第百九十六話 デートと猫耳
「おい、クララ」
ライム都市国家同盟、大統領執務室。その部屋に入るなり『クララ』とプライベートでしか呼ばない名前を呼ばれて大統領首席補佐官であるクラリッサは少しばかり眉を顰めた。
「閣下。私は『クララ』ではありません。『クラリッサ』です」
言外に『公私の区別はつけろ、オラ』と言わんばかりの表情を見せるクラリッサ。その姿に一瞬怯んだように情けなく眉を八の字にして見せて視線を逸らした後、ライム都市国家同盟大統領であるアルベルト・バルバートは居住まいを正すようにコホンと一つ咳払いをして視線をクラリッサに戻した。人好きのするにこやかな笑顔を浮かべて右手の親指をグッと上げて。
「――演劇、見に行こうぜ!」
「は? バカ?」
打ち返し、ノータイム。クリティカルヒットを喰らったアルベルトは膝から崩れ落ちる。そんなアルベルトをこれ以上無い程冷たい目で見つめ、クラリッサは大きなため息を吐いた。
「……何をお考えなのですか、閣下? 明日はこのライムにエリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム女王陛下がお越しになるのですよ? 陛下をお迎えする準備もしなければなりませんし、明日の会談の打ち合わせも必要でしょう。そんな大事な時期に、なぜ演劇など見に行くという話になるのですか?」
崩れ落ちた顔を上げるアルベルトに、更に視線を冷たくするクラリッサ。そんな連れ合いの視線に『うぐぅ!』ともう一度胸を抑えた後、少しばかりそっぽを向いて言葉を続ける。
「いや~……ホラ、今日から小劇場で『オーエン』が上演するだろ?」
「オーエン? しかも小劇場の、ですか?」
「そ! オーエン! 今回主役を張るのは若手売り出し中の俳優だしよ? 初日と千秋楽はやっぱり見とかなくちゃなって思って。元俳優としても、演劇の国の大統領としても! それにフレイムの女王陛下が来るんだぞ? やっぱり『オーエン』でしょ!」
「……ああ。言われてみれば確かに今日は小劇場で『オーエン』の初日でしたね」
『オーエン』は建帝記と並ぶ人気の演目だ。ライム都市国家同盟カッファの男性がアバーテに演劇の修行に出て、たまたま知り合ったフレイムの貴族令嬢と恋に落ちる物語で、初めはいがみ合っていた二人が身分の違いを超えて結婚する大団円物語である。人気はあるも単純と言えば単純で所謂『素人受け』する物語だけに、過去数えきれないほどに上演されており、それ故に演じる役者によって出来不出来のはっきりとしたお芝居でもある。加えて劇作上での年齢も近い『新人』の俳優が主演を張る事の多い物語でもあり、言ってみれば若手俳優の登竜門的なお話だ。
「わざわざ閣下が足を運ぶ程なのですか? 小劇場の『オーエン』など。演劇を見るなら大劇場でも良いのではないですか?」
仮にも一国の国家元首が観劇する劇だ。悪いとは言わないが、小劇場は大劇場の三分の一程の大きさ、それも庶民がこぞって見に行くような安劇場だ。首を捻るクラリッサに、アルベルトは笑って手を振った。
「まあ、確かに他所の国の王様とかは連れていけねーけどよ? それでも、『オーエン』は若手にチャンスをくれる物語だからな。俺だって駆け出しのペーペーの時に初めて主役張ったのはオーエンだったし。だからまあ、自分がいる所で上演する『オーエン』は初日と千秋楽、必ず見に行くようにしてんだよ。若手の俳優は最初と最後の公演でがらっと化けるからな。その変化を見るのもまあ、一興ってなもんだ」
「……そういうものですか?」
「後はまあ……『こういう』時には見るべき物語でもあるんだよ、『オーエン』ってのは」
「『こういう』時?」
