第二百十六話 『フタリ』の話・前編
今回は次回へのつなぎ回です。なんで結構中途半端かも。なるべく早く次回も投稿できる様に頑張ります。
現フレイム王国宰相であるエドワード・アルトナーの人生において、『ピンチ』という場面は早々ない。否、この言い方は正確ではない。彼の人生は『クリスティーン』という偽りの王子が生まれ落ちた瞬間から、偽りの王子の側にあり続けるという最大級の国家秘密と共にあり続ける、というのがどれ程のストレスと――そして隠し続けなければいけないというのは、言ってみれば常にピンチと共にあったと言っても過言ではなく、単純に彼がこの環境を不幸なものと、つまり『クリス』と共にある事を幸福と考えていただけであるともいえる。
「ひょっひょっひょ。随分お困りな様子ですな、宰相閣下」
王城内に誂えられた宰相執務室。広々とした室内にお似合いの大きなソファに、不似合いに座る枯れ木の様な老人――ライツ穀物商会の主、ロドリゲス・ライツは楽しそうに笑うと眼前に置かれた紅茶のカップを手に取った。
「……ええ、そうですね。困っておりますよ、ライツ殿。だからこそ、こうやって貴方にご足労願った訳です」
「知恵を貸せと? それとも言い訳かいの?」
「後者です。言い訳をさせて頂ければ」
「聞くだけ聞いて見ようかの?」
「まず、先日発令したラルキア勅令ですが」
「正気の沙汰とは思えん、アレか」
「……耳が痛いです。ですが、誤解です。その、あのラルキア勅令に関しては少しばかり解釈の齟齬がありまして」
「解釈の齟齬? ライム、ソルバニア、ラルキア王国に居を構える商会と取引をするな、というただそれだけの話の、何処に解釈の齟齬が生まれる余地があるのじゃ?」
「何も今すぐ商いを全停止しろ、という話では無いのですよ、ライツ殿。あれは純粋にフレイム国内の流通を優遇しよう、という話です」
「フレイム国内の流通を優遇?」
「何も他国の商会を使う必要もない。私もこの国に来て――は、もう結構長いですが、少なくともこの国の中枢に関わる様になってから、フレイム王国の商会が非常に優秀であることに疑いを持った事はありませんでした。クリスティーナ摂政殿下様が所望された商品は直ぐに王城に届けられる。流石の手腕と感心をしていた所だったのですよ」
「そりゃどうも。じゃがの? その商品じゃって、他国から仕入れたものもあるぞ?」
「それはそうでしょうが、それでもフレイム国内自前で揃える事も出来る」
「……まあの。どうしても手に入らないもの、と言われると中々ないかも知れんの」
「でしょう? それも、わざわざ海を渡ったり高速馬車を使って遠い他国から仕入れるよりも、近場で調達し近場で消費した方が利便性が高く、より大きな利鞘が稼げると、そう思いませんか?」
「なるほどの。わざわざ他国の商会と取引なんぞせずとも、自前の領地ですべて賄ってしまえ、という話か」
「そうです。表現として『少しばかり』過激なニュアンスになってしまいましたが、先ほども申した通り、すべての商いを停止してしまえ、では無いのです。ただ、考え方を、目線を少し変えて欲しいという……そうですね、『お願い』です」
「ひょっひょっひょ! 『勅令』をお願いと称するのかの? それは流石に不敬じゃぞ、エドワード・アルトナー宰相閣下? 勅令はこの国の王が発布したものぞ? 最も、この国の王であるエリカ様は今、ラルキア王城におらんようじゃがの? それでは果たしてこれは誰が出した『勅令』かの?」
「……」
「ま、それは良いがの。ともかく、この勅令は誤解じゃったと、そう言いたいのじゃな?」
「はい。その通りです」
そう言ってエドワードはライツをじっと見やる。その視線に、ライツは口の端をニヤリと上げて。
「流石にその言い訳は苦しいじゃろ?」
「仰る通りです」
ライツの言葉にエドワードの返答はノータイム。続けざまに口を開く。
「分かっています、苦しい言い訳であることは。ですが、誤解と言い続ければそれが正答になる事もある」
「無理が通れば道理は引っ込むからの。それで? わざわざ儂にその話をした理由はなんじゃ?」
「このままではフレイム王国はオルケナ全土からそっぽを向かれてしまいます。他国との取引が無くなれば、干上がるのはこちら側など、子供でも分かる事です。オルケナにはフレイム王国よりも他国の方が人口も、領土も、商品も多いのですから」
