第二百十七話 『フタリ』の話・後編
娘の運動会に参加しました。どうも疎陀です。親子競技&ビデオ撮影で滅茶滅茶日焼けして鼻が真っ赤なお鼻のトナカイさんみたいになっています。ごっさイタイ……
さて、二百十七話です。そろそろ佳境に差し掛かります! 一年以上空いたので、なるべく早めに完結できる様に頑張りたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
押し当てられた唇の感触に、しばしエドワードは茫然としたまま、目の前で瞳をぎゅっと瞑り、自身の唇にそれを押し当てるクリスの姿を見つめていた。
「……? ――っ! くり――もがっ!」
慌てて、クリスの体を――不敬に当たらぬよう、そっと押し上げようとして、失敗。下から、それも手加減をして押し返そうとしたエドワードに、相変わらず目をぎゅっと瞑ったままに首を『いやいや』と振って再び唇を押し当てるクリス。その余りの力強さにしばし唖然としたエドワードは――気付く。
「――――ぷはっ。く、クリス様?」
クリスの体が、小刻みに震えている事に。
「……」
「く、クリス様?」
壊れモノに触れるよう、そっとクリスの肩に手を置くエドワード。そんなエドワードの仕草に一瞬、びくっと体を震わせた後、クリスは恐る恐るエドワードに視線を向ける。
「……幻滅、したかの?」
「げ、幻滅? いえ、驚きはしましたが……別に、幻滅は」
「そ、そうかの? は、はしたないとか思わんかったかの?」
「いえ」
そのエドワードの返答に心底ほっとした様に胸を撫でおろすクリス。その仕草が幼子の様でなんだか可愛らしく、ほっこりしたものを覚えつつエドワードは首を傾げる。
「それで……その、なぜ?」
これだ。エドワードだって、クリスの事を当然憎からしく思っている。思ってはいるが、急に唇を奪われれば当然、この様な反応になる。
「……むぅ」
そんなエドワードの視線に不満さを隠すこともせずにじろりと睨むクリス。その視線に少しだけたじろいだ風に身を捩じらすエドワードの胸に、クリスが優しくトンっと右手の拳を落とした。
「……エドワードがアホじゃからじゃ」
「……いや、私も決して賢い方だとは思ってはいないですが……それが、イコール、口付けになりますか?」
『口付け』という単語にポンっと音を立ててクリスのほっぺたが真っ赤に染まる。そんなクリスの姿に『なにそれかわいい』なんて思い浮かべながら、エドワードはじっとクリスの返答を待つ。
「……じゃって……エド、最近ずっと忙しそうじゃったし……」
「いや、まあ……忙しくないと言えば嘘になりますよ?」
実際、エドワードは忙しい。それはクリスの発したラルキア封鎖令の影響の、言ってみれば尻拭いであり、エドワードの頭には微塵も浮かんでは来ないが、現状のエドワードの忙しさはクリスのせいと言っても過言ではないどころかお釣りが来る。
「そうじゃないんじゃ。エドワード、今は私が発したラルキア封鎖令の後始末で忙しいんじゃろ?」
「いえ……まあ……はい」
「なんでじゃ!」
「なんでって……」
何を言われているかわからない。そんな、視線を向けるエドワードにクリスは感情のままに言葉を続ける。真剣な瞳に、思わずエドワードは息を呑んで。
「あんな愚策、フォローのしようがないじゃろ! それを、なんで無理にフォローしようとするんじゃ!」
「………………はい?」
飛んできたトンデモない発言にきょとんとした表情を浮かべて見せる。そんなエドワードをもう一度睨みつけて、クリスは言葉を続けた。
「あんな政策出したら、そりゃ皆がそっぽを向くに決まっとる! もう、誰もフォロー出来ん! オルケナ中の国はフレイム王国を見捨てるじゃろ! エドワードがどうしようもなく優秀でも……こんな状況、ひっくり返せるワケ、ないじゃろ!」
「ええっと……はい?」
「ひっくり返せるんかいな!」
「いえ、それは流石に少し厳しいかとは思っていましたが……」
各国どころか、各商会からそっぽを向かれている現状。正直、『少し』どころか『とても』厳しい。とても厳しいが。
「……そこまでご理解しながら、なぜ?」
そう。わからないのはこれである。そこまで理解できる頭がクリスにあるのであれば、自身で『愚策』とまで言い切ったあのラルキア封鎖令を出す意味はこれっぽちも無く、無いからこそ。
