第百九十四話 パワーバランス
国家と国家の間で『真実』というのはさして重要ではない、と書くと語弊を招く言い方かも知れないが、多分に一面の真理を含む言葉ではある。拳を振り上げるだけの理由さえ付けばそれが本当かどうかなど大した問題ではなく、可能であれば自身の国民と、自身を取り巻く多くの国家が『是』とすれば究極、嘘が真実になる事は珍しい話ではない。
「……どうだ?」
「……戦後以降、人口の流入が激しく正確な国民把握は出来ておりません」
「つまり、可能性は在ると考えて良い訳だな?」
「……はい」
綾乃とソニアとの面談もそこそこに王城内の執務室に取って返したルドルフはフローラと共に国民の正確な数を把握する作業に励んでいた。とは言っても、情報機器が発達している訳ではないオルケナ大陸、資料は当然紙ベースであり、リアルタイムさなど求めるべくもない資料での照合作業は夜を徹して行われ、挙句に出た結論が『ロッテ殺害の犯人はラルキア王国の人間の可能性が在る』という、到底前向きにはなれないソレにルドルフは小さく肩を落として溜息を吐いた。
「……後回しにしたツケが回ったか」
人口動向の把握は国家の大事だ。『民は国力』という言葉もある通り、国家に取って『国民』というのはある種の財産であり、人口の増減は国家の興亡を図る上での重要なメルクマールではある。だが、これだけ情報機器・技術の発達した現代日本ですら行方不明者は後を絶たないし、失踪事件は年間何十件単位で起っているのだ。特に戦後復興の為に矢継ぎ早な政策を立案し実行して来たルドルフに、大まかな人口はともかく失踪した人数まで把握しろ、というのはどだい不可能な話である。
「……閣下の失策ではありません」
「……ありがとう、フローラ」
「そもそも、失踪者など我が国だけの問題ではありません。他国にだって同様に失踪者は居りますでしょうし……第一、我が国がフレイム王国と敵対する理由も御座いません。こんなもの、殆ど言い掛かりでは無いですか! 敵対するのであれば、我が国ではなくむしろ――」
「フローラ」
言いかけたフローラを手で制す。
「言いたい事は分かるが、それ以上の言葉は慎め」
「……はい」
不承不承頷くフローラにルドルフは小さく微笑んだ後、肩を落とす。
「……困った事になった」
現状は非常に不味い。フローラの言う通り、殆ど言い掛かりではあるが、それを覆すだけの根拠はラルキアには無い。フレイム王国が『ラルキア王国がやった』と言えば事実はどうであれ疑惑の目を向けられる可能性は無くはない。どころか、フレイム、ソルバニアというオルケナ大陸の二大大国がラルキア王国非難に回ればそのままそれが『真実』にすり替わるまでの時間はそう長くは無い、とルドルフは読んでいる。何処の国家も二大大国を敵に回してまでラルキア王国の肩を持つ国家は無かろうし、そんな正義感などそもそも期待すらしていない。雪崩を起こすよう、地滑り的にラルキア悪玉論が堂々とまかり通るだろう。
「……閣下」
「……仕方が無かろうな」
「し、仕方がないって! で、ですが本当に我が国の国民がやったとは限りません!」
「そんな事は分かっている。だが、それならばフレイム側は我が国がやった訳ではない、という証明をしろというだろう。国民すべてのアリバイを調べるか? いいや、それだけでは足らんだろうな。住民台帳から行方不明者を特定し、その特定した行方不明者を捜索し、捕まえ、ロッテ宰相暗殺時のアリバイを見つけ無ければならない。仮に行方不明者が鬼籍に入っているのであれば没時の日時を特定し、ロッテ宰相暗殺時よりも前であればそのアリバイを探さなければならない。何十人、何百人といる行方不明者のその全部を、だ。偽証などあってはならんから、膨大な時間を掛けて調べ上げなければならない。この戦後復興で忙しい時期にだ」
「そんなの不可能です!」
「だろうな」
「それに……仮にそうであるなら、フレイム王国側が立証すべきでは無いですか! ラルキア王国に非があるか否か、単純な二択です! ならば、疑った側のフレイム王国が犯人を捕まえ、そしてその犯人が不幸にもラルキア王国の国民であれば我が国も謝罪や賠償に応じるべきです!」
