第百九十三話 狸と狸と狸の化かし合い
「……これはこれは。お久しぶりですな、ソニア殿下」
ソルバニア王国第十一子、ソニア・ソルバニア来訪。想定の範囲の外を行くこの事態に思考が停止するもそれでも流石はラルキア王国宰相、瞬時に頭を切り替えてにこやかな笑みをルドルフを浮かべて見せた。そんなルドルフの笑顔に負けず劣らず、ソニアも綺麗な笑みを浮かべて口を開いた。
「ええ、お久しぶりですねルドルフ殿。息災でしたか?」
「有り難い事に。当国の現状はご存知でしょう? 我らがラルキア王国は小国、先の戦争の影響もありますし……まあ、貧乏暇なし、病気などをしている暇はありませんので。殿下の母国であるソルバニア王国とは違いますよ」
「あら? 我がソルバニア王国も台所事情はさして変わりませんわ。中々に厳しいですからね、今は。それは何処の国であっても同じでしょう?」
そう言ってコロコロと笑って見せるソニア。そこはかとなく余裕を感じさせるその笑顔にルドルフも小さく口の端を歪めて見せる。
「折角、来訪して頂いたのですからごゆるりと過ごして頂ければ、ソニア殿下。それに聖女様も」
「そうですね。折角なんでゆっくりさせて貰いたい所ですけど……まあ、それはこの後の『交渉』が巧く行ったらの話ですかね?」
首をコクンと傾げてそんな事を宣う綾乃。その姿に、知らず知らずの内にルドルフも溜息を吐いた。
「……相変わらずですな、聖女様。貴方は常に最短を目指そうと為される。ダニエリ攻防戦もそうですが、交渉事はもう少し心の余裕を持って行うべきでは? 老婆心ながらご忠告申し上げますぞ?」
「ご忠告は有り難く。でもね、ルドルフさん? そんな悠長な事も言ってられないんですよ。こちらも早く帰りたいですし」
そんな綾乃の言葉に、ルドルフの眉がピクリと上がる。
「……なに。然程急ぐこともありますまい。ゆっくり『交渉』をして貰って構わないのですぞ、当方は」
結論を急ぐパターンは幾つかあるが、その多くは自身に不利な状況である事に起因する。綾乃の言葉尻を捉えたルドルフは目を細めて見せた。
「……それとも、なんですかな? 聖女様にはゆっくり交渉していられない様な、そんなご事情がありますか?」
綾乃の訪問目的は明らかだ。そんな綾乃が交渉を急ぐ以上、何かしら『フレイム帝国』に不利な事があるだろう。そう思い、ジロリという擬音が似合いそうな視線を向けるルドルフに綾乃はゆっくりと肩を竦める。
「そうですね。今、私のライバルが魔王と二人っきりでランデブー中なんですよ。タダでさえ相手は私達全員を救ったヒロイン的扱いなのに、こんな所で差を付けられるのは真っ平御免。早く帰って取られたアドバンテージを取り返す算段しなくちゃいけないという訳です。なんで、こんな些末事に関わってる時間は惜しいってわけですね」
「……何が『アドバンテージを取られた』ですか。自分からそのアドバンテージを譲った癖に。言っておきますが、わたくしは反対でしたからね? エリカ様とコータ様、二人っきりでライムに行かすなど」
「据え膳処か口元に持って行ってあーん状態だもんね。でも、それでも私は浩太を信じているから! あのヘタレに、手を出す度胸なんて無いって!」
「……コータ様が聞いたら火を噴いて怒りそうですが……なんでしょう? わたくしもそう思いますわ」
目の前にルドルフが居るのを忘れたかの様な、そんな漫才。まるで仲の良い姉妹の様な二人のそのトークに、思わずルドルフも目の端を弛ませ。
「……なるほど。確かにそれは聖女様としてはのんびり過ごしている訳にも行かないでしょうな」
後、その弛ませた目尻を上げる。
「――ですが、面白くはありませんな。まるで我がラルキア王国をバカにする様なその態度、交渉の場に立つ使者として如何なものかと思いますぞ?」