「そうじゃの。じゃからこそ、正気の沙汰とも思えんかったんじゃがな?」
「そうですね。正気の沙汰では無いでしょう。ですが、フレイム王国を――簒奪した我々が、そもそも正気の沙汰と御思いか?」
「隠さなくなってきたの~。それほどに追い詰められておるのか?」
「そうですね。私の人生、ピンチの局面は決して多くは無かったですが……今回は人生最大のピンチです。なればこそ、ライツ殿にご助力を願えないかと、そう思いまして」
「ご助力? この老体に何をしろと言うのじゃ?」
「今、私がお話しした事を九人委員会で広めて頂きたいのです。ラルキア勅令は不幸なすれ違いでしかなく、決して我々は商人の皆様を……『敵』に回したい訳ではない、と」
「ほう。味方じゃと?」
「少なくとも、良き隣人ではありたいと思っております」
「良き隣人、のぉ~」
そう言ってのんびりと紅茶を啜るライツ。
「それで?」
「対価は穀物の商い、このすべてをライツ穀物商会にお任せします。価格の決定権も、流通の独占も、フレイム王国の名の元にライツ穀物商会単独で行って頂いて構いません。必要ならば、勅許も出します」
「随分大きく出たの」
穀物の商いを一手に握り、価格から流通まで一手に握る。その齎す利益は莫大であり、だからこそ。
「……危険な賭けであることは理解しています」
「そうじゃの。人は綺麗な服を着なくても死にはせんが、飯は食わんと死ぬからの」
こういうことだ。仮にライツ穀物商会が暴利を貪れば、フレイム王国は滅びる。
「それでも、それだけの利益を提供しても必要な事です」
「他所の商会を敵に回すだけじゃぞ?」
「それを抑える事が出来るのがライツ殿でしょう? 貴方なら、自分の所だけではなく、他所に適正な利益を提供できる。だからこそ、貴方を選んだ」
「他の九人委員会に先駆けて、かの? ひょっひょっひょ。何を言っておるか。ベッカーには話が出来ず、ロートにはそっぽを向かれ、ホテル・ラルキアは無関心じゃからの。消去法で儂を選んだだけじゃろ?」
「……その側面がある事も否定はしません。しませんが、それでも、私たちには貴方の力が必要だ。ですからライツ殿――」
――どうか、ご助力を、と。
「ま、断るがの」
「……利益を独占出来ても、ですか?」
「こんな泥船に乗って利益など独占しても仕方ないしの。悪いが他の人間を当たってくれ。まあ九人委員会に限らず、少しでも目端の利く人間なら貴様らに乗る奴はおらんじゃろうがな」
「……そう、ですか」
「そういうことで、悪いの、エドワード宰相閣下。儂はお暇するぞ?」
「お見送りを」
「結構じゃ。これでも九人委員会、勝手知ったるとは言わんが、慣れた場所じゃしな」
そう言ってもう一度室内を――過去、同じ夢を見た前宰相閣下の仕事部屋を見渡して、ゆっくり息を吐いた。
「じゃあの」
立ち上がり、ドアを押し開けて室外に出るライツ。その姿が視線から完全に消えて、エドワードは疲れた様に目頭を押さえる。
「……やはり無理、か」
エドワードにもわかっている。此処でどう足掻いた所で時勢は変わらない。それでも、それでも何かを為さないと、このままでは破滅の未来しかない。
「……ライツ殿はああ言ったが、まだ味方になってくれる商会もあるかも知れんしな」
九人委員会を味方に付けれれば最善だが、それでもまだまだ手はある筈。どこかに、きっとこの現状を打破出来る逃げ道が用意されて要る筈と思い、エドワードが執務机の書類を取ろうとソファから立ち上がった所で。
「……エド」
執務室の扉がゆっくりと開く。少しだけ、おどおどした様に室内に顔だけを出す想い人の姿に先ほどまでの疲れた顔を緩めてにっこりと笑って見せた。
「これはこれはクリス様。どうなさいました」
「その……さっき、ライツが来とったじゃろ? なんの話じゃったんかな~って」
「少しばかり、取引についての話を」
「……エド、疲れてる?」
「中々厳しい条件を突き付けられましてね。いやはや、流石九人委員会。簡単に転んでくれない所が、やは――」
最後まで、喋れなかった。
「――エド」
「――え?」
トン、と優しくその肩を押され、エドワードはソファに倒れこむ。そのままの流れ、クリスがそんなエドワードの上に跨る様に座る。俗に言う、馬乗りの形で。
「――エド、もう辞めよう。無理はせんで、ええ」
そう言って、クリスはエドワードの唇にそっと自身の唇を押し当てた。




