頼ることになる。犬山鉄斎を名乗ったという伝承も残っていた。


 ただし、落城に至る経緯や年代には、史料によって食い違いがある。


 少なくとも、今ならまだ手を打つ余地があった。


「甚六。この二人がすでに信長へ寝返ったという証はあるのか」


「そこまでは分かっておりませぬ。織田方の使者と接触した者がいることは確かですが、本人たちがどこまで承知しているかは不明にございます」


「よく調べてくれた。確かでないことを確かだと言われるより、ずっとありがたいぞ」


 義信は地図を引き寄せた。


 犬山城は木曽川に面した尾張北部の要地である。川の向こうには美濃が広がり、東へ進めば苗木や岩村へ至る道につながる。


 信長が犬山を手に入れれば、尾張北部の支配を固め、美濃攻略へさらに力を注げるようになる。


 反対に、信清が城を守り続ければ、織田は背後への警戒を解けない。


「面白い場所に城を持っておるな、信清殿は」


 義信が地図を眺めていると、隣の信玄が口を開いた。


「義信。犬山まで手を伸ばすつもりか」


「まずは信清殿の考えを確かめたいと思います。あの城を失えば、信長の美濃攻略はさらに進みましょうから」


「だが、甲斐から犬山までは遠い。東美濃の遠山を頼っても、大軍を送るのは容易ではないぞ」


「承知しております。できもしない救援を約束して、他家を滅ぼすわけにはまいりません」


 義信は少し考え、甚六へ向き直った。


「信清殿へ文を届けてくれ。中嶋と和田の周囲に不穏な動きがあることを知らせたい。ただし、二人が裏切ったと決めつけるような書き方は避けよう」


「承知いたしました」


「それから、もし城を守るうえで困っておられるなら、何が必要か尋ねてほしい。武田が力を貸せることもあるだろう」


 信玄は地図を見つめ、しばらく考え込んだ。


「義信。そなたは信清を助けることで、信長の美濃攻略を遅らせたいのじゃな」


「はい。それだけではありません。尾張の事情を知る者と縁を結んでおけば、今後の交渉にも役立ちます」


「信清が武田を信用するとは限らぬぞ」


「だからこそ、先に役立つことをするのです。相手が困っているときに恩を売るのは、悪い商いではありますまい」


 信玄の口元が緩んだ。


「そなた、随分と抜け目がなくなったものよ」


「よい師に恵まれましたので」


「わしのせいにするでない」


 義信は声を上げて笑ったが、書状を書く手は止めなかった。


 その文面は、決して長くない。


 犬山城の周囲で不穏な動きがあること。武田としてもその動向を注視していること。そして、必要ならば協力について話し合いたいという申し入れである。


 援軍を約束する言葉は入れなかった。


 代わりに、信清自身が望むなら、家族や家臣の安全を確保する方法についても相談に応じると記した。


「甚六。道中は源五郎とも連絡を取ってくれ。遠山景任殿の領地を通る際には、きちんと話を通すのだ」


「はっ」


「それと、危険な仕事だからこそ、無理はするな。文を届けられぬと判断したら、引き返して構わん」


 甚六は深く頭を下げた。


「必ず、よい知らせを持ち帰ります」


「期待しておるぞ」


 義信は書状を渡した。


 尾張の情勢が動く前に、こちらも一手を打つ。


 それだけのことだった。


     ◇


 尾張国、犬山城。


「殿。於久地の動きが、どうにも気にかかります」


 家臣の報告を聞いた織田信清は、険しい顔で地図を見下ろした。


 信長との対立が深まってから、犬山を取り巻く状況は悪くなる一方だった。


 信長は小牧山城へ本拠を移し、尾張北部の支配を固めようとしている。正面から犬山を攻めるだけでなく、周囲の支城や家臣を一つずつ切り崩す動きも見せていた。


「中嶋からは何と言ってきた」


「警固を強めているとのことです。ただ、近頃は織田方の使者が周辺へ現れるようになったとも」


「和田の方は」


「黒田でも似た噂がございます。まだ確かなことは分かりませぬが……」


 信清は深く息を吐いた。