ルドルフは――まあ、ルドルフのみならず、ラルキア王国のスタッフ一同、降って湧いた様なこの『フレイム帝国建国』に随分と頭を悩ませた。王国に付くメリット、帝国に付くメリット、或いはその両方のデメリットを、それこそ夜を徹して考え続けたのである。特に綾乃の来訪が告げられてからはそれこそ毎晩毎晩シミュレーションまでして考えたのである。それが、蓋を開けてみればどうだ。使者としてやって来たこの目の前の女性はメリットを提示する訳でもなく、この来訪を自身の好いた男との関係性構築に比べれば『些末事』と言い切ったのだ。王国を背負って立つものの一人として、決して許せる言葉ではない。そんな視線を向けるルドルフに、綾乃はもう一度肩を竦めて見せた。
「別にラルキア王国をバカにしている訳じゃないですよ? でもね、ルドルフさん? ダニエリ攻防戦の時もそうだったでしょう? 性急と言われれば性急なのかも知れないですけど……もう結論が決まっている以上、無駄じゃないですか、時間を取るのも」
「……結論が決まってる、ですか? それはどういう意味でしょうか、聖女様? 我らラルキア王国の帰趨、その結論が決まっていると?」
「おふこーす。ラルキア王国には選択肢なんて最初から無いんですよ、ルドルフさん」
そう言って綾乃は満面の笑みを浮かべて。
「貴方たちは最初っから、私達の――『フレイム帝国』の側に付くしか無いんですから」
◆◇◆◇
「……ふむ。最初から、フレイム帝国側に付くしかない、と?」
場の空気を一瞬で凍らせた綾乃の言葉。そんな言葉にしばし瞑目し絶句していたルドルフだが、気を取り直した様に口を開いた。
「それは……どういう意味でしょうかな? 私達が、ラルキア王国がフレイム帝国に付いた方がより大きな果実を得られるとでも?」
試すような、伺うようなルドルフの言葉。そんな言葉に、綾乃は首を左右に振って見せた。
「それならこんな言い方はしません。『フレイム帝国に付けば、あなた方には栄光が約束されます』ぐらいの事は言って見せますよ。私、言いましたよね? 選択肢なんてない、って」
「……ふむ。それは……なんですかな? ひょっとして、テラとライム、そして我がラルキア王国の同盟関係について述べていますか? 『同盟を結んでいるんだ。ならば、私達に協力すべきだ』とでも仰るおつもりで?」
「同盟なんてお互いに利益が有る内しか機能しません、の代表格みたいなモノでしょう? どう転ぶかわかんない現状の『フレイム帝国』の看板に無条件にベットして下さるほどルドルフさんは甘い人では無いと思っています。無論、義理人情を重んじて私達に肩入れしてくれる程のお人好しだとも」
「酷い言われようですな」
「褒めているんですよ、これでも?」
「そうは聞こえませんでしたが。話を戻しましょう。それでは、なぜ私達はフレイム帝国に付くしか選択肢が無いとそう仰られるのですか? 金ですか? 名誉ですか? 領土ですか? それとも」
そう言って視線をチラリとソニアに這わす。
「――恫喝、ですかな? ソルバニアという、『最強のカード』を切っての」
ルドルフの視線を受け流し、ソニアは涼しい顔を浮かべて見せる。流石は王族といった所、その堂々とした態度に思わず綾乃は苦笑しながら言葉を続けた。
「まさか。まあ、交渉事を優位に進める為にソニアちゃんに同席願ったのはありますけど……でも、流石に『恫喝』はちょっと酷いですね」
「そうですよ、ルドルフ殿。我らソルバニア王国は他国の政策に対しては何も言うつもりは御座いません。ラルキア王国がフレイム帝国を認めようが認めまいが、王国に付こうが帝国に付こうが、どちらでも構いません」
「……」
「まあ……わたくし個人とお父様――ソルバニア王カルロス一世はラルキア王国のフレイム帝国承認と同盟関係を強く望みますが」
「……舌の根も乾かぬうちにまあ……それを世間一般では『恫喝』というのですよ?」
「お父様の退位はご存知ないのですか? 現状ではまだソルバニア王ではありますが、近い内にお父様は退位為され、我が兄がカルロス二世として即位します。なので今言った事はわたくし達個人としての見解に過ぎません。そもそもルドルフ殿? 我らソルバニアが他国の為に戦争を起こすほど『お人好し』な国家に見えますか?」
「……」
言われ、ルドルフはしばし悩む。確かにソルバニアは商業国家、行動原理の全てとは言わないでもその多くが『利益』に傾きがちではある。そんな国家が、縁も所縁もとまでは行かないまでも、所詮は他人様の国家であるフレイム帝国の為に動くとは少し考えにくいのは確かだ。
