↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フレイム王国興亡記  作者: 疎陀 陽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
140/265

第百三十九話 ホテル・ラルキアでの会談


 フレイム王城正門前。


 既に日が西の空に落ちかけ、正門を守る門衛達も仕事終いを始めるそんな時刻に一人、浩太は正門前にポツネンと立っていた。

「……遅くないですか?」

 一度、ホテル・ラルキアに帰ったクラウスが無事にアドルフとの『会食』を取り付けて来たのは今から二時間ほど前の事。


『分かった。それではコータ、王城の……そうだな、正門前で待っていろ。私も直ぐに行く』


 というシオンの言葉通り、待ち惚けして既に二時間だ。門衛から『なにやってんだコイツ?』と言わんばかりの視線を受け続けるのもそろそろ辛い。律儀にシオンを待ち続ける浩太だったが、我慢もそろそろ限界、コレは迎えに行った方が早いと思って踵を返しかけて。

「……待たせたな、コータ」

 自身の背中から掛かるシオンの声に、『貴方の直ぐは日が暮れるまで待たせる事ですかね?』ぐらいの文句の一つでも言ってやろうかと思い、浩太は後ろを振り返って――そして、息を呑む。

「……ほう? どうした、コータ? そんな顔をして」

 目の前で、チェシャーの猫の様にニヤニヤとした、それでもバカにした風ではなく、悪戯が成功した子供の様な表情で笑うシオンの見慣れた顔があった。

「……え……っと?」


 ――否、見慣れていない。


「……シオン、さん?」

 高い位置に結ったポニーテールを解き、背中まで届くまるで炎の様な明るい赤髪。

 彼女のトレードマークと言っても良い『白衣』を脱ぎ、体のボディラインに沿って、体のラインが強調される黒のスレンダードレスが、どちらかと言えば『駄目な大人』の代表みたいなシオンをエレガントに仕立て上げている。肩を出したドレスである以上、目線はどうしても肩に行きそうではあるが、それを許さない――エリカ辺りが地団駄踏んで悔しがりそうな、豊満な胸。何時もなら浩太と同じくらいの身長の筈が、並ぶと高く見える事に訝し気に浩太が視線を足元に移せば、こちらも黒のハイヒールを履いており、それがスレンダードレスと相俟ってより一層シオンの魅力を引き立てている。

「……」

そんな、ラルキアの街を歩けば恐らく、十人中八人は振り返るであろう魅力的な美女が浩太の目の前で、先程の悪戯っ子の笑顔を、妖艶なソレに変えて微笑んでいた。

「どうだ? ちょっとしたものだろう? 私だってやれば出来るんだぞ?」

 何時だってシオンは自信満々だが、いつもより二割増しの自信でそう言って見せる。確かに、先日ラルキア王立劇場で主演した女優、と言っても通じそうなぐらいに色っぽく、艶やかで、そして美女である事は間違いない。

「ふふふ。驚いて声も出ないか? まあ……ドレスを見立ててくれたのはアリアだし、このメイクもアリアがしてくれたから、正直私は何もしていないのだが……だが、自分で言うのはなんだが、素材自体は悪くないだろう?」

「…………シオンさん」

 間違いない、が。



「――なんでその格好で背中にリュックサック背負ってるんですか!」



 なんか、色々、台無しだった。

「む? 背中のリュック……ああ、これか?」

 そう言って、シオンが浩太に背中を向けて見せる。そこには二歳の子供ぐらいはありそうな大きさのリュックサックがでーんっと鎮座ましましていた。ぶっちゃけ、違和感が半端ない。

「え? ええ? ちょっと待ってくださいよ! シオンさん、今日は結構イイ感じに決めてますよね? 中身知らなければ『何処の淑女ですか?』って問いかけたいぐらい、美人に決まってますよねっ! なんでそこでリュックサック背負うって選択肢が出て来るんですか? そんなに女性のファッションに詳しい訳じゃないけど、明らかに失敗だって分かりますよ、それぇ!」

 先程十人に八人が振り返ると言ったが、訂正しよう。十人に十人が振り返る。無論、悪い意味で。

「……なんだ、中身を知らなければって。一々気に障る言い方だが……まあ、良い。なに、先程クラウスに見せた資料があっただろう? アレを纏めていると結構膨大な量になってな。手提げの鞄だったら腕が千切れそうだったから、リュックにしてみた。どうだ? 機能的だと思わないか?」