『否定する側に立証責任はない』とされる法律諺がある。ざっくり言えば、スピード違反はスピード違反を犯した事実を証明する必要があるが、違反者はスピード違反を犯して『いない』証明は必要ないのだ。
「そうだな」
「でしょう! ですから――」
「なら、戦争しかなくなる」
「――っ!? せ、戦争!?」
これが法の世界であるなら、であれば。
「……我が国とフレイム、ソルバニアの両国には国力に純然たる差がある。証拠を出せ、と迫っても五月蠅いと言われればそれで終わりだ。片方の国家であればともかく、両方の国家からの圧力を跳ね返す程の力は我が国にない」
「そ、そんなの……そ、そんなの無茶苦茶じゃないですか! 言い掛かりで、それを拒否したら戦争なんて……正義は何処にあるのですか! やったかやってないか、真実は一つのはずです!」
「真実は国家の数だけあるさ。無論、正義もな。納得の行かない真実や正義があるのなら、それを覆すだけの力が要る。だが……残念ながら、我らにその力はない」
「……」
ルドルフの言葉に、フローラが悔しそうに瞳を潤ませて唇をかむ。そんな姿を見つめ、ルドルフは努めて笑顔を浮かべて見せた。
「……そんな顔をするな。どの道、フレイム王国かフレイム帝国のそのどちらかに味方しなければならないのは既定路線だ。どちらについても一長一短ある以上、むしろ『あちらを選べば良かった』等という後悔をしない分、こちらの方が良かったかも知れんぞ?」
少しだけ茶目っ気を含めた笑顔を浮かべて見せるルドルフ。尚も唇を噛み締めたまま、フローラはそんなルドルフを睨み。
「……私は、例え後悔をしてでも自国の将来は自分たちの意思で決めたかったです」
今にも零れそうな瞳のまま、それでも強く、強くルドルフを睨みつける。ルドルフが悪くない事も、ルドルフだって悔しい事も分かっていて、分かっているのに。
「……ならば、強くなれ、フローラ。このラルキア王国という国が他国に負けず、他国の干渉になどびくともしない、そんな強い、強い国を作れ、フローラ」
それでもこの宰相閣下に『甘えて』しまうフローラを、ルドルフは優しい声音と目線で慰める。そんなルドルフの視線に、知らず知らずの内に零れた涙を拭ってフローラはぎゅっと唇を結ぶ。
「――はい。必ず、この国を強い国にしてみせます」
フローラのその返答に、ルドルフはにこやかな笑みを浮かべたまま優しくフローラの頭を撫でた。
◇◆◇◆◇
「……お疲れ、ソニアちゃん」
「……お疲れさまです、アヤノさん」
ルドルフとフローラが去った後、二人用の客室に通された綾乃はベッドにダイブ。そんな綾乃をやれやれと云った表情で見つめ、ソニアは綾乃と自分の為に紅茶を二つ淹れた。
「あら? 王女様におさんどんさせちゃった?」
「構いませんわ。どうせ、もうすぐ『王女』では無くなりますので。なんでもかんでもエミリさんにお任せするのは『妻』として失格でしょう?」
「どうかな? 普通、貴族の奥様は家事全般はしないんじゃないの?」
「コータ様は平民ですから。それに、ライバルには胃袋を掴もうと虎視眈々と狙っている方もおられるでしょう?」
『アヤノさんの様に』と付け加え、ベッドのサイドテーブルに紅茶のカップを一つ置く。ありがとう、とそのカップを手に取り紅茶を一口、口に含む。
「……あら、美味しいわね」
「当然ですわ。私だって勉強をしておりますから」
「エミリちゃんに教わって?」
「そうですわ。中々上手に出来ているでしょう?」
「そうだけど……いいの? ライバルに教わって」
「ライバルだろうがなんだろうが――まあ、言い方は悪いですが使えるモノはなんでも使いますわ」
にこやかな笑みを浮かべるソニア。そんなソニアに、やれやれと云った風に肩を竦める綾乃。
「……そもそも、アヤノさんだってそうでしょう?」
「私?」
「ええ。使えるモノはなんでも使う。今回だってそうですわ」
そう言って綾乃をジッと見つめるソニア。
「わたくし、聞いてませんわよ? 『ロッテ宰相の暗殺犯が、ラルキア王国の人間だ』など」
睨む様なソニアの視線。その視線に、綾乃はもう一度肩を竦めて見せる。