「……では、私達がフレイム帝国の『味方』をする理由はなんですかな?」
窺うような視線を綾乃に向けるルドルフ。その視線を受け、綾乃は薄く笑んで見せた。
「覚えていますか、ルドルフさん? あのダニエリ攻防戦で私が言った言葉を」
「ダニエリ攻防戦での言葉、ですか?」
それはかつて、綾乃が『聖女』として赴いた戦地。同行した自分とて、忘れるはずの無い、そんな戦場の一幕。司令官であるアヒムと交わした言葉の数々は、今でもルドルフは鮮明に思い出す事が出来る。そんな中で、綾乃が言った言葉で印象に残るものと言えば。
「――殴られる覚悟も無いのに、人を殴ろうとは思いません、でしたかな?」
「………………よりによってそれを思い出しますか、ルドルフさん。そんな――ちょっと、ソニアちゃん? 『やっぱりアヤノさんはアヤノさんですね』とか遠い目で言わないでくれない? 傷つくわよ、私だって」
ぶーたれた様な瞳を、視線を明後日の方向に向けるソニアに注ぐ。それでも視線を逸らし続けるソニアに、諦めた様に深い溜息を一つ。
「私、言いましたよね? 『終わった戦争を蒸し返されては困る』と」
「……言いましたな、確かに」
「ルドルフさんなら分かりますよね? あれは結局、『復讐』なんかするなって意味です。別に、ジェシカ姫に殉じて死ぬ分には構いません。あの時も言いましたけど、別に構わないんですよ。死ぬ事によって報われる事だってあるんですから。でもね? 復讐なんかして貰っては困るんですよ。折角、上手くいった講和を、手に入った平和を、そんな大事な大事な時間をぶち壊されたら困るって、そういう意味だったんですよ?」
「? 何を仰っているのですか、聖女様。そんな事、私達だって十分承知しています。復讐なんて、そんな事は――」
――言いかけて、気付く。
「――――っ!」
そうだ。
そうだ、そうだ。綾乃は確かに言ったのだ。講和を壊して貰っては困ると。道連れにして貰っては困ると。復讐なんかされては困ると。
「……まさか」
「……気付きましたか、ルドルフさん?」
確かに、直接の戦争の相手はライム都市国家同盟だった。だが、そのライムとの戦争で、死地に赴いてまでジェシカ姫の仇を討とうと、そう考えていたラルキア王国のその将兵の『希望』を奪ったのは誰か。誰が口を出し、あの戦争を収めたのか。
「……」
まるで、縋る様。『違う』という言葉を期待するルドルフに、綾乃は申し訳無さそうな表情を浮かべて言葉を口にする。
「……フレイム王国宰相、ロッテ・バウムガルデンを暗殺したのはラルキア王国の人間ですよ、閣下」
まるで足元から地面が崩れる様なその感覚に、ルドルフは言葉を失ったまま呆然と綾乃を見つめ続けた。
「……何を仰っているか、分かりかねますな」
一瞬とも永遠とも取れる静寂。そんな再びの静寂を破ったのは、ルドルフ。
「ロッテ・バウムガルデン殺害の実行犯はラルキア王国の人間だった、という話ですよ、ルドルフさん」
「……ふむ。では、それを示す証拠はあるのですか? 明確にラルキア王国の人間が殺害を犯したという証拠は、何処にあるのですかな?」
「ロッテ・バウムガルデンからの遺言ですよ。聞いたのは浩太ですが、確かにその耳で浩太が聞いたと言っています」
静かにそう語る綾乃。その言葉に、ルドルフは小さく口の端を吊り上げた。
「なるほど、なるほど。ロンド・デ・テラの魔王が直々に聞いた話、という事ですか。ですが聖女様? そのお話、一体どれ程の根拠があると思いますかな? 彼の御仁の最後の言葉を聞いたのは魔王ただ一人なのでしょう? 物証も何もない、そんな中でロッテ・バウムガルデン殺害の犯人をラルキア王国の人間と決めつけるのは、如何なものですかな?」
「浩太が偽証している、とでも?」
「いえ、そこまでは申しませんが……ですが、聖女様? ロッテ・バウムガルデン殿はほぼ致命傷の様な重傷を負っていたとお聞きしております。ならば、当然に意識の混濁は見られるでしょうし……『勘違い』をしていた可能性だって無い訳ではありますまい?」