 城が堅くても、家臣の心が離れれば守れない。


 それは戦国の世では珍しくもないことだった。


 だが、分かっていても防ぐのは難しい。


 織田家の一門として長く生きてきた信清にとって、信長と争うだけでも苦しい。そのうえ家臣たちまで疑わねばならないとなれば、心の休まる暇などなかった。


「殿。美濃から商人が参っております。甲斐の武田家から文を預かっているとのこと」


 信清は顔を上げた。


「武田からとは珍しい。まずは文を改め、使いを通してくれ」


 やがて案内されたのは、商人姿の甚六だった。


 男は礼を尽くして書状を差し出した。


「武田義信様より、お預かりして参りました」


 信清は封を開き、静かに読み始めた。


 そして、於久地と黒田の名が記されているのを見て、眼を細めた。


「……武田は、ここまで調べておるのか」


「御館様は、犬山の情勢を案じておられます。ただし、両名が織田方へ従ったと確かめられたわけではございませぬ」


「証のない話で家臣を罰すれば、かえって家中を乱す。そこは分かっておる」


 信清は書状を畳んだ。


「しかし、義信殿はなぜわしへ知らせてくださる。甲斐にとって犬山は遠い城であろう」


「武田は美濃の情勢を重く見ております。犬山もまた、その行く末に関わる土地にございますので」


「なるほど。信長に美濃へ進まれては困る、ということか」


 甚六は微笑んだが、否定はしなかった。


 信清はその態度を見て、小さく笑った。


「正直な話だ。むしろ信用できる」


 書状には、犬山へ大軍を送るとも、信長を必ず破るとも書かれていない。


 できることと、できないことを分けたうえで、協力を申し出ている。


 信清はその点を評価した。


「甚六殿。義信殿には礼を伝えてほしい。こちらでも家臣の動きを改めて調べてみよう」


「承知いたしました」


「それから、武田との話は続けたい。今の犬山に、頼れる道が多すぎて困るような余裕はないからな」


 甚六は深く頭を下げた。


     ◇


 その夜、信清は密かに城内の警固を改めさせた。


 門番の組み合わせを変え、夜間に城へ入る荷についても確認を厳しくする。特に、普段から出入りを任されている者の動きを調べさせた。


 それは、武田からの書状を鵜呑みにしたからではない。


 自分の城の安全を確かめるためだった。


 やがて、門を守る武士の一人が、不自然な銭を受け取っていたことが分かった。


「殿。この者、城外の者と密かに会っていたようにございます」


 連れてこられた武士は、顔色を失っていた。


 信清は怒鳴らずに尋ねた。


「誰から銭を受け取った。正直に申せば、話は聞こう」


 武士はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で答えた。


「……織田方の者にございます」


 信清は眼を閉じた。


 最も恐れていたことが、現実になっていた。


「何を頼まれた」


「夜半、荷を運ぶ者たちを城へ入れるようにと。初めは商人だと聞かされておりましたが、後になって武器を持つ者も混じると……」


「何人だ」


「十人余りと聞いております。その後にも人が来ると……」


 信清は深く息を吐いた。


 十数人でも、城門を押さえれば十分に危険である。


 門が開いたところへ後続の兵が押し寄せれば、城内はたちまち混乱する。


「この者を別室へ移し、ほかの者と話をさせるな。供述の裏も取れ。今夜は門を閉ざしたまま、誰であろうと勝手に通すことを禁ずる」


「はっ!」


「それから、城内の者へ不用意に話を広めるな。内通した者がほかにもいるなら、こちらが気づいたと知られるのは得策ではない」


 家臣たちは頷き、持ち場へ戻った。


 信清は城壁の上へ出た。


 木曽川の向こうに、闇に沈んだ美濃の山々が広がっている。


 やがて遠くの道に、小さな松明の光が現れた。


 荷を運ぶ者らしい一団だった。


 しかし、いつもなら通れるはずの門は閉ざされている。


