第百九十話 馬車内でのトーク
王都ラルキアのほぼ中心部に位置するラルキア王城の正門前を東西に走るアレックス大街道。そのアレックス大街道を西に進み、ライム方面宿駅よりエーコ街道に進むとフレイム王国とライム都市国家同盟の玄関口であるライム都市国家同盟内都市国家カファロがある。
フレイム王国がまだ帝国だった時代はカファロ辺境伯領として隆盛を誇っていたが、帝国瓦解に際し民衆が蜂起。時のカファロ辺境伯を粛清し、自由都市として繁栄を謳歌していたアバーテ自由都市をモデルに共和制を布いた都市国家である。その国家の成立過程から『血塗られた北西領』なんて呼ばれ、強大な軍事力と士気を保持していたりしていた時代もあったが、共和制を爾来五百年以上過ぎた昨今ではそれも過去の事である。
「……」
「……」
そんなカファロに続くエーコ街道を二頭立ての馬車がゆっくりとした速度で進む。高速馬車に比べれば幾分とスピードが遅く、かといって普通馬車よりは心持急ぎ足のその馬車。時は金なりでは無いが、早ければ早い方が好まれるこの交通手段の中で、知る人が見れば眉を顰めそうな速度であるが、場所の先頭に翻る二枚の旗を見ればきっと満足げに頷くであろう。
天秤に絡みつく蛇の旗と、帆船の帆と錨の旗。
商売をその生きる術としたソルバニア王家の紋章と、海と共に他国に対して商売と交渉を続けて来たソルバニア王国外交局のマーク。その二枚を掲げる馬車の内部の人間は間違いなく、『やんごとない』身分の人間である事が分かるからだ。やんごとない身分だからゆっくりとした速度で進む、ではない。やんごとない身分の考える事なんて、庶民には考える必要がないからだ。
余談ではあるが、街道を走る馬車に旗が掲げられている場合は幾つかルールがある。例えば今回の様に『ソルバニア王家の紋章』と『外交局のマーク』が掲げられた旗が立てられていた場合、『外交局の馬車で、ソルバニア王家かそれに連なる人間が乗っている』、つまり『王家の公用による外交』という事になる。ソルバニア王家の紋章のみの場合はソルバニア王家のプライベート便、外交局マークのみならば官僚による公務という事だ。これは別段、権力を誇示したいという理由――も、あるにはあるが、もう少し現実的な理由もある。アレックス大街道などの道幅の広い道は然程問題では無いが、馬車のすれ違いがやっと、或いは一台通るのが精一杯という道もオルケナ大陸にはある。行き交う馬車同士がどちらが先に道を譲る、譲らないで揉める事は往々にしてあるのだ。俗な言い方をすれば『イキって道を譲れなんて大きく出たけど、いざ馬車の中見て見れば他国の王族でした』なんて下手すれば首が飛ぶような事態は避けたいし、王族側にしたって一々そんな事で時間と労力を取られるのは面倒くさい話ではあるのだ。まあ『ルール』と冒頭で書いたが別段明確なルールがある訳では無く、言ってみれば慣習的な事に過ぎない。なので、別にそれを守らなくても誰にも文句は言われないし、ぶっちゃければ縁も所縁もない人間がソルバニア王家の旗を勝手に使っても『ルール違反だ!』と咎められる事はない。尤も、そんな事をしてもしそれがバレれば身の安全は保障できないのだが。
「……」
「……」
「……え、ええっと……」
「……は、はい?」
「そ、その……な、なんか……飲む?」
そんな『ソルバニア王家の紋章』と『外交局のマーク』の掲げられた馬車内。本来であれば国王かその縁者しか座る事の許されない、十人は座れるだろうという広いゴンドラ内には煌びやかなシャンデリアが天井で煌々と輝いている。現在は昼間の時刻であるからその本来の役目は果たしてないが、夜にはきっと綺麗なんだろうな~なんて間の抜けた事を――まあ、現実逃避だが――を考えていた浩太の耳に、そんな声が響く。その声に視線を飛ばすと、なんだか居心地が悪そうにしながらもぞもぞとお尻の位置を変え、赤い顔をそっぽを向けている少女――エリカの姿がその視線の中に入った。
