第百九十七話 とある喫茶店での一幕
ライム都市国家同盟内都市国家アバーテは文化の都である。自由演劇発祥の、そして何処の王権にも属さない独立独歩の都市としてライム都市国家同盟で最も早くから『自治共和制』を打ち出した都市である。それと同時、アバーテは『政治の都』或いは『経済の都』としての側面もある。
建前としてライム都市国家同盟の諸都市は並立ではあるも、そこには純然たる『国力』の差がある。執政官会議自体は各々の街の執政官が一票ずつという原則こそ破られる事は無いが、例えば執政官会議はアバーテで開かれるだとか、議長はアバーテの執政官が務めるだとか、それに伴って常に議場の上座に座るのはアバーテの執政官である、など、どうでも良いと言って仕舞えばどうでも良い様な細かいルールが多々あるのだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
アバーテで最近人気の小洒落たカフェ、その奥まった席でアルベルト、クラリッサ、エリカ、そして浩太の四人は気まずい沈黙に堪える様に手元の紅茶のカップを見つめていた。ばったり会ってしまった以上、流石に『ええっと……じゃ、じゃあ!』と別れる訳にも……まあ、行かない訳ではないのだろうが、それでも明日どんな顔をして逢えば良いのかお互いに分からず、『取りあえずお茶でも……』というエリカの提案で四人で仲良く同席していたりするのだ。
「……あ、あはは……そ、それにしても凄いですね、アバーテは。私もびっくりしましたよ」
そんな気まずい沈黙に耐えかねたか、浩太が口を開く。この重い沈黙を破るかの様なそんな一言に、アルベルトがにこやかに笑んで。
「……こちらの方がびっくりしましたが」
のち、ジト目を浮かべる。そんなアルベルトの言葉にうっと言葉に詰まりながら浩太が視線を逸らす。そんな浩太をしつこく見つめながらアルベルトが小さく溜息を吐いた。
「……まあ、この街はある程度治安も良いですが……仮にも女王陛下が猫耳付けて街を散策、とはあまり感心しませんが?」
典型的な、『お前が言うな』である。自分だってデートに繰り出した癖にすっかりそれを棚に上げたアルベルトの台詞に、そんな事とは露知らない浩太は言葉を無くしで視線を下にさげる。
「……ちょっと? 貴方だって人の事は言えないんじゃないの? 仮にも大統領閣下が補佐官連れて街を散策だって、幾ら治安が良くても危ないんじゃないの? むしろ、私達よりも」
オルケナ大陸には写真やテレビ、それにインターネットなんて便利なモノはない。あるのは精々がイラスト程度であり、そういう意味では仮にアバーテの住民がエリカを見た所で『フレイムの女王陛下だ!』なんて気付く可能性は低いと言えば低い。逆に、この国の国家元首であるアルベルトの方がそのリスクは高く、言外にそういう意味を込めて視線をアルベルトに向けるエリカ。その視線を受け、アルベルトは軽く手を振って見せた。
「私は別に良いんですよ。この街では既に随分顔を知られてますし、私を害した所で然程のメリットがある人間はいませんから」
「……そうかしら? そんな事は無いと思うけど?」
「執政官にしても大統領にしても、私の代わりなんて売る程いますしね。それに、そもそも私は常々引退を表明していますから。わざわざ私を害すよりも、『さっさと引退しろ』と言って貰ったら直ぐにでも引退するつもりですし」
「……」
「ま、この辺りが『血筋』を何より大事にする王制の国家との一番の違いですよ。優秀な人材が出れば、簡単に権力者が淘汰されます。権力欲とお金の絡みでしがみ付く執政官もいるにはいますが……自分で言うのはなんですが私、そこそこお金も持ってるんで。別にいつ辞めても良いんですよ」