「思いますよ、そりゃ確かに! でも、普通リュックサックって選択肢は出て来ませんよ! なんで? アリアさん、なんか言いませんでしたか、その格好について!」

「特には。ただ……そうだな、そう言えば深い溜息を吐いていたな」

 なんでもない風にそういうシオンに、浩太は悟る。

「……ああ、なるほど」

 諦めたか、と。折角の美貌に衣装を持ってしてもそれを台無しにするシオンに、なんだか真っ白なキャンバスに、どぎつい色の絵の具をぶちまける様な物悲しさを感じながらも、浩太は言葉を継いだ。

「……まあ、良いです。それで? どうしたんですか、その格好は? パーティーでもあるんですか?」

「これから会食、と言っただろう? フレイム王国のみならず、オルケナ中にその名を轟かす超一流ホテルでのディナーだぞ? しかも、ディナーのお相手はその超一流のホテルのオーナー様だ」

「……もしかして、あります? ドレスコード的なやつ」

「まあ、そこまで気張ったモノは無かろうがな。そうは言っても流石にいつもの白衣と言う訳にもいくまい」

 仰る通りではある。シオンの言葉に、少しだけ不安になった浩太がその場で自分の服を一度見回す。

「……いつも通りなんですが、私。不味いですかね?」

「コータは別段、違和感のある服装ではないから構わないだろう。私の場合はあからさまに仕事着だからな。着替えただけだよ」

「……随分めかし込んだようですけど?」

「普段、滅多に洒落込む事など無いから……アリアが張り切ってな。『折角お姉様はお綺麗なんですから、もうちょっと格好に気を付けるべきです!』と……まあ、色々頑張ってくれたよ」

「全面的に同意しますよ、それは」

 素材は良いのだ、素材は。惜しむらくは、喋るとその美点が全て吹き飛んで残るのは欠点だけだ、と言うだけで。

「……なんだか失礼な事を言われている気がするが、気のせいか?」

「気のせいでしょう、多分。それよりシオンさん? そのリュック、私が持ちますよ。さあ、貸して下さい」

 そう言って右手を差し出す浩太に、シオンが少しだけ驚いた様な顔をし、その後その表情を訝しんだものに変える。

「まさか……盗るつもり――」

「盗りませんし、頼まれても要りません。純粋に、持って差し上げようと思っただけです」

「……ほう。意外に紳士だな、コータ。レディに重たいものを持たせられないと?」

 そんな浩太の言葉に、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべるシオン。なんだかんだ言っても、シオンだって年頃の女性、相対的に男性の多い職場である学術院で切った張ったの問答を繰り返していても……否、だからこそ、偶には『お姫様』の様な扱いを受ける事を望んで――いる事はまずないが、純粋に親切にされるのは誰だって嬉しいものだ。

「……いえ……まあ……ええ」

「……なんだ、歯切れの悪い? 違うのか?」

「全くそう云う意味が無いと言うとまあ、嘘になるんですが……でもね? それ以上に、そんな色っぽいドレス着てるにも関わらず、リュックサック背負ってる様な女性と一緒に歩きたくないですよ、常識的に考えて」

 さもありなん。本人も十分恥ずかしいが、一緒に歩く浩太だって恥ずかしい。

「……嘘でもソコは『女性に重たいものを持たせたくないんだ』とか言ったらどうだ、おい? 私の中のコータの評価が一段階上がる事、請け合いだが?」

「…………え?」

「……なんだよ、『え?』って」

「いや、シオンさんの私の評価が上がるって……え?」

「……なんだ? もしかしてコータ、私の中のコータ評は既に最高値だとでも思ったのか? ふふん、エリカ様やエミリ嬢ならいざ知らず、私はそんなに甘い評価は――」

「別にシオンさんの評価が上がってもなんのメリットも無いんですけど?」

「――って、おい! どういう意味だ、それは!」

「まあまあ。どうでもイイじゃないですか、そんな事。それよりさっさとリュック貸して下さいよ。恥ずかしいですから。ほら、さっきも小さい子が指差してたし」

「……どうでもイイって……扱いがぞんざい過ぎやしないか、流石に?」

 ブツブツ文句を言いながら、それでもシオンは背中からリュックを降ろすと、ずっしりと重いソレを浩太に手渡す。受け取った瞬間、予想以上の重さに少しばかり驚いた表情を浮かべ、それでも浩太はそのリュックサックを自身の背中に負った。