「そんなもん――エドが大事じゃからに決まってるじゃろうが!」
――その意味が、分からない。
「……エドはずっと、私と一緒に居ってくれた。綺麗な服も着せてくれた。女性として、女として歩く自由をくれた。美味しいものも、楽しい本も、面白い演劇も、みんなみんな、自分が、クリスティーナ・ウェストリアとして経験させてくれた」
「……」
「……この国がどうせ長くは続かんって、そんなもん、私にも分かっとる。リズ様追い出した私らを、贔屓してくれる国なんて、オルケナ中探しても何処にもない」
「……それはまあ、そうでしょうね。私たちと仲良くしようなんて国は何処にも無いでしょう。ですが、やりようによってはもう少し持ちこたえる事も出来ましたよ?」
「エドの睡眠時間を削ってかいの?」
「……」
「封鎖令から忙しいのは分かっとる。ほいじゃけど、封鎖令の前からじゃってエドは相当忙しかったはずじゃ。帝国と、ソルバニア、ライム、ラルキア王国が同盟を結んで、その対処に心労だって溜まっていたハズじゃ」
「……」
「じゃから……もう、これ以上、エドに負担を掛けたくないから。エドが……エドが、私を」
――見捨ててくれると、思ったから、と。
「……みす……てる?」
「……やり方はともかく、にっくきフレイム王国を倒したんじゃ。エドはアルトナー家の次男じゃし、本家を継ぐのは無理でもエエ縁談も用意して貰えるじゃろ」
見方を変えれば、単身フレイム王国に乗り込んで父祖の代からの敵とも言えるロッテ・バウムガルデンを害し、フレイム女王をその地位から追い落とし、そして自国の王女を実質的な権力者に据えた。フレイム王国からすれば大罪人ではあるが、ウェストリア王国からすれば救国の、とまでは言わないでも英雄的人物に祭り上げられる可能性は低くないのである。
「……」
「……私は、無理じゃから」
エドワードは、という注釈付きではあるが。
フレイム王国に一泡吹かせたという意味ではクリスの功績だって決して低くはない。低くはないがしかし、男尊女卑のウェストリア王国において、王子と偽っていた王女である。王家の子女といえ、これはウェストリアでは許されざる大罪である。無論、断頭台で極刑とまでは行かなくても、良くて幽閉の飼い殺し、最悪は暗殺まである。
「……」
そして、ウェストリア育ちのエドワードもそれは否定できない事実であり、真実だ。
「じゃから……」
否。
「――『だから』、エドワード? 無理に、私に付き合ってくれなくても良いのですよ?」
フレイム王国に来てから、頑なに喋ろうとしなかったフレイム語で。
「……クリス様……」
それは、エドワードとクリスティーナの関係性を決定的に変える一言で、一言だからこそ。
「――馬鹿じゃな、クリス様は」
「……え、エド? あ、あなた……」
「あんな? 仮に俺が、ウェストリアに戻ってもそんなエエ扱い、受ける訳ないじゃろ?」
そんな距離を取ろうとするクリスをエドワードは逃がさない。
「それに……俺がクリス様を見捨てる? 何言うとんじゃ? クリス様が生まれた頃からずっと一緒の俺が、今更クリス様を見捨てるワケないじゃろうが。バカも休み休み言えーや」
今まで、頑なにフレイム語を話していたエドワードの不意なウェストリア語に、狼狽し、それでも毅然とした態度でクリスは言葉を継ぐ。
「ば、馬鹿とはなんですか! 私は貴方の為を思ってですね!」
「じゃけん、それが馬鹿じゃって言ってるんじゃ。別にクリス様に心配して貰わんでもエエんじゃ。俺は俺の好きな様にやるけん」
「そ、それでは破滅の道ですよ! そ、そうだ! 今なら私がお父様に手紙を書きます! エドの悪いようにはしませんから!」
「じゃけん、エエって。そんな気、回してもらわんでも」
「なんでですかー! 折角、私が――むぐぅ!」
最後まで喋らせない。
「――ぷはっ! え、えええええええええエド!? あ、あなた、なにを!?」
「最初にやったの、クリス様じゃがん」
「そ、それは……そ、そうですけど! で、でも!」
もう一度。
「――え?」
今度は触れるだけの、優しい、キスを落として。
「――好きじゃ、クリス様」
「――っ!」
「オルケナ――世界中を敵に回しても、どれだけしんどい状況でも、どれだけ勝ち目がない場面でも……俺はな、クリス様? 惚れた女残して自分だけ逃げるような真似、ようせんで」