実情はともかく、経歴だけ見ればアルベルト・バルバートという人物は元人気俳優であり、加えて執政官・大統領も努めた『大物』政治家だ。やらしい話ではあるが、退職金にしても恩給にしてもガッポガッポ、である。それだけ懐に余裕があれば、そりゃ『田舎に帰って畑を耕す』とも言うというものだ。
「っていうか、むしろ働いたら負けと思ってますからね、私。こちらの首席補佐官殿が中々引退させてくれないだけで。出来れば引退してさっさと楽隠居と洒落込みたいんですよ」
そんな事を嘯く――まあ、嘯いている訳ではなくガッツリ本心なのだが、そんな事を言うアルベルトの姿に、ラルキアを出る前の晩餐で『別に働いても働かなくてもご飯は美味しいです! そう思いませんか、お姉さま!』とイイ笑顔を向けて来た愛妹の姿が浮かんで消えた。この二人は合わせたらダメな方向に意気投合しそうだから絶対に合わせない、と固く心に誓ったエリカは溜息を吐きながら視線をアルベルトに戻した。
「……そう。それでも、こんな街中で元人気俳優で大統領の貴方が姿を見せようモノなら、パニックになりそうなものだけど?」
「私が人気俳優だったのは随分昔の話ですしね。あの業界、まあまあ流れが速いので。私なんてもう過去の遺物ですよ。それに、この街の人は慣れていますから」
「『慣れて』?」
「ここは自由演劇の街、アバーテですよ? 石を投げれば芸能を生業にする人間に出逢う街です。わざわざこんな老いぼれを見つけて騒ぎ立てるよりも、もっと若くて容姿の整った俳優や女優は沢山いるんですよ」
ライム都市国家同盟で演劇で飯を食って行こうとする人間はまず自身の出身の街で腕を磨き、その後このアバーテに進出してくる。そしてこの街で人気俳優なり人気女優になり、最終的にはオルケナ大陸全土にその名を轟かせる事で俳優双六の『あがり』になると言っても良い。イメージは関西出身の芸人さんが関西で知名度を上げた後に東京に出て来るのが近い。そして、そんな俳優・女優の卵やヒナ、或いは成鳥を育むのがこの『アバーテ』という街である。田舎に行けば行くほど芸能人を見たら燥ぎ、東京の人間は芸能人を見てもさして気にしない、と言えばある程度ご理解頂けるかと思う。
「まあ私の事は良いんですよ。それより、貴方達は何をしてたのですか? 面談は明日の筈ですよね?」
そう言って視線をエリカ――ではなく、浩太に向ける。そんな視線を受け、浩太が若干照れくさそうに『あ、あはは』と笑って見せた。
「その……まあ、今日は昼前にはこのアバーテに着いたのですがね? こう、私もこの街は初めてですし、少しばかり散策してみたりしてですね?」
何時になく歯切れの悪い浩太の言葉に、じとーっとした目を向けるアルベルト。と、隣に座っていたクラリッサが口を開いた。
「――他国に侵入し、国力や街の賑わいを計る行為は間諜行為と誤解を受けても仕方ないと思いますが?」
「うぐっ……そ、そう言われると……ですが、そんな意図は無くてですね!」
「……クラリッサ。仮にもスパイが猫耳と犬耳付けて仲良くデートしてる訳ねーだろ? どんだけ愉快なスパイだよ、それ」
「欺くための手段かも知れませんよ?」
「女王陛下御自らか? んなワケねーだろうが。つうか、どうした? なんか怒ってるか、お前?」
今日の出逢いは最悪なるも、それでも明日は会談を行う相手である。こちらの方が『頼まれる』立場であり、力関係は明白とは言え、それを笠に着て『スパイですか?』なんていう程失礼ではないこの首席補佐官殿の声音に、先程までは非難の眼を向けていたアルベルトが少しばかり驚いた表情をクラリッサに向ける。そんなアルベルトの視線を受けて、クラリッサはぷいっとそっぽを向き。
「……って……かくの……デー……のに……」
「ん? なんだって?」
「……なんでもありません」