「あ……い、いえ。私がやりますよ?」
「あ、え、えっと……う、ううん? いいわよ? 私がやるわよ? な、なにかいる?」
「え、えっと……ああ、はい。その……い、今は良いです」
「そ、そう? そ、それじゃ……その、欲しくなったら言って?」
「あ、ありがとうございます」
そっぽを向いたままそう言ったエリカが笑顔と共に浩太に視線を向け、浩太の視線が自分に向かっている事に気付くと慌てた様に再びそっぽを向く。そんなエリカの姿に、浩太は胸中でこっそり溜息を漏らす。ホテル・ラルキアを馬車で出発してから数時間、このやり取り自体は既に七回目だ。
「……ふぅ……」
『プレゼント』と綾乃が称したこの『浩太とエリカのライム小旅行』は、計画と同時に即座に実行に移された。エリカの疲れを斟酌して出発はエリカ帰還から二日後。先ぶれの使者、馬車の調達、ソルバニア外交局に渡りを付ける、ご丁寧にソルバニア王家の旗まで借り受ける、が綾乃の仕業……じゃなかった、仕事である。
『今のご時世、ソルバニア王家の旗が翻ってる馬車に因縁付けようなんて馬鹿はいないでしょ? ゆっくり二人旅でもしておいでよ』
とは綾乃の談だ。そうは言ってもソルバニア王家の旗まで借り受けるのは流石におおごと、一体どういう経緯でそんな事が出来たのか問いただそうとした浩太だったが『まあ、あそこには貸しもあるしね? それに、仲間になるんでしょ? 貸してくれるじゃん、普通』という綾乃の言葉と、それ以上の不敵な『ワルイ顔』に追及を諦めた。精神衛生上、知らなくてよい事は沢山あるのだ。ソニア辺りを仲介にしたんだ、と自身を納得させたのが二日前の事なのに、なんだか随分昔の事の様だな、なんてもう一度現実逃避しかけた浩太の耳にエリカの声が響いた。
「ね、ねえコータ? お、お菓子は……」
「……止めましょう、エリカさん」
八回目。流石にこれ以上このテンションは辛いと判断した浩太は、明確な拒否の言葉に絶望の色を浮かべるエリカの姿をチラリと視界の端におさめると、立ち上がって水差しから水を二つのコップに注ぐとその一つをエリカに差しだした。
「あ、ありが――って、え、えええええええ!?!?」
と、同時、浮かしていた腰を椅子に下ろす。
「な、なんで!? な、なんで……そ、その……と、隣に座るのよ!?」
先程までのエリカの正面ではなく、その隣に。
「カフォロまで二日あります。ライム都市国家同盟の大統領府があるアバーテまでは更に二日かかります。四日もこの状態では疲れてしまいますよ」
「……」
「……その……申し訳ございませんが、今日のエリカさんは何時ものエリカさんと若干……ではないですね。明らかに違います。昨日まではその様な状態では無かったと思いますが……どうされたのですか?」
昨日までのエリカは至って普通だったのだ。夜の食事ではシオン、綾乃と口論を繰り広げていたし、寝る前は『おやすみ、コータ! 明日から宜しくね!』なんてパジャマ姿で満面の笑みを浮かべていちゃったりなんかしてたのに、である。
「……」
「……その……なにか私、エリカさんのご機嫌を損ねる様な事をしましたかね?」
浩太だって、実は結構楽しみにしていたりしたのである。不誠実、と言われればそれはそうなのかも知れないが、それでもエリカだって少なくない好意を寄せる相手の一人だ。二人っきりで――まあ、馬車の前後には護衛の馬車も控えているし、向こうに付いても純粋な二人きりではないが――ともかく、広いとは言え密室な空間で二人きりなのである。嬉しくない訳はないのだ。
