第百九十一話 大統領閣下と首席補佐官
ふぅ、という小さな溜息が漏れる室内。突然の珍客を見送ったライム都市国家同盟大統領、アルベルト・バルバートは幾分疲れた様な表情を浮かべて目の前の紅茶のカップに手を伸ばす。
「……あら?」
そのカップが空だった事に少しばかり眉を顰める。と、それと同時、アルベルトのカップが暖かな紅茶で満たされた。
「さんきゅ、クラリッサ」
「いえ。お疲れ様です、閣下」
「二人っきりの時は?」
「……お疲れ様、アル」
その言葉に、嬉しそうにアルベルトが破顔して見せる。それとは対照的、照れた様な『むー』っとした表情を見せながら、手に持ったポット――いましがた、アルベルトのカップを満たしたそれをテーブルの上に置いた。
「…………確かに今は二人きりです。ですが閣下? 此処は大統領執務室、つまり公邸ですよ? 公の場で私的な会話は如何なものかと思いますが?」
「公の場で夫婦で働いてるんだ。今更だよ、んなもんは。なあ、クラリッサ・『バルバート』?」
そう言って二カッと笑い、アルベルトは自身の左手を上げて見せる。薬指にきらりと光るリングに視線を這わせ、その後自身の左手の薬指にきらりと光るソレを見つめたクラリッサの頬が朱に染まった。
「……そう、ですけど。ですが、閣下? やはり、公私の区別は付けるべきです」
「はいはい。相変わらずお堅いよな、お前さんは。つうかな? あの講和会議の時に言っただろうが。辞めて田舎で畑を耕すって! それなのになんで俺は大統領なんてやってるんですかね~?」
恨みがましい視線を向けるアルベルト。その視線を冷ややかに受け、クラリッサは小さく溜息を吐いた。
「あの時の状況で閣下、我らライム都市国家同盟の民が貴方の様な偉大な指導者を頂かない訳が無いでしょう? なし崩し的に大統領を続けて貰うに決まっています」
「……俺が偉大な指導者って無理があり過ぎだろう。つうかな? その『偉大な指導者像』はお前が勝手に作り上げたものだろうが」
「貴方は役者でしょう? 与えられた役に全力で取り組めば良いのですよ」
ラルキア王国との講和が成った後、クラリッサの行動は早かった。自身たちが帰る前に先触れを飛ばし、アルベルトの『功績』を大々的に報じさせたのだ。戦争は戦後の方が大変、とはよく言われがちだが、特に『敗戦』国家であるライム都市国家同盟の場合、今後の国政の立て直しにはカリスマ性を持つ指導者が必要であり、そしてそのカリスマ性を持つ指導者は講和の立役者であるアルベルトが適役だった、という話である。
「……他の執政官を無罪放免にしてか?」
「神輿を担ぐ人間は多い方が良いですから。大統領を投げ出した事、投げ出した大統領を押し付けた事、彼らに負い目がある以上、それを利用しないのは勿体ないでしょう? 仮にも執政官まで昇りつめた人達です。それぞれの都市国家には一定の影響力はありますし」
「……お前が大統領になった方が良いんじゃねーか?」
民衆を煽り、海千山千の執政官に現状維持という飴と破滅の鞭を用意し、国内経済だけでなく国外の外交も有利に進める。クラリッサ一人の力では無く、優秀なスタッフの力が大きいのは当然だが、それを影に日向に推し進めたのは間違いなくクラリッサの力量だ。暗に能無し大統領と言われている気がして心持しょぼんとするアルベルト。
「……アル」
「……んだよ?」
そんなアルベルトの服の袖をちょんっと摘まむ。彼我の身長差か、そのままクラリッサは上目遣いでアルベルトを見つめて。
「私が頑張れるのは、アルが隣に居てくれるからだよ……?」
「……」
「あ、アル?」
「帰る、帰ろう、帰るとき。何でもイイや、今すぐ帰ろう、クラリッサ」
「……へ? ちょ、ちょっとアル!? ど、どこ――きゃ、きゃあ!」
足の下に手を回し、持ち上げる……所謂、『お姫様だっこ』の体勢。息が掛かりそうな近い距離にクラリッサの顔が真っ赤に染まる。
「なに照れてんだよ。いつもはもっと凄い事してるだろうが」
「い、言わないでよ! っていうか時間! まだお昼過ぎだよ! 何考えてんのよ!?」