「難しい事考えるのは性に合わねーからな。だからまあ、何にも考えずに笑って泣けて……そんで、初心に戻らしてくれる演劇は見ておきたいんだよ」
手元のチケットを弄ぶ様に手の上でひらひらと振って見せるアルベルト。そんな姿に、クラリッサの眉が情けなく垂れ下がった。
「……私は言いましたよ? 『好きな方』で構わないと」
「そうは言ってもおめーさ? 俺の一存で国家の大事が決定するんだぞ? そりゃ少しぐらいは真剣に考えるさ。んで、真剣に考えて考えて考えて、なんか段々訳が分かんなくなってきたからよ? 一遍、初心に戻ってみようかな~ってな」
「……」
「それにホレ? 歓迎会の準備やなんやらはどうせ俺が居ても仕方ねーだろ? 国家を挙げての一大決定事項だし、よその部署も開店休業みたいなモンで決裁の要る様な書類も上がって来てねーし。おめーだってそうだろうが?」
ん? とニカっと笑って見せるアルベルト。そんな姿に、クラリッサが深々と溜息を吐いて首を左右に振った。
「閣下の仰る通り、確かに今は大した書類は上がってきておりません。閣下がお休みを取られるのも英気を養うという意味では……まあ、悪くはないかも知れませんね」
実際、アルベルトはよく働いている。『早く田舎に帰って畑を耕したい』だの『何時になったらゆっくり出来るんだ!』だの文句は多いも、仕事に関しては真摯に取り組んでいるのだ。それも、自らの望んだわけではない『大統領』という地位のままで。
「……分かりました。ですが、観劇後は直ぐにお戻りくださいませ。そうは言っても全くの打ち合わせなしでは多少は不安ですので」
だから、自分でも『甘いな~』と思いながらクラリッサは彼の我儘を許す。クラリッサ自身、アルベルトに望まぬ大統領を強いている罪悪感に似た意識もあるのはあるからだ。
「それは約束できねーな」
「……閣下?」
「うお! 怖い顔すんなよ。でも、久々の演劇だろ? 気分も上がるし、直ぐに帰るのは勿体ねーじゃないか」
「……ですから、言っているでしょう?」
少しだけ呆れた様に首を左右に振るクラリッサ。そんなクラリッサに輪をかけた様、アルベルトも呆れた様に大袈裟に首を左右に振って見せる。
「……なんですか?」
「なんですか、じゃねーよ。さっき、言っただろう?」
「何を?」
「『おめーだってそうだろうが』って。暇だろうが、お前も?」
「……それは……」
確かに、クラリッサの手元に今すぐ片付けなければいけない仕事はない。無いが。
「で、ですが、他のスタッフが働いている中で、私だけ観劇など……」
「何言ってるんだお前。お前のは立派な仕事だろう? 放っておけば何処をほっつき歩くか分かんねー野良犬みたいな大統領に首輪とリードを付けるって大事なお仕事だろうが。いいのか、おい? 俺が一人でどっかにフラフラしてても? 困るの、お前らだろ?」
心底楽しそうにそう言って見せるアルベルト。そんな姿に、先程までの苦悶の表情は何処へやら、耳まで赤く染めてクラリッサが俯く。
「で、ですが……で、でも……」
「『でも』?」
「……あ、アルを監視するっていうのは大事な仕事だけど……で、でも、そ、それ……その……」
まるで、消え入りそうな声で。
「…………で、デートみたいじゃない」
「そのつもりで誘ってるんだけど?」
「だ、ダメだよ! そんなの仕事中にするのは……そ、それを仕事って言うのは……ちょ、ちょっと悲しいし」
「あー……すまん。それは言い方が悪かったな。お前とのデートを『仕事』っていうのは気分が――」
「で、でもね! そ、それ以上に……そ、その……」
嬉しい、と。
「……おい、クララ」
「……え? な、なに!?」
「今すぐ行くぞ、デート。仕事とかもう、そんなのなんの関係もねー! 行くぞ!」
「ちょ、あ、アル! わ、私、服だって可愛くないよ!? 普通の仕事着だよ!」