「どうしてもアレでしたら、次の休憩の時にでも前か後ろの馬車に乗せて――」
「ち、違うの!」
「――貰い……エリカさん?」
言いかけた浩太の言葉を遮る様、エリカが浩太の左手をぎゅっと握りしめる。相変わらずそっぽを向いたまま、それでも耳まで真っ赤に染めながらそんな事をするエリカの手に、浩太は優しく自身の右手をその上に重ねた。その仕草に少しばかり安心したのか、強張っていたエリカの肩から少しだけ力が抜ける。
「……その、ね?」
「はい」
「……き、昨日までは本当に楽しみだったのよ。ふ、不謹慎かも知れないし、仕事で、って話だけど……そ、それでもね? コータと一緒に、それも二人きりで……そ、その……りょ、旅行なんて初めてでしょ? だから、舞い上がっていたんだけど……」
「朝起きて見たら楽しみじゃなくなった?」
「そ、そんな事ないよ! で、でもね? コータと二人で旅行なんて『初めて』って事で舞い上がってたんだけど……そ、その、『初めて』って事に今更ながらに気付いてね? そ、その……『ああ、コータと二人きりの旅行なんだ』とか『馬車の中には私たち以外は誰もいないんだ』とか思ったら……き、緊張して……そう思うと、もう……何か話さなきゃって思って、それで何か話題が無いかなって思ったんだけど……その……」
そう言って、少しだけ泣きそうな表情を浩太に向ける。まるで何かを思いつめた様な、沈痛なその表情に浩太が思わず息を呑んで。
「……話題が……無いの……っ!」
「…………はい?」
漏れた声は間抜けな言葉だった。そんな浩太に、エリカが畳みかける様に口を開く。
「だ、だって! 私達って出会ってからずっと仕事の話ばっかりじゃない! テラをどうするとか、テラをこうしたいとか、そういう話は沢山して来たわよ? でも……その……なんだろう? こう……プライベートの話題っていうか……そ、そういうの……し、してないな~……って」
「………………は。い、いえ、エリカさん? そんな事は――」
「無いって言いきれる?」
「――――……ええっと……まあ、うん。はい。そう言われてみれば」
エリカと過ごした時間は長い。ソニアは勿論、シオンや、ひょっとしたら綾乃よりも『共にいた時間』という点では長いかもしれない。比肩するのはそれこそエミリぐらいのものだ。ものだが。
「……私、コータとどっかに出掛けた事って……お墓参りぐらいでしょ?」
「……」
「パルセナでちょっとギャンブルとかもしてみたけど……でも、ねえ? コータ、拗ねてどっか行っちゃうし」
「……済みません」
「別に責めてる訳じゃ無くて……なんだろう? そう思うとさ? ちょっと悲しくなって。それで、その……焦ったりなんかして、なんかトンチンカンな事ばっかりで……」
ごめん、と小さく頭を下げる。そんなエリカがなんだかいじらしくて、浩太は重ねた手を強く握りしめる。
「……コータ?」
「……そんなつもりは無かった、と言い訳をするつもりはありません。確かに、テラの発展を最優先にして……エリカさんを、『エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム』という女の子を蔑ろにしていたかも知れません。謝罪します、エリカさん。本当に申し訳ございません」
「う、ううん! そんな事ないよ! だってコータは頑張ってくれたじゃない! こ、これは私の我儘だし、コータが悪い事なんて、一つも――」
「ですのでエリカさん? 私にチャンスを下さいませんか?」
「――ない……え?」
慌てて言葉を発したエリカの顔がきょとんとしたそれに変わる。そんなエリカを優しく見つめ、浩太は言葉を続けた。
「ライム都市国家同盟の大統領は俳優出身でしょう?」