「さあ、それでは行きましょうか」

 そう言って笑んで見せる浩太。その姿を、シオンが上から下まで見回して。

「……待て。一つだけ、言っておきたい事がある」

 心持、真剣な顔。その顔に、浩太は少しばかり居住まいを正して。


「物凄く…………格好悪い」


「……さっきまでの自分の姿を思い返してから言って貰えませんかね? 誰のせいだと思ってるんですか、誰の」

 肩を竦めてそう言い、付き合ってられないとばかりにさっさと歩みを進めようとする浩太。


「待て」


 その背中にもう一度、シオンの声が掛かる。

「……なんですか、今度は?」

 そう言って浩太は振り返り――そして、顔を真っ赤に染めて右手を差し出すシオンの姿を見た。



「その……手を……つ、繋いでくれないか?」



 おずおずと差し出された右手。その姿に、浩太は思わず息を呑んで。

「…………え? なんで?」

 手を繋いで、と言ってる女性に言う言葉ではないであろう言葉が、浩太の口から漏れる。シオン、怒ってもいい所である。あるが。

「あ、歩きづらいんだ! 普段、こんな高いヒールを履き慣れないから、あ、足が……」

「……そんな事だと思いましたよ。はい、シオンさん」

 ……まあ、どっちもどっちだ。 


◆◇◆◇


「お待ちしておりました、コータさ――コータさん? ど、どうしたんですか? そんな疲れた顔をして?」

「……そんな疲れた顔してますか、私?」

「え、ええ。こう……まるで、一仕事終えた後の様な……」

 ホテル・ラルキアのエントランス。わざわざ浩太達の到着を待っていたクラウスが、なんだかげっそり痩せて見える浩太に思わずそう声を掛けた。

「…………まあ、確かに一仕事終えた感はありますよ? なんでしょう? ぶっちゃけ、王城から此処まで、大した距離じゃないじゃないですか? なのに、なんで私はこんなに疲れてるんでしょうか?」

「え、ええっと……その……それはコータさんの後ろで、なんだか涙目になってるシオンが関係あります?」

「ええ、がっつり本命で関係あります。そもそもですね? ヒールを履き慣れるとか履き慣れないとかのレベルでは無いんですよ、シオンさん。なんでしょう? 生まれたての子鹿だってもうちょっとマシな動きするんじゃないかってぐらい、あっちによろよろ、こっちによろよろですよ? 腕引っ張られる上に、重たいリュックサック背負って、ですよ? 『この服はアリアからの借り物だからな。汚す訳にはいかん!』とか言って、こけるのイヤだからって私の腕を離そうとはしないし。見ます? 痣になってるんですよ、ココ」

「……遠慮しておきます。そして、シオン。君は色んな意味で服装に気を付けなさい」

 クラウスの言葉に抗議の声を上げようとして、浩太の無言の圧力に負けたか、シオンが不満そうにソッポを向きながらも口を噤む。そんな珍しいシオン――と、浩太の姿に、何処でこの力関係が出来上がったのか、内心で興味深いモノを覚えながらもクラウスは努めて冷静に笑顔を向けた。正直、あまり余分な時間はない。クラウス自身も……そして、今、ホテル・ラルキアのレストランで待つ『人』にも。

「……さあ、コータさん、シオン? あちらに当ホテル・ラルキアの会長であるアドルフがおりますので、行きましょうか?」

 クラウスの声に、シオンが捨て犬の様な瞳を浩太に向ける。その視線に溜息を一つ、浩太が自身の右腕を差し出した。嬉しそうにその腕に腕を絡ませ――ではなく、掴むシオンを生暖かい視線で見やり、クラウスは二人を先導する様に歩き出す。

「……どうぞ。こちらです」

 進む事、しばし。ホテル・ラルキアのレストランの最奥部、個室になっている部屋に通される浩太とシオン。一目で贅の限りを尽くしたであろうと分かるその部屋には十人掛けのテーブルと椅子が用意してあり、入口から最も奥、上座に当たる位置にアドルフ、その隣にエルが立っていた。

「……本来であれば、このホテルのオーナーであり、『ホスト』である私が下座に座るべきなのだろうが、今回は君達の『我儘』だ。この座り位置にさせて貰うぞ?」

「勿論お構いなく、アドルフ会長。本日はお時間を頂きありがとうございます」

 浩太の言葉にアドルフが小さく頷くと、目線だけで『座れ』と促す。その視線を受けてアドルフの対面に背負ったリュックを降ろした浩太、その隣にシオンが腰を降ろした。

「……コータ・マツシロ」

「はい?」

「この場に、クラウスとエルを同席させても構わないか?」

「それは……私達は構いませんが……宜しいので?」

 クラウスとエル、その二人が『賛成』である事はアドルフも知っている筈。四対一でも構わないのかと暗に言って見せる浩太に、この日初めてアドルフは口の端を釣り上げて見せた。