敬語をかなぐり捨て、真っ赤な顔のままで反論を試みるクラリッサ。
「まだ決めなくちゃいけない事があるでしょ! そ、その……『そういう』のは、ぜ、全部終わってからに……」
ソッポを向き、真っ赤に染まった耳だけをこちらに向けるクラリッサ。その顔が無性に可愛いと思いながら、それでもゆっくりとクラリッサを下ろす。
「……なんでちょっと不満そうなんだよ?」
「……嬉しかったからですよ。言わせないでください、恥ずかしい」
「っ! だから! あー、もういい! 取りあえずさっさと終わらすぞ!」
いじけた様な表情を見せるクラリッサを見やり『女って難しい』なんてつまらない事を考えながら、アルベルトは大股で執務室の机まで歩き、机上で頼りなげに揺れている数枚の書類を手に取った。
「『フレイム帝国建国に関する提案書』、ね。どう思うよ、これ?」
手元の紙をペラペラと振って見せるアルベルトに、クラリッサも先程までの乙女の表情を補佐官のそれに変えて口を開いた。
「フレイム王国があの様な状態である以上、エリカ陛下が何かしらの行動を起こすであろう、という推測は容易と言えば容易です。エリカ陛下の暗殺という観易い事象から、オルケナ大陸を巻き込んだ大戦に発展までおよそ数十パターンは想定し、それに対する対策も練っていた所ではあります」
「今回のパターンは?」
「今回はエリカ陛下と首脳部……クリス殿下とが袂を分かつパターンです。フレイム王国が二つの勢力に分かれる想定はしておりましたが……」
一息。
「……流石に帝国の建国と帝都ロンド・デ・テラの建設、コータ・マツシロ殿の新国家国王就任、ソルバニア王の退位、ソルバニア王国のフレイム帝国の承認までは想定していません。というより、これほど『平和的』な解決方法になるとは思いませんでした。加えて言えば、そんな桁外れの案をソルバニア王国が持ってくる、とも」
「……だろうな」
「はい。そして、正直な話をすれば『巧い』方法であると思います。フレイム王国としては悲願……かどうかは分かりませんが、形の上では独立国家になります。幾ばくかの上納金は必要でしょうが、それでも今までに比べれば幾分はマシになるでしょうし」
「フレイム王国の国王陛下にクリス殿下がなるってか?」
「恐らく、それはエリカ陛下も認めないでしょう。ただ、前王陛下にはエリザベート前陛下とエリカ陛下以外のご子息はおられませんので……最も近い血縁で言えば、前王陛下の従弟に当たられるルーマン公爵辺りを国王に据える事になるでしょう。クリス殿下に取ってはよりやり易くなります」
「エリカ陛下には旨みがねーか」
「いえ。フレイム王国がフレイム帝国の『下』に入る以上、形式的とは言えエリカ陛下の立場は守られます。また、フレイム帝国の帝都をロンド・デ・テラにするのです。テラはエリカ陛下の旧領地です。勝手知ったる我が領地に籠の中の鳥から逃げ出せるのであれば、旨みは十分あるかと」
「……なるほどな」
クラリッサの説明を聞くと、アルベルトは部屋の中央に置かれたソファにどっかりと腰を下ろす。そのまま背もたれに頭を預け、視線をクラリッサに向けた。
「……それで? どっちに付くのが得策だと思う?」
「……ほう。閣下も思われますか? 何時か『荒れる』と」
「当然だろう。二つに分かれました、それじゃこれからは仲良くやっていきましょう、なんて戯言が通じるとは思えねーしな。何かしら起こるだろうって事は簡単に想像が付くだろう?」
そう言ってテーブルの上のカップに手を伸ばす。
「……そうなると、一体どっちに付いた方が得かって話になる。道義的にはフレイム王国に付くべきなんだろうけどな」
「我が国とテラは同盟を結んでおりますしね」
「そうだ。だが、そのへんはなんとでもなるだろう? 加えてカルロス一世の退位だぞ? あの蛇みてーなおっさんが退位した後、果たしてソルバニア王国に往時の影響力があるか、だな。後継ぎはボンクラだし……今の国力考えりゃ、いきなり落ち目になる可能性は低いだろうけど」
「そうですね。『遺産』を守るだけで十分かと」