少しばかり拗ねた様にぷいっと視線を逸らすクラリッサの姿に首を傾げながら、それでもアルベルトは気を取り直して視線をエリカと浩太に向けた。
「……その猫耳は今、大劇場で上演している『猫耳夫人の華麗なる一日』のキャラクターグッズですよね? もうご覧になられて?」
「……いえ。その……たまたま店先で販売していてですね? こう、なんだか少しだけ愛嬌がある様に見えて……つい」
遊園地に来るとテンションが上がる人間、というのは一定数存在する。某ユメの国である浦安ネズミの国で、普段は絶対にしない様な強面のお兄さんでもついついネズミのカチューシャを買ってしまうのと心理的には一緒である。
「……まあ、そのカチューシャはキャラクターグッズの中で一番の人気商品ですからね。結構な頻度で皆が買っているとは聞いていますが」
ちなみにこのカチューシャ、メイド・イン・ベッカー商会である。ソルバニア王家が作った獣耳シリーズを流用して儲けようとするあたり、商魂たくましかったりする。どうでも良い話だが。
「……ふむ」
目の前にいる二人を見て、アルベルトが考え込むように瞑目する。まあ、その、なんだ。同席してお茶をしてみたものの、なんだか逆に気まずくなった感すらある。かといってさして話す事も無い以上、此処で解散するべきでもある。なんだか隣に座ったクラリッサの機嫌もどんどん悪くなっている気がするし、さっさと解散してデートの続きをしてしまうのが一番良い方法でもある。主に、明日の自分の平穏の為には。
「………………ん?」
そこまで考え、アルベルトははた、と気付く。
「……つかぬことをお伺いしますが……その、エリカ陛下と松代殿は……」
一息。
「男女の仲、なのですか? 親しいのは理解していたつもりですが」
瞬間、エリカの顔が『ボン』と赤くなった。
「だ、男女の仲!? な、なにを言っているのよ、アルベルト! そそそそそそんなふしだらな! というか、そんな事普通聞かないでしょ!?」
「……男女の仲、といっただけでなぜふしだら扱いなのですか。というか、それぐらい別に聞いても問題ないでしょう? 実際、デートしていた訳ですし」
『おぼこい』エリカと百戦錬磨のアルベルトでは認識に相違とも言えるし、新妻に文字通り『新しい』事を求めるフレイムと自由演劇同様、恋愛面でもフリーダムなライム都市国家同盟との差、とも言える認識の相違とも言える。そんなアルベルトに、エリカは真っ赤な顔のままマシンガンの様な口撃を浴びせた。
「だ、大体、結婚をする前の男女がふ、二人っきりで、そ、その……で、デートをするのはだ、ダメなのよ! こ、これはただの散策であって、そ、その、べ、別に男女の仲とか、そういう話ではないの! ご、誤解しないでよね!?」
「……ブーメラン、返って来てますけど?」
エリカとて、これは純然たる『デート』という認識はある。認識はあるが、それでもそれを第三者に『デートじゃね?』と指摘されると異常に照れくさいという話だ。お前は中学生か! という突っ込みを受けるかも知れないが、まあエリカの恋愛観はそんなもんだ。
「だ、だから! わ、わたしとコータはそ、そういう仲じゃなくて! で、でも、そ、そういう仲になるのは決してやぶさかではないと申しましょうか、むしろ望むところだと申しましょうか、と、ともかく!」
「ああ、もういいです」
長くなりそうだし。そう思い、アルベルトは殊更に笑顔を浮かべて。
「――エリカ陛下? 今日、私達と一緒にダブルデートをしませんか?」
その言葉に、エリカが固まり。
「あ。でも、ダブルデートの際にはその頭の猫耳、外して下さいね? 恥ずかしいから」
喫茶店に入ってからこちら、自身の頭の上で猫耳が燦然と輝いていたことを知り、エリカは頭の猫耳を掴んで思いっきりテーブルに叩きつけた。