「心配すんな。そのままで十分可愛い!」
「あ、あ――きゃあ! あ、アル! 離して! 離してよ!」
真っ赤な顔のまま抗議の声を上げるクララをお姫様抱っこ。『行儀わりーな』なんて思いながら、アルベルトは足でしっかりとドアを開け、そのまま大統領公邸を飛び出した。
◇◆◇◆
「おーい。機嫌直せよ~、クララ」
「……ふんだ」
「ふんだって。可愛いな、おい」
「かわっ! ば、バカ! アルベルトのバカ!」
『大統領、愛妻をお姫様抱っこして公邸を駆ける』は、時間帯に不味さからか公邸で働く多くのスタッフにその場面を目撃された。白昼堂々のこの強行な凶行に恐慌状態やら羞恥やらですっかりクラリッサのヘソが曲がってしまった。
「み、皆に見られたじゃないですか! あ、あんな恥ずかしい所を! もう公邸にいけないよ……」
真っ赤に染まった頬のまま、涙目で見つめて来るクラリッサ。そんなクラリッサを見つめながら『散々やらかしてるから、どうせ今更なんだろうけど』なんてアルベルトは思う。ちなみに、アルベルト&クラリッサのバカップルぶりは公邸内でも有名であり、今更アルベルトがクラリッサをお姫様抱っこした所で、『ああ、仲良し夫婦がまたやってるんだな~』くらいの感慨くらいしか抱かれていなかったりする。なので――クラリッサに取って幸福か不幸かは別として――公邸に行けなくなる様な事態は起こらないのだ。
「まあ、俺が後できっちり言っておくからよ? 取りあえずクララ? 折角のデートだぜ? そんな拗ねた様な顔をせずにさ? 楽しもうぜ」
むうっと膨れた表情を見せるクラリッサ。そんなクラリッサの頬をムニムニと摘まんで左右に伸ばすアルベルト。そのアルベルトの手をクラリッサは慌てた様にアルベルトの手を払った。
「む、むにむにしないで! 伸びるじゃない!」
「なんだよ、伸びるって」
「と、ともかく! そんなことしたらもっと許してあげないよ!」
「それは困るな。どうしたら許してくれる?」
拗ねた様に下を向くクラリッサ。彼我の身長差から、腰を屈めてそんなクラリッサの顔を覗き込むように見やるアルベルトの視線に、ふんっとクラリッサはそっぽを向いて見せて。
「……ばんごはん」
「は?」
「……晩御飯、美味しい所に連れてって。デザートも食べたい」
真っ赤な顔でそっぽを向いたままそんな事を言うクラリッサに。
「……ぷ……く……くくく」
「あ! も、もう! なんで笑うのよ!」
「い、いや……だってお前、帰って仕事しろって言ってたじゃないかよ。なんだ? それなのにデートの『おねだり』か?」
「お、おね――! ち、違うわよ! わ、私と二人なら別に何処だって仕事出来るでしょ! だったら、ご飯を食べながらの方が良いじゃない!」
「くっくくく……」
「も、もう! 知らない!」
「い、いや……ぷぷ……ふぅ。いやいや、悪かったって。そだな。俺とお前、二人なら何処だって仕事が出来るな」
そう言ってアルベルトはクラリッサの肩を抱き、そっと自身の元まで引き寄せる。拗ねた様にそっぽを向いたまま、それでもそのままアルベルトの側にそっと身を寄せるクラリッサに嬉しくなって、その頬を弛めかけて。
「……………………へ?」
視線の先で、違和感を見つけた。あちらもこちらに気付いたか、少しばかり焦った様な表情を浮かべている。間の抜けたアルベルトの言葉に、瞳を閉じて身を寄せていたクラリッサは不審げにその瞳を開け、固まっているアルベルトの視線を追う様、自身の視線もそちらに向けて。
「…………エリカ……陛下?」
そこに居たのは、男性の隣で慌てた様に頬を染める。
「…………………………猫耳?」
頭上に燦然と『猫耳』を飾り付けた、エリカの姿であった。