 一団はしばらく立ち止まっていたが、やがて来た道を引き返していった。


 信清はその姿を見送り、ようやく息を吐いた。


「……危ういところだったな」


 隣の老臣が頷く。


「武田からの知らせがなければ、今夜は違う結果になっていたかもしれませぬ」


「ああ。だが、信長もこれで諦めるまい」


 信清は城下へ目を向けた。


 犬山を守る戦いは、まだ始まったばかりである。


「武田義信殿へ、改めて礼を伝えよう。それから、協力について本格的に話を進めたい」


「武田へ従われるお考えですか」


「まだそこまでは決めておらん。だが、こちらの苦境を知って、実際に役立つ知らせを届けてくれた。話を聞くに足る相手であることは確かだ」


 信清は背筋を伸ばした。


「犬山を守るため、使える道はすべて使う。信長が相手だからといって、簡単に城を捨てるつもりはない」


     ◇


「……犬山の門番が替わったそうです」


 小牧山城で丹羽長秀が報告すると、織田信長は筆を置いた。


「こちらへ通じていた者か」


「はい。詳しい事情はまだ分かりませぬが、予定していた者たちも城へ入れず、引き返したとのことにございます」


 信長はしばらく黙っていた。


 犬山城を正面から攻めれば、相応の損害が出る。


 そのため、まず周囲の城を切り崩し、信清を孤立させようとしていた。


 城内へ通じる者を作るのも、その一環である。


 ところが、その手が使えなくなった。


「信清に察知されたか」


「その可能性が高うございます」


「こちらの動きを知らせた者がいるのかもしれんな」


 信長は地図へ視線を落とした。


 犬山の北には美濃があり、東へ進めば遠山一族の領地につながる。


 そして遠山一族は、武田家とも縁が深い。


「甲斐の新当主について、何か分かったか」


「武田義信殿は、美濃の国衆へ使者を送っておられるようです。竹中半兵衛や安藤守就の周囲にも、東美濃から人が出入りしているとの噂がございます」


「なるほど。美濃の東から手を伸ばしてきたか」


 信長は口元をわずかに緩めた。


「ならば、こちらも急がねばならんな」


 長秀は頭を下げた。


「犬山への攻めを強めますか」


「まずは周囲の城からだ。信清へ直接兵をぶつけるより、支える者を減らす方がよい」


 信長は地図の於久地と黒田を指した。


「中嶋と和田への働きかけを続けよ。ただし、相手の心が定まる前にこちらの動きを知られるな。犬山で失敗したばかりじゃ」


「承知いたしました」


「それから、武田の使者がどの道を通っているかも調べておけ。美濃から尾張へ入る道を使っているなら、いずれ誰かの眼に留まる」


 長秀が退出すると、信長は再び地図を見た。


 武田義信。


 噂ばかりが先行していた若い当主だったが、その手はすでに尾張の近くまで伸びてきているらしい。


「……面倒な男が現れたものよ」


 信長はそう呟き、筆を取った。


 次に打つ手は、もう決まっていた。


     ◇


 犬山からの返書が甲府へ届いたのは、使者を送り出してから二十日近くが過ぎた頃だった。


 義信は書状を読み終えると、信玄へ差し出した。


「父上。信清殿から礼が届きました。こちらの知らせが役に立ったようです」


 信玄は目を通し、静かに頷いた。


「門番の内通を見つけたか。信清も、まだ捨てたものではないな」


「ええ。こちらから知らせたとはいえ、実際に城を守ったのは信清殿自身です」


 義信は地図を広げた。


「ただ、これで終わりではありません。信長は次に周辺の城を切り崩してくるでしょう」


「於久地と黒田か」


「はい。信清殿が犬山を守るには、あの二つの動きが重要になります」


 信玄は頷いた。


「だが、我らが大軍を送るには遠すぎる。兵を動かすなら、美濃の国衆と十分に話をつけねばならぬぞ」


「そのとおりです。まずは遠山景任殿と直廉殿へ相談します。兵を送る前に、道を使えるかどうか確かめたい」