「パルセナはきっと我関せず。ラルキア王国は微妙なラインで、ローレントは多分、それどころじゃない。となるとウェストリアだけがネックだが……」
「ウェストリアは間違いなく、フレイム帝国に反対します。心情的にはクリス殿下のいる『王国』側に加担しそうですが……」
「行き過ぎた男尊女卑の見本みたいな国だしな、あそこ」
「エリカ陛下も女性である以上、国のトップを男性に据えればそれだけで傾く気もしますし、『王子』と偽っていたクリス殿下の居る国を支持する貴族が果たしてどれ程いるか、という気もします」
「あっちこそ悲願達成だろうにな。ダイッキライなフレイム王国滅ぼしたんだぞ? 自分ところの王子が」
「それを為しえたのが実は王女でした、が納得できない方々なんでしょう、あそこは。私がラルキア大学に居た時も『そういう』視線は良く受けました。女だてらに、と。まあ、何処でもそういう所はありますが。本当の意味で実力通りに評価してくれるのはライムと、フレイム王国のごく一部ですよ」
「舞台にでる演者は男でも女でも関係ねーけどな」
「それがライムの良さですよ。話を戻します。どちらにせよ、今の段階ではどちらに付くかを決めるのは難しいですね。情報も少なすぎますし」
「でもな~……くるって言ってるぜ、エリカ陛下。それまでにどちらか決めてた方が良いんじゃねーのか?」
フレイム王国の『滅亡』とそれにかかる一連の流れはオルケナ大陸の仕組みを一気に塗り替える程のものだ。対応を一歩間違えば、タダでさえ先の戦役で疲弊したライム都市国家同盟は更なる傷を負う事になる。国家元首として、なによりこの国に生まれ、この国に生きるアルベルトとして、他国の後塵を拝す祖国なんて見たくはない。
「……ならば、閣下? 閣下の『好きな方』に付いたら宜しいのではないですか?」
少しばかり情けない表情を浮かべるアルベルトを苦笑で見やり、クラリッサは――ともすれば適当とも取られがちな言葉を紡ぐ。
「……好きな方だ?」
「ええ、好きな方です。好きな方、では言い方が悪ければ閣下の『信じる方』でも構いません。今までだって閣下、貴方は好きな方を選んできたでしょ?」
「好きな方ってお前……いやな? 俺だって一応、国の為を思って――」
「ですから」
言いかけたアルベルトを制し。
「貴方は何時だって、『この国の為』になる方をお選びになってきましたよ。それは、貴方がこの国を好きだからです。ですから、閣下? 貴方は貴方の好きな様にしたら宜しいのです。それが、きっとこの国の為になりますから」
どのみち、外交に正解はない。歴史を紐解き『あの時こうしていれば』と後悔する事はあっても、そのときそのときにそんな判断は下せないのだ。
「……」
「ですから何の心配もいりませんよ、閣下。貴方は、貴方の望むまま、お好きな方をお選びください。それが失敗だとしても、誰も責めません。いえ、仮に誰かが、ライム都市国家中の全ての人が貴方を責めても、私は、私だけは」
――ずっと、貴方の隣に居ますから、と。
「……流石だよな、お前。つうか、なんかズリーよ」
「そうですか? 私はそんなつもりはありませんが」
「あーはいはい。んじゃお前の言う通り、好きな様にさせて貰うわ。取りあえず、エリカ陛下に逢ってから考える事にする」
「そうですね。その様にしてください」
なんでもない様にそう言って、机の上に置かれた書類を集めて机の上でトントンと二度紙を揃えると、クラリッサはその紙をアルベルトの執務机に仕舞う。その後、コソコソと何かを気にする様に左右に視線をさ迷わせた後にアルベルトに近寄り、その服の袖をちょんっと摘まんだ。
「……クラリッサ?」
「そ、その……と、取りあえず今日の仕事は終わったじゃないですか?」
「そ、そうだけど……」
潤んだ瞳のまま、上目遣いで。
「そ、それでね? ぜ、全部終わったから……そ、『そういうの』を……し、したいな~って」
女ってズルい、と心の中でアルベルトは叫んだ後、クラリッサの足の下に手を回し、先程の続きとばかりに『お姫様だっこ』をして見せた。