「……使える手はなんでも使う、と云うのは君の得意とする所では無かったか? いいから座れ、クラウスも……それに、エルも」

「……耳が痛いですね。先日は失礼しました」

「構わんさ。それに、私は君には感謝しているからな。ホテル・ラルキアの業績は飛躍的――とまでは行かないも、まあ、改善される。ありがとう、と言っておこうか?」

「では……お礼代わりに『通貨発行権の王府移譲』を呑んで貰う、というのは如何でしょうか?」

「それは出来ん相談だな」

「なぜ?」

「メリットがない」

「……メリットは少なからずあるのでは?」

「では、言い方を変えよう。メリットが少ない」

 アドルフの言葉が終わるのを待っていたかの様、締め切ったドアが開き、料理が運ばれて来た。食欲をそそる様な香りと、温かい湯気の立つソレは一流ホテルに相応しいであろうフルコース。その料理が目の前に運ばれて来たことに、シオンが目の色を変える。

「…………シオンさん」

「……分かっている。我慢するさ………………じゅる」

「涎!」

 浩太の短い叱責に、慌てた様子でシオンが口の端をテーブルの上のナプキンで拭う。その姿を面白そうに見やり、アドルフが口を開いた。

「なるほど……『バウムガルデンの氷の姫』は、意外に食い意地が張っていると見える」

「なに、余りに美味そうな料理だったからだ、アドルフ殿。普段は……そうだな、もう少し冷静だぞ、私は」

「し、シオンさん! なんですか、その言葉遣いは! す、済みません、アドルフ会長!」

 あんまりと言えばあんまりなシオンの言葉遣いに、慌てて浩太がフォローに入る。そんな浩太に軽く手を上げ、アドルフが言葉を引き取った。

「構わん。シオン・バウムガルデンと言えば若くして主任研究員まで務めた才媛だからな。その相手に、ただ年が上というだけで敬え等と言うつもりは毛頭ないさ。さあ、シオン・バウムガルデン殿? 折角、お褒めの言葉を頂いた料理だ、冷めない内に食べたまえ」

「それでは遠慮なく――と、言いたい所だが、隣で睨む男が居るからな。折角の料理だ、後顧の憂いなく料理は食したい。コータ」

「……なんですか?」

「リュック」

 出せ、と言わんばかりに右手を差し出すシオンに溜息を吐きながら、浩太は足元に置いたリュックを差し出す。リュックを受け取ったシオンはその口を開け、中から分厚い紙の束を取り出して見せた。

「……それは?」

「フレイム王国内において、九人委員会を除いた『そこそこ』優良な商会に関する資料だ」

「ほう。中々興味深い資料だな、それは。何を以って『そこそこ優良』と呼ぶか、にもよるがな?」

「少なくとも、商会のトップがこの『ホテル・ラルキア』を定宿にするぐらいには優良、という意味だ。この資料は各商会の取扱品目に、商量、販売先や仕入先、各商会の会長の趣味や、今後中核となるであろう人材まで網羅している資料だ。一見の価値がある資料だし、今後の……そうだな、ホテル・ラルキアの『営業活動』にも役に立つのではないか?」

 言ってみれば、紳士録の様なものだ。これだけネット技術が発達し、必要な情報が直ぐに手に入る現代日本においても『紳士録』が商売になるのである。

「……なるほど。それは……中々、有意義な資料だ」

 現代日本以上に情報の少ないオルケナ大陸において、その価値は日本と比べるべくもなく、高く。

「……ただ……その様なモノをなぜ、シオン嬢がお持ちなのかな?」

 後は、信頼性の問題だ。

「なに、王府よりの依頼に過ぎない。徴税関係で各商会の商量を調べて欲しい、とのな。ロッテ翁直々の依頼である以上、断る訳にも行かないので学術院が総出でやった。お陰で、スケジュールが押して困る」