「う、うん」
「ライムは大衆演劇が盛んなのですか?」
「う、うん。ライムは大衆演劇の聖地って呼ばれてるぐらいだから。特にアバーテの近郊にあるボルーザっていう町は町全体が演劇一色でね? 街中の至る所に劇場があるの! 有名な俳優とか女優の銅像もあるし、演劇学校もあるのよ! 俳優や女優の卵達も暮らしながら、有名俳優や女優も暮らしている街なの!」
「ハリウッドとモンマルトルを足して二で割った様な街ですね」
「へ? は、はり……なに?」
「こちらの話です。それで? エリカさんは演劇はお好きなのですか?」
「うん! 王城に居る時は劇団が来ることなんかもあったけど、でもやっぱり王立劇場で見る観劇が大好きだったの! 凄く面白かったし……なんだか、ワクワクするじゃない?」
「ああ、わかりますね、それ。お祭りに近い感覚と言いましょうか」
「そうそう! だから、ボルーザは一度は行ってみたかったのよ!」
「では、行きましょうか」
「……え?」
「アバーテの近郊にある町なのでしょう? 折角の機会です。ちょっと足を伸ばしても罰は当たらないでしょう」
「で、でも! そ、そんなの……」
「良いじゃないですか。別に急いでどうのこうのという訳ではありませんし」
そう言って言葉を切り、浩太は優しい笑顔をエリカに向ける。
「……大統領に逢ってから、の方が良いでしょうね。会談の次の日、ボルーザに足を運ぶ。朝から演劇を見て、お昼は何処かのカフェか何かで昼食。昼食後はもう一つか二つ観劇をして、軽いコーヒーブレイク。後は街をぶらぶらなんかもイイかも知れませんね。有名な俳優さんが住んでいらっしゃるなら偶然出会う事もあるかも知れませんし」
「……」
「……夜はちょっと気張って良い所でディナーも良いのでしょうが……折角です。なにかあるんじゃないですか? 由緒正しい、というか、有名俳優や女優が売れない頃にとぐろ巻いてた酒場、みたいな場所も。そんな所も面白そうだと思いますが」
どうです? と問う浩太。そんな浩太に、エリカは一杯の笑顔を浮かべて。
「……素敵。すごく……素敵」
「それは重畳」
「でも……一番素敵なのは……コータと二人で、ってところ」
「……それこそ、重畳ですね」
少しだけ照れたように……それでも、瞳を逸らさずそういうエリカに、浩太も頬が赤く染まるのを自覚。それでも視線を逸らさず、言葉を続けた。
「……では、カファロに着いたら……なんでしたっけ? 『オルケナ大陸の歩き方』でしたっけ? あの旅行雑誌でも買いましょうか。きっとあるでしょうし、ボルーザ版も」
「……あてもなく歩く、っていうのも好きだよ?」
「それも面白そうですけど……それは『また』の機会にしましょう」
「……? ……!! うん! 『また』の機会にしよう!」
嬉しそうにそう言って笑うエリカ。と、その顔が少しだけ朱に染まり再びそっぽを向いてしまう。
「どうしました?」
「そ、そのね? ボルーザって演劇の街なんだけど……それと同じくらい、ファッションの最先端の街でもあるんだ」
「……ああ、なるほど。確かにそれはそうかも知れませんね」
有名な俳優や女優が住む街なら、時代の先端を行くファッションの街である事も分からないではない。
「それでね? その……か、可愛いお洋服とかドレスとか、小物とかも売ってるんだ。だ、だからね? その……そ、そう云う所も……い、行きたいな~って……」
恥ずかしそうに、それでも期待を込めた表情でチラチラとこちらを伺うエリカに、浩太は満面の笑みを浮かべて。
「仰せのままに、お姫様」
芝居の街に敬意を表したかのよう、芝居がかった口調と手を胸の前に当てて頭を下げる浩太の動作に、エリカの楽しそうな笑い声が馬車内で弾けた。