「……」
「じゃけん……仮にクリス様が迷惑でもな? 俺は絶対にクリス様の側から離れんけんな?」
そう言って、何時ものエドワードから想像も出来ない悪戯っ子の様な笑みを浮かべて見せる。そんなエドワードの表情にしばしポカンとした表情を浮かべた後、クリスは顔をくしゃっと歪ませて、そのままポフッとエドワードの胸に顔を落とす。
「……馬鹿」
「馬鹿じゃろ?」
「……馬鹿じゃ。エドは馬鹿じゃ……折角、私が……」
「クリス様も馬鹿じゃろ?」
「ば、馬鹿じゃないわ! 馬鹿なのはエドワードじゃもん!」
「はいはい」
「あー! 今の、ちょっと馬鹿にしてるじゃろ!」
「してないって」
「嘘じゃ! 絶対馬鹿にしとる! エドワードのバーカ!」
「あーもう、はいはい。そうじゃな。俺が馬鹿じゃった。ほんでな? クリス様、俺は馬鹿じゃけん、クリス様の気持ち教えて貰わんと分らんのじゃけど?」
「私の気持ち……?」
きょとんとしたように埋めていた胸から顔を上げるクリス。そんなクリスにエドワードは見惚れる様な笑顔を浮かべて。
「俺はクリス様が好き。それで? クリス様は? 俺の事、どう思ってるん?」
ボン、っとクリスの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
「そ、そんなこと……い、言わんでもわかるじゃろ!」
「んー? 俺、馬鹿じゃけん。言うて貰わんと分らんで?」
「う、嘘じゃ! っていうかじゃな? エド、フツウ、分かると思わん? 私、『ああ、これでエドもウェストリアに帰るんじゃな……さ、最後に、き、キスぐらい』って思ってキスしたんじゃで! わ、分かれ!」
「いや~、クリス様? ほいでも、言葉にして貰わんと分らん事もあるがん?」
「……いじわるぅ」
「そうじゃで? 俺、本当は意地悪じゃったんじゃ」
「紳士なエドは何処に行ったんじゃ! 子供みたいじゃがん!」
「小さいころから肩ひじ張って生きてたからな。まあ、クリス様ほどじゃないけど、今頃童心に帰っとんじゃ」
「うー……! 嫌いじゃ! そんなエドは嫌いじゃ!」
「……え?」
「わ! う、嘘嘘! そんなエドも大好きじゃ!」
「……にやり」
「あー! 騙した! エド、騙したなっ!」
「騙される方が悪いんじゃ」
「うー! ううー!!」
「ははは! 可愛いの、クリス様は」
「かわっ! だ、騙されんで!」
拗ねた様に再びエドワードの胸に顔を埋めるクリス。その頭を優しく撫でながら。
「……なあ、クリス様」
「……ふん。なんじゃ、いじめっ子」
「……大好きじゃ」
「……」
「……愛してるで、クリス様」
「……」
「……」
「……ふん。そんなの」
私もじゃ、と。
顔を真っ赤に染めて、不機嫌そうにそっぽを向きながら――それでも、口の端を嬉しそうにによによさせるクリスの唇に、エドワードはもう一度、口付けを落とした。
◆◇◆
「……くちゅん」
「……ふふ」
一糸纏わぬ姿のままでベッドで寝息を立てるクリスが、寒かったのか小さくクシャミを一つ。そんな姿が可愛らしく、そして愛おしくてエドワードはベッドの端で丸まっていた毛布を丁寧にクリスの体に掛ける。『……んん……えどぉ』と幸せそうな顔で寝言を呟くクリスの頭を優しく撫でて、エドワードは寝間着の上から上着を羽織るとクリスを起こさないようにそっと部屋を出た。
「――ローナ」
「……ここに」
闇夜に紛れるよう、そっと暗闇から姿を現した少女――かつて、ラルキアを炎の海に陥れた当事者であるローナの姿を認め、エドワードは言葉を継ぐ。
「ウェストリア王国へ伝令。可能な限り兵数を集めるように。兵種は問わないし、素性も問わん。働き如何によってはフレイム王国の爵位も出す」
「……戦う、と?」
「欲が出た。このまま終わるのは、少しばかり悔しい」
「勝ち目のない戦いかと」
「そうだな。まず、間違いなく勝ち目はない。それでも少しでもこの時間が引き延ばせるのであれば、最後まで足掻いて見せよう」
「すでに賽は投げられましたが」
「まだサイコロはテーブルの上で回っているさ」
そう言って少しだけ乱れた髪をぐいっと両手で後ろに撫でつける。
「――このままでは終わらんさ。待っていろ、フレイム帝国」
そう言って肉食獣の獰猛な視線を思わせる表情を浮かべて、エドワードは小さく笑った。