「……なるほど。確かにその可能性は無い訳ではないですね」
「でしょう? そして、そうであるのなら流石にそれを理由に全てを我らの『せい』にするのは些か無理があるでしょう? 本来なら言い掛かりもよい所と怒るべき所でしょうが……大きな恩のある聖女様のお言葉です。聞かなかった事にしましょうか」
そう言ってルドルフは頬を弛める。正直、一時はどうなる事かと思ったが物証も何もないこの状況で、ただ『ロッテの遺言』だけでは下手人をラルキア王国に求めるのは無理だ。その感情を巧く隠し、ルドルフはゆっくりとソファの背もたれにもたれ掛り。
「あら? そんな事を言っても宜しいのですか、ルドルフ殿?」
その動きを止める。視線は言葉を発した人間――ソニアに固定したまま。
「……どういう意味ですかな?」
「わたくしどもソルバニア王国とフレイム王国はライバル、と言っても過言ではありません。我がソルバニア王国は確かにオルケナ大陸では随一の経済力を誇っていますが、それでも歴史と伝統、それに『格』といった点ではフレイム王国には一歩及ばないのもまた、事実ではあります」
勢い甚だしい新興企業と、往時の隆盛程では無いがそれでも歴史と伝統を誇る老舗企業。ソルバニア王国とフレイム王国の関係性は、一種そんな関係性に似る所もある。
「そういう意味では我らソルバニア王国はある程度、フレイム王国に対して尊敬の念を持っている所もあります。まして、ロッテ・バウムガルデンはフレイム王国三代の王に仕えた大宰相です。オルケナ大陸を常にリードし続けたそんな名宰相に、我らは畏敬の念を抱いておりました」
そう言ってにこやかに笑って見せるソニア。そんな笑顔に、ルドルフの顔が苦々しげに歪む。
「……白々しいですな、殿下。ロッテ殿亡き後、ソルバニア王国の天下でしょうに」
「まあ、正直目の上のたんこぶであった事は否めませんわ。ロッテ閣下亡き今、ソルバニア王国が今まで以上の隆盛を誇る可能性も……まあ、否定は出来ませんし」
一息。
「ですのでまあ、これは建前論ですわ。ですが、ルドルフ殿? 建前論でも押し通せばそれは真実に変わる事だってあるのですよ? わたくし共はロッテ・バウムガルデンを尊敬している。そんなロッテ・バウムガルデンを暗殺した実行犯はどうやらラルキア王国の人間であるらしい。許せない。そんなラルキア王国に正義の鉄槌を――と、まあ、こんな所でしょうか?」
「……それは」
「復讐戦はお手の物でしょう、ルドルフ殿? あなた方ラルキア王国の得意技ではないですか。まあ、それだけで我らが参戦する可能性は低いですが……ですが、フレイム王国女王陛下であったリズ様とロッテ殿の仲、貴方も知らない訳では無いでしょう? そして現女王陛下であり、リズ様の最愛の姉であるエリカ様とリズ様の仲だってですし……わたくしと、エリカ様の仲も。どうでしょう? エリカ様から直々に、わたくしを通してソルバニア王国に参戦要請がある可能性だって無くはない、と、そうは思いませんか?」
「……」
「確かに我らソルバニア王国は利の無い戦争は致しません。ですが、利があり、そして理がある戦争ならば? 戦後のラルキア王国領切り取り放題なんて……素敵だと、思いませんか?」
そう言って、にっこりと。
惚れ惚れする様な綺麗な綺麗な笑顔を浮かべるソニアに、ルドルフの顔が大きく歪む。がそれも一瞬、ルドルフは深々と溜息を吐いた。
「……そんなもの、正当性も何も御座いますまい」
「まあ、そうでしょうね。ですが、ルドルフ殿? よもや貴方は『正当性』が無いと国家というモノが動かないとでもお考えですか? きっかけはなんでもイイのですよ。少なくとも、他国は我らを責める事をしないでしょうし……よしんば責められたとしても、各国の国力を考えれば攻め込んで来れる程の余裕のある国家は無いでしょう。そんな余裕のある国は精々、我ら『ソルバニア王国』ぐらいのものです」
そして、もう一度、にっこり。
「――どうです、ルドルフ殿? アヤノさんの仰っていた意味、分かりますでしょう? あなた方に選択肢なんて、最初から無いのですよ?」
綾乃そっくりの笑顔を浮かべて見せた。
細かい説明は次回にでも!