 何時だって権力者は我儘だからな、とそう言って肩を竦めて見せた後、シオンは言葉を続けた。

「この資料はアドルフ殿、貴殿に差し上げる。資料の信憑性について、不安なら不安でも構わんし、使うも使わないもアドルフ殿にお任せする。だが、一応覚えておいた方が良いとは思うぞ? この資料に纏めている商会の多くは、潜在的にコインでの商いに限界を感じる商会ばかりだ。それはそうだろう? 大商いをする所ばかりだし、輸送費だって、保管の費用だってバカにならないからな。クラウスには少し話をしたが、今回の『通貨発行権の王府移譲』はこの『九人委員会以外のそこそこ有力な商会』を潜在的に味方に付ける事になると、そうは思わないかね、アドルフ殿。どの道、『連盟の権利』と仰々しく言った所で、実質通貨発行の一番おいしい所は九人委員会が握りこんでいるんだろう? トップが一番『おいしい』のは世の常だ。ならば、その『利益』を還元した方が喜ばれるのではないのか? そして、それはこのホテル・ラルキアにメリットを――より正確には、デメリットを無くす事にならないか?」

「……デメリット、と来たか」

「舌の根も乾かぬうちに前言を翻す様だが、潜在的な『味方』にはならんさ。潜在的な『敵』が減るだけだ。人間とは、恩は容易く忘れるが、恨みは延々と忘れない生き物だからな。まあ、どちらでも構わんだろう? デメリットが無い事だって、十分メリットだ」

 賛成して『くれた』事は忘れても、反対『しやがった』事は忘れない。そう言うシオンに、今度はアドルフが肩を竦めて見せる。

「否定はせんさ」

「加えて、硬貨から紙幣への変化の『流れ』は時流に則ったモノだ。このコータ・マツシロのいるテラでは『引渡証書』という名の『紙幣』が流通しているし……あの海洋帝国ソルバニアも、紙幣転換の『流れ』に傾きつつある」

「……噂は聞いてはいるな、確かに」

「ソルバニア王国が紙幣への転換を果たせば、その潮流は瞬く間にオルケナ全土に広まるだろう。なんせ商業国家だからな、あそこは。そして、この新たな『紙幣』という通貨を流通させるのが商聖ユメリアの後継を自負する商業連盟ではなく、文化的に『辺境』なソルバニアで良いのか? みすみす他国の後塵を拝しても良いのか? 誇り高きオルケナ商業連盟が、だ。それは少々、業腹ではないか?」

「……論点のすり替えだろう、それは」

「フレイム一国の硬貨を作り続けるという『誇り』を取るか、オルケナ全体の流れを作る『誇り』を取るか、の違いだろう?」

「紙幣は王府が作るのだろう?」

「王府が紙幣を作っても、流通しなければ意味がない。そして、それを流通させるのは王府ではない。アレックス帝より千年、この大陸の経済を回し続けた貴方達の仕事だ」

「……ふむ」

 最初にメリットを提示し、次にプライドを刺激する。そして。



「それに……これは、ロッテ・バウムガルデンの望んだ事でもある。無論、陛下もな?」



 最後は、脅し。

「……何が言いたい?」

「想像にお任せしよう。ただ、私はロッテ・『バウムガルデン』の身内であり、陛下の教育指南役を務めたシオン・『バウムガルデン』だ、という事だ」

 アドルフの射抜くような瞳を軽く受けながしながら、話は終わったとばかりに紅茶のカップを手に取るシオン。まるで糠に釘のその姿に、アドルフは小さく溜息を吐いた。

「なるほど。中々に説得力のある御高説を賜ったよ、シオン・バウムガルデン」

「そうか。それは良かった。わざわざ私が出張った甲斐があるというモノだ」

 紅茶のカップを優雅に傾けながらそういうシオンに、アドルフは苦笑を浮かべて見せる。

「流石、学術院の主任研究員と感心したよ。データを用い、メリットを提示し、最後に特大のデメリットを出す。これは学術院のパターンか?」

「そうでもないがな。だが、良く使われる論法ではある」

「だろうな。私も商売柄、学術院の方々と接する機会も多いが、貴方がた学術院の人間はこの論法を好んで使用する」

「不満か?」

「別段、不満ではない。不満では無いが」

 そう言って、シオンをマジマジと見つめるアドルフ。その視線を先程同様、意に介さず、シオンは優雅にカップの中身を口腔に流し込む。その姿に先程よりも深い苦笑を浮かべて、アドルフは言葉を継ぐ。

「時に、シオン・バウムガルデン。君は……」

 カップを傾けたまま、視線だけで続きを促すシオン。その姿を見つめたまま、たっぷりと二秒、言葉を溜めて。




「――失恋した事があるか?」




 流し込んだ紅茶を、シオンは勢いよく噴き出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。