「でしょうね。私だって今回ラルキアに行くって言ってから初めて聞いたもん。ちなみに、浩太は私以外には誰にも言ってないらしいし」
「……自慢ですか?」
「単純な適材適所でしょ? これがソルバニア王国なら……うーん、まあ、浩太もソニアちゃんには言わないかも知れないけど、でもソニアちゃんが一番仲の良い人だったらソニアちゃんに一番に話してたと思うわよ? ローレントに嫁いだウェストリアのお姫様とかいるでしょ、仲良い人」
「……」
「ソニアちゃん?」
「その……コータ様を疑う訳では無いのですが……」
歯切れ悪くそっとそうつぶやくソニア。そんな姿に、『ああ』と頷いて綾乃が口を開いた。
「そうね。私だって浩太から聞いた時は魂消たわよ。ちなみに情報の出所は被害者本人。浩太がロッテさんの最期に立ち会った時に直々に聞いたらしいわ」
「……それは」
「浩太はそんなしょーもない嘘を付く人間じゃないしね。という事で、まず間違いなく下手人はラルキア王国の人間かな~とは思うわよ」
「ロッテさんが嘘を付いている可能性は?」
「ゼロじゃない。ゼロじゃないけど、だったらなぜわざわざロッテさんが下手人をラルキア王国の人間だ、という必要がある? あの時点ではフレイム王国はまだまだ健在だったし、まさか『この』事態まで想像して嘘を吐いた、ってのはちょっと考え難いかな、とは思う。まあ、仮にそこまで見越して嘘を吐いてるんだったら、そんな化け物には騙されるのも仕方ないかなとは思うのよ」
「それは……まあ、そうでしょうけど」
「それに……まあ、こっからは私の推測だけど、このラルキア王国の人は『やりかねない』とは思うわ」
「やりかねない?」
その言葉に首を捻るソニアに、綾乃は一つ頷いて見せる。
「なんていうのかな……この国の人って、すっごく純粋なのよね。だから、戦争にも突入したし……もっと言うと、その戦争を止めた人間の事を恨む可能性も全然なくはないな~と思うのよ」
「……ジェシカ姫は愛されていましたから」
「にしても、若干異常だと思うわよ。だからまあ、私も終戦の時に注意した訳だし」
「……」
「もちろん、あのタイミングを考えれば暗殺の主犯はあのウェストリアの主従だと思うわよ? でも、実行犯の中にラルキア王国の人間が入ってる可能性は十分あるな~って浩太の話を聞いて思ったってワケ。きっとラルキア王国は『どっち』に付くかで悩んでるでしょうし、切れるカードを切ったって話よ」
「ならば、そのカードを切る前に一言仰っていただいても宜しいのでは? 使えるモノはなんでも使う、というその姿勢を批判も非難もしませんが……それでも、いきなり『暗殺の実行犯はラルキア王国の人間です』などと言われましても」
そんなアドリブ、何時までも続く訳がない。目だけでそう言うソニアに綾乃は首を捻る。
「でも、上手く言ったでしょ? そりゃ、エリカやエミリちゃんなら事前に説明も根回しもするわよ? でも、ソニアちゃんなら出来ると思ってたから」
なんでもない様にそう言って見せる綾乃。そんな姿に、ソニアが小さく溜息を吐く。
「信用されている、という訳ですか?」
「信用? ううん、違うよ?」
そう言って綾乃は首を左右に振って。
「あれぐらい、ソニアちゃんなら出来て当然だと思ってるんだよ?」
なんの気負いもなくそう言って見せる綾乃に、ソニアは唇をかむ。
「……そうですか」
「そうだよ。それとも、なに? これからは一々説明した方が良い?」
『出来て当然でしょ?』と言われ、『出来ないから説明をして下さい』など、ソニアの口から言える訳もない。
「……結構です。アヤノさんが説明をした方が良いと思った事だけ、説明頂ければ」
だから、こういって見せる。そんなソニアの、少しだけ不満そうにソッポを向く横顔を楽しそうに眺めながら、綾乃は紅茶に口を付けて。
「――まあ、もう賽はぶん投げちゃったからね。ボールはあっちにあるし、後はゆっくり待っていましょうか? そんなに時間は掛からないと思うけどね?」
そう言ってカップを傾けて紅茶を飲み、その味に眼を細める綾乃の予想通り、ラルキア王国がフレイム帝国支持を綾乃に告げたのは翌日の昼前の事だった。