 義信は源五郎から届いた報告も広げた。


 岩村では半兵衛との連絡が続き、安藤守就からも美濃の情勢が少しずつ伝わってきている。


 信長が西から美濃を狙う一方、武田は東から人を動かし始めていた。


「父上。今回のことで一つ分かりました」


「何じゃ」


「信長はやはり手強い。犬山を正面から攻めるだけでなく、家臣の心まで崩そうとしております」


「当然じゃ。戦とは槍を交えるばかりではない。そなたも、それを忘れるなよ」


「心得ております」


 義信は地図へ指を置いた。


「だからこそ、俺も先手を打ちたい。信長が城を取るために動くなら、こちらは城を守る者たちへ手を伸ばす。どちらが人を動かせるか、勝負ですな」


 信玄は少し笑った。


「義信。美濃を取るつもりなら、犬山ばかりに気を取られるなよ」


「もちろんです。今は信清殿が踏みとどまってくれるだけでも、十分にありがたい。こちらはその間に、東美濃から進む態勢を整えましょう」


 義信は筆を取り、遠山家へ送る書状をしたため始めた。


 その内容は、犬山へ兵を送れという命令ではなかった。


 まずは木曽川周辺の道と渡し、各城の位置、物資を運ぶ場合に必要となる日数を調べてほしいというものだった。


 そして、信清から新たな知らせが届いた場合、武田へ速やかに伝えられる連絡の道を確保すること。


「源五郎にも働いてもらいます。甚六の忍び衆と協力させれば、知らせが届くまでの日数も少しは縮められるでしょう」


 信玄は頷いた。


「よかろう。だが、義信。知らせが早く届くことと、兵が早く着くことは別じゃ。その違いを忘れるな」


「さすが父上。肝に銘じます」


 義信は笑った。


 父は相変わらず厳しい。


 だが、今はその厳しさがありがたかった。


 天下を目指す道で、自分の考えを正面から批判してくれる名将が隣にいる。それほど恵まれたことはない。


「さて、信長は次にどう動きますかな」


 義信が地図を眺めていると、廊下から家臣の声が響いた。


「御館様! 東美濃より急ぎの知らせにございます!」


 義信は顔を上げた。


 使者は息を切らしながら進み出ると、一通の書状を差し出した。


「遠山景任様より。犬山へ通じる道について、織田方が警固を強め始めたとのことにございます!」


 義信は書状を受け取り、目を通した。


 信長はすでに動いていた。


 犬山の内通が失敗したと見るや、今度は外からの連絡を断とうとしているらしい。


 義信は地図の犬山城を見つめた。


 相手は決断が早い。


 しかも、一つの策が失敗しても、すぐ次の手を打ってくる。


「……なるほど。やはり一筋縄ではいかんな」


 信玄が息子へ顔を向けた。


「義信。どうするつもりじゃ」


 義信は書状を畳み、顔を上げた。


「遠山の者たちを危険にさらすわけにはいきません。まずは源五郎と甚六に、ほかの道が使えるか確かめさせます」


「うむ」


「それから半兵衛にも相談しましょう。美濃の道については、あの男の方が詳しい」


 義信は立ち上がった。


 東美濃から犬山へ。


 その先には、信長の本拠である小牧山がある。


 義信は地図を見つめ、ゆっくりと口元を緩めた。


「信長め、こちらの手を読んでおるか。よいぞ。ならば今度は、俺がその先を読んでやろう」


 信玄は息子を眺め、静かに笑った。


「ようやく面白い相手が出てきたようじゃな」


「ええ。これほど手強い男なら、勝ったときの喜びも大きいでしょう」


 義信は新しい書状を広げた。


 今度は兵を動かすためではない。


 織田信長が何を守り、どこへ力を向けようとしているのか。その全体を見極めるための命令だった。


 父の背中を追っていた頃とは違う。


 いま義信が相手にしているのは、戦国の天下を本気で望む男である。


 その名は織田信長。


 そして、武田義信もまた、同じ天下を望んでいた。




